今日はサイクルで和歌浦方面を走行した 上人窟: 鷹ノ巣と呼ばれる断崖に立つ雑賀崎灯台の下に「上人窟」という洞窟がある そこは信長に反抗した教如上人が隠れ住んだ場所と言われています 天正8(1580)年、石山本願寺の顕如上人は信長と和睦して紀伊国鷺森別院に退去しました しかし子の教如は徹底抗戦を主張し、和睦後も織田軍と戦い続けましたが、本願寺は落城、和歌山に退去するも、父・顕如と対立していたため鷺森別院にも入れません この地に逃れてきた教如を雑賀孫市は鷹巣山崖下の海岸にあった洞窟に匿い、更に崖上に雑賀崎城を築城して守ったそうです 上人窟へは以前、遊歩道を伝って立入ることができたが、災害により遊歩道が崩落して⛔立入禁止になっている
岩出御殿前の紀ノ川から見る龍門山
南海本線紀ノ川橋梁
紀ノ川河口エリア 青岸橋と紀の川河口大橋が両岸を結ぶ
土入川河口のマリーナ兼、漁港
スイスイとアメンボのように、マリーナから紀ノ川へと進む
紀の川河口大橋から青岸橋へと紀ノ川河口を渡る
土入川大橋
虎臥山(和歌山城)、大日山、高積山・城ケ峯、龍門山、長峰山脈
連絡船が待つ和歌山港へ向かう列車 和歌山港側の2.0kmは和歌山県が保有する路線で日本一短い鉄道会社らしい
和歌山港と四国を結ぶ連絡船 元は大阪港と小松島港を結ぶ連絡船として運行していた 1956年に南海和歌山港線の和歌山港駅が開設され、両側において鉄道と接続する連絡路線になった 1985年に小松島線が廃止され、1999年には小松島港から徳島港へ発着地を変更した
駅から長いボーディングブリッジが港へと伸びています
右から番所の鼻、大島、中ノ島、双子島 名前の通り、江戸時代和歌山藩の外国船監視所だった
雑賀崎灯台
灯台から朽ちた遊歩道を歩いて上人窟へ向かう
海岸近くに遊歩道らしき道も
崖の上のトラバース気味の遊歩道が怪しそうだったので海岸へ下る
海岸沿いをトラバース
今日の満潮時間は11時20分で、潮位は158cmだった 🌊海岸沿いを歩いて上人窟へ行くには干潮時に再訪したほうが良さそう😋
崖の上を見ると遊歩道が無残な姿を晒していた😱 行かなくて良かった😅
今日は、この良い景色だけ見て引き上げる
遊歩道を辿って灯台へ戻る
戻ってきて、チョコっとだけ番所の鼻に近づく
朽ちたテラスの展望台
章魚頭姿山 三角点
章魚頭姿山から片男波方面の眺め
章魚頭姿山から雑賀崎方面の眺め
海岸沿いの遊歩道は階段や砂浜がありサイクルにはやや不適、更に落石等で⛔立入り禁止エリアもあった Myバイクを引いたり、持上げたりしながらなんとか通過した😅
蓬莱岩
昭和レトロな商店街
三断橋 初代藩主・徳川頼宜により架橋された和歌山県内最古の石橋で玉津島神社から妹背山に繋がる 中国の杭州西湖の六橋を模したとされ、小アーチ型橋を3カ所繋げている
不老橋 10代藩主・徳川治宝の命により作られたアーチ型の石橋。東照宮の和歌祭時に、徳川家や東照宮の人々が御旅所に向かい通行した「お成り道」に架けられた
和歌浦 三角点 等級種別 四等三角点 基準点名 和歌浦 北緯 34°11′10″.5760 東経 135°10′20″.9165 標高(m) 2.07
鹽竈神社
日本遺産 絶景の宝庫 和歌の浦😄
昼食は定番の餃子セット(W餃子&ビール)😋
紀三井寺 楼門 以前支払っていた入山料は不要だった😄 ケーブルで入山する場合は運賃に入山料が含まれているようだ
大千手十一面観世音菩薩像
名草山 頂上
名草山 三角点
名草山から片男波
紀三井寺に降りて来ました
クスノキ
お寺から片男波
サンブリッジ
毛見崎 海岸沿いに進もうと思ったが、手強いテトラポットによりMyバイクでの進入を妨げられた😢
毛見トンネル 大正14(1925)年に当時の県道和歌山御坊線に「毛見隧道」が開鑿された 延長142.0m、幅員5.2m、高さ4.5m。迫石、笠石、帯石には花崗岩を使用し、壁面は和歌山特産の青石をふんだんに用いている
JR和歌山線 紀ノ川橋梁 ワーレントラス橋・ガーダー橋 明治33(1900)年に現在の和歌山線が船戸駅から粉河駅まで開業された時に架橋された その後、昭和5(1930)年に先代の橋の基礎部を再利用し今の橋梁に架け替えられた