立石城で豊臣家の終焉を思う

2023.02.11(土) 日帰り

活動データ

タイム

00:42

距離

1.0km

のぼり

165m

くだり

164m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
42
休憩時間
3
距離
1.0 km
のぼり / くだり
165 / 164 m
19
14

活動詳細

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今回は豊前と豊後の国境にあった、立石城跡です。現在は宇佐と日出の間、立石峠の近くですね。 登山口は天満社の境内にあります。以前は境内まで車で上がれたのですが鎖がしてあるので、天満社の近くに車を止めます。 天満社に参拝して、では出発。天満社の右手の建物の脇が取り付きです。 道はやや不明瞭ですが、ピンクテープがあるので助かります。 登って行くと、まず石灯籠。次いで神さまの名前が書かれた五角形の石柱がありますね。 それぞれの面に天照皇大神、大己貴命(大国主)、倉稲魂命(ウカノミタマ、穀物の神、お稲荷さん)、埴安媛命(ハニヤスヒメ、土の神)、少彦名命(大国主の国造りに協力した異邦神)が掘られています。 これは「地神塔」と呼ばれるもののようです。徳島藩主であった蜂須賀治昭の提唱だとか。 この地に徳島からの入植者がいたのかも知れませんね。大分の他の場所では見たことはないです。 道は岩尾根に代わり、かなりの急登になります。穏やかな里山を予想していましたが、予想外でした。 やっと登り切れば城山の山頂、立石城跡に到着です。 頂上はやや平坦ですが、展望はありません。木々の間から下は見えます。 南東方向にもう一つピークがあり、そちらに向かって曲輪の跡とおぼしき段々構造があります。 南東のピークも城跡で、そちらには畝状堅堀群があったようで、行ってみればよかったですね。 では下山。急登だったので下りも気をつけないと危ないですね。あっという間に下って、天満社に降りてきました。 ここからすぐ近くの10号線沿いに峠たていしの館という野菜の直売所があります。 そこが立石陣屋の跡となります。 立石城 大友家の重臣田北氏の家臣、立石但馬守の居城であったとされています。それ以外あんまり資料がないですね。 豊後と豊前の国境なので、それなりに重要な城だったと思います。 立石陣屋 立石の地は日出藩三万石から、五千石を分けられた木下家の領地です。木下家は豊臣秀吉の親戚ですね。 藩のかなりの部分を分けて小さな領地とするのは、通常考えられないことですが、 なんと初代の領主、木下延由はかの豊臣秀頼の子、国松であったという話が有ります。 大阪の陣で豊臣家が滅んだときに逃れ、親戚の治めるこの地に隠れて住んだとか。 いくつか傍証があって、なかなか面白い説だと思います。

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