活動データ
タイム
03:59
距離
14.7km
上り
121m
下り
119m
チェックポイント
活動詳細
すべて見る🐘live in チェンマイ 2日目 チェンマイ旧市街 1月27日の夕暮れ。通りでタクシーを降りて、グーグルマップを頼りに住宅街の狭い路地に入っていく。 白い家々も、止めてある車も、石垣島のご近所より小綺麗だ。どんどん豊かになっているなあ。 乾季の真っ只中なので、週間天気予報はオール快晴。気温は、だいたい最低10℃~最高25℃。ああ、気持ちいいなあ。 "Baitong Homestay"は簡単に見つかった。 ここは古都チェンマイ。16泊する予定の「お家」である。 📌チェンマイ——— タイ王国北部の中心都市。首都バンコクから720km。1296年来の古都なので、人口13万人なのに「タイ第二の都市」と呼ばれる。 周辺は、タイ最高峰インタノン山(標高2565m)をはじめとする山岳地帯。避暑地としても人気がある。 —————————————————— 「Excuse me~。サワディー・カップ!」と入口で声をかけた。 奥のキッチンから、お母さんが笑顔で出てくる。「サワディー・カ~」 タイ語では、丁寧に言う時の語尾(です・ます)が男女で異なる。女性の「カ-」は、聞くだけで心が和む、独特の余韻がある。 際立って高い口コミ評価。シャワー・エアコン・朝食付きシングルが1800円というお得感。"Homestay"という語感。ここを選ぶのに時間はかからなかった。 ドイツ人Manfredとタイ人Narumolが営む。夫がドイツ料理、妻がタイ料理を担当するというハイブリッド食堂も魅力的だった。 Baitong(バイトン)とは、タイ語で「バナナの葉」。 かつてNarumolはドイツ南部アウグスブルクのタイ料理店"Baitong"のシェフとして働いていて、Manfredと出会ったという。 グーグルマップによると、そのレストランは超人気店だ。そのテイストを受け継ぐチェンマイ版「バナナの葉」に期待できないわけがない。 🐘 🐘 🐘 🐘 🐘 もう午後6時(日本8時)だった。博多のビジホを午前6時半に出て、13時間半かかった。疲れた。ビール飲みたい。ご飯食べたい。 Narumolに頼むと、困った顔をされた。専業食堂ではないので、早い時間に注文を受けて買い物をしておく必要があるという。 ところが、「チキンカレーなら」と女神が仰るではないか。 「Thank you so much! あ、辛いのは苦手ですが」 「大丈夫。そんなに辛くないです」 ビールを飲んでいるうちに出てきたチキンカレー・青菜炒め付きは、広尾あたりのカフェでも通用しそうだった。 料理に興奮している場合ではない。住み心地を左右するインフラを確かめねば。 「朝食は何時からですか?」 「8時です」(ちょっと遅いな~) 「洗濯機、使えますか?」 「1kg=40バーツ(160円)で承ります」(よっしゃ) 欧州暮らしが長かったNarumolの英語は格上で、コミュニケーション楽チン。「ここ、大当たりだわ......」と満足していると、彼女は気になることを言い出した。 「今夜、外出の予定は?」 「ありません。クタクタです」 「ならいいわ。野良犬に咬まれるかもしれないから」 な、なるほど。帰宅は早めにしよう。 家々も車も物価も「もう一人前」といったところだが、野良犬対策は半人前のようだ。 🐘 🐘 🐘 🐘 🐘 翌28日は、明けぬうちから近所で「コケコッコー祭り」が始まった。 そうそう。これを聞くと「タイに来たなあ」と実感するのだ。 朝食中に夫Manfredに出会った。 背中が少し曲がり始めた大柄のおじいちゃん。パンデミックも一段落して、Narumolと共に穏やかな老後を取り戻した様子がにじみ出ている。そんな第一印象だった。 前半の宿泊代4176バーツを支払うため、紙幣で4500バーツを渡すと、少し多い400バーツのお釣りが返ってきた。どんぶり勘定に癒やされる。 日中はお手伝いさんもいて、こちらは絵に描いたような「下町のおばちゃん」。とにかく、よく笑う。 丁寧表現「カップ」「カー」の正しい発音を知りたかったので、教えてもらった。 カタカナでは「クラップ」とも表記される男性の語尾は、実際のところ「カッ」に近い。「カー」と伸ばすと「オネエ」と誤解されるから、それだけ注意すればよさそうだ。 Narumolには、当夜のメニューとして「魚料理」を注文した。 値段を尋ねると「市場で買ってみないと分からないけど、昨日よりは高い」とのこと。 彼女の表情から、今の夫婦には夕食サービスまでフル回転させる余裕はなさそうだと見た。近場の良質な食堂を探す必要がある。 🐘 🐘 🐘 🐘 🐘 プチ移住の一発目として、旧市街を歩くことにした。一辺1.5kmのお堀と城壁跡に囲まれた正方形をしている。 旧市街には、チェンマイの7大仏教寺院のうち、最も格上のワット・プラ・シン(1345年~)▽2番手のワット・チェディ・ルアン(1391年~)▽一番長い歴史を持つワット・チェン・マン(1296年~)が建っている。 この3寺院を巡礼すれば、溜まりまくった我が煩悩も、ある程度は振り払われるだろう。 新市街の南側にあるBaitongを出発。お堀を一周した後、旧市街に入った。 クライマックスは、最も格上のワット・プラ・シンでの坊さんとの出会いだった。 付属学校の3階建て校舎からの眺めが良さそうだ。「何とかならないものか」と思案していると、坊さんのほうから「日本人?」と聞いてきた。時節柄、野球日本代表キャップをかぶっていたからだ。 「オキナワから来ました」 「へえ。実は4月、日本にSakuraとお寺を見に行くんですよ」 世間話の後、申し訳なさそうな顔をこしらえて、切り出してみる。 「上の階から写真を撮りたいんですが......」 坊さんは、さすがに困惑の表情を見せたが、それもすぐに消えた。その場で「OK」と言い、生徒を呼んで、鍵を開けさせた。 「きょうは休みですから」 日本では遭遇し得ない「ノリ」に遭遇できるのは、地球放浪の醍醐味の一つだろう。 バナナの葉"Baitong"を拠点にしたプチ移住は、トラブルを全く予感させずに始まった。トルコやフィリピンとは、えらい違い。 特に、直近放浪したフィリピンと比べると、町も人々も洗練されていて、ストレスフリー。ツッコミどころが足りないくらいだ。 次回から、山登りを始めようと思う。 🐘付録「プチ移住」 地球を「放浪」するのではなく「居住」したら、どんな感じか? これまで一カ所での滞在は最長5泊くらいだったが、今回は16泊。"go to"というよりは"live in"に近い。 もとより、海外移住に憧れがある。そのプチ体験の場所としてチェンマイを選んだのは、消去法というか、成り行きというか。 「ガダルカナル、どうする?」 gotoフィリピンから石垣島に帰った当日の2022年12月20日夜、横浜市に住む元同僚(日本人♂)にメールを送った。 この放浪の同志から「中国による要塞化の見学と戦地巡礼を兼ねて行きませんか?」と激マニアックな誘いを受けていたからだ。ただ、本気かどうか計りかねてもいた。 案の定「転職してシンガポールに引っ越すので、しばらく休みづらい」と仰る。gotoガダルカナルは今夏に延期された。 翌21日、夏を迎えたニュージーランドのトレッキングの世界的聖地「ミルフォード・サウンド」に狙いを変え、7泊8日の最長コース"The Classic"にエントリーを試みた。 しかし、今季(11月16日~4月8日)は完売。環境保護のため人数制限が厳しく、一方で入国規制はなくなっているため、当然と言えば当然か。gotoニュージーランドは1年後に延期された。 🐘 🐘 🐘 🐘 🐘 じゃあ、チェンマイに行くか...... いつになく緩い思いつきだった。強いて理由を挙げると、 ①季節 日本の冬に渡航する場合、夏の南半球か、冬がない東南アジアが軸になる。タイなど乾季になる地域は快適&安全。 一方、北半球のハードルは大幅に上がる。北海道より緯度が高い国々など珍しくなく、寒さはもちろん日照時間の短さが旅人にとっては厳しい。 ②安くて近い 東南アジアなら、どこでもLCCで飛べる時代。コストも飛行時間も時差も抑えられる。 エアアジアの福岡ーチェンマイ(バンコク乗り継ぎ)は、往復5万3960円(預入荷物1個)。ピーチの石垣島ー福岡は、往復1万6380円(同)。 宿泊料金(シャワー・エアコン・冷蔵庫・テレビ・朝食付き1800円)は、鬼物価スイスの4分の1くらい。 交通費や屋台も安いが、ビッグマックは意外にも145バーツ(580円)。日本では450円。 経済産業省の「未来人材ビジョン」(2022年5月)の資料によると、「部長」の平均年収は▽米国3400万円▽タイ2054万円▽日本1714万円。もはや「G7」を名乗るのもしんどい。 ③安定の衣食住 タイには乗り継ぎ泊も含めて5回ほど入国しているのに、下痢をしたことは一度もない。東南アジアの先頭集団で、衣(洗濯環境)・食(衛生)・住(治安)に安定感がある。 ④地球放浪の原点=後述 📌タイ王国——— 面積は日本の1.4倍。人口6617万人で、ほとんどがタイ族。仏教徒94%。 首都バンコク。その正式名称は「クルンテープ・マハナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロック・ポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリーロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシット」。日本語訳は「天使の都 雄大な都城 帝釈天の不壊の宝玉 帝釈天の戦争なき平和な都 偉大にして最高の土地 九種の宝玉の如き心楽しき都 数々の大王宮に富み 神が権化して住みたもう 帝釈天が建築神ヴィシュカルマをして造り終えられし都」 1238年にタイ族が開いたスコータイ王朝以来の王朝の歴史を持つ。東南アジアでは唯一、植民地支配を受けていない。 料理の美味さは、東南アジア最高級。トムヤムクンは「世界三大スープ」とされる。 —————————————————— 2022年の年の瀬、押し入れの段ボールからA4版の「書物」2冊を発掘してみた。読み返すのは何年ぶりか思い出せない。 その名も「タイ王国旅行記」。大学時代に書いた。写真のほか手書きイラストや資料もあしらった、我が入魂の処女作だ。 メイン・イベントは、チェンマイ発で山岳民族の村々を訪ね歩く、バックパッカー向きのツアーだった。ドイツ人兄弟、デンマーク人女子2人と4日間、寝食を共にした。 その4人の名前は忘れられない。Gerhard、Robert、Charlotte、Lillianに適当な漢字を当ててみせたら、大喜びされたからだ。例えば、リリアンは「里里安」。 竹製いかだの川下りでオチが付いた。竹ざおで操舵中に左手の親指に深めの傷を負い、チェンマイの病院で検査を受けたら、バクテリアに感染していた。今も傷跡が残る。 🐘 🐘 🐘 🐘 🐘 その旅行記には「旅を終えて」と題したコラムがあり、「"日本は豊かである"という常識を信じられなくなった」と書いている。 当時のタイでは「自動〇〇機」の類が見当たらなかった。バスにも車掌がいて、料金を一人ひとり徴収。鉄道の切符1枚、コーラ1本買うにも、人間との対面を省けなかった。 とても非効率だが、ふれあいや会話は圧倒的に生まれやすい。初めて独りで海を渡ったヘタレ都民学生は、そんな「三丁目の夕日」な世界に心を打たれたらしい。 それをもって話を「心の豊かさ」に飛躍させたのは、少しイタい。しかし、放浪で感じたことを細々と書き残す癖が当時から1㍉も変わっていないのは、興味深い。 というわけで、タイそしてチェンマイは、地球放浪の原点なのである。 今そこに舞い戻り、プチ移住を試みる時、自分は何を書き残すのだろう。 📌おしらせ——— タイと日本の時差は2時間。わりと普通にレスできると思います。 "Baitong Homestay"に2月半ばまで住んでいます。近くにお越しの際は、お立ち寄り下さい。Singhaビールをご用意しております。 ——————————————————
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