活動データ
タイム
04:39
距離
6.6km
のぼり
571m
くだり
571m
活動詳細
すべて見る五剣山登拝について わたくし、四国の道なき道を歩いている内にいつしか自分は修験者じゃなかろうか?とフト思う様になりまして「煙突山喜岳朝寝坊」なる山号を勝手に名乗り、石鎚山を本拠地に修行を積み、遠くは大峰奥駈道、白山、立山・剱岳北方稜線、槍ヶ岳西鎌尾根などで大自然に身を置き山岳修行により超自然的な力を得んと励んで参りました。 しかるに入滅を間近に控えるこの歳になってもちっとも不思議なパワーや悟りを得られません。ホラはバンバン吹けてもほら貝は吹けません。 これじゃイカンと強風吹き荒れる12月13日「B級修験者として」八栗寺の天狗様「朝帰りの中将坊」(大黒天の生まれ変わりとされていますが全くピンときません。)に拝謁し、讃岐修験道の聖地「五剣山」を登拝し、仕上げに八栗寺奥ノ院とされる竹居観音寺を参拝して参りました。 自称B級修験者を殊更に強調する理由は他でもありませぬ。そう!かの地は「登山禁止」となっております。しかし讃岐修験道の聖地ですから「登拝禁止」とはなっていない筈なのであります・ 庵治半島は古来より讃岐山岳修験の聖地で、お山廻りと称して八栗寺の裏に聳える五剣山岩峰群や峰続きの女体山、さらに北側の大仙山を経て八栗寺の奥ノ院とも言われる竹居観音寺の岩屋で修行をしたとも言われています。但し、以前私は五剣山から尾根筋に女体山へ行こうとしましたが庵治石の採石現場に阻まれて歩く事は出来ませんでした。 「神仏混沌とした八栗寺」 このお寺へ参って不思議な気がします。それは参道入り口から大きな鳥居が立っており、その後も随所に鳥居がみられます。境内に入ると何と狛犬が居る~ ここはお寺、それとも神社?と不思議な空間なのです。 まあ、弘法大師ゆかりの85番札所「五剣山観自在院八栗寺」(真言宗大覚寺派)ですからお寺さんには間違いはない。 本尊は聖(しょう)観音=(聖観世音)=(聖観自在菩薩),いわゆる観音様ですが、このお寺が売りにしているのは「歓喜天」様で、昔グレてたヤンキー神が十一面観音に説教されて改心し人々に喜びを与える事が天命と悟った二つの象の頭を持つ神様らしいのです。う~~ん それで狛犬や鳥居があるのかな。 元々、日本では仏教渡来以降それまでの「八百万(やおよろず)の神」は仏教の多種多様にわたる仏様と見事に融合し神仏混淆(こんこう)の時代が明治まで続いていましたので、お寺に鳥居や狛犬があっても何の不思議もないのですが・・・ ちょっと前置きが長くなってしまいました 八栗寺にお参りして裏参道を源平合戦の古戦場「源氏ヶ峰」へ移動します 源氏ヶ峰は源義経が屋島合戦時に陣を敷き作戦を練った場所とも言われているピークです。現在樹木が繁って見通しは余り効きませんが屋島の付け根辺りの平家軍の様子は見えそうです。義経の進軍ルートとしては今の11号線沿い(海側)と、長尾、三木町辺りを経由(内陸側)が推測されていますが、仮に海側ルートだとすれば奇襲前の隠れ場所としてはこの源氏ヶ峰は頷けます。 源氏ヶ峰の山頂には三角点「源氏峰」と2つの石塔があります。 大きい方の石塔には何やら梵字2文字がありますから源平合戦とは別の仏教的な地と思われます。少し読み辛いですが奉納妙蓮華経とか八大竜王とか四大天王とかの文字が刻まれています。どれも仏法を守護する神仏ですし、妙(法)蓮華経は大乗仏教(だれでも成仏できるよ~と言う教え)の経典です。 ちゅう事は!我思うにこの源氏ヶ峰こそが八栗寺、五剣山の登拝路スタート地点に相応(ふさわ)しい場所なのです。 源氏ヶ峰~五剣山の尾根 源氏ヶ峰から尾根沿いを五剣山と進むのでありますが、この藪尾根がクセモノで3か所程尾根が切れ落ちて地形を複雑にしています。ひょっとしたら宝永3年の大地震で崩れたのかも知れません。今回この荒れた尾根筋で「十丁」の丁石を発見しましたから現在の裏参道舗装道路が出来る前の遍路道だった可能性が高い様です。(四丁辺りで舗装道路筋に合流) 源氏ヶ峰から一旦尾根筋が不明になりますが、その内明瞭な尾根に出て282m地籍図根(ずこん)三角点まで来れば八栗寺の参拝口と五剣山登拝路の合流点は近いです。岩や祠が現われいよいよ岩禅定が始まります。 五剣山の岩禅定 五剣山は小豆島と同じように花崗岩基盤の上に凝灰岩と角礫岩が乗っかっている構造で(安山岩は無さそう)、宝永地震で崩れた第5峰は現在でも火山角礫岩の間に凝灰岩がサンドイッチの様に挟まれているのが本坊越しに見られます。今は歩行し易い5峰ではありますが崩落前は他の4峰に比べて薄い衝立の様な岩峰で2つのピークに分かれていたらしい。だから歩行は中々困難だった様に思えます。 先ず、天辺が崩れて歩き易くなった5峰へ這い上がり、志度湾や瀬戸内の島々を眺め、南面に八栗寺の全容を上から眺めてテンションを高めます。 4峰には東の基部に岩窟(いわや)があり不動明王が祀られています。何度もここを訪れていますがいつも花束が添えられており八栗寺の奥ノ院的な存在として日常的に祈祷が行われている様です。ここから目もくらむような崖部の鉄階段が続きますが岩禅定としては一番の核心部です。白滝大明神の石碑を越して、ピークにはやはり2つ屋根のある不動明王などの石碑が置かれ、そこには「大峯山頂上岩屋」と刻まれています。叉、375mの五剣山私設標識が置かれています。 3峰へ向かう下り斜面は非常に急でロープ等を頼りにコル部に下りるとウバメガシの渡り廊下となりヒトツバに覆われた3峰へ至ります。ここには摩利支天とか白滝大権現などが置かれていますが意外と愛想の無いピークです。 3峰から2峰へ至るコル部は崩壊した場所があり、落ちれば一気に八栗寺の裏まで至りますがロープが無数に置かれており、まあトラバース気味に渡れば問題無いと思われます。 2峰には立派な祠が2つ建っており一番安定したピークです。そして白滝権現の石碑裏に366mの五剣山私設標識が立てられています。少し西側にも赤い屋根の祠があり、その横に「猿田彦大明神」と刻まれた石碑と不動明王が立ちます。 2峰と1峰の余り高低差の無いコル部が八栗寺西側への下山路となっており、それをやり過ごすと八大竜王などの石碑が立っている西の端に白蛇を祀った祠に出ます。白蛇は白滝大明神の御神体とかその使いとかの存在ですからその関係で置かれているのでしょう。ここに四等三角点「五剣山」(366.09m)があります。 この1峰展望所からの眺めは抜群で、牟礼から屋島が眼下に見え、源平屋島合戦に思いを巡らせる事が出来ます。 下山は八栗寺には出ずにあくまで修験ですから荒れた尾根を下り出発点に帰りました。この行程に立ち入り禁止の看板を見る事はありませんでした。 その後、四国最北端の竹居観音寺の岩窟(いわや)と岬を訪れて修験の日程を終了致しました エントツ山
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