活動データ
タイム
05:22
距離
9.2km
のぼり
804m
くだり
802m
活動詳細
すべて見る久保谷(くぼたに)のユキワリイチゲ 「久保谷」は香川県満濃町から徳島県の美馬市に抜ける三頭トンネルの香川県側入り口付近の地名で、道の駅「ことなみ」から車で5分程です ここは土器川の上流、明神川の源流部の一つ「久保谷(渓谷)」が阿讃県境の「三頭峠」付近から流れ出て明神川に合流する場所になります 三頭峠への登山道は普段人通りの少ない谷川沿いの道ですが、この時期だけは花を絡めた登山者で賑わいます 谷沿いに咲くユキワリイチゲは紫がかった美しい色をしているのでルリイチゲとも言われます 「アワコバイモ」 久保谷には同じ時期、アワコバイモが咲くので同時に見られます っても枯葉色をしている忍者花ですから私は苦手であまり花として興味が湧かない 一つ見付ければそれで良し!それ以上探し回ると知らぬ間に踏ん付けてしまいます 確かに良く見ると同じユリ科のクロユリみたいに見えなくもありません 「三頭越」(さんとうごえ)と「三頭神社」 阿讃山脈は標高が700m~1,000mと比較的低いので阿波と讃岐を結ぶ峠が沢山あり、昔から人や物の交流が行われて来ました 「三頭越」の由来は徳島県側の三頭山にある「三頭神社」からきている様です。 そもそも、その三頭神社の名前はと言うと「剣霊・山王・清竜(青龍とも)」の三社が祀られている事から名付けられたと言われています 「三頭神社」は江戸時代から金毘羅宮の奥の院として、阿波の人々が金毘羅参りの後先にこの「三頭神社」にもお参りしたらしくちょっとした門前町もあったらしいです これは丁度、箸蔵街道の「箸蔵寺」と同じ立ち位置ですね。 従って三頭峠の鳥居には徳島側から見ると「金毘羅大権現」の表札が、一方香川県側には「三頭大権現」の表札が掛けられています。 二体の道祖神(芸能の神と道案内の神) 三頭越にはこの大鳥居の他に愛嬌のある男女神が旅の安全を見守っています 女(おんな)神の石像 女神「アメ(マ)ノウズメノミコト」(天宇受売命、天鈿女命)は天照大神が岩戸隠れをした際にオッパイをさらけ出しその前で踊り、周りの神々を笑わせて、この騒ぎは何じゃろな?と思わせて天照大神を岩戸から引き出して世界をぱ~~っと明るくしたいう日本で一番古い踊り子です 決して美人ではありません 一方男(おとこ)神の石像 男神「サルタヒコノカミ」(猿田彦神)はニニギノミコトの天孫降臨の折、最初は邪魔をしましたが、天鈿女命が躍る色気に騙されて自分の名前を明かした上に高千穂まで道案内をしたというどこか憎めない神様です 決して男前ではありません 「借耕牛」(かりこうし) そんな「三頭峠」は江戸時代から昭和の初期まで讃岐の塩やコメ、海産物、阿波の薪炭、藍、木製品などの交流が盛んで阿讃の峠としては群を抜いて交通量が多い場所でした 特に、「借耕牛」(かりこうし)と言われる、草など餌の豊富な徳島県、吉野川沿いの農家で飼われていた牛をこの峠を挟んで香川県の仲多度郡や綾歌郡の農家が稲作などの農繁期だけ2か月半程借り受ける風習が江戸時代から昭和30年代まで続いていていました (牛の借り賃は帰りにその牛が讃岐のお米を積んで阿波へ帰って行った) 阿波と讃岐の農家がお互いウィンウィンの関係? 牛だけにモウモウの関係と言う事でしょうか この牛の賃借り風習は全国でもこの讃岐と阿波にだけあった様で、多い時は8200頭阿讃の峠を行き来していたとの記録が残っています ちなみにこの借耕牛が行われていた中継基地は、東から五名(ごみょう)口、清水口、岩部口、美合口、塩入口、猪ノ鼻口、野呂内口、曼蛇(まんだ)口などで、この中で美合口と言うのが今回歩いた三頭峠になります この風習や峠の交流は、昭和4年に池田~琴平間に土讃線の開通、平成9年三頭トンネルの開通等や耕耘機の普及により廃れ、現在この峠を通る人は一部の峠マニア、街道マニア、登山者だけになってしまいました 私もこんな古(いにしえ)の峠道を最近ではユキワリイチゲの時期にだけ歩いています 帰り道はひとヒネリ 三頭神社からの帰り道は三等三角点「倉尾」819、66mと「青龍の祠」の立ち寄り、一旦阿讃縦走路に出て三頭峠を通り越して四等三角点「久保谷」913.13mへ行きます そしてお楽しみはこの三角点から西に延びる激下りの尾根を久保谷登山口にあるお寺に下る事です この尾根は最初の取付きと最後の崖ルート取りが非常に厄介な難ルートです 全行程 約5時間 エントツ山
もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。