活動データ
タイム
05:05
距離
13.5km
上り
864m
下り
864m
活動詳細
すべて見る今日は北限のクスノキ原始林へ出かけた クスノキ原始林は、台湾、中国、朝鮮の済州島、ベトナムといった暖地に分布し、それらの地域から日本に進出した 日本では、主に関東地方南部以西から本州の太平洋側、四国、九州・沖縄に広く見られ、特に九州に多く、内陸部にまで広がっている 寿命が永く巨樹に育つことから、神社の御神木として多く存在する 立花山は、福岡市東部の平野にあり、常緑広葉樹林で覆われている。その中の六合目から山頂近くまでの南東斜面に、大規模な北限のクスノキの自然林がある クスノキは、春は淡紅色や黄緑色の若葉、夏から冬は濃緑色の大きく盛り上がった樹形になる 山中には3,000本からなるクスノキ原生林が形成され、そのうち600本は樹齢300年以上の大樹で、樹高30m・幹周り3m以上のものが多くある 立花山に見事な原生林が残っているのは、江戸時代に「御留山」として伐採が禁じられたこと、さらに近代は国有林として保護されてきたことなどによる クスノキ: 暖帯から亜熱帯にかけて分布する常緑の高木で、シイノキやキンモクセイ、アコウといった国の天然記念物に指定された常緑広葉樹の樹種の中でも、クスノキの指定件数は31件と圧倒的に多い クスノキの国指定の天然記念物は南の方に分布の中心があり、特に九州地方に多く存在している 立花山城: 城は南北朝の時代に立花山の山頂に築かれ、大小七つの峰のうち一番高い井楼山に本城が築かれた 本城の東は松尾岳、西は白岳といい、いずれの山頂にも出城があり立花山全体を要塞とした大規模な山城であった 戦国時代には大内氏や毛利氏と大友氏(立花氏)の激闘地であったが、立花氏が筑後国柳川城へと移封となり、その後の国主が城を平野部へ移したため存在意義を失い廃城となった 後の国主により、石垣等は新たに作られた城の建築材として利用されたため、遺構は山頂部に残る僅かながら石垣のみである
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