富士山に登った事

2018.07.24(火) 2 DAYS

活動データ

タイム

19:12

距離

16.4km

のぼり

1683m

くだり

1693m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
7 時間 48
休憩時間
1 時間 13
距離
4.9 km
のぼり / くだり
1134 / 57 m

活動詳細

すべて見る

初めてのこと富士山登山、それはチャレンジしなければならない事が多々あると感じた。 高度への順応、荷物の検討、各自の実力の見極め、、何もかもが未知数を含む、そんな登山。 今回はムスメとムスコ、そして母親と叔母の初心者パーティーなので、セオリー通り、 最も山小屋の数が多い吉田ルートから登る計画にした。 五合目まで北麗駐車場からバスで上がったので、五合目で高地順応するために一時間以上滞在。 外国人の方がとても多く、色んな国の言葉が聞こえてきた。 登り始めから身体を慣らす意味でもゆっくりペース。 色々なサイトや富士登山経験者から聞いた話では最初の五合目から六合目のペース配分が早すぎると 大抵上に行けば行くほどしんどくなり、登頂できる確度が下がるそうだ。 先頭はペースが一番遅い母にし、フォローにムスメをお願いした。続いて叔母とムスコ。 叔母と登山するのは初めてなので、実力がわからない。だが、ザックの日焼けを見ると、経験値が 結構ありそうだったから大丈夫そうだと感じた。最後尾は自分。 五合目から六合目はなだらかに下って行く感じの登山道だった。足元は赤い火山石で、今の所歩きやすい。 反対方法に進む、降りてきたと思われる人は足元のゲイターが、真っ白になる程、汚れていた。 どんな登山っているのだろうと期待に胸が高鳴った。 森を抜け、六合目に到達。ここまでは観光登山的な軽装での登山を結構見るが、徐々に装備がしっかりした 人の割合が増えているように感じた。予定より時間が少しかかっているが、まぁ大丈夫だろうとタカをくくる。 六合目から七合目は落石防止用の棚を縫う様にジグザグに登っていった。足場はガレていたが、 斜度もそれほどでもないからかサクサク登っていける。体力的にも全員問題なく、高山病もないようだ。 気温も下がってきたが、まだ暑く感じた。 七合目からは山小屋が時折あって、足りなくなった装備品を整えながら登れる。 途中、七合目トモエ館で名物のクリームパンと暖かいチャイを買って食べた。疲れた身体に甘味が沁み渡る。 七合目付近からは登山道が狭まって来ているので、追い越しに気を使う。特にツアーの方々を追い越すのは難しいと感じた。 ただ、ツアーガイドさんの話は為になるので、随行し、耳を傾けた。 また、ここら辺から登山道も斜度が上がり、這って登る様な箇所もあった。ムスメは鼻唄が聞こえてくるから、 多分問題ないだろう。ムスコはこれまでの登山で上りで心が折れるシーンが時折見れたので、心配していたが、 叔母と会話を楽しみながら、進んでいる様だ。 ただ、急な斜度で体力的にへたり始めているのも事実。登るペースが落ち込んでいるのも事実だ。 若干時間が押してきて、内心焦り始めたのは、この七合目の後半位から。 疲れから無口になる家族を奮い立たせながら歩みを進めた。水分補給と行動食の摂取は大人全員で 声をかけながらやれたから良かったと思う。 七合目の途中で、全員にこのままのペースで進むと山小屋に着くのが日没後になる事、 ただペースを上げ過ぎてしまうと体力的にも厳しいので、後ろから見ていくのでしんどくなったら、 声を上げてもらう事を伝えた。 疲労の中でも家族全員が一致団結できるように声を掛け合って進んだ。 八合目、いくつかの山小屋を通り過ぎた辺りで、薄暗くなってきたので、ヘッドライトを装備した。 まさかの保険装備を使うことになるとは。これこそ、まさに備えあれば憂いなし。 吉田ルートは山側に日が沈む為、太陽が見えなくなるのが早い。 体力的に厳しそうな母や叔母をムスメが引っ張り上げていた。 自分の体力が厳しい時に相手に施せる心の持ち主になってくれたと父感激。 一足一足に疲労がにじみ出たが、歩みを止めるともう動けなくなりそうで、声をかけ続けながら登った。 本八合目の上江戸屋に到着したのは19時過ぎ。暗くなりきる前に到着できてよかった。 ついてザックを下ろして一息つくと、すぐに食事をとった。 消化に血液をもってかれるので、早目に食べて消化時間を稼ぎたい。 メニューは定番のカレーにハンバーグがついていた。レトルトのありきたりのカレーなのに、 身体に沁み渡るように美味しかった。自分史上、何番目かに入るレベルの美味しさ。 消化の為の時間には荷物の整理をしておいた。といっても体力的に厳しそうな人から大丈夫そうな人へ 荷物の入れ替えをした。 歯磨きしながら夜景を見に外に行く。それはガスの狭間からわずかにしか見えなかったが、夜景が見えた。 遠く、遥か遠くに見える文明の光に『あぁ、思えば遠くに来たもんだなぁ』と感慨深くなる。 8時半には消灯。電気が消えたら、耳栓をしてシュラフに潜り込んだ。硬い床と幅の狭い敷布団を、 ムスコと分かち合いながら、眠れぬ夜を目を閉じて過ごす。 山頂ご来光組が夜中から活動していて、その活動音で寝付かれず。時計を見ると12時半。 高山病と思われる頭痛を感じて、寝床から起き上がり、雰囲気を味わいにわざわざ傍らに座った。 忙しなく準備をしている人々、柔軟したり、装備を確かめたりしている横でボーッとそれを眺めていた。 室内の酸欠を感じて、山小屋の外に出る。日が昇る前だというのに、ヘッドライトを装備し、続々と 登ってくる人々が見えた。 見上げると満天の天の川。これが見えただけでも収穫だった。しばし眺め、寒さが優ってきたので、 再びムスコの隣の狭い寝床に潜り込み、シュラフを被り、目を瞑り、無理矢理寝る事にした。 翌朝、結局寝付けず、軽い高山病の症状を感じながら、四時起床。起きてすぐに外に出て、ご来光の状態を 見る。晴れていて、いい景色になりそうだ。 前のベンチでお湯を沸かしてもいいか、山小屋の方に確認した。問題ないそうだ。 家族を起こし、ご来光を眺めようと伝える。外は一桁台の気温。しっかり防寒してもらった。 ベンチの横でお湯を沸かし、大人はコーヒーを、子どもたちにはコーンポタージュを作った。 コーヒーを飲みながら、ゆっくりと昇る朝陽を眺めていると、実に穏やかな気分になった。 風の音しかない、静かな中で、パノラミックな景色の中で写真に切り取って持ち帰ろうとするのが、 徒労に感じた。それよりこの網膜に焼き付けておこうと思った。 片づけを終えて、山小屋に入る。ザックの中身をチェックをしながら、朝弁当を食べた。 六時、今日の行動が始まる。横になったことで体力は少し回復しているが、どの顔も疲労していた。 朝から鼓舞するように、声を出して登りだす。 流石に標高が3000mを軽く超えてくると、少しの運動でも息が切れた。休み休み歩みを進める。 高山病対策の口笛が一小節吹ききれず、息が切れてしまう。 九合目の上まで行くと、無性にトイレがしたくなる。いったん、パーティから離れて、山頂手前の急坂を 一人で駆け上がった。一足毎に三戦の息吹を意識して、ロングブレスをする。息を切らし切らずに一足先に山頂到着。 普段はコミュ障でなかなか見知らぬ人と会話ができない私だが、この時ばかりは外国の人と写真の撮り合いが問題なくできる。 これも登山の楽しみの一つだと思う。 山頂のトイレを済ませて、眼下を見ると家族が登って来ているのが見えた。疲労からか、下を向いているように見えた。 山頂から出せる限りの大きな声で「がんばれー!あと少しやぞー!がんばれー!」と励ますと、 皆失いかけていた表情に光を蘇らせていた。止まりかけていた歩みを早め、山頂に辿り着くと、みんな目が潤んでいた。 ようやくここまで辿り着いた、そんな気持ちが溢れてきたのだろう。 山頂の神社でお参りし、山頂でしか買えないお守りを買い、山小屋で水を追加してから、お鉢巡りを開始した。 断崖の淵を風に煽られながら、歩みを進める。山頂の火口は思いの外深く、底が見えなかった。 時計回りに半周すると山頂郵便局があった。 五合目で準備しておいたはがきに、皆思いを綴り、出した。酸欠のせいか、字が思い出せず、文字もミミズが 這ったような字になった。 馬ノ背から剣ヶ峰を目指そうと伝えるも馬ノ背の急勾配を登れないと母が言っていた。ムスメも母と待つといい、 ここからは元来た道を戻る人と後半周する人で二手に分かれて行動した。 ムスコと叔母と共に馬ノ背の急勾配を登る。遠くから見るととんでもない角度に見えたが、 実際にはなんとかなるレベル。足場をよく吟味して登れば登れないことはない。 剣ヶ峰には15分弱で到達した。観測所の横に立つ記念碑の前で、モデルかと見紛う程、写真を撮影した。 正に、ここでしか撮れない写真がある、そんな思いでシャッターを押した。 インスタの位置を見ると、『Top of Mt.fuji』と出て来た。あぁ、日本一高い富士山の一番てっぺんにいるんだな、、、 そう思うと一層感慨深くなった。 残りの半周はハイキングコースのように道は平坦であったが、如何せん高度が高い為、ちょっと急ぐと あっという間に息切れしてしまう。 万年雪、金明水、銀明水を横目にゆっくり回り、何とか一時間かけて元の山小屋まで戻り、ムスメたちと合流。 山小屋前のベンチで少し早い昼飯を摂る。 カップラーメンとアルファ米で疲れた身体に熱と栄養を浸み込ませた。 カップラーメンもやたら美味い。山で食べるカップラーメンは麓とは別格の美味さだ。 ムスコは息をするのも忘れて啜っていた。 腹拵えを終え、いよいよ下山。登った分だけ降らなければならない宿命には誰も逆らえない。 下山道は登りに見た限りはブルドーザー道の平坦そうな道だったが、歩いてみると角度もあり、膝への負担も大きい。 また砂埃が激しく、マスクをしないと口の中がザリザリになってしまう。 途中膝の痛みが出た母の荷物を家族で分散し、ストックを私の両手持ちと交換した。 装備品や荷物で負荷を分散する事ができるのは、複数人登山の良いところだと思う。 下りになると元気が出るムスコはムードーメーカーとして色んな話をして皆を元気付けてくれた。 これが、辛い下り道を忘れさせてくれた。 黙々とつづら折りを下って行くとこ三時間、ようやく六合目に合流。登りに比べると時間こそ短いが、 下半身への負荷はハンパないものだった。 そのままなだらかな登り道を進み、全員出発地点の五合目に到着した。 こうして私の初めての富士山登山は成功裏に終わる事ができた。 この登山を通じて、子ども達の成長を垣間見る事ができたのは、とても有意義だと感じた。 自分も苦しい時に人に手を差し伸べられるムスメの優しさと力強さ。 文句一つ言わずに誰よりも重いガスや調理器具を担いでくれたムスコ。 二人が一人前、キチンと役目を果たしてくれたからこそ、成り立ったと思う。 母と叔母は常々、いつか富士山には登りたいが、一人では行けないと言っていた。 そんな二人を富士山へ連れてくる事ができたのも、有意義だ。 日本一の山にいつかは登りたい、そんな思いを抱いてはいたが、中々登る機運までは得られない。 母が元気な今だからこそ、このタイミングで登っておいて本当に良かったと思う。 最後に私自身も三十代最後のチャレンジとして目標に掲げていた富士山登山を達成できた。 それも三年前に禁煙をスタートし、子ども達と共に空手を始めて、徐々に本来の心肺機能が蘇えらせていく中で、 三十代のうちに富士山に登れるまで身体を得たのは本当に嬉しい。 また、6年生になったムスメとの思い出深い家族旅行にこの富士山登山を選んでよかったと心から思った。 この富士山登山にあたり、共に支え合う家族や力を貸してくれた人々に感謝してもしきれない。 本当にありごとうございました。

もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。