活動データ
タイム
08:57
距離
15.3km
のぼり
1474m
くだり
1335m
活動詳細
すべて見る香川独特のおむすび型里山はマグマがゆっくり冷え固まった花崗岩の土台上に1,400~1,100万年前の火山活動により火山灰や礫が堆積し(凝灰角礫岩等)、その上に又溶岩が噴出して讃岐岩質安山岩等の固い岩がキャップロックとして残ったものらしい 髙松国分寺町の我が家から東を眺めると堂山~六ッ目山~伽藍山~袋山~勝賀山が並んで見る事が出来ます 狭箱山(はざこやま)は少し北東部にズレている為伽藍山の後ろに隠れていますが・・・) 「おむすび三兄弟」 国分寺町の堂山~伽藍(がらん)山~狭箱山(はざこやま)はおむすびが三つ並んだ様に見えるので「おむすび三兄弟」と呼ばれたりします 西側の蓮光寺山付近から見ると見事に3山が並んでいるのですが、一直線上の尾根ではない為に角度によっては小さい事もあって狭箱山(はざこやま)が見えなくなったりします この兄弟にはお父さんとお母さんが居て、お父さんは勝賀山、お母さんは袋山と言う事にしております 「堂山」は適度なアップダウンや色んな登山道があり私にとって最高のトレーニング場所となっています 今回は堂山の南端にある四等三角点「石ヶ鼻」(172.55m)を出発点として竜王宮とも南嶺とも言われている三等三角点「星ヶ峰」(274.05m)と言う美しい点名を持つ展望所(ここは出席簿なども置かれたり小鳥に餌付けをしたりと堂山散歩者の溜まり場になっています) 尾根伝いに北に進むと四国電力のパラボラアンテナが立つ堂山無線鉄塔302mピークがあり、地形図ではここが堂山と記されています 更に北に進むと「北嶺」とか「本峰」とか呼ばれる堂山最高地点304mピークがありここに中世の山城があったとされています 六ッ目山とのつなぎ目近くに四等三角点「中福家」216.62mがあるのでそれを踏み六ッ目山へ向かいます 「六ッ目山」 ビュートな山 里山にも色んな急登がありますが、六ッ目山は折り紙つきの急登でロープ等が置かれています 六ッ目山は山頂付近に讃岐安山岩が風化に強く、御厩(みまや)富士とも呼ばれる秀麗な形をしています 御厩(みまや)は山麓北側にある集落の名前でここは江戸中期に尾張で陶器製作の修行を積んだ「彦四朗」と言う土佐の人がこの辺りで良質の陶土を見つけて窯を作ったのが始まりとされています 以来昭和まで火鉢や土鍋、魚やしょうゆ豆を焼く焙烙(ほうろく)等、素朴な生活雑器の生産地(御厩焼)でした (現在は数軒しか残っていない) 六ッ目山の夏場は景色が見えないのとキツいので余り人気は無い様です 下山は四電・高松坂出線3番鉄塔から左の高速道路へ向かい同4番鉄塔付近で側道に下り着きます 「伽藍山」修験の岩山 山頂直下に「青光山萬燈寺薬師堂」と山頂部に「石鉄山別院」 高速道路の陸橋を渡り県道12号線(国分寺・三木線)へ出て西に進むと峠部に「伽藍山登山口」「身代わり薬師如来」の看板があり竹藪の細道を上がると参道に合流します 萬燈寺薬師堂の裏手に「西行塚」と「不動明王」の磨崖仏があります 山頂へは少し元に戻り階段を尾根へ上がるとロープが置かれた岩場があり、細い岩棚を上がると石鉄神社があり、その近くに四等三角点「伽藍山」216.13mがあります 「狭箱山(はざこやま) 158m 別名「万灯山」(まんどうやま) おむすび三兄弟の末っ子「狭箱山」は伽藍山を道なりにコルへ下ると、そこから里山らしいクヌギやアベマキの雑木が生えたなだらかな登りになり、直ぐに山頂へ着きます 「狭箱」は「はざこ」と読みますが難しいですね 狭箱は挟箱(はさみばこ)とも書かれて武士などの従者が担ぐ小さな木箱の事で、恐らく担ぎ箱の様な小さな山って意味でしょうか 別名の「万灯山」については伽藍山とこの山の西側にある「万灯地区」から山名が付けられている様です 古い漢字では「萬燈」(まんどう)と書き、現在は「万灯」と記されています この地区にはお寺や神社があり夜になると燈籠(とうろう)に「沢山の明かりが灯されていた=万灯」地区だったのでしょう 叉、昔は海がこの辺りまで流れ込んでおり、そこに繋がれている沢山の小舟の小さな燈籠から燈火が見えた事で名付られた説もある様です 北側に岩場がありここから見る国分寺の街や山の眺めは申し分ありません 但し下山道は北側には無いので元に帰るのがベターです 私は次に行く袋山の方角に有る鉄塔を目指して尾根を下りましたが途中から大薮に遭遇し苦労しました 「四等三角点 西山」36.41m 狭箱山から何とかミカン畑に助けられて鉄塔まで行き着き、行きがけの駄賃と思い先の小山にある三角点へ向かいましたが、これが中々のクセモノで行きがけのお荷物となってしまいました 「袋山」 三等三角点「袋山」261.82m この山へは7年程まえに今治の「はるちゃん卒寿記念」で大勢の仲間と歩いた思い出の場所です 同じルートで歩きましたが、登山口の記憶が定かではなく少しロスしました 途中まで車道を歩き、尾根に取り付いて落ち葉で滑りながら祠が2つある三角点山頂へ這い上がりました ここから北に延びる尾根が叉クセモノで尾根上にある2ヶ所の崖を右手に巻いて下るのですが、ここも記憶が曖昧でしたが何とか前方の尾根に繋ぐ事が出来ました 「相越の地蔵尊」と「巨石群」 袋山から赤子谷までの尾根沿いには先ず、相越(峠)の地蔵尊を通ります 石組された柱と天井を持つお地蔵さんですが、横から見るとピサの斜塔の様に随分前から傾いています この峠は鬼無の神高地区と国分寺の奥谷を結ぶ生活道だった様ですが、国分寺側への道は不明でした この地蔵尊から少し進むと小高い大岩展望所があります ここの畳岩に座ってデジカメの電池を交換しながら袋山や西側の景色を楽しみました この後、初めて登山者と遭遇 髙松の秀(ヒデ)さんと言われる方がイノシシに脅かされて私の物音に警戒していた様です 一緒に巨石へ案内する事にしました さて、次の221mピークから少し西側へ入るとビックリする様な巨石群があります 特に名前は知りませんが、古代遺跡か天狗の隠れ家と言うイメージの巨石が並んでいます ここは一見の価値があります 尾根に帰って進むと更にもう一つ「山ノ神」の祠があり、そこからゴルフ練習場跡のネット沿いを抜けて赤子谷の道路沿いに出ます 途中でお会いした秀さんと話が弾んで詰めを誤り、右手の尾根に入って最後に自転車をデポした駐車場へ下ってしまいました 「赤子谷」(あかごたに) 赤子谷は五色台の西端、猪尻山~大平山~青峰(根香寺付近)と袋山~勝賀山とを分ける谷間で本津川の支流「坂川」が端岡へ流れ出る源流部に位置します 「四等三角点 赤子谷」 297.52m 赤子谷道路沿いにある勝賀山登山口を入り尾根を上って行くと三角点「赤子谷」に出合います 秀さんはここまでとの事でお別れします この三角点峰の西側が端岡の「坂川」と香西の「住吉川」との小さな分水嶺になっています 「勝賀山」(かつがやま) 三等三角点「勝賀山」364.05m 勝賀城址(香西氏) 赤子谷登山口から50分程尾根を歩くと「勝賀山」に着きます 山頂は運動場が何面も出来る様な広さで讃岐の有力豪族だった香西氏の山城発掘調査が長い間行われています 朝、08時頃堂山へ向け出発し色々寄り道や道間違いをして何とか16時前に最後の山に着く事が出来ました 勝賀山を下っていると大勢の登山者が上ってきます。その中に山の会で北アルプスへ行った若宮さんが居て話をすると何と堂山から勝賀山までの里山ボランティアが主催する歩こう会との事 若宮さんは一時期膝を悪くしていた様だが元気に歩かれていて良かった お別れして、農道を歩いて40分程で自転車をデポしていた赤子谷近くの広場へ帰りました その後、堂山のスタート地点に置いた車へ自転車を積み込んで自宅に帰りました 天気も良く暖かい善き1日となりました エントツ山
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