活動データ
タイム
02:39
距離
5.6km
のぼり
107m
くだり
107m
チェックポイント
活動詳細
すべて見る今日は指向を変えてヤマップに山頂登録されていない木津川市加茂町岡崎流岡にある低山121.4の三角点峰、流岡山(ながれおかやま)を恭仁亰址大極殿前から目指しました。 恭仁京(くにきょう)は聖武天皇の奈良時代に造営された都ですが、その時代は短く、741から紫香楽宮に遷る743までの間とされています。ここでは詳細は記しませんので興味ある方は一度ググってみて下さい。 さてここには以前簡易トイレが2基設置されていましたが、今は撤去されています。その変わりでもないですが旧恭仁小学校敷地内に立派なトイレが作られているのですが残念ながら入口のフェンスに鍵が掛けられており使用出来そうもないので何の為に作られたのか疑問に思うところです。近くの公民館に小さなトイレがありお借りできるような雰囲気ではありましたが、期待は出来ないので駅とか24号線沿いのコンビニで借りるしか方法はなさそうです。最寄のローソンは24時間営業していません。 ※その後木津川市役所に問い合せた上書き加えておきます。上記の公民館、ミカノハラ公民館の奥に学習館というのがあり、小さな屋外トイレがあるのでこちらが利用できる事が分かりました。4枚目と最後の写真の所です。 さて山背国分寺址の広場を横切り加茂大橋を目指しますが、私は三上山に登る時は同じ所を拠点にしますが方角が違うので多分こちら(南東)に進むのは今回が初めてかなと思います。但し海住山寺から加茂大橋を渡って加茂駅まで歩いた事ははるか昔にあったと記憶しています。 地形図に流岡山の名は明記されていますが道らしきものは一切書かれていません。地形図を見る限りでは菜切橋近くの東福寺(無人寺)からと加茂大橋の近くから登れそうですが前記の方はかなりの急登なのでなだらかな加茂大橋の方を目指します。 木津川の堤防そばの民家への入口ではないかと見まがうような道を進むと墓地があり国道からもよく見えるJ-PHONEの電波塔に突き当たりました。ここには加茂町の給水タンクもあり一瞬交野市の獅子窟寺参道入口を思い出しました。 この傍に広く草が刈り取られた場所がありここから流岡山に行けないかと思いましたが背より高いクマザサが1本/10cmの密度で密生していて侵入は不可。草は作業用の車が停められるように刈られたものではないかと思います。 電波塔から50m戻った所に東に向かった簡易舗装の道があるのでこれを進みますが、竹藪に突っ込みこれを抜けたところも大変なブッシュで先には進めません。ここはスクリーンショットにクマザサと追記した所です。行けたとすれば三角点まで直線距離であと200m位のもんでしょう。 仕方なく、今度は菜切橋近くの卍の所を目指します。帰宅後調べたらここは東福寺という無人寺のようですがこの寺の縁起などは一切調べ出す事は出来ませんでした。 途中でたまたま出てきた木材会社の人に流岡山に登る道がないかと尋ねたら昔登った事はあるがやはりさっきの竹藪を抜けて行っただけでそもそも登る人はいないのでどこから行っても道はあるのか無いのか分からないし、寺からだと物凄く急だろうと言われました。 しかし、自分で決めた事だし、とにかく寺まで山裾沿いに歩きますが、海住山寺の山、P358、三上山、北山などが水田や茶畑越しによく見えてなかなかの風景ではあります。 寺に着きましたがここには寺の名を記した物がありません。本堂の柱に唯一それらしいものが書かれた札が付けてありますが風化して判読不可。なのでこれも帰宅してからここが東福寺だと言う事を知りました。但し、こじんまりした境内はそこそこ綺麗に手入れされていました。 12:30を過ぎたので本堂前の縁石に座っておにぎりだけの昼食。15分だけの休憩を取り、本堂裏の斜面に作られた墓地から急坂に取り付こうとしますが、これがひどい急登で藪山、上を見上げると木々の間からチラッと空が見えます。あの先に三角点があるんだろうなとは想像しましたが真上を見上げるに近いような感じです。すぐに宇治の槇ノ尾山を思い出しました。 今日は目印用のテープも紐もロープも持って来てなかったのでちょっと後悔しましたが大汗搔いてクモの巣🕸️と奮闘している最中、左腕がチクッとしたらやや小ぶりのアブが小生の腕を🦾を必死で刺している所でした。 テンション一気に下がり今日はこれで止める事に。こちら側からも直線距離100mほどの所で撤退です。 あわせて後半、近くの妙見山にも挑戦出来たらと思っていましたがそれも取り止めに。 たまたま消毒用ティッシュと薬を持っていたので春日神社裏の名水2ツ井近くの用水路の水で洗って薬を付けておいたら医者に行かなくても良い程度の軽傷で済んだみたいですが1日経った今も腫れと痒みは続いています。今日は私的な事ながら4度目の新型コロナワクチンを打つ日なのですが、左腕に打つとすればちょうど同じような部位になります。 尚、同じ加茂町内の銭司に春日神社がありますが、こちらは東垣内の春日神社なのでお間違いなく。 最後は菜切橋を見て国道と町道?を使って流岡山、妙見山、湯谷山などを振り返りながら恭仁京址まで戻りました。 なるほど、ヤマップにもランドマーク登録されていない理由も分かります。こういう山はやはりそれなりに厳しいですねぇ😱。
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