活動データ
タイム
04:37
距離
8.2km
のぼり
580m
くだり
579m
活動詳細
すべて見る今回は豊後高田の山城巡りです。 軌跡はkinさん、まやおさんのものをお借りしました。 河内小学校の横にある河内公民館に車を止めさせて貰います。 小学校の目の前に低い丘が見えますね。あれが佐野鞍懸城(さのくらかけじょう)山です。 そして小学校の向こう側の山並みが霧笠山~鞍懸山ですね。こちらも合わせて歩く予定です。 ではスタート。佐野鞍懸城山の東から取り付きます。 初めは車道でお墓が見えるところから取り付きです。ピンクテープがたくさんあって、絶対迷わせないという強い意志を感じます。 照葉樹林の中を直登していき、ほどなく尾根に出ます。道の横に石が並べてあるようで、これも遺構でしょうか。 尾根を少し行けば石垣が見えて来ます。薄い岩を重ねて作られた立派な石垣で、これほどはっきり残っているのは珍しいですね。 山頂には鞍懸山(2)の標識。南にも鞍懸山があるのでそのためでしょう。なぜか古いアンテナが散乱しています。 樹林に囲まれていますが、東側の露岩に出れば展望がありますね。 ピストンで戻るのも味気ないので、道は無いのですが南東にある引瀬神社方向に降りていきます。 すると巨岩を背景にした奥の院?とおぼしき祠を発見! 黄色の標識杭を追っていくと道っぽいものがあり、神社から少し離れた民家の裏に出ました。 引瀬神社にお参りしたら、南の霧笠山へ。作業道をどんどん歩いて行き、終点から取り付きます。 道と言えるものはなく、ピンクテープを追って竹林に踏み込みます。 しばらくは相当荒れていますが、途中にいい感じの道もあり、以前は別の道があったような? 尾根筋まで出れば北側への展望もあり、あと尾根伝いに行けば霧笠山です。 霧笠山から鞍懸山へは猛烈な岩陵を越えていきます。 この岩陵は凄い! 田原山に負けていないです。これほどの岩陵歩きが無名とは勿体ないですね。 一度下って登り直せば、鞍懸山です。露岩の上の山頂で、360度の絶景が広がっています。 北には先ほど登った佐野鞍懸城山、霧笠山、東には西叡山、南には華岳、西には津和戸山本峰と周囲は山ばかりです。 ここが奥畑鞍懸城、のはずです。しかし剥き出しの露岩の尾根であり、ここに山城があったとはちょっと信じがたいですね。 昼食を取って一休みしたら下山開始です。 やはり道らしいものはなく、ピンクテープをひたすら追っていきます。 猛烈な斜面を滑るように降りていきます。こちらの道は登りには使いたくないですねえ。 石垣で区切られた段々畑の跡地を経て、ようやく人里に出ました。あとはスタート地点まで舗装路歩きです。 途中、光現堂という古い神社の跡にも立ち寄って、河内小学校に戻ってきました。ゴールです! 佐野鞍懸城山は低い丘という感じ、登りやすいです。霧笠山、奥畑鞍懸山は竹林や急登で登りにくいですが、山頂や岩尾根の展望は素晴らしいです。 特に縦走時の岩陵歩きはいいですね。 帰路のついでに豊後高田にある高田城にもよっていきました。 佐野鞍懸城 大友氏が耳川の合戦で大敗したあと、跡目相続を巡り大友氏に対して反乱を起こした田原親貫(たばる ちかつら)が立て籠もった城です。 庄内の熊牟礼城による田北紹鉄(たきた しょうてつ)も同時に反乱を起こし、豊後の国は大きく揺れます。 しかしあてにしていた毛利の援軍が押し返され、大軍を相手に戦い続けた佐野鞍懸城もついに落城。 田原親貫は城内で切腹したとも、落ちた先で討たれたとも、行方不明とも言われています。 大友氏はなんとか反乱を鎮めたものの、国力がガタ落ちし、島津の侵攻を招くことになりました。 奥畑鞍懸城 鞍懸山の頂上にあったと思われる山城です。南北朝時代にも南朝軍と北朝軍が鞍懸城で戦っており、その時の鞍懸城はこちらだったようです。 六郷満山の神宮寺を改造して作られた城だったとのことですが、この露岩の尾根に城があったとはちょっと思えないですね。 霧笠山の北にある236mピークのほうが城っぽい気がするのですが・・。 高田城 本丸の跡は公民館や小学校になっていて、立派な石垣が残っています。 北側には土塁や堀もあるそうです。 大友氏の豊後下向に従った高田氏の建てた城ですね。安土桃山時代に竹中氏が、江戸時代に松平氏が増改築しています。
もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。