活動データ
タイム
11:29
距離
16.8km
上り
1928m
下り
1924m
チェックポイント
活動詳細
すべて見る🍌gotoフィリピン 第1週 ミンダナオ島ダバオ3~4日目 アポ山(フィリピン最高峰) 🍌序章「比国の頂点」 "The highest point in Philippi~nes!" 2022年12月4日午前7時半。アポ山(標高2954m)の頂に立つと、ガイドRoyがおどけた調子で声を張り上げた。そして、がっちりと握手してくる。 歓喜の渦に包まれる予定だったが、旅というのも思い通りにならないものだ。 朝から軽い下痢と吐き気があり、標高を上げるにつれて後者が悪化。記念撮影でも作り笑いをするのが精いっぱいだった。 「下山まで持ちこたえられるかな」。ほとんどそれだけ考えていた。 🍌第1章「憂鬱」 石垣島では、出発が近づくにつれてテンションは下がるという日々を送った。 勢いに任せてフライトを取り、フィリピン登山に必要な面倒臭い事務作業をクリアしたものの、最後まで引っ掛かったのは、 ①いい加減そうなガイド ②衛生状態と風土病 の二つである。 ①については、モーメントでも書いた。 アポ山ツアーには、前泊のホステルが含まれる。出発8日前の11月22日にガイドAlbertに問い合わせメールを送ると、この日も以下のような体たらくだった。 【K】前泊先の名称と住所を教えて下さい。個室をお願い済みです。 【A】〇〇の予定です。←なぜか未来形 【K】個室が重要なのです。なる早で予約して下さい。←キレ気味に返信 【A】ご心配なく。私が保証します。 【K=心の声】「保証」はいいから「予約」をしてよ...... ②は、もっと切実。アジア放浪では度々ひどい下痢に襲われてきたからだ。 「地球の歩き方」には「トイレの後に手を洗う習慣はありません」とか書いてある。山中のキャンプで、どんな状態で飲み食いをさせられるのか。不安で仕方なかった。 石垣島のドラッグストアで薬剤師に相談したら「正露丸」を勧められたが、いったん襲われたら、何を飲んでも無駄だ。 所詮は気休めの正露丸、ついでに蚊よけスプレー(マラリア&デング熱対策)、バンドエイド、消毒液を買った。A型肝炎と破傷風については、ワクチンで予防済み。 なんでフィリピンで山登りなんかすることになったんだろ...... 過去最低レベルのテンションを引きずったまま、関空からマニラを経て計8時間後、眼下にダバオの街明かりが見えてきた。東の空は、赤く染まり始めている。 12月1日午前5時12分、着陸。gotoフィリピンが始動した。 📌ダバオ(Davao)とアポ山(Apo)—— ダバオは、北部ルソン島の次に大きい南部ミンダナオ島(北海道の1.1倍)の中心都市。人口163万人。 ミンダナオ島は、ほぼ年じゅう真夏日。1日1回スコールあり。大半が熱帯雨林に覆われ、絶滅危惧種・固有種の国鳥フィリピンワシ(別名サル食いワシ)が生息する。 ダバオの西にそびえるアポ山は、フィリピン最高峰(標高2954m)の休眠成層火山。ふもとは、太平洋戦争の日米激戦地。 —————————————————— 🍌第2章「Albert見参」 ダバオ中心部のホテルにはタクシーで難なく着いたが、ほぼ徹夜状態。「1時間100㌷(240円)で早期チェックインできます」という甘言には抗えず、5時間分を支払った。 その最上階からは、アポ山を初めて拝めた。期待感...というより緊張感。 とにかく、下痢で登るわけにはいかない。当地1発目の食事では、卓上のスプーンを除菌シートで拭く自分に苦笑した。 初日は、休息と街の探検にとどめた。 蒸し暑く、日なたの最高体感温度35℃という熱帯。若者が多く、活気にあふれ、雑然としていて、たまに異臭が漂ってくる。 基本的なテイストは「東南アジア」だが、走り回る無数のジープニー(乗合バス)とトライシクル(三輪車)、いい感じに訛る英語(公用語)がフィリピンらしさを演出していた。 翌2日午前5時(日本6時)ごろ目を覚ますと、「日本、スペインに逆転勝ち」の速報見出しの意味を飲み込めず、我に返った後、録画予約しなかったのを悔いた。 アポ山の天気予報に目を移すと、まずまず。午後の定例スコールがハイカー泣かせで、山頂の気温は10℃くらいのようだ。 午前はホテルで時間を潰した後、ツアー前泊のため、Albert「保証」つきのホステルまで10分ほど歩いて引っ越した。午後5時半に顔合わせする約束だった。 注目の「個室」は、注文通り予約されていて、前日のホテルと比べても遜色がない。これで心証が少し良くなった。 ついに現れたAlbertは、握手を交わしたまま、ちょこんと和風のお辞儀をしてみせた。 第一印象は、精悍&色黒。「本田圭佑と新庄監督を足して二で割った感じだな」。ツアーの説明中、そんなことばかり考えていた。 飲み水のことだけ質問すると、「先週のシンガポール人は沢水でも大丈夫だった」。 それって、安心材料なのだろうか? ザックにミネラルウォーター2.7ℓを詰めた上で、それ以外はなるべく飲まないことにした。 Albertは当日、別のパーティーに付くといい、「キャンプ場で会いましょう」と言い残して去った。 「一緒に登れないのは残念だな」と思うほど心証は良くなっていたのに。別のガイドというのは、大丈夫かしらん? 📌アポ山ツアー概要——— 2泊3日のピストンを選択。ダバオ前泊、登山口送迎、ガイド、ポーター、テント泊、入山料を合わせて1万6500㌷(4万円)。8~12人なら1人7500㌷(1万8000円)まで下がる。 【Day1】ダバオ→Baruring登山口(標高1140m)→Tinikaranキャンプ場(2100m) 【Day2】キャンプ場→山頂(2954m)→キャンプ場 【Day3】キャンプ場→登山口→ダバオ —————————————————— 🍌第3章「Day1:スーパーサイヤ人たち」 3日午前5時半、送迎車が来て、アポ山ふもとの村でAlbertの部下のガイドRoy、登山口ではポーターArielが合流した。 Royは、珍しいロン毛で(ロック愛好家と後に判明)、サッカー元ブラジル代表ロナウジーニョそっくり。Arielは、柳沢慎吾をイケメンにした、ボクサーのような風貌だった。 Arielは、オートバイが走れるダートで距離・標高差を稼ぐというので、Royと2人で本来の登山道を歩き始めた。 すぐに思い知らされたのは、彼の恐るべき健脚と猛烈な蒸し暑さだった。 蒸し暑さなら夏の石垣島で慣れているが、長距離サウナは未経験。前代未聞の発汗になり、途中の集落で水を追加購入した。 この状態でRoyの快足を追うのだから、もはや罰ゲームである。妙なプライドが邪魔して「待って~」とは言い出せなかった。 この日の目的地Tinikaranキャンプ場に着くと、まず、標高2000m超なのに「普通にジャングル」な雰囲気に息をのんだ。 おまけに、ウェアは土砂降りに遭ったかのようなズブ濡れ。「ここにシャワーなしで2泊は厳しいな......」と早くも嫌気が差した。 1時間20分後、ポーターArielが着いた。この日の、いや、このツアーのクライマックスを、ここで迎えるとは思いもよらなかった。 ビーサンなのである。📷衝撃①参照 「ビーサン登山」の噂は聞いていたが、この距離と標高差の登山道を、しかも2泊3日3人分の荷物を背負って歩くのに、ビーサン? ここからは、スーパーサイヤ人たちに畳みかけられる展開になった。 テント設営が始まったが、RoyとArielのスペースには雨よけシートしかない。そのまま寝袋を敷くという。📷衝撃②参照 天気予報によれば、これくらいの標高では体感気温は10℃くらいまで下がる。「夜は冷えるよ⁈」と仰天すると、彼らは「テントは重いから」と事も無げに笑った。 それから2時間半後、ボスAlbertと米国人夫婦が追いついた。そのポーターは、なんと裸足だった。📷衝撃③参照 理由は「シューズを傷めたくないから」。岩場では履くという。「開いた口が塞がらない」とは、まさに、こういう状況を言う。 「西表島の登山では沢靴が要る」とお友達に助言したり、アポ山に正露丸やビオレu全身すっきりシート(徳用)を持ち込んだりする自分が間違っているとは思わない。 しかし、当地でスーパーサイヤ人たちを目の当たりにして、常識がガタガタと崩れていく轟音を聞いた。この常識なり価値観なりの相対化は、地球放浪の「肝」である。 人間って、こんなに強かったんだ...... 🍌第4章「Day2:胃腸ピンチ」 2泊3日を1泊2日に縮めることにした。初日のペースでRoyに旅程を見積もってもらい、お墨付きをゲット。2日目は、登頂後に一気に登山口まで下り、ダバオに帰る。 キャンプ場の衛生状態や山行の発汗レベルからして、連泊は厳しいと確信していたし、この判断は後に「大吉」と出た。 その2日日は、午前4時に起床したあたりから胃腸が不調だった。 まず軽い下痢。行動不能レベルのものを数回経験しているので、それらとの比較から何とかなりそうだと心を落ち着かせる。 ところが、脂っこい朝食を特盛で出され、無理に完食しようとしたのがまずかった。午前5時の出発直後からエグい急登が始まったことも災いし、吐き気が続いた。 おまけに、この日もRoyは快足。ガスらない早い時間帯に標高を上げたい気持ちもあって、心身のダメージが増幅した。 さすがに、アポ山も同情したのだろう。 長い岩場"Boulders"を登りながら眺めたフィリピン海の日の出と朝焼けは、眺め部門ではツアーのクライマックスだった。 Royが所要4時間と見積もった登頂は3時間足らずで済んだものの、吐き気が不快で、うごめく感じの腸も不穏だった。 後から来たAlbertが、米国人夫婦と冷や汗を垂らすヘタレ石垣市民のために登頂証明書の授与式を催してくれたのに、記念撮影でも作り笑いをするのが精いっぱい。 「醜態をさらさずにダバオに帰り着く」。それが唯一かつ喫緊の課題になった。 帰路は、かつてない拷問と化した。 筋肉の疲労と発汗に下痢の予兆、吐き気が加わり、終盤は水が切れて強い渇きも覚えた。楽しいことは一つもない。 ふもとでRoy&Arielと別れた後、ダバオ行きの送迎車に乗ったが、今度は吐き気に代わって下痢のほうが黄信号になった。 「トイレを探して下さい」と頼んだが、運悪くドライバーはフィリピン人なのに英語を話せない。翻訳アプリでタガログ語(標準語)を見せても、理解してもらえない。 「マジでヤバい」と緊急措置を検討しているうちに、神様が見かねたのか、症状は治まってきた。九死に一生を得た。 ダバオに着いて用を足し、シャワーを浴びた時、ようやく達成感を覚えた。そして、歓喜の渦に包まれた。 🍌終章「臆面もなく」 アポ山のジャングルキャンプ場で、自分のテントが張られたのを見た時、「あの日」を思い出さずにはいられなかった。 9月30日、トルコの名峰エルジェス山(標高3917m)で、暴風によってテントを吹き飛ばされ、登頂も断念させられた、あの日。 準備に手間暇をかけ、石垣島からわざわざ出かけていって、ゴールを目の前にしておきながら、思いもよらぬトラブルだった。 フィリピン最高峰でも失敗したら、立ち直れないのではないか。この1カ月ほど、そんなネガティヴ思考にさいなまれてきた。 でも、やってみたら、できた。 聞いたこともない熱帯の高峰を一から調べて、その頂まで登って、無事に下りてくる。なかなかできることではない。 よくやった。自分を褒めたい。 🍌付録「初めてのフィリピン」 地球放浪の先駆けは学生時代、行き先はタイだった。 それ以来、東南アジア11カ国のうち辺境の東ティモールまで行ったのに、フィリピンに限って(正確にはブルネイも)スルーし続けていた。その理由を思い浮かべると、 😂「保険金をかけられた日本人が消される国」「犯罪者の人気逃亡先」という印象 😂治安当局が麻薬組織を「超法規的に」バンバン撃ち殺すお国柄 📌フィリピン共和国——— 7641の島々から成り、面積は日本の8割。人口1億903万人。首都は北部ルソン島のマニラ。島ごとに言葉があると言われる。公用語はタガログ語と英語。 スペイン植民地だった歴史から(その後アメリカ領→日本軍政)、国民の8割以上がカトリック。 ミンダナオ島ではムスリムが2割以上。日本外務省は、イスラム過激派のテロや身代金目的拉致の恐れがあるとして、同島西部に渡航中止を勧告している。 ちなみに、一般市民でも警察の許可を得れば銃を所持できる。 主食はコメ。先住民族、スペイン、中国など色々な食文化が混ざっているが、基本的には塩辛くて酸味が強い、または甘いらしい。辛い料理はあまりない。 —————————————————— そんなフィリピンを目指した理由は、 😍近場の東南アジアくらい制覇したい 😍「山派」にも意外と魅力的だと判明 地球放浪を中断させられた2020年春、国内登山旅に切り替えた時、くじゅうの宿泊先で登山アプリというものを知った。 利便性は明らか。SNS機能も面白く、山登りよりも文章を書いたり写真を撮ったりするほうが好きな自分に合っていた。 今年、スコットランドを皮切りに渡航を再開すると、その利便性をますます実感した。 従来の海外トレッキングでは、ガイドブックや現地のアナログ地図を頼りに、人出があるコースを歩くのが精いっぱいだった。 しかし、登山アプリを知ったことで、閑散エリアでもピークハントや長距離トレイルをソロで狙えるようになった。革命的だ。 YAMAPの海外マップは、登山口やコース(赤線)の表示がなくて不十分だが、GPSは普通に機能する。現在地と軌跡を確かめながら歩ける。これが革命的なのだ。 海外トレッキングのハードルが下がったところで、フィリピンを眺めてみた。 ピナツボなど有名な活火山は観光地と化し、アポ山など標高3000m級の登山道もあると分かった。写真を見ると、登りたくなる。 🍌 🍌 🍌 🍌 🍌 問題は、フィリピン独特の面倒臭さだ。 国としての放浪難易度は前回トルコ並み(中級)と思われるが、山登りを絡めようとすると、トルコ以上に面倒臭くなる。 西側先進国では、登山口まで公共交通機関やレンタカーで簡単にアクセスできる。トレイルが閑散としていても、登山アプリさえあればソロでも不安はない。 フィリピンでは、アクセスが難しいのはもちろん、規制がウザい。難易度に関係なくガイドを雇ったり、時には英文の健康診断書を出したり、登山届に結婚(離婚)歴・学歴を書かされるのに耐えたりする必要がある。 一番面倒臭かったのは、Albertとのやり取りそのものだった。 仕事が(日本人基準では)いい加減なので、いちいちツッコミを入れるのだが、一発では解決せず、彼が悪びれることもない。←きょうの本文や最近のモーメントに詳述 それでも、フィリピンで「海」を無視し、ひたすら「山」と格闘する旅は、恐らくレアである。その分、やり甲斐もある。 無事コンプリートできれば、我が地球放浪の新境地になるだろう。 📌おことわり——— 日本とフィリピンの時差は1時間。レスが遅れる場合、それは時差のせいではなく、筆者の怠慢か疲労のためです。 ——————————————————
もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。