中野城(日野城)その1-2022-11-28

2022.11.28(月) 日帰り

活動データ

タイム

00:39

距離

1.2km

のぼり

10m

くだり

10m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
39
休憩時間
0
距離
1.2 km
のぼり / くだり
10 / 10 m
40

活動詳細

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蒲生氏の居城。蒲生氏郷はここで生まれた。 本能寺の変では信長の妻子は蒲生氏の招きでこの城に匿われました。 江戸時代には西大路藩の陣屋が置かれた。 日野ダム駐車場は平日でも次々に見学者が来られてました ダム周辺がハイキングコースとして整備されてます。 馬《●▲●》助ヒヒーン♪

綿向山 日野ダム駐車場。トイレあり
日野ダム駐車場。トイレあり
綿向山 ダム湖を見ながら昼食した
ダム湖を見ながら昼食した
綿向山 ダム湖ウォーキングまっぷ
ダム湖ウォーキングまっぷ
綿向山 向こうにグラウンド
向こうにグラウンド
綿向山 氏郷公と冬姫の足跡解説
氏郷公と冬姫の足跡解説
綿向山 ダム建設で城は一部破壊されました
ダム建設で城は一部破壊されました
綿向山 駐車場
駐車場
綿向山 城跡入口の紅葉
城跡入口の紅葉
綿向山 中野城の解説板
中野城の解説板
綿向山 縄張り図
縄張り図
綿向山 現況図。遺構は部分的にしか残ってない
現況図。遺構は部分的にしか残ってない
綿向山 入口
入口
綿向山 土塁という表示が。
土塁という表示が。
綿向山 堀底道
堀底道
綿向山 上の橋は神社建設の時に架けられた。本来は無かったのです
上の橋は神社建設の時に架けられた。本来は無かったのです
綿向山 すぐに土橋
すぐに土橋
綿向山 振り返って見る。中野城の石碑
振り返って見る。中野城の石碑
綿向山 土塁の上の北側に稲荷神社
土塁の上の北側に稲荷神社
綿向山 紅葉
紅葉
綿向山 西大路藩庁の裏鬼門(南西部)
西大路藩庁の裏鬼門(南西部)
綿向山 曲輪だったのかな?
曲輪だったのかな?
綿向山 土塁の北端部
土塁の北端部
綿向山 竪堀が無いか?探す
竪堀が無いか?探す
綿向山 橋を渡って向かいの神社へ
橋を渡って向かいの神社へ
綿向山 こちらは凉橋神社。藩主市橋氏は源氏でしたか!
こちらは凉橋神社。藩主市橋氏は源氏でしたか!
綿向山 紅葉
紅葉
綿向山 東南部の下に降りた
東南部の下に降りた
綿向山 横堀と紅葉
横堀と紅葉
綿向山 風が吹くと葉っぱが舞い散る
風が吹くと葉っぱが舞い散る
綿向山 紅葉
紅葉
綿向山 中野城の解説板
中野城の解説板
綿向山 土橋を見る
土橋を見る
綿向山 横堀は北西へ伸びる
横堀は北西へ伸びる
綿向山 この横堀が最大の見所か?
この横堀が最大の見所か?
綿向山 水堀でした
水堀でした
綿向山 横堀を奥へ向かったが藪で無理、引き返す
横堀を奥へ向かったが藪で無理、引き返す
綿向山 藩庁へ向かう
藩庁へ向かう
綿向山 「これより東仁正寺領」という境界碑。
「これより東仁正寺領」という境界碑。
綿向山 日野町は幕府領や他の諸藩の領地が錯綜してました。それと区別するための境界碑
日野町は幕府領や他の諸藩の領地が錯綜してました。それと区別するための境界碑
綿向山 藩庁跡。建物は京都相国寺塔中の林光院に残されてる
藩庁跡。建物は京都相国寺塔中の林光院に残されてる
綿向山 市橋家の屋敷跡
市橋家の屋敷跡
綿向山 公園になってる
公園になってる
綿向山 紅葉
紅葉
綿向山 紅葉
紅葉
綿向山 藩庁跡から西北へ向かう
藩庁跡から西北へ向かう
綿向山 土橋に見えるが土橋ではない
土橋に見えるが土橋ではない
綿向山 先ほどの横堀の延長線がここ。
先ほどの横堀の延長線がここ。
綿向山 横堀を振り返って見る。
横堀を振り返って見る。
綿向山 こちらは横堀か大手道か
こちらは横堀か大手道か
綿向山 う~ん。現状は難しい
う~ん。現状は難しい
綿向山 城跡ですが…
城跡ですが…
綿向山 道路から城内を見る
道路から城内を見る
綿向山 この奥に池があり堀跡の名残。
私有地なので入れません
この奥に池があり堀跡の名残。 私有地なので入れません
綿向山 その堀跡は道路の向かい側の駐車場に伸びてたそうな。
その堀跡は道路の向かい側の駐車場に伸びてたそうな。
綿向山 横堀跡
横堀跡
綿向山 この付近城の虎口だとか?
この付近城の虎口だとか?
綿向山 中野城碑
中野城碑
綿向山 現在茶畑ですが、曲輪跡です。
現在茶畑ですが、曲輪跡です。
綿向山 道路の反対側に氏郷公の産湯井戸
道路の反対側に氏郷公の産湯井戸
綿向山 水はなかった
水はなかった
綿向山 茶畑の曲輪
茶畑の曲輪
綿向山 二段になってますね。
二段になってますね。

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