立山室堂から上高地(6泊7日)縦走

2022.08.05(金) 7 DAYS

富山県立山室堂から長野県上高地に6泊7日の縦走。 「Chi va piano, va sano e va lontano.」  今回の大縦走は現役時代からの夢の一つ。 4日の22時に東京竹橋の毎日新聞社前発の2022毎日あるぺん号で出発。 5日朝7時前に室堂到着。 今回は軽量化のため寝袋(シュラフ)は持たなかったが8日分の食糧は重い。 しかし前半で生物等重たいものは食べてしまう予定。私のザックは20kgを超え妻は16kgから始まった、 初日は浄土山から佐々成政の厳冬期越えの伝説のザラ峠を越えて五色ヶ原キャンプ場。その間急な上り下りと雪渓越えとルートタイムの割にハードな半日でした。 2日目(6日)はスゴ乗越まで。2591mの越中沢岳に登りまた下って2431mのスゴノ頭に登り更にスゴ乗越まで下る聞きにし勝るアップダウンの繰り返しで応えた。 スゴ乗越小屋からは富山の街並みの灯りが見えた。 3日目(7)は2900mの北薬師岳からのスリリングな岩尾根を越えて2926mの薬師岳へ。 天然記念物の薬師岳の圏谷郡の金作谷カールに富山、日本海の展望が素晴らしい縦走ルート。 薬師岳からの下りで妻が有名な登山家で山岳カメラマンの平出和也氏に遭遇し声をかけると気さくに写真に応じてくれた。 二度目の太郎平(薬師峠)のキャンプ場。 この日、日本海魚津市から日本アルプスを越え静岡県の太平洋を目指すTJARがの先頭の土井陵選手が到着し妻がまたまた声をかけて話す幸運。 更に4位はレジェンド望月選手が到着し妻が最初に応援の声をかけると妻に「ヨレヨレですよ。」と神対応。 妻の度重なる幸運に驚く。 4日目(8日)は一気に高度を下げる黒部川源流の薬師沢小屋まで下り黒部川の大東新道の沢下り。二度目であるが重たい登山装備での沢下りはなかなかスリリング。そして高天ヶ原峠までの2時間の長い急登の末、我が国最深部の温泉高天ヶ原山荘に着く。そのあと30分下り露天風呂を楽しみ、私は囲いの無い河原の中の野湯にも入った。 前回10年程前に来た時は傾いた小屋を改修しており寒くなり大工さんが帰ってしまい私達はまだ壁が完成しないスケスケの寒い小屋に泊まったことがありその話をすると山小屋のスタッフが驚いていた。 夜は3回目の高天ヶ原山荘でゆっくり。久しぶりにビールを飲んだ🍺 5日目(9日)は一番長い1日になる。 朝4寺に出発して沢沿いを登り鷲羽岳そして三俣山荘に下りる。 三俣山荘でコーヒーとケーキセットを頂き奥様とスタッフと伊藤新道の再建状況について話を聞く事ができ今年9月に2本の橋がかかるとの事。一番下のお嬢さんも7時間で登っているとのこと。 2年後には伊藤新道を登り訪ねる約束をして別れた。 更に翌日の槍ヶ岳の先着順のテント場のことを考慮して双六山荘まで頑張る。ところがテント場は小雨の中の強風。他のテントが飛ばされる中、妻が何とかテントを設営していた。 6日目(10日)は西鎌尾根を登り槍ヶ岳迄。山頂直前の千丈乗越では飛ばされそうな強風の為迂回して槍平方面に下山して飛騨乗越に急坂を登り何とか槍ヶ岳山荘へ。風が強く回復の目処が立たない為予定変更してそのままババ平へ下山。 7日目(11日)ババ平から上高地へ18kmをひたすら歩く。妻は徳澤で名物のソフトクリームを食べを明神へ。 明神の嘉門次小屋で名物のイワナを堪能したかったが山の日で大変な観光客のため断念して上高地でゴール。 そのあと私達の日本山岳ガイド協会の上高地アルプス山荘でお風呂に入りスマホの充電もさせてもらった。 7泊8日の予定が1日早く下山した。 前回の大キレットと北穂涸沢岳縦走と異なり特に有名な危険な場所はないがさすが日本アルプスそこのらの山なら危険情報がつきそうな難所は数知れず! しかし、走破する距離が長い為1日の行動距離を短くして身体の負担を軽くし更に食料に衣類に可能な限り軽量化を図った。寝袋も持たなかった。 とはいえ長い縦走の衛生管理が課題であるが4日目に高天ヶ原温泉に入りスマホのYAMAPがログを取るため電流をかなり消費することから予備のモバイルバッテリーの充電が出来たのがポイントだった。 因みに家に着いた時の私のザックは(テントが濡れているのとストックを含めて)17kg.妻は10kgでした。 最初に書いた 「Chi va piano, va sano e va lontano.」 は私達夫婦が登山を始めた頃南阿蘇のペンションで出会ったイタリアの格言で発音はキバ ピアノ ヴァ サーノ エ ヴァ ロンターノです。 意味は(ゆっくり行く人は 元気に遠くまで行く)というもので私達の登山の標語となっているものです。 このような北アルプスを縦断するロングトレールが出来た事を本当に嬉しく思います。 正に私たちが夢見た山旅でした。

東京竹橋毎日新聞社前の毎日アルペン号

東京竹橋毎日新聞社前の毎日アルペン号

東京竹橋毎日新聞社前の毎日アルペン号

立山室堂

立山室堂

立山室堂

玉殿の湧水

玉殿の湧水

玉殿の湧水

立山の碑

立山の碑

立山の碑

右側の浄土山に登る

右側の浄土山に登る

右側の浄土山に登る

のぼり前にこの下にある玉殿の岩屋を目指す

のぼり前にこの下にある玉殿の岩屋を目指す

のぼり前にこの下にある玉殿の岩屋を目指す

玉殿の岩屋
立山開山の伝えのある岩屋

玉殿の岩屋 立山開山の伝えのある岩屋

玉殿の岩屋 立山開山の伝えのある岩屋

佐伯有頼が放った矢が熊に刺さりそれを追いこの岩屋に来ると矢の刺さった阿弥陀如来がおられたと伝えられる

佐伯有頼が放った矢が熊に刺さりそれを追いこの岩屋に来ると矢の刺さった阿弥陀如来がおられたと伝えられる

佐伯有頼が放った矢が熊に刺さりそれを追いこの岩屋に来ると矢の刺さった阿弥陀如来がおられたと伝えられる

日本最古の山小屋

日本最古の山小屋

日本最古の山小屋

浄土山に登る

浄土山に登る

浄土山に登る

立山はまだ雪渓がたくさん残っている

立山はまだ雪渓がたくさん残っている

立山はまだ雪渓がたくさん残っている

富山大学の研究施設

富山大学の研究施設

富山大学の研究施設

龍王岳
ここから急な下りが始まる

龍王岳 ここから急な下りが始まる

龍王岳 ここから急な下りが始まる

鬼岳東面の斜面に入る

鬼岳東面の斜面に入る

鬼岳東面の斜面に入る

ハシゴもある

ハシゴもある

ハシゴもある

雪渓を越える

雪渓を越える

雪渓を越える

どの雪渓も特に危険なものではなかった

どの雪渓も特に危険なものではなかった

どの雪渓も特に危険なものではなかった

彼方に黒部ダムが見える

彼方に黒部ダムが見える

彼方に黒部ダムが見える

獅子岳に登り返す

獅子岳に登り返す

獅子岳に登り返す

獅子岳

獅子岳

獅子岳

急な下りが続く

急な下りが続く

急な下りが続く

大変な急な下り

大変な急な下り

大変な急な下り

ますます急な下り

ますます急な下り

ますます急な下り

伝説のザラ峠
ここから五色ヶ原に登り返す

伝説のザラ峠 ここから五色ヶ原に登り返す

伝説のザラ峠 ここから五色ヶ原に登り返す

五色ヶ原へ登る

五色ヶ原へ登る

五色ヶ原へ登る

木道が出てきたら平坦になりキャンプ場はもうすぐ

木道が出てきたら平坦になりキャンプ場はもうすぐ

木道が出てきたら平坦になりキャンプ場はもうすぐ

人感センサーで灯もつくとてもきれいなトイレにビックリ
水場もあります
1人1000円でした

人感センサーで灯もつくとてもきれいなトイレにビックリ 水場もあります 1人1000円でした

人感センサーで灯もつくとてもきれいなトイレにビックリ 水場もあります 1人1000円でした

テントの中から

テントの中から

テントの中から

右側奥に伸びる木道を進むと黒部ダムの奥の平小屋の船着場に下りる。
沢山の人が降りていき黒部ダムまで歩くという

右側奥に伸びる木道を進むと黒部ダムの奥の平小屋の船着場に下りる。 沢山の人が降りていき黒部ダムまで歩くという

右側奥に伸びる木道を進むと黒部ダムの奥の平小屋の船着場に下りる。 沢山の人が降りていき黒部ダムまで歩くという

五色ヶ原山荘

五色ヶ原山荘

五色ヶ原山荘

これからスゴ乗越を目指す

これからスゴ乗越を目指す

これからスゴ乗越を目指す

鳶山

鳶山

鳶山

越中沢岳

越中沢岳

越中沢岳

越中沢岳

越中沢岳

越中沢岳

また大きく下る

また大きく下る

また大きく下る

これからの下が長い上に急。

これからの下が長い上に急。

これからの下が長い上に急。

スゴノ頭

スゴノ頭

スゴノ頭

大きな岩場は下り難い

大きな岩場は下り難い

大きな岩場は下り難い

スゴ乗越

スゴ乗越

スゴ乗越

歩いてきた山々
左側が越中沢岳
右側がスゴノ頭

歩いてきた山々 左側が越中沢岳 右側がスゴノ頭

歩いてきた山々 左側が越中沢岳 右側がスゴノ頭

スゴ乗越のテント場

スゴ乗越のテント場

スゴ乗越のテント場

スゴ乗越小屋

スゴ乗越小屋

スゴ乗越小屋

間山

間山

間山

トレールは遥か先に伸びる
しかしこの展望は苦しくない

トレールは遥か先に伸びる しかしこの展望は苦しくない

トレールは遥か先に伸びる しかしこの展望は苦しくない

北薬師岳方向

北薬師岳方向

北薬師岳方向

次第に大きな歩きにくい岩場となる

次第に大きな歩きにくい岩場となる

次第に大きな歩きにくい岩場となる

北薬師岳

北薬師岳

北薬師岳

金作谷カール

金作谷カール

金作谷カール

薬師岳への稜線は細尾根で危険箇所も多い

薬師岳への稜線は細尾根で危険箇所も多い

薬師岳への稜線は細尾根で危険箇所も多い

薬師岳

薬師岳

薬師岳

薬師如来を納めている

薬師如来を納めている

薬師如来を納めている

中央カール

中央カール

中央カール

妻が平出和也さんを見つけ声をかけるとポーズをとってくれた

妻が平出和也さんを見つけ声をかけるとポーズをとってくれた

妻が平出和也さんを見つけ声をかけるとポーズをとってくれた

気さくなナイスガイでした

気さくなナイスガイでした

気さくなナイスガイでした

私にもポーズをつけてくれた

私にもポーズをつけてくれた

私にもポーズをつけてくれた

太郎平キャンプ場

太郎平キャンプ場

太郎平キャンプ場

TJARの土井選手が一位通過
水場で妻が話をしたらしい

TJARの土井選手が一位通過 水場で妻が話をしたらしい

TJARの土井選手が一位通過 水場で妻が話をしたらしい

土井選手

土井選手

土井選手

この日の夕食は埼玉の名物冷汁

この日の夕食は埼玉の名物冷汁

この日の夕食は埼玉の名物冷汁

レジェンド望月選手が4位で到着
妻が応援すると振り向いて「ヘロヘロですよ」と神対応。

レジェンド望月選手が4位で到着 妻が応援すると振り向いて「ヘロヘロですよ」と神対応。

レジェンド望月選手が4位で到着 妻が応援すると振り向いて「ヘロヘロですよ」と神対応。

キャンプ場を振り返る

キャンプ場を振り返る

キャンプ場を振り返る

太郎平

太郎平

太郎平

太郎平山荘

太郎平山荘

太郎平山荘

中部山岳国立公園

中部山岳国立公園

中部山岳国立公園

2時間程薬師沢へ下る

2時間程薬師沢へ下る

2時間程薬師沢へ下る

カッパ伝説のカペッケヶ原
私には笹原の奥で子供の声の様なものが聞こえた様な気がする😀

カッパ伝説のカペッケヶ原 私には笹原の奥で子供の声の様なものが聞こえた様な気がする😀

カッパ伝説のカペッケヶ原 私には笹原の奥で子供の声の様なものが聞こえた様な気がする😀

薬師沢小屋

薬師沢小屋

薬師沢小屋

薬師沢の橋を渡る

薬師沢の橋を渡る

薬師沢の橋を渡る

薬師沢出会に一度沢に下りる

薬師沢出会に一度沢に下りる

薬師沢出会に一度沢に下りる

振り返るとこのような見事な展望

振り返るとこのような見事な展望

振り返るとこのような見事な展望

右岸を下る

右岸を下る

右岸を下る

瑠璃色の見事な水

瑠璃色の見事な水

瑠璃色の見事な水

ここから岩壁をへつる

ここから岩壁をへつる

ここから岩壁をへつる

一度沢に下りる

一度沢に下りる

一度沢に下りる

D沢出合
黒部川のこれから先は沢登り上級者の世界

D沢出合 黒部川のこれから先は沢登り上級者の世界

D沢出合 黒部川のこれから先は沢登り上級者の世界

D沢から登りにかかる

D沢から登りにかかる

D沢から登りにかかる

この様な沢の登り

この様な沢の登り

この様な沢の登り

沢が終わりこれから登山道だがこれがとんでもない急坂

沢が終わりこれから登山道だがこれがとんでもない急坂

沢が終わりこれから登山道だがこれがとんでもない急坂

高天ヶ原峠

高天ヶ原峠

高天ヶ原峠

水晶岳、鷲羽岳への分岐

水晶岳、鷲羽岳への分岐

水晶岳、鷲羽岳への分岐

高天ヶ原山荘

高天ヶ原山荘

高天ヶ原山荘

高天ヶ原温泉
左側が元女性専用の少し狭い風呂だったが現在は男性専用となっている
右側は元混浴の一番広い露天風呂だったが現在は囲いを付けて女性専用となった。
男性は河原に囲いのない野湯もある

高天ヶ原温泉 左側が元女性専用の少し狭い風呂だったが現在は男性専用となっている 右側は元混浴の一番広い露天風呂だったが現在は囲いを付けて女性専用となった。 男性は河原に囲いのない野湯もある

高天ヶ原温泉 左側が元女性専用の少し狭い風呂だったが現在は男性専用となっている 右側は元混浴の一番広い露天風呂だったが現在は囲いを付けて女性専用となった。 男性は河原に囲いのない野湯もある

右側奥が囲いのない露天風呂

右側奥が囲いのない露天風呂

右側奥が囲いのない露天風呂

心のこもった天ぷら

心のこもった天ぷら

心のこもった天ぷら

ランプの宿

ランプの宿

ランプの宿

沢を登り返す

沢を登り返す

沢を登り返す

ワリモ北分岐
左に行くと水晶岳
右は鷲羽岳

ワリモ北分岐 左に行くと水晶岳 右は鷲羽岳

ワリモ北分岐 左に行くと水晶岳 右は鷲羽岳

ワリモの危険箇所も

ワリモの危険箇所も

ワリモの危険箇所も

鷲羽岳

鷲羽岳

鷲羽岳

三俣山荘への急な下り

三俣山荘への急な下り

三俣山荘への急な下り

伊藤新道との分岐

伊藤新道との分岐

伊藤新道との分岐

水平に見えるのが伊藤新道

水平に見えるのが伊藤新道

水平に見えるのが伊藤新道

三俣山荘

三俣山荘

三俣山荘

200円で販売されている伊藤新道の防水処理された地図

200円で販売されている伊藤新道の防水処理された地図

200円で販売されている伊藤新道の防水処理された地図

鹿のジビエ丼
とても美味しい

鹿のジビエ丼 とても美味しい

鹿のジビエ丼 とても美味しい

サイフォンで入れたコーヒーとケーキセット

サイフォンで入れたコーヒーとケーキセット

サイフォンで入れたコーヒーとケーキセット

テント場

テント場

テント場

三俣蓮華岳

三俣蓮華岳

三俣蓮華岳

双六岳

双六岳

双六岳

双六山荘

双六山荘

双六山荘

強風のテント場

強風のテント場

強風のテント場

槍ヶ岳のテント場を確保する為に早く出たが

槍ヶ岳のテント場を確保する為に早く出たが

槍ヶ岳のテント場を確保する為に早く出たが

樅沢岳
ここは道迷いしやすいので注意
標柱の左奥に進む。
標柱の右のハイマツを真っ直ぐに進むと崖になり道迷いするので注意。

樅沢岳 ここは道迷いしやすいので注意 標柱の左奥に進む。 標柱の右のハイマツを真っ直ぐに進むと崖になり道迷いするので注意。

樅沢岳 ここは道迷いしやすいので注意 標柱の左奥に進む。 標柱の右のハイマツを真っ直ぐに進むと崖になり道迷いするので注意。

雷鳥の子供
目の上が赤く雄の個体の様である

雷鳥の子供 目の上が赤く雄の個体の様である

雷鳥の子供 目の上が赤く雄の個体の様である

硫黄乗越

硫黄乗越

硫黄乗越

千丈乗越に来ると立ってられない程の強風。風が止まないため槍平側に迂回する

千丈乗越に来ると立ってられない程の強風。風が止まないため槍平側に迂回する

千丈乗越に来ると立ってられない程の強風。風が止まないため槍平側に迂回する

槍平と飛騨乗越の分岐
槍平小屋が設置したこのレスキューセットには驚いた

槍平と飛騨乗越の分岐 槍平小屋が設置したこのレスキューセットには驚いた

槍平と飛騨乗越の分岐 槍平小屋が設置したこのレスキューセットには驚いた

中には単三と単四の乾電池
補助ロープ、クスリ、靴が剥がれた時のテープ等入っていた

中には単三と単四の乾電池 補助ロープ、クスリ、靴が剥がれた時のテープ等入っていた

中には単三と単四の乾電池 補助ロープ、クスリ、靴が剥がれた時のテープ等入っていた

1時間ほど急登を登り切り飛騨乗越

1時間ほど急登を登り切り飛騨乗越

1時間ほど急登を登り切り飛騨乗越

槍ヶ岳山荘

槍ヶ岳山荘

槍ヶ岳山荘

坊主岩

坊主岩

坊主岩

水沢の水場
とても冷たく美味しい

水沢の水場 とても冷たく美味しい

水沢の水場 とても冷たく美味しい

正面に西岳
右下が槍沢

正面に西岳 右下が槍沢

正面に西岳 右下が槍沢

槍沢大曲
先週この上の水俣乗越を越えた

槍沢大曲 先週この上の水俣乗越を越えた

槍沢大曲 先週この上の水俣乗越を越えた

ババ平のキャンプ場
右奥の山並みは東鎌尾根

ババ平のキャンプ場 右奥の山並みは東鎌尾根

ババ平のキャンプ場 右奥の山並みは東鎌尾根

槍見沢

槍見沢

槍見沢

槍沢ロッヂ

槍沢ロッヂ

槍沢ロッヂ

清流梓川

清流梓川

清流梓川

横尾に到着

横尾に到着

横尾に到着

ここは槍と上高地の中間点
どちらにも11km

ここは槍と上高地の中間点 どちらにも11km

ここは槍と上高地の中間点 どちらにも11km

横尾大橋
これを渡ると涸沢、奥穂高

横尾大橋 これを渡ると涸沢、奥穂高

横尾大橋 これを渡ると涸沢、奥穂高

北アルプスの全体図

北アルプスの全体図

北アルプスの全体図

徳澤園

徳澤園

徳澤園

以前泊まった時に徳澤園の二階に繋がる階段上には西郷隆盛の書が架かっており、その書が先の大河ドラマ西郷ドンの中で西郷さんが所謂征韓論で下野して時に書いていた書であると伝えたら知らなかった。
私のホームページ
http://homer.pro.tok2.com/sub10-3(wadai13-2).htm

以前泊まった時に徳澤園の二階に繋がる階段上には西郷隆盛の書が架かっており、その書が先の大河ドラマ西郷ドンの中で西郷さんが所謂征韓論で下野して時に書いていた書であると伝えたら知らなかった。 私のホームページ http://homer.pro.tok2.com/sub10-3(wadai13-2).htm

以前泊まった時に徳澤園の二階に繋がる階段上には西郷隆盛の書が架かっており、その書が先の大河ドラマ西郷ドンの中で西郷さんが所謂征韓論で下野して時に書いていた書であると伝えたら知らなかった。 私のホームページ http://homer.pro.tok2.com/sub10-3(wadai13-2).htm

徳澤園のキャンプ場

徳澤園のキャンプ場

徳澤園のキャンプ場

明神

明神

明神

河童橋

河童橋

河童橋

バスターミナルからの穂高

バスターミナルからの穂高

バスターミナルからの穂高

東京竹橋毎日新聞社前の毎日アルペン号

立山室堂

玉殿の湧水

立山の碑

右側の浄土山に登る

のぼり前にこの下にある玉殿の岩屋を目指す

玉殿の岩屋 立山開山の伝えのある岩屋

佐伯有頼が放った矢が熊に刺さりそれを追いこの岩屋に来ると矢の刺さった阿弥陀如来がおられたと伝えられる

日本最古の山小屋

浄土山に登る

立山はまだ雪渓がたくさん残っている

富山大学の研究施設

龍王岳 ここから急な下りが始まる

鬼岳東面の斜面に入る

ハシゴもある

雪渓を越える

どの雪渓も特に危険なものではなかった

彼方に黒部ダムが見える

獅子岳に登り返す

獅子岳

急な下りが続く

大変な急な下り

ますます急な下り

伝説のザラ峠 ここから五色ヶ原に登り返す

五色ヶ原へ登る

木道が出てきたら平坦になりキャンプ場はもうすぐ

人感センサーで灯もつくとてもきれいなトイレにビックリ 水場もあります 1人1000円でした

テントの中から

右側奥に伸びる木道を進むと黒部ダムの奥の平小屋の船着場に下りる。 沢山の人が降りていき黒部ダムまで歩くという

五色ヶ原山荘

これからスゴ乗越を目指す

鳶山

越中沢岳

越中沢岳

また大きく下る

これからの下が長い上に急。

スゴノ頭

大きな岩場は下り難い

スゴ乗越

歩いてきた山々 左側が越中沢岳 右側がスゴノ頭

スゴ乗越のテント場

スゴ乗越小屋

間山

トレールは遥か先に伸びる しかしこの展望は苦しくない

北薬師岳方向

次第に大きな歩きにくい岩場となる

北薬師岳

金作谷カール

薬師岳への稜線は細尾根で危険箇所も多い

薬師岳

薬師如来を納めている

中央カール

妻が平出和也さんを見つけ声をかけるとポーズをとってくれた

気さくなナイスガイでした

私にもポーズをつけてくれた

太郎平キャンプ場

TJARの土井選手が一位通過 水場で妻が話をしたらしい

土井選手

この日の夕食は埼玉の名物冷汁

レジェンド望月選手が4位で到着 妻が応援すると振り向いて「ヘロヘロですよ」と神対応。

キャンプ場を振り返る

太郎平

太郎平山荘

中部山岳国立公園

2時間程薬師沢へ下る

カッパ伝説のカペッケヶ原 私には笹原の奥で子供の声の様なものが聞こえた様な気がする😀

薬師沢小屋

薬師沢の橋を渡る

薬師沢出会に一度沢に下りる

振り返るとこのような見事な展望

右岸を下る

瑠璃色の見事な水

ここから岩壁をへつる

一度沢に下りる

D沢出合 黒部川のこれから先は沢登り上級者の世界

D沢から登りにかかる

この様な沢の登り

沢が終わりこれから登山道だがこれがとんでもない急坂

高天ヶ原峠

水晶岳、鷲羽岳への分岐

高天ヶ原山荘

高天ヶ原温泉 左側が元女性専用の少し狭い風呂だったが現在は男性専用となっている 右側は元混浴の一番広い露天風呂だったが現在は囲いを付けて女性専用となった。 男性は河原に囲いのない野湯もある

右側奥が囲いのない露天風呂

心のこもった天ぷら

ランプの宿

沢を登り返す

ワリモ北分岐 左に行くと水晶岳 右は鷲羽岳

ワリモの危険箇所も

鷲羽岳

三俣山荘への急な下り

伊藤新道との分岐

水平に見えるのが伊藤新道

三俣山荘

200円で販売されている伊藤新道の防水処理された地図

鹿のジビエ丼 とても美味しい

サイフォンで入れたコーヒーとケーキセット

テント場

三俣蓮華岳

双六岳

双六山荘

強風のテント場

槍ヶ岳のテント場を確保する為に早く出たが

樅沢岳 ここは道迷いしやすいので注意 標柱の左奥に進む。 標柱の右のハイマツを真っ直ぐに進むと崖になり道迷いするので注意。

雷鳥の子供 目の上が赤く雄の個体の様である

硫黄乗越

千丈乗越に来ると立ってられない程の強風。風が止まないため槍平側に迂回する

槍平と飛騨乗越の分岐 槍平小屋が設置したこのレスキューセットには驚いた

中には単三と単四の乾電池 補助ロープ、クスリ、靴が剥がれた時のテープ等入っていた

1時間ほど急登を登り切り飛騨乗越

槍ヶ岳山荘

坊主岩

水沢の水場 とても冷たく美味しい

正面に西岳 右下が槍沢

槍沢大曲 先週この上の水俣乗越を越えた

ババ平のキャンプ場 右奥の山並みは東鎌尾根

槍見沢

槍沢ロッヂ

清流梓川

横尾に到着

ここは槍と上高地の中間点 どちらにも11km

横尾大橋 これを渡ると涸沢、奥穂高

北アルプスの全体図

徳澤園

以前泊まった時に徳澤園の二階に繋がる階段上には西郷隆盛の書が架かっており、その書が先の大河ドラマ西郷ドンの中で西郷さんが所謂征韓論で下野して時に書いていた書であると伝えたら知らなかった。 私のホームページ http://homer.pro.tok2.com/sub10-3(wadai13-2).htm

徳澤園のキャンプ場

明神

河童橋

バスターミナルからの穂高