活動データ
タイム
00:43
距離
3.5km
上り
84m
下り
85m
チェックポイント
活動詳細
すべて見る金沢城から卯辰、つまり北東の方向にあったことから、その名が付いたという「卯辰山」。城下町建設当初から重要視された場所で、江戸時代には庶民が登ることさえ許されませんでした。しかし、今から150年ほど前、大飢饉に見舞われた加賀の国の農民達は、立ち入り禁止の卯辰山に登り、金沢城を見落ろし泣き叫びました。およそ2千人とも言われる声は城まで届き、その翌日には藩の御蔵米500俵が放出、米の値段も下げられましたが、首謀者とされる七人は捕らえられ亡くなりました。犠牲になった7人を供養するため建てられた「七稲地蔵」は、卯辰山のすぐ下にある寿教寺で旧暦7月11日に、毎年祭礼が行われます。
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