活動データ 日記 活動データ タイム 04:04 距離 3.7km のぼり 417m くだり 417m コース定数 標準タイム 02:03 で算出 やさしい 8 平均ペース 表示 地図 比婆山・立烏帽子山・吾妻山 タグ 登山・山登り GPXファイル ダウンロード チェックポイント DAY 1 合計時間 4 時間 4 分 休憩時間 1 時間 25 分 距離 3.7 km のぼり / くだり 417 / 417 m 08:24 1 35 09:59 10:18 2 10 矢筈山 12:28 活動詳細 すべて見る 夕景城 西峰の矢筈山には夕影城跡があります。 戦国時代の山城として、200年近く馬木氏の居城でしが、5代道綱になると、天正8年 (1580)年小馬木の平地、小林に築城し下城しましたが、毛利に屈した後、この地を離れ山口に移った。 ここに車を停めて矢筈山に向かった。 中央の山向こうに矢筈山が、しかし目視出来ない。 整備されてなく、ヤブに阻まれ朝露に膝下はずぶ濡れ、仕方なく左側の峰に移動東峰を目下。 登山道が無い、全く整備されてない山城でした。 豊富な水量の谷川を離れると、稜線は荒れて多くの倒木を越えて登った。 山頂が近くなると、防備の跡が❗(空堀) ここは空堀、主郭から東の峰にある東曲輪群に至る途中の鞍部は塚状の土壇を挟んで両側が凹んでおり、堀切であったのかもしれない。 東曲輪群は東峰の山頂を中心に西、南、北に平段が付いているが主郭ほど明瞭なものではい。主郭から東麓が見えないので、これを補うのが目的であろうか。 矢筈山の山頂、道は無かったが地積調査の標が頼りでした。 馬来久綱(孝綱)は富田城に在番して留守中であった。とはいえ、夕景城は標高九百メートルを越える矢筈山の山上に築かれた要害で弓矢の達人も多く、一丸となって防戦し一進一退の攻防戦は三昼夜も続いたが、結局城は落ち城代の澁谷長平は潔く本丸に火を放って自刃した。 西峰の郭先端に近づく ザックを下ろし見上げた 紅葉の景色。‼️ さあ~ ここで 山ランチする 山カフェ☕😌✨ スイーツもあった。‼️ 山頂から船通山の方向の眺望 下山中の景色。 東麓の大畝集落にある金言寺は大イチョウが有名なお寺だが、ここに夕景城の石碑があった。 下山するも、ヤハリ倒木です。‼️ 目視出来ない山の上が矢筈山、その西峰には夕影城跡があります。 金言寺のいちょう お寺の屋根茅の葺き替え 募金を願っています。 夕影城跡の碑 (大正五年建立) 近くには馬木氏のお墓も 残されています。 もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。 不適切な利用を報告
活動データ タイム 04:04 距離 3.7km のぼり 417m くだり 417m コース定数 標準タイム 02:03 で算出 やさしい 8 平均ペース 表示 地図 比婆山・立烏帽子山・吾妻山 タグ 登山・山登り GPXファイル ダウンロード