城名樋山城は斐伊小学校の西背後に聳える標高130m程の山に築かれており、現在は公園として整備されて、春は桜が市民を楽しませている。 城は妙見山寄りに古城があり、南側眺望の良い先端部分が新城とされる。
国道54号線里熊橋から川沿いに下ると、右に渡る小さな橋を渡るリサイクルセンターに登る道があり、それを登って行けば、 城名樋山城の北側の駐車場に着く。 そこの妙見山のいわれを 示す看板に足を止める。
国道54号線里熊橋から川沿いに下ると、右に渡る小さな橋を渡るリサイクルセンターに登る道があり、それを登って行けば、 城名樋山城の北側の駐車場に着く。 そこの妙見山のいわれを 示す看板に足を止める。
妙見山へは始めは階段を歩き快適な稜線登行が出来ます。
妙見山へは始めは階段を歩き快適な稜線登行が出来ます。
登るにつれて、少しずつ笹が目立ちます。
登るにつれて、少しずつ笹が目立ちます。
地積調査の杭は有りますが、でも進む行く手には笹が前進を阻む‼️
地積調査の杭は有りますが、でも進む行く手には笹が前進を阻む‼️
妙見山 山頂手前は、笹をかき分けて進んだ、地積調査の杭は有るけど、笹をかき分けないと道は有りませんでした、しかし危険箇所は無く、無事に登れました。
妙見山 山頂手前は、笹をかき分けて進んだ、地積調査の杭は有るけど、笹をかき分けないと道は有りませんでした、しかし危険箇所は無く、無事に登れました。
妙見山 山頂からの眺望は残念‼️ まったく望めませんでした。
妙見山 山頂からの眺望は残念‼️ まったく望めませんでした。
妙見山の山頂に到着、けど 標柱は傷んでこの通り。
妙見山の山頂に到着、けど 標柱は傷んでこの通り。
妙見山から下山し、駐車場に戻る。 そこには、いち枚板の城名樋山城の説明板が有った。 「出雲国風土記」によれば、城名樋山城は大国主命(おおくにぬしのみこと)が、兄神である八十神たちを征伐するため城を築いた場所とされています。
妙見山から下山し、駐車場に戻る。 そこには、いち枚板の城名樋山城の説明板が有った。 「出雲国風土記」によれば、城名樋山城は大国主命(おおくにぬしのみこと)が、兄神である八十神たちを征伐するため城を築いた場所とされています。
南の主郭へ登る、二重に施工された儀木階段は良く出来ていた。 この手前に4っの空堀が 連続していた。
南の主郭へ登る、二重に施工された儀木階段は良く出来ていた。 この手前に4っの空堀が 連続していた。
楢木の大木をズドン切りした、テーブルと椅子がありがたい❗
楢木の大木をズドン切りした、テーブルと椅子がありがたい❗
神名火山の標柱には、100m と書かれていたが、アプリは132mを示した?
神名火山の標柱には、100m と書かれていたが、アプリは132mを示した?
郭からは眺望良く 54号線、斐伊川、木次、三刀屋 が見渡せるが、桜が咲く頃になると、木葉が視界が遮られる。
郭からは眺望良く 54号線、斐伊川、木次、三刀屋 が見渡せるが、桜が咲く頃になると、木葉が視界が遮られる。
川と街道が見渡せる、大変重要な軍事基地だったことがうかがえます。 「出雲国風土記」に出てくるこの山、神代に見る景色とは異なっているでしょうが、今まさに大国主命になったような気分が湧いて来ます。
川と街道が見渡せる、大変重要な軍事基地だったことがうかがえます。 「出雲国風土記」に出てくるこの山、神代に見る景色とは異なっているでしょうが、今まさに大国主命になったような気分が湧いて来ます。
国道54号線里熊橋から川沿いに下ると、右に渡る小さな橋を渡るリサイクルセンターに登る道があり、それを登って行けば、 城名樋山城の北側の駐車場に着く。 そこの妙見山のいわれを 示す看板に足を止める。
妙見山へは始めは階段を歩き快適な稜線登行が出来ます。
登るにつれて、少しずつ笹が目立ちます。
地積調査の杭は有りますが、でも進む行く手には笹が前進を阻む‼️
妙見山 山頂手前は、笹をかき分けて進んだ、地積調査の杭は有るけど、笹をかき分けないと道は有りませんでした、しかし危険箇所は無く、無事に登れました。
妙見山 山頂からの眺望は残念‼️ まったく望めませんでした。
妙見山の山頂に到着、けど 標柱は傷んでこの通り。
妙見山から下山し、駐車場に戻る。 そこには、いち枚板の城名樋山城の説明板が有った。 「出雲国風土記」によれば、城名樋山城は大国主命(おおくにぬしのみこと)が、兄神である八十神たちを征伐するため城を築いた場所とされています。
南の主郭へ登る、二重に施工された儀木階段は良く出来ていた。 この手前に4っの空堀が 連続していた。
楢木の大木をズドン切りした、テーブルと椅子がありがたい❗
神名火山の標柱には、100m と書かれていたが、アプリは132mを示した?
郭からは眺望良く 54号線、斐伊川、木次、三刀屋 が見渡せるが、桜が咲く頃になると、木葉が視界が遮られる。
川と街道が見渡せる、大変重要な軍事基地だったことがうかがえます。 「出雲国風土記」に出てくるこの山、神代に見る景色とは異なっているでしょうが、今まさに大国主命になったような気分が湧いて来ます。