「三度目の正直」は大満足 石鎚山・天狗岳

2022.11.06(日) 日帰り

1回目の延期の理由は思い出せないが、多分日程だったと思う。2回目は9月に計画していた。2泊3日で剣山、石鎚山と四国の百名山の二峰を登る予定だったが、台風の直撃で断念。今回、1泊2日で剣は無理だったが、三度目の正直で石鎚山を踏破することができた。 「愛媛・高知県境を東西に連なる石鎚山脈の主峰で、徳島県の剣山とともに四国を代表する山である。西条市と周桑(しゆうそう)郡小松町および上浮穴(かみうけな)郡面河(おもご)村の境界に位置する。  山頂は細長い岩稜で中央部に石鎚神社頂上社のある弥山(みせん)(1974m)、南寄りに西日本最高峰天狗岳が天にそびえる。周囲は目もくらむような断崖絶壁で、安山岩の柱状節理がほぼ垂直に立つ。三角点は弥山北西の標高1921mの地点にある。  石鎚山は見る方向によって山容がさまざまに変化する。南の石鎚スカイラインからは、先端のとがったピラミッド型、西の面河方面からは、ギザギザの岩峰がそそり立ち、東の瓶ガ森付近からは、どっしりとした重厚な姿を見せる。  山頂の岩峰の形が山名の由来とされるが、石之霊(いしづち)(ツは「之」の意、チは霊力をもつ神や物を意味する古代語)という説もある。また、『古事記』には石土毘古命(いわづちひこのみこと)、『日本霊異記』には「石槌」などの名が記され、万葉の歌人山部赤人が「伊豫の高嶺」と詠んでいる。日本七霊山の1つに数えられる石鎚山は、石土毘古命を神とし、古くから御神体山として崇拝されてきた。奈良時代、役小角が開山して蔵王権現を祭ったと伝えられ、以後修験道場として栄え、青年期の空海も修行している。平安期には熊野修験の影響を受け、近世に入って一般庶民の登拝が盛んになり、このころに岩場に鎖がかけられた。明治維新の神仏分離令により石鎚山は権現号を廃止し、神社となった。頂上社、成就社、土小屋遥拝殿、山麓の本社の4社を総称して石鎚神社と呼ぶ。」(ヤマケイオンライン) 四つの鎖場と弥山から天狗岳へのナイフリッジ(両側が浸食されて,ナイフの刃のように切り立ったやせ尾根)が難所だと言われている。弥山から望むピラミッドのような天狗岳の威容が目を引き付ける。  七年前に登った相棒によると、「鎖は手を放さないなら大丈夫。それより天狗の方が怖い」そうだ。山行記録や動画を何度も確認するが、その怖さはなかなか伝わってこない。ここは体験者の相棒の言うことを信じるしかなく、鎖は何とかなっても天狗に行けるかどうか。それが今回の山行の課題だった。 Day1 朝6時に福岡を出立。一路、石鎚の麓の町・伊予西条市を目指した。460キロ、所要時間6時間のロングドライブ。今日は宿泊するだけだから途中で観光でもしながらのんびり行こう。オッサンは今回で四国は2回目。20年以上前に高松市での取材だった。その時は鉄路を使って、倉敷で乗り換えて瀬戸大橋を渡った。仕事だったので、観光もせずに1泊してとんぼ返り。味気ない初四国だった。  尾道からしまなみ海道(西瀬戸自動車)に入るので、宮島SAで休息した後オッサンが運転。ところが、四国への入り口で大渋滞に遭う。恐らく合流地点だったからだろう。海道に入ると、ウソのように流れ始めて、美しい瀬戸内海と島々を眺めながら快適なドライブを楽しんだ。最後の橋「来島海峡大橋」は、世界初の三連吊橋で全長は4・1キロ。こんな長い橋は初めて運転した。  四国本土渡ってすぐ、「来島海峡SA」で昼食。「鯛の卵かけご飯」を食べた。鯛茶漬けなら食べたことあるが、鯛の生の切り身に生卵か・・・と恐る恐る口に入れると、うまい。オリジナルメニューなのか地元独特の食べ方なのか。  少し時間があったので、今治城見学。 「関ヶ原の戦いでの戦功により伊予半国20万石を領した藤堂高虎が、瀬戸内海に面した海岸に築いた大規模な平城です。別名吹揚城(ふきあげじょう)ともいいます。 慶長7年(1602)に築城を始め、建造物も含めて完成したのは同13年頃と推測されます。海水が引かれた広大な堀や、城内の港として国内最大級の船入を備えた日本屈指の海城でした。寛永12年(1635)より松平(久松)氏の居城となりました。 明治維新後に建造物のほとんどが取り壊され、内堀と主郭部の石垣を残すのみとなりました。昭和28年(1953)に県指定史跡となり、昭和55年(1980)以降、主郭部跡に天守をはじめとする櫓、門などの再建が進み、雄大な城郭の姿を見せています」。(今治市ホームページより)。何と、お濠には、スズキ、クロダイ(チヌ)、ボラ、ヒラメなどの海水魚が棲んでいるそうだ。  見学終わって宿泊地の西条市へ。ホテルは駅のすぐ近く。少し休憩して、夜の街へ…?繁華街がない?飲み屋がない…ようやく見つけた一軒目覗いたら6時前なのに予約で満席、飲み屋探して30分ほど放浪するが、繁華街がない。ネットで相棒が探してようやく腰を落ち着けることができた。サワラの刺身、鯛のあら炊き、じゃこ天、ハモのかば焼き…どれも絶品。地酒の「石鎚」もうまい。と、生ビール2杯、日本酒三合も飲んでしまった。ホテルの帰る前にコンビニで缶ビールと缶ジンソーダを買って部屋で飲んで、そのまま寝落ち…   Day2 目が覚めたら予定より早い3時過ぎだった。少し酒が残っている。そこまで酷い二日酔いではないが、目を覚ますために湯船に浸かった。ルートは最後まで検討したが、「土小屋」コースに決定。正面登山道だとロープウェイの始発が8時前なので、5時チェックインのフエリーに間に合わないかもしれない。少しでも時間を稼ごうと7時に登り始められる土小屋にした。5時に相棒の運転で出立。  最初は快適な道だったが、その後、ダム湖周縁のくねくね道には往生した。なかなか抜け出せない。ようやく抜けると、紅葉のご褒美が待っていた。高度を上げていくと、きれいなモルゲンロート。土小屋に到着したが、駐車場はすでに満車。仕方ないので路肩に停めた。外に出ると、ガスと風で寒い。さて、準備開始。チェーンアイゼン入れてきたが外して、ガスバーナーをどうするか。予定では12時過ぎに下山完了なので上で食べないが、コーヒーくらいは飲もうかとそのままザックに入れた。水は少し多いかもしれないが2・5リットル、食わないはずなのだがなぜかカップ麺とおにぎり2個は入れたままで、いつもより軽いが8キロ弱はありそうだ。これが後から後悔することになるのだが、この時は知る由もない。  土小屋の標高は1492mで、このコースは標高1600m弱の「二ノ鎖元小屋」で合流する。そこまでで全行程の4分の3強だからそこまでは比較的に楽なコースだろう。最初はなだらかな道を歩く。ガスは次第に払われてきて、いい天気になりそうだ。このコースは比較的新しいようで、木道、置き石など道はよく整備されている。少し高度を上げると、石鎚頂上が姿を現した。見事な岩峰だ。アドレナリンが出る。  そこから巻き道を登ると、二ノ鎖元小屋に到着。先ほど先に行ってもらったクライミングの男性と談笑する。  さあ、前置きがかなり長くなったが、これからが核心部だ。 まず二の鎖。正面から登れば、試しの鎖、一の鎖があるようだが、調べると、二と三の難易度が高いそうだ。いきなり、本番というわけだ。もちろん、それぞれ巻き道があって迂回できる。 二の鎖の全長は65m。見上げるとほぼ垂直に太い鎖が2本垂れ下がっていて、終着点が見えない…おいおい、これを攀じ登るのか…相棒が登り始めた。少し距離を置いて後に続く。鐙(あぶみ)のような鎖があるが、ごつい登山靴なのでそこに突っ込むのに少々苦労するがオッサンのでかい靴でも余裕で入るので、普通のサイズの人は全く問題ないだろう。問題はオッサンの重量だ。糖質制限を止めて一年ほどで10キロ増量してしまい、この前のひどい捻挫の原因になったので、最近再び糖質制限を始めたのだが、本番には間に合わなかった。その上、重たいザック。総重量90キロ超を持ち上げないといけない。 1個5キロ鉄アレイで筋トレしたが、鍛え方が足りない…思わず、うぐっと声を出さないと引き上げられない。「こりゃ、話に聞いていたよりかなり厳しいな」。相棒が止まった。足の置き場を考えているようだ。いつもクールな相棒の表情を見ると、何時になく真剣。引き上げる時にちからを入れたせいでプルプル震えている。経験者ですらこの真剣な表情。初体験のオッサン、少々不安になるが、すでに10m以上は登っている。下を見ると、垂直に垂れ下がった鎖にはすでに後続者が取り付いて登ってきている。後には戻れない…久しぶりに生命の危機を感じた。 何とか攀じ登り終えた。大崩山のロープ、梯子責めの時もクリアして「生きて還れた」と安堵したこと2回だが、それとは異質の恐怖を覚えた。 「三ノ鎖、どうする?」と相棒に訊かれて、即答できない。長さは二ノ鎖とほぼ同じ68m。見上げるとさらに垂直の度合いが酷いようだ。「止めるかな」と思いながら、先行者の様子を眺めていると、二ノ鎖より取り付きやすそうだ。行くか…登り始めると、二ノ鎖で疲労した腕が重たい。しかし、取り付きやすいので何とか登り終えて、頂上に到着。鎖に挑戦するなら、荷物は最低限にして、靴は比較的軽いものにした方がいいだろう。もちろん、自身の体重も落として、筋トレもやっておいた方がいいと思う。二日酔いなんてもってのほかだ。もちろん、オッサンの自省がかなり含まれている。 頂上の広場は紅葉シーズンのような混雑もなく、天気もいい。くじゅう方面も見える時があるそうだが、あいにくと見えなかった。しかし、南の方は四国の峰々がずっと続く絶景。天気がよくてよかった。 さて、次の核心部・天狗岳だ。よく写真で見る天狗岳の実物の景色は美しい。鎖を使って下に下り、しばらく歩くと、少し切り立った岩の上を渡った。左は断崖絶壁のようだが、オッサンはあえて覗かない。ただ、右も下を見ると結構な切れ方で落ちたら、大変だが、オッサンはあまり恐怖を覚えなかった。多分、鎖の恐怖の方が勝っていたのだろう。 天狗の頂上に到着。ここが最高点だ。過ごしやすく人も少ない。ゆっくり一服できる幸せ、ずっと居たい気持ちになる。頂上で景色、気温、風三拍子揃うは滅多にない。 さて、フエリーの時間もあるので、下山開始、後ろから来た人と話しながら弥山へ戻る。この人は京都からやってきて、前日は伊予富士に登り、土小屋で車中泊したそうだ。聞くと、かなりの山を登っているそうで、オッサンたちよりはるかにレベルが高い。 下山開始。巻き道を下るが、木道は所々凍っていてツルツル。へっぴり腰で下りていくと、続々と登ってくる人たちに合う。すると、ついにやってしまった尻もち。ケガはなかったが、少々恥ずかしい。  少し時間が予定より遅れている。コースタイム見ると、1時を回りそうだ。四国最西端の佐田岬の突端近くの港まで150キロの道のりで乗り損なう可能性があるので、速足で下る。昼食も食べずに車に戻りナビで検索すると、到着予想時間は5時半。まずい。急いで出発する。石鎚スカイラインを一気に下る。来る時はこっちを通ればよかったが、後の祭りだ。スカイラインを下りても山間部からなかなか抜け出さない。四国は山深いと実感する。八幡浜市内手前でようやく市街地に出た。到着時間を1時間近く縮めて一安心。コンビニで軽く食事を摂って、佐田岬をひたすら目指した。岬の道路は快適だ。港に到着、さっきよりも更に到着時間を縮めて時間に余裕があったので、近くの喫茶店で食事してから乗船。  佐賀関に着いて、それから一路福岡へ。九時半に帰宅して無事に遠征完了。振り返ればかなりの強行軍で、しかも油断できない山を怪我無く、天気にも恵まれた無事に帰れた。石鎚山に感謝しかない。  しばらくは石鎚ロスになるかもしれない。石鎚に登る時は万全の態勢で臨もうとすでに思っている、懲りないオッサンだった。 令和4年の山行はこれで39回目。ピーク数は62(重複なし

この活動日記で通ったコース

石鎚山(土小屋)

  • 04:33
  • 8.5 km
  • 767 m
  • コース定数 18

土小屋