蝿帽子峰

2022.11.12(土) 日帰り

活動データ

タイム

04:51

距離

7.0km

のぼり

790m

くだり

790m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
4 時間 51
休憩時間
1 時間 10
距離
7.0 km
のぼり / くだり
790 / 790 m
3 2
1 41

活動詳細

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この時期は基本的には土日に山へは行きません。なぜなら柿収穫(ワタシの畑でなく友人のですが)の時期なのです。休みもせっせと働いております。もう半世紀近く恒例の行事なのです。しかし、今回は大阪からはるばる水戸天狗党の足跡をたどりたいという方(初対面)をご案内することになったのです。実は7年前にも長野県の方をご案内しました。天狗党と蠅帽子峠については…『天狗騒乱』吉村昭などを読んでください。明治維新4年前の悲劇の舞台となったコースのうち、一番の難関といわれている峠です。実際には蠅帽子峠もさることながら、倉見東道(例の酷道157号の反対側にあった歩道)も大変危険なのですが、蠅帽子峠道は以前根尾村時代官道として藪に埋もれていた道を復活しました。しかし再びヤブに埋もれていました。ワタシが初めて登ったのは1995年5月でした。クマの親子と遭遇しました。2000年8月にはコワタビ谷から蠅帽子嶺に登り、峠を経由して小倉谷を下降しました。そして2015年には4回行きました。峠を越えて福井県側の蠅帽子谷の出合まで行き、戻りました。今回は7回目となるわけです。ちなみに蠅帽子峠は本巣側(根尾)では這星とか這法師とか這越とか言われてきました。法師とは越前からお坊さんが根尾や徳山の檀家に夏に訪れることから言われたようです。お坊さんも這って登るほどの峠という意味です。うんちくはこの辺で。

能郷白山 7年ぶりに訪れる蠅帽子峠への取り付き。背の高いススキの朝露でびっしょり。
7年ぶりに訪れる蠅帽子峠への取り付き。背の高いススキの朝露でびっしょり。
能郷白山 問題の渡渉地点。今は水量が少なく比較的簡単に渡れます。今回たまたま岡崎からの単独の男性も一緒になりました。渡渉してから足をふいて登山靴を履き直します。過去には胴長などを利用したこともありますが、今回は楽勝です。
問題の渡渉地点。今は水量が少なく比較的簡単に渡れます。今回たまたま岡崎からの単独の男性も一緒になりました。渡渉してから足をふいて登山靴を履き直します。過去には胴長などを利用したこともありますが、今回は楽勝です。
能郷白山 対岸には「乳くれ地蔵」があります。文化年間に建てられたものです。小椋某。木地師だと思います。この渡渉で子供二人が流され、菩提を弔って建てたそうです。乳の出ない女性に霊験あらたかと言われます。が、一番近い集落大河原からさえ1㌔近くある場所にわざわざお参りに来る人があったのでしょうか。しかし、水戸天狗党がここを通過したときもすでにあったお地蔵さんです。
対岸には「乳くれ地蔵」があります。文化年間に建てられたものです。小椋某。木地師だと思います。この渡渉で子供二人が流され、菩提を弔って建てたそうです。乳の出ない女性に霊験あらたかと言われます。が、一番近い集落大河原からさえ1㌔近くある場所にわざわざお参りに来る人があったのでしょうか。しかし、水戸天狗党がここを通過したときもすでにあったお地蔵さんです。
能郷白山 ふつう蠅帽子峠を目指す場合は地蔵堂の上をそのまま尾根伝いに登るのですが、今回はできるだけ忠実に天狗党が通ったコースをたどるということで、地蔵堂の上からしばらくしてトラバースします。実際には昔の道は地蔵堂の前を川沿いにたどっていると思いますが浸食されていて崖になっているので、上の斜面を巻きます。かすかなふみ跡はあります。
ふつう蠅帽子峠を目指す場合は地蔵堂の上をそのまま尾根伝いに登るのですが、今回はできるだけ忠実に天狗党が通ったコースをたどるということで、地蔵堂の上からしばらくしてトラバースします。実際には昔の道は地蔵堂の前を川沿いにたどっていると思いますが浸食されていて崖になっているので、上の斜面を巻きます。かすかなふみ跡はあります。
能郷白山 そして7年前に設置した「如意輪観音」の標識のある杉を目指します。当時は「ほおずり地蔵」という標識がありましたが、地蔵でなく如意輪観音なので新たに標識を設置したのです。ところが、観音様が見えない!!!!
そして7年前に設置した「如意輪観音」の標識のある杉を目指します。当時は「ほおずり地蔵」という標識がありましたが、地蔵でなく如意輪観音なので新たに標識を設置したのです。ところが、観音様が見えない!!!!
能郷白山 すぐわきの石の下を掘るとお顔が現われてきました。7年前も下半身が埋もれそうだったので整備したのですが、7年の歳月は、とうとう全体をも埋めてしまったのです。道具がなく、素手でお顔だけは掘り出しましたが、次回(いったいいつになるやら)スコップを持参して掘り出して周囲に岩を組み立て直したいと思います。七番とありますが、他の番号の石仏は見当たりません。そっくりな石仏(如意輪観音)は根尾の大井にあります。
すぐわきの石の下を掘るとお顔が現われてきました。7年前も下半身が埋もれそうだったので整備したのですが、7年の歳月は、とうとう全体をも埋めてしまったのです。道具がなく、素手でお顔だけは掘り出しましたが、次回(いったいいつになるやら)スコップを持参して掘り出して周囲に岩を組み立て直したいと思います。七番とありますが、他の番号の石仏は見当たりません。そっくりな石仏(如意輪観音)は根尾の大井にあります。
能郷白山 それまでどうか待っててください。
それまでどうか待っててください。
能郷白山 ところどころ石積みが残され、大垣藩が整備した跡が偲ばれます。天狗党の800人以上が積雪60㎝もの峠道を大砲などを担ぎ上げたのでしょうか。ちなみにこちらのオリジナルコースは倒木がひどく歩きにくいです。
ところどころ石積みが残され、大垣藩が整備した跡が偲ばれます。天狗党の800人以上が積雪60㎝もの峠道を大砲などを担ぎ上げたのでしょうか。ちなみにこちらのオリジナルコースは倒木がひどく歩きにくいです。
能郷白山 ここで地蔵様からの直登コースと合流します。下山時はこちらを下ります。
ここで地蔵様からの直登コースと合流します。下山時はこちらを下ります。
能郷白山 ここにもかすかな石積みが見られます。
ここにもかすかな石積みが見られます。
能郷白山 ところどころ広い道跡になっていますが、大半がヤブっぽい道です。
ところどころ広い道跡になっていますが、大半がヤブっぽい道です。
能郷白山 シロモジです。
シロモジです。
能郷白山 7年前に設置した標識。これはOz氏でなくAoki氏が制作されたものです。お神輿の模型をも作られる器用な方です。
7年前に設置した標識。これはOz氏でなくAoki氏が制作されたものです。お神輿の模型をも作られる器用な方です。
能郷白山 908m地点。ここの標識は壊れ、その上にテープが貼られ、それにマジックで書かれています。
908m地点。ここの標識は壊れ、その上にテープが貼られ、それにマジックで書かれています。
能郷白山 こんな立派なブナ。ワタシもこのような大きな器になって、いつか3さんにちっちゃいと笑われないようになりたい!
こんな立派なブナ。ワタシもこのような大きな器になって、いつか3さんにちっちゃいと笑われないようになりたい!
能郷白山 きっとアチラの能郷白山は賑わっているでしょうか。まだアチラもシゴトが残っていますが休日には行きたくない。
きっとアチラの能郷白山は賑わっているでしょうか。まだアチラもシゴトが残っていますが休日には行きたくない。
能郷白山 ヒノキ乗越方面。
ヒノキ乗越方面。
能郷白山 ここもかつての官道を彷彿とさせる道幅が残っている。
ここもかつての官道を彷彿とさせる道幅が残っている。
能郷白山 ここから右折すると蠅帽子嶺へのショートカット。実際にはさらに手前の尾根からも行ける。下山はその尾根をたどった。
ここから右折すると蠅帽子嶺へのショートカット。実際にはさらに手前の尾根からも行ける。下山はその尾根をたどった。
能郷白山 今回大阪からはるばる歴史ロマンを追いかけて訪れてくださったKさん。
今回大阪からはるばる歴史ロマンを追いかけて訪れてくださったKさん。
能郷白山 ヒノキ乗越。あれ?ここにも看板を設置したはずだが、ない??すると前方から先行していた岡崎からの男性が戻って来た。クマさんを見たそう。ここから3人で峠まで行くことに。
ヒノキ乗越。あれ?ここにも看板を設置したはずだが、ない??すると前方から先行していた岡崎からの男性が戻って来た。クマさんを見たそう。ここから3人で峠まで行くことに。
能郷白山 ヒノキ乗越から眺める蠅帽子峠。
ヒノキ乗越から眺める蠅帽子峠。
能郷白山 すると山側の斜面にあった!壊れた看板。
すると山側の斜面にあった!壊れた看板。
能郷白山 そのヒノキ乗越からすぐ先の斜面が一番いやらしい場所。看板を作ったAoki氏は単独でここを通過した時にスリップして肋軟骨骨折をされたのです。その後、ロープを張ってきましたが、7年も経つと、すっかりありませんでした。
そのヒノキ乗越からすぐ先の斜面が一番いやらしい場所。看板を作ったAoki氏は単独でここを通過した時にスリップして肋軟骨骨折をされたのです。その後、ロープを張ってきましたが、7年も経つと、すっかりありませんでした。
能郷白山 見慣れた角度からでない能郷白山。大きな山とオトコはどこから見ても堂々としている。そんな漢になりたい。
見慣れた角度からでない能郷白山。大きな山とオトコはどこから見ても堂々としている。そんな漢になりたい。
能郷白山 と、お地蔵さん。お久しぶりです。看板はかろうじて元気です。水戸天狗党はこのお地蔵さんは見たか?答えはノー。積雪に埋もれてたから?いや、このお地蔵さんは明治元年に美濃の人によってたてられたから。しかし、確かな文献はありません。『屏風山脈の旅』昭和53年発行、福井県の白崎さん前川さんの本に載っていた話です。白崎さん、前川さんがどこで聞いた話かは分かりません。福井駅前の古本屋で買った本です。しかし、よくよく見るとこのお地蔵さんは笏谷石でできています。つまり越前産です。越前と根尾北部は交流が盛んだったので不思議ではありません。
と、お地蔵さん。お久しぶりです。看板はかろうじて元気です。水戸天狗党はこのお地蔵さんは見たか?答えはノー。積雪に埋もれてたから?いや、このお地蔵さんは明治元年に美濃の人によってたてられたから。しかし、確かな文献はありません。『屏風山脈の旅』昭和53年発行、福井県の白崎さん前川さんの本に載っていた話です。白崎さん、前川さんがどこで聞いた話かは分かりません。福井駅前の古本屋で買った本です。しかし、よくよく見るとこのお地蔵さんは笏谷石でできています。つまり越前産です。越前と根尾北部は交流が盛んだったので不思議ではありません。
能郷白山 ここでお互い写真撮りごっこ。左が大阪からお越しのKさん。右のオッサンが器の小さいワタシ。
ここでお互い写真撮りごっこ。左が大阪からお越しのKさん。右のオッサンが器の小さいワタシ。
能郷白山 蠅帽子峠道が主目的ですが、せっかくここまで来ているので蠅帽子嶺に寄って戻ろうということに。岡崎からの方はすでに向かっています。ヤブの向こうに見えるのが目指すピーク。かすかなふみ跡はあります。
蠅帽子峠道が主目的ですが、せっかくここまで来ているので蠅帽子嶺に寄って戻ろうということに。岡崎からの方はすでに向かっています。ヤブの向こうに見えるのが目指すピーク。かすかなふみ跡はあります。
能郷白山 みえましたが途中、荒島岳も見えます。白山や別山もみえましたがかすんでいました。
みえましたが途中、荒島岳も見えます。白山や別山もみえましたがかすんでいました。
能郷白山 蠅帽子嶺。この手前で先行していた岡崎の方とすれ違いました。
蠅帽子嶺。この手前で先行していた岡崎の方とすれ違いました。
能郷白山 ここからは右の能郷白山と左の前山がどっこいどっこい並んでいますす。兄弟?姉妹のようです。
ここからは右の能郷白山と左の前山がどっこいどっこい並んでいますす。兄弟?姉妹のようです。
能郷白山 ブーメランではありません。今回この鉈鎌で可能な限り小枝を払ってきましたが、キリがありませんでした。今の時期は落葉しているし、紅葉もきれいだし、ヒルもいないし(多分)一番歩きやすいのです。積雪期はアプローチとなる酷道いや国道が閉鎖されるので(12月初旬から5月中旬)残雪利用の尾根歩きはできません。
ブーメランではありません。今回この鉈鎌で可能な限り小枝を払ってきましたが、キリがありませんでした。今の時期は落葉しているし、紅葉もきれいだし、ヒルもいないし(多分)一番歩きやすいのです。積雪期はアプローチとなる酷道いや国道が閉鎖されるので(12月初旬から5月中旬)残雪利用の尾根歩きはできません。
能郷白山 ここが下降点です。行きはこの東側を巻いているので気づきません。
ここが下降点です。行きはこの東側を巻いているので気づきません。
能郷白山 この根のギザギザが面白い。
この根のギザギザが面白い。
能郷白山 気持ち良いブナ林の道。
気持ち良いブナ林の道。
能郷白山 何気に石積み。行きも撮ったかもしれない。
何気に石積み。行きも撮ったかもしれない。
能郷白山 行きに気付かなかったがシロモジの看板が落ちていた。今度はちゃんと
付け直します。
行きに気付かなかったがシロモジの看板が落ちていた。今度はちゃんと 付け直します。
能郷白山 ミズナラに巻き付いて絞め殺して、さらに伸びていくツル。なんとなく身につまされる。巻き付かれても堂々と立ち続ける大木でありたい。どんとこい!ツルでもなんでも。
ミズナラに巻き付いて絞め殺して、さらに伸びていくツル。なんとなく身につまされる。巻き付かれても堂々と立ち続ける大木でありたい。どんとこい!ツルでもなんでも。
能郷白山 ただいま、乳くれ地蔵さん。ここは悲劇の場所だったのですが、倉見東道にも「妻恋地蔵」が残っています。近江商人夫妻の奥さんが亡くなり、夫がお地蔵さんを立てたのです。ここは子供が亡くなったわけですが、昔の峠道は本当に命がけだったのです。無理な渡渉は危険ですね。少し待てば水も引いたかも。今の倉見道も今年だけで5件の転落事故があり、うち1件は死亡事故となりました。過去に起こった転落などの事故現場にはお地蔵さんが祀ってあります。(お堂だけになっているところが多いですが)油断ならない山道は今も昔も同じです。
ただいま、乳くれ地蔵さん。ここは悲劇の場所だったのですが、倉見東道にも「妻恋地蔵」が残っています。近江商人夫妻の奥さんが亡くなり、夫がお地蔵さんを立てたのです。ここは子供が亡くなったわけですが、昔の峠道は本当に命がけだったのです。無理な渡渉は危険ですね。少し待てば水も引いたかも。今の倉見道も今年だけで5件の転落事故があり、うち1件は死亡事故となりました。過去に起こった転落などの事故現場にはお地蔵さんが祀ってあります。(お堂だけになっているところが多いですが)油断ならない山道は今も昔も同じです。
能郷白山 渡渉地点に戻りました。穏やかな根尾西谷川です。もう一度山靴を脱いで渡渉します。
渡渉地点に戻りました。穏やかな根尾西谷川です。もう一度山靴を脱いで渡渉します。
能郷白山 ほぼ予定通りに戻りました。山は一番燃えている時期です。今回7年ぶりに訪れることができたのも大阪のKさんのおかげです。ありがとうございました。ちなみこの後、柿ちぎりを3時間がんばってきました。脚立の上り下りは登山にはよいトレーニングになります。バランスも必要です。
ほぼ予定通りに戻りました。山は一番燃えている時期です。今回7年ぶりに訪れることができたのも大阪のKさんのおかげです。ありがとうございました。ちなみこの後、柿ちぎりを3時間がんばってきました。脚立の上り下りは登山にはよいトレーニングになります。バランスも必要です。

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