尼子十旗のなかで最高峰の山城夕影城跡に登城した

2022.11.06(日) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
4 時間 4
休憩時間
1 時間 25
距離
3.7 km
のぼり / くだり
417 / 417 m
1 35
2 10

活動詳細

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夕景城 西峰の矢筈山には夕影城跡があります。 戦国時代の山城として、200年近く馬木氏の居城でしが、5代道綱になると、天正8年 (1580)年小馬木の平地、小林に築城し下城しましたが、毛利に屈した後、この地を離れ山口に移った。

比婆山・立烏帽子山・吾妻山 ここに車を停めて矢筈山に向かった。
ここに車を停めて矢筈山に向かった。
比婆山・立烏帽子山・吾妻山 中央の山向こうに矢筈山が、しかし目視出来ない。
中央の山向こうに矢筈山が、しかし目視出来ない。
比婆山・立烏帽子山・吾妻山 整備されてなく、ヤブに阻まれ朝露に膝下はずぶ濡れ、仕方なく左側の峰に移動東峰を目下。
整備されてなく、ヤブに阻まれ朝露に膝下はずぶ濡れ、仕方なく左側の峰に移動東峰を目下。
比婆山・立烏帽子山・吾妻山 登山道が無い、全く整備されてない山城でした。
登山道が無い、全く整備されてない山城でした。
比婆山・立烏帽子山・吾妻山 豊富な水量の谷川を離れると、稜線は荒れて多くの倒木を越えて登った。
豊富な水量の谷川を離れると、稜線は荒れて多くの倒木を越えて登った。
比婆山・立烏帽子山・吾妻山 山頂が近くなると、防備の跡が❗(空堀)
山頂が近くなると、防備の跡が❗(空堀)
比婆山・立烏帽子山・吾妻山 ここは空堀、主郭から東の峰にある東曲輪群に至る途中の鞍部は塚状の土壇を挟んで両側が凹んでおり、堀切であったのかもしれない。
東曲輪群は東峰の山頂を中心に西、南、北に平段が付いているが主郭ほど明瞭なものではい。主郭から東麓が見えないので、これを補うのが目的であろうか。
ここは空堀、主郭から東の峰にある東曲輪群に至る途中の鞍部は塚状の土壇を挟んで両側が凹んでおり、堀切であったのかもしれない。 東曲輪群は東峰の山頂を中心に西、南、北に平段が付いているが主郭ほど明瞭なものではい。主郭から東麓が見えないので、これを補うのが目的であろうか。
比婆山・立烏帽子山・吾妻山 矢筈山の山頂、道は無かったが地積調査の標が頼りでした。
馬来久綱(孝綱)は富田城に在番して留守中であった。とはいえ、夕景城は標高九百メートルを越える矢筈山の山上に築かれた要害で弓矢の達人も多く、一丸となって防戦し一進一退の攻防戦は三昼夜も続いたが、結局城は落ち城代の澁谷長平は潔く本丸に火を放って自刃した。
矢筈山の山頂、道は無かったが地積調査の標が頼りでした。 馬来久綱(孝綱)は富田城に在番して留守中であった。とはいえ、夕景城は標高九百メートルを越える矢筈山の山上に築かれた要害で弓矢の達人も多く、一丸となって防戦し一進一退の攻防戦は三昼夜も続いたが、結局城は落ち城代の澁谷長平は潔く本丸に火を放って自刃した。
比婆山・立烏帽子山・吾妻山 西峰の郭先端に近づく
西峰の郭先端に近づく
比婆山・立烏帽子山・吾妻山 ザックを下ろし見上げた
紅葉の景色。‼️
ザックを下ろし見上げた 紅葉の景色。‼️
比婆山・立烏帽子山・吾妻山 さあ~
ここで 山ランチする
さあ~ ここで 山ランチする
比婆山・立烏帽子山・吾妻山 山カフェ☕😌✨
スイーツもあった。‼️
山カフェ☕😌✨ スイーツもあった。‼️
比婆山・立烏帽子山・吾妻山 山頂から船通山の方向の眺望
山頂から船通山の方向の眺望
比婆山・立烏帽子山・吾妻山 下山中の景色。
東麓の大畝集落にある金言寺は大イチョウが有名なお寺だが、ここに夕景城の石碑があった。
下山中の景色。 東麓の大畝集落にある金言寺は大イチョウが有名なお寺だが、ここに夕景城の石碑があった。
比婆山・立烏帽子山・吾妻山 下山するも、ヤハリ倒木です。‼️
下山するも、ヤハリ倒木です。‼️
比婆山・立烏帽子山・吾妻山 目視出来ない山の上が矢筈山、その西峰には夕影城跡があります。
目視出来ない山の上が矢筈山、その西峰には夕影城跡があります。
比婆山・立烏帽子山・吾妻山 金言寺のいちょう
お寺の屋根茅の葺き替え
募金を願っています。
金言寺のいちょう お寺の屋根茅の葺き替え 募金を願っています。
比婆山・立烏帽子山・吾妻山 夕影城跡の碑
(大正五年建立)
近くには馬木氏のお墓も
残されています。
夕影城跡の碑 (大正五年建立) 近くには馬木氏のお墓も 残されています。

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