風神山・真弓山 ★星宮探訪、大甕神社★

2023.02.09(木) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
4 時間 34
休憩時間
44
距離
12.8 km
のぼり / くだり
643 / 642 m
26
35
53
3
12
1
23

活動詳細

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日立アルプス南端の風神山と真弓山に行ってきました。 併せて、定年後の歴史探求テーマのひとつ「星宮神社とは何か」に関わる大甕神社を再訪しました。 風神山から真弓山へのコースはとても歩きやすかったです。尾根道と巻き道を選べるポイントが複数あるので、行き帰りで両方の道を歩きました。 ■風神山 茨城県の旧国名「常陸(ひたち)」の由来は、平らな(ヒタヒタの)大地だそう。そんな平らな土地に向かって、北側から海沿いに突き出す山稜(日立アルプス)の突端が風神山。地形的に海風と陸風の吹き重なるところで、その名にふさわしい。そして現地に立ってグルリ見渡せば、この一帯が地勢的に要衝だと実感します。遠い昔に思いを馳せて、常陸の平野部から東北地方(奥州)に抜けるには、風神山の右に海沿いに進むか、風神山の左の久慈川沿いに辿るか。常陸側から奥州方面の動向を睨むにも、奥州側から律令体制下の常陸を望むにも、その時代の有力者なら、この地をおさえたいだろうな。中世以降の常陸武門の雄、佐竹氏が風神山の西麓(今の常陸太田市)を本貫としたのも納得かな。そして、さらに遠い昔からこの地勢の元に編み込まれた歴史の生き証人が、東麓の大甕神社になる。 ☆大甕(オオミカ)神社☆   主宰神:倭文神建葉槌命(シドリノカミ・タケハツチノミコト)   地主神:甕星香香背男(ミカホシ・カカセオ) 日本書紀にも記されたこの社の由緒がすごいんですよ。 下総国一宮である香取神宮の祭神・経津主神と常陸国一宮である鹿島神宮の祭神・武甕槌神の二柱の(天津)神が(東国の)邪神をことごとく平定したが、この地の星神・カカセオ(アマノカカセオとも呼ばれる)だけは従わなかった。そこでタケハツチノミコトが使わされ、カカセオを服従させた。 天津神側(ヤマト王権側)の香取、鹿島の神といえば、出雲の国譲り(という名の征服)を成功させた功労者ですよ。そんなツワモノがこの地の主、カカセオにはかなわなかった。最終的に屈服させた(というか、たぶん懐柔させた)のは、はた織りの神であるタケハツチというのも面白い。 カカセオは、縄文の民、山の民、蝦夷のイメージですね。平地で稲作を生活基盤とするヤマト王権側(天津神側)にまつろわぬもの、記紀の脛長族、土蜘蛛族同様の悪者扱いです。茨城県の名の由来も、まつろわぬ一族を洞窟に閉じ込め、イバラで塞いだという風土記のお話から来ているし。カカセオを星神とするのは、夜襲をかけるのが巧みだった、みたいなイメージでしょうか。あるいは、航海や漁業に秀でた海洋民? ムナカタの民、ワダツミの民みたいな。航海には、星の知識が必要ですから。 ちなみに、大甕の甕星とは、金星を指すようです。金星は、日の出、日の入りの短い時間に、太陽の近くで明るく輝く星。太陽・アマテラスを仰ぐ天津神側陣営の勢力が弱った瞬間(日の入り)に襲い掛かった、あるいは天津神側の大攻勢(日の出)の前に「あだ花」のように輝き、消え去った地元のヒーロー、といったイメージでしょうか。 征服側のモニュメントでもあるこの社に天津神側の名前でなく、負けた側の大甕を冠し、地主神として祀るのも、出雲大社と似た構造ですね。敗れ消えゆくものを完全には排除せずに神として鎮める。敗れた側の祟りが怖い、あるいはリーダを失った地元の民衆の判官びいきに寄り添うという日本人の感性ですね。 最近では、「君の名は」の外伝小説に、大甕神社が登場するそうです。 「君の名は」本編も、流れ星落下の災いとはた織りの神にまつわる人の縁の織りなしのお話しでした。 ☆星宮神社とは何だろう☆ 山登りを始めるようになって気づいたのは、地元栃木県内のいたるところに星宮神社があること。カッコイイ響きの名のお社に興味を持ちました。県内に200社を超えるそうで、隣の茨城県、千葉県にも分布している。総本社があるわけでなく、各社の由緒書きだけでは体系的なことはわからない。栃木神社庁に問い合わせても、江戸後期の水戸学の影響かと思われるが体系的に把握しておりません、と頼りない。 そんなわけで、自分でも調べてみようか、というのがキッカケです。定年になって自由度も増えたし。 ★現段階の調査概要(殴り書き)★ 各地の星宮神社の由緒書きと分布から、歴史的に大きく3つの層が折り重なっているようです。 ①星神、天香々背男(アマノカカセオ)を祀る。茨城大甕神社、栃木大平神社の摂社等。 ②開拓神、磐裂根裂(イワサク、ネサク)を祀る。本地仏の虚空蔵菩薩を祀るところも。磐裂根裂神社、磐裂神社と名乗る神社も多い。 ③妙見菩薩を本地仏とする北極星(天之御中主神(アメノミナカヌシ))や北斗七星(北辰)を祀る。 ①に関しては、大甕神社で記したような、ヤマト王権の統一過程に抵抗したその地の一族。その土地々の古い地元神を国津神のオオクニヌシと見なし、国土開発神のスクナヒコナをペアとする謂れの神社と歴史構造的には近いのでしょうか。 ②は、栃木県内に圧倒的に多いです。日光を開山した勝道上人が、明星(金星)の神である磐裂神に祈願して、開山(日光男体山登頂含む)を成功させた、というのがきっかけのようです。なぜ磐裂神なのか、なぜ明星=磐裂神なのか、そもそもなぜこんなに数が多いのか、が見えてきませんが、日光修験では磐裂神の本地仏は虚空蔵菩薩としたようで、とすると、空海が四国で修行中、虚空蔵求聞持法を声聞して金星が口の中に飛び込む体験をした由来がつながってくるのだろうか。よくわかりません。 またこの系統の星宮神社のある集落では鰻は食べないという伝承が多いそうです。ここもまだ調査の掘り下げが足りない。 明星(金星)と磐裂神のつながりについては、虚空蔵菩薩経由でなければ、イワサク、ネサクを生んだ加具土命(カグツチ)は(火山的な)火の神であり、開拓で岩や根を裂くための鉄器を精製する鍛冶場の火のイメージが星と関連する? と仮説立てたりもするも、無理っぽい。①とのつながりがあるのかもしれない。今後の課題です。 ③は千葉県北部に多く、妙見を大事にした平将門、上総の武門千葉氏の活動域に重なる。坂本龍馬も学んだ北辰一刀流の千葉道場も、妙見信仰の篤信者だったらしいですね。①②とどう関連や影響があるのか、等も、今後の課題。

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