ツール・ド・モンブラン Tour du Mont-Blanc (TMB) 1

2022.08.15(月) 日帰り

活動データ

タイム

08:18

距離

15.3km

のぼり

825m

くだり

686m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
8 時間 18
休憩時間
37
距離
15.3 km
のぼり / くだり
825 / 686 m
8 19

活動詳細

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ツール・ド・モンブラン(TMB)、一般的にはフランスのシャモニー近辺から反時計回りで一周するようだ。ただ、私達はTMBハイク最繁忙期の人の流れを少しでも避けるため、スイスのChampexから時計回りに歩くことにした。 実はハイク開始時はまったく知らなかったのだが、「UTMB」なるトレランの一大国際大会が私達のスルーハイク後半に開催された。 日本国内では、キャンプ場以外での野営は避けたいのでロングトレイルは可能な限り宿での宿泊を追求する私達だが、今回はテント等キャンプ用具一式を携行した。山小屋など宿の事前予約はせず、体力と天候次第でできるだけ歩き、到着地での気分と宿の空き状況次第で、その都度宿泊かテン泊か、どう夜を過ごすか考えることとした。 期間中、天候には非常に恵まれ、雨具を来て歩かなければ行けない程の天候になったのは最終日の途中数時間のみという、相変わらずの晴れ女・晴れ男コンビっぷり。 反時計回りルート、出発点をChampexにしたことで、初日を下りが多く平坦な谷あいを村々を繋ぐ、負荷の少ない楽しい旅で始めることができ、険しい岩稜上の急坂部分は中盤から後半にやってくる。結果的にこの選択はとても良かった。

ちなみに、歩いている最中YAMAPは起動させており、ヨーロッパでも歩いた軌跡のログは取れた。同時にいつも使用しているアプリ、Geographicaも併用し、2種のログをとっていた。

1日目は、シャンペックス湖 (Champex-Lac) から ラフーリ(La Fouly)まで歩いた。この区間はずっとスイス。
 この日、8月15日は毎年「Asumption of Mary」という日本人で仏教徒の私には初めて聞くキリスト教の祭日だった。日本語では「聖母の被昇天」と訳されていて「聖母マリアがその人生の終わりに、肉体と霊魂を伴って天国に昇った」ことを祝う日だそうだ。それはつまり死んだと言うのと何か違うのか?という疑問が浮かぶのはきっと私が異教徒だからだろう。

西洋世界でもキリスト教の数多ある祭日祝日をいちいち国をあげて祝っていてはきりがないので、国ごとでどの日を重要扱いするかは違っている。もちろん全世界的に超メジャーなクリスマスは別格。
とにかくこの「聖母の被昇天」日は、スイスの「一部」(国内統一でないところがさすが多言語国)、つまりここ西部では祭日だったのだ。 祝日でも祭日でも店やサービスが通常運転の日本と違って、外国での祭日は、電車やバスのダイヤが変わり(たいていは大幅減少)、学校が休みになり、店などが閉まっている公算大。田舎の村だと更に可能性大。
もともと明日明後日の火曜日水曜日はほぼ山の中にいるはずなので、今日の分と合わせて3日分の食料を持ち歩くことになった。 07:30 ホテルに予約してもらったタクシーでChampexへ。山越えの道で30分弱、75€。 8時過ぎ Champexの中心部に到着。肌寒い。11℃ぐらい。ハイカーが大勢、反時計回り(私達とは反対方向)に出発している。 湖の北端あたりに公衆トイレあり。唯一開いていた売店で買ったプレッツェルを朝食に食べながら、準備をする。 8時半頃 湖畔にあったTMBの標識からTMBスルーハイクのスタート。 湖畔には多くの釣りを楽しむ人々、湖上にも釣りボート。小さな子供も釣りをしている。おじいさん達は地元の人っぽい。マスが釣れていた。 湖を過ぎ、道標を頼りに道を進む。GPSトラックも全行程分持っているが、道標がしっかりあるので、ほぼGPSは必要なし。 道路の脇に大砲や高射砲が当たり前のように置かれている。 すぐに民家やペンションホテルの間を入って、未舗装道に。かなり急な下り坂、路面はサラサラの粉のような砂で、滑りそうでドキドキしながら下る。アウトラ・オリンパス4のソールのグリップがとても良く、滑らなかった。 道路を一度横切り、未舗装のトレイルは本格的に山道になり、木々の間をひたすら下っていく。トレイル脇には山の動物たちやキノコの木彫りがあり、所々に立っている情報看板はなぜかやたらとキノコのことばかりだった。 トレイルは日本と違って階段状に整備してあるところはほぼ無し。自然の状態でジグザグと下りていく。 年齢層も荷物の大きさも様々なTMBハイカーの大多数は、反時計回りで進んでいるので、逆方向に歩いている私達はひたすら何人もすれ違う。後ろから追い越されるような事はまずない。 ハイカーはだいたいカップルやグループで、ソロハイカーは男性も女性も各一人ぐらいしか見かけなかった。一方、数人見かけたトレランの人は、ほぼソロだ。 足元の谷間に広がる村々の景色が見えてきたところに、水場。2021との表記があるので、新しく作られた水場なのだろう。時折山肌に細い沢があり、水もちゃんと流れているので、事前に心配していた水の補給の不安はなさそうだ。 日本ではハイキングや登山ですれ違う時は「こんにちは」と挨拶し合うのがマナーなので、ここでも歩き始めてしばらくは人にすれ違う度に「ボンジュール」と 声をかけていたが、返ってくるのは驚くほどの塩対応。「え?」と一瞬ビックリしたような顔をして、慌てて小声で「ボンジュー」と返ってきたらマシな方で、気持ちよく無言でスルーされることも多い。フランスやスイスのハイキング界隈では挨拶無用なのだろうか。 それならばいっそ、フランス語圏に迎合せずに日本語で「こんにちは」と言うことにしようかと決め、いざ最初に「こんにちは」と声をかけたのは、トレイルの脇で小休止をしていたアジア系男性。 すると速攻「こんにちは」と返ってきた。なんと偶然、日本の方だった。 勤務先から1週間と少しだけお盆休みが取れたので、エミレーツ航空でTMBを歩くためだけに飛んで来たという。TMBハイク王道のシャモニーからスタートの反時計回り。1週間でステージ1以外の全行程を歩いてすぐさま日本に帰るという強行軍だそうだ。もちろん毎日1日あたり、聞いただけで「無理!」と思うほどの距離を歩いていた。ただただ感服。 下の方から牛のカウベルの音が聞こえてくるようになり、山道を下りきった。谷間のきれいな緑の牧草地を貫く車道に出て、西に少し歩くとIssert村に入った。 村の入口にあったCafeで冷えたコーラを注文し、休憩。トイレも有る。テラスのテーブルでゆっくり休んでいる間にも、これから向かう方向から続々とハイカーが同じく休憩の為に立ち止まり、または通り過ぎてゆく。 小さなIssert村を抜けた後、すれ違うハイカーの数がいっきに増えた。どんどんとChampexを目指しているであろうペアやグループが歩いてくる。 なだらかな丘陵上の道を歩く私達の両側にそびえたつ、雄大なスイスの山々。今回はキャンプも多く、カメラのバッテリー消耗を抑えるために写真撮影枚数は控える努力をしようと思っていたが、この風景を前にしたらとても無理だ。 スイスの山村の昔ながらのスタイルの家々の真ん中を、TMBルートは通り抜けていく。 
すぐにLes Arlacha村に入る。とあるお家の裏ではロバを数頭飼っており、母親らしき一頭にぴったりと寄り添ってとても小さな子ロバが立っていた。散歩中なのか歩いてきた地元のおばあさんが「あの子は昨日生まれたばかり」と教えてくれた。
ここでも村の入口付近にはカフェやトイレがあり、村から出て裏の山に入っていく手前には、野外カフェがあった。先程コーラを飲んだばかりで、まだ空腹を感じなかったため、ここでは休憩をしなかったのだが、これを後にとことん後悔することになる。 野外カフェを過ぎるとすぐに、TMBルートは未舗装林道からひょいと脇の山の中に入っていく。最初からいきなりきつい上りが始まった。 この初日、私のザックはベースウェイトだけで8kgあり、そこに余分の食料が入って9.5kgにもなっていた。重い。そこにとても急な登りだから、きつくきつくてたまらないが、トレッキングポールの力を借りてなんとか馬の背状のトレイルを必死で登りきった。 そこからは山の中腹の斜面に沿って、ほぼ平行移動の細い道が延々と続いていた。他のハイカーとすれ違うのも少し難しいぐらい細く、しかも私達にとって左側は、まんま崖。木々がある時はまだ良いが、ない場所ではまさに切り立った崖の際を歩いているようなものだった。もし落ちればまともに滑落、だが安全対策の手すりやロープは無い。 背中の荷物が重く、少しでもバランスを崩して体勢が傾けば踏ん張り続けられる自信はなかった。なるべく山の斜面側に重心を傾けるようにして進んだ。 今日の前半でカフェや村が頻繁に出てきたので、てっきりそのパターンが続くものと油断していたら、ここに来てまったく何もない森の中が何時間も続く。空腹が頂点に達したので、カフェでケーキやジュースという優雅な休憩の夢は捨て、森の中の細道、ロクに座る場所もない斜面で非常用の行動食を食べた。 最後はまたしばらく登りが続いた後、眼の前が開け、右側に巨大な岩山がそびえるエリアに来た。トレイルはごろごろとた石に覆われている。岩山からはこの遠方から見ても巨大な滝が流れ落ちていたが、不思議とその滝から普通なら流れ出ているであろう沢がない。滝つぼのあたりまで近づけそうではあったが、疲れすぎていてとても行く気力はなかった。ただ、なんとなく滝つぼにあたる場所にコンクリの様な人工的な仕掛けがあるようにも見える。おそらく水は地表を覆う岩々の下に流れ込むようにしているのだろう。 先程までは木々の日陰があったのでまだマシだったのだと気づく。強い日差しにさらされ、ごろごろとした石に覆われた道を歩いているのでとても歩きにくい。なにより荷物が重い。このあたりでは、もう私は完全に無言になっていた。 ようやく前方に、クライミングウォールや木々の間にワイヤーでフォレストアドベンチャーのような吊り橋などがある公園が見えてきた。ここは今日の目的地、La Fouly村の入り口で、公園のすぐ裏手にあるキャンプ場内ではファミリー用の大きなテントやキャンピングカーがいくつも並んでいる。ここはとても設備が良いキャンプ場なのでファミリーのバケーションキャンプの人たちなのだろう。

私達も当初の予定では今夜はこのキャンプ場内のテント場でテント泊だったが、まずは何よりお茶とケーキだと、穂ペンションホテルや店が並ぶ通りに向かった。とにかく座って休みたかった。 1階がこじんまりとしたスーパーマーケットとハイキングギアの店になっている建物の屋上テラスにカフェがあった。冷たいコーラとアプリコットケーキのアイスクリーム添えで、ようやく生き返った。ライブミュージックが演奏されており、カフェの四周には迫ってくるようにそびえ立つ雄大な山々。ミュージシャンは時にフランス語、時にイタリア語で歌っていた。今更ながらようやく、ここはスイスなのだと実感した。 下のスーパーマーケットは意外と奥行きが広くなんでも置いてあり、隣のハイキングギアの店はびっくりするほど充実した品揃えだった。特にエクスペドのアイテムがここまで揃っているのを見たのは初めてだったが、よく考えてみたらエクスペドはスイスのブランドだ… カフェの手前で通り過ぎた小さなホテル『Gîte de la Fouly』のドアに「空室あり」の表示があった。Googleマップの口コミを見てみると非常に高評価の宿のようだった。特に食事を褒める口コミが多い。 今回のTMBではできる限りテント泊だ!と意気込んできたものの、初日から疲れ果てている私を見て巨神兵(こちらは疲れ知らずのまったく通常営業状態)が心配し、「無理をせず、今日はあそこに泊まろう」ということに。 私達が宿のフロントで「こんにちは〜」と呼びかけている時に、他にも二組ほど飛び込み客が来て、そこでちょうど満室になったようだ。ギリギリセーフだった。宿のスタッフの女性は巨神兵をひと目見て、残っている部屋の中で一番大きな部屋に入れてくれた。2階のマウンテンビューの個室、シャワー・トイレ付き。しかもびっくりするほど新しくてキレイだった。 これまでの短い欧州暮らしで既に、大抵のホテルや宿にコインランドリーがあるのは日本ぐらいなのだと思い知っていたが、恐る恐る「洗濯できる?」と聞いてみると、なんとしてくれるという。5スイスフラン。洗濯のみで乾燥は不要とお願いすると、あっという間に洗い上がった服達が戻ってきたので、いつも持っている「洗濯干し必須アイテムセット」で部屋の中に干しまくった。

夕食までまだ少し時間があったので、スーパーでおやつや夜に飲む用のドリンクを購入。6時半からお待ちかね夕食が始まった。テーブルは相席で、私達の向かいにはカナダのフランス語圏から来たという初老の夫婦が座った。旦那さんは元警察官で、定年まで勤め上げたらしい。いまは悠々自適で夫婦であちこちハイキングの旅行にでかけているとのこと。
料理は噂に違わず、とても美味しく、今回のTMB中で「美味しい食事」といえばこことこことあそことすぐに思い出すうちの一つとなった。日本の旅館や民宿で出てくるような食事の数々に比べるとシンプル過ぎるように見えるかもしれないが、山小屋やスキー場での食事としては量も内容も味も最適解だった。 宿主らしいおばさんは「きっぷが良い」という言葉がとても似つかわしいカラッとした気持ちのいい人で、英語が話せる娘さん(ここはフランス語圏)も、みんなとてもフレンドリーで親切だった。素晴らしく快適できれい、お食事が美味しい…今回のスルーハイク最高位の宿だった。特にシャワーにドアがあるということの貴重さよ… ああ、感涙。

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