薫風の奥武蔵 虚空蔵峠 旧 正丸峠

2018.05.01(火) 日帰り

活動データ

タイム

08:27

距離

11.4km

のぼり

1126m

くだり

1129m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
8 時間 27
休憩時間
1 時間 49
距離
11.4 km
のぼり / くだり
1126 / 1129 m
1 9
58
3 21
1 5
1 11
6

活動詳細

すべて見る

2018年5月1日 5回連続の奥武蔵です。 朝の出発が遅れても西武秩父線の駅からすぐに入山できて安心して気儘に歩ける山域です。 今回は江戸時代中期(1720年頃)から盛んに往来があった秩父往還裏街道上の 「旧 正丸峠」よりも遥かに古い歴史を有するとされる「虚空蔵峠」への峠路にこだわって歩きました。 瑞々しい新緑にヤマツツジの朱花が鮮やかに映え、フジの甘い香りがほんのりと漂う山路はまさに薫風陽春。 山中では誰にも会わない独り旅となりました。 芦ヶ久保駅を起点に、詳細図の「兵ノ沢右岸尾根ルート」「処花沢左岸尾根ルート」「辰目沢右岸尾根ルート」を結んで歩き、虚空蔵峠からは一般登山道を南下して旧 正丸峠へ。 旧峠からは旧道で正丸駅に下りました。 (昨年のGW はさらに「南沢左岸尾根ルート」を加えて歩きましたが、期せずしてちょうど1年前と重複するルート選択となりました。) mixi 日記 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1967346847&owner_id=12844177

武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 「横瀬二子山・武川岳」の登山口です。芦ヶ久保駅から線路下をくぐればもう山道です。
「横瀬二子山・武川岳」の登山口です。芦ヶ久保駅から線路下をくぐればもう山道です。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 間もなく登山道を外れて「兵ノ沢右岸尾根」を登ります。この尾根は3回目です。
間もなく登山道を外れて「兵ノ沢右岸尾根」を登ります。この尾根は3回目です。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 今季初めてヤマツツジの花に会いました。
今季初めてヤマツツジの花に会いました。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 人工林もありますが、自然林が優勢の清々しい素敵な尾根です。
人工林もありますが、自然林が優勢の清々しい素敵な尾根です。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 顕著な立岩もあります。
顕著な立岩もあります。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 この立岩には名前が付いても良さそうなものですね。
この立岩には名前が付いても良さそうなものですね。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 丸山(960)(右端)と「奥武蔵高原」西部の山々です。
丸山(960)(右端)と「奥武蔵高原」西部の山々です。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 日向山(633)のなだらかな南斜面は果樹園や畑となっています。
日向山(633)のなだらかな南斜面は果樹園や畑となっています。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 北西には秩父の街が見えました。
北西には秩父の街が見えました。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 展望地からひと登りすると770P に着きます。
展望地からひと登りすると770P に着きます。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 岩菅山の呼称については書物等ではまだ確認できていません。詳細図には「大平」とあります。
岩菅山の呼称については書物等ではまだ確認できていません。詳細図には「大平」とあります。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 続いて「処花沢左岸尾根ルート」に入ります。ここも3回目です。紫は藤の花でしょうか。
続いて「処花沢左岸尾根ルート」に入ります。ここも3回目です。紫は藤の花でしょうか。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 ヤマツツジが綺麗です。
ヤマツツジが綺麗です。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 新緑の中で控えめに、しかし鮮やかに、そして艶やかに、ヤマツツジの朱色が映えます。
新緑の中で控えめに、しかし鮮やかに、そして艶やかに、ヤマツツジの朱色が映えます。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 爽やかな尾根道が続きます。
爽やかな尾根道が続きます。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 かなり風化して年代不詳の馬頭観音です。日記に詳述しましたが、ここが古径であった事を示す証拠です。
かなり風化して年代不詳の馬頭観音です。日記に詳述しましたが、ここが古径であった事を示す証拠です。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 この馬頭観音の辺りだけは道形が明瞭でした。
この馬頭観音の辺りだけは道形が明瞭でした。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 詳細図に「岩場」表記があります。
詳細図に「岩場」表記があります。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 県道53号線に下ります。初花(処花)・南沢は秩父往還裏街道 旧 正丸峠の入口でもあります。
県道53号線に下ります。初花(処花)・南沢は秩父往還裏街道 旧 正丸峠の入口でもあります。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 県道脇の地蔵菩薩の説明です。
県道脇の地蔵菩薩の説明です。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 昭和34年5月10日に交通事故で夭折した4歳の男の子を供養する為の地蔵菩薩です。
昭和34年5月10日に交通事故で夭折した4歳の男の子を供養する為の地蔵菩薩です。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 県道53号線は交通量が少なく、ツーリング族やサイクリストがたまに通るくらいです。
県道53号線は交通量が少なく、ツーリング族やサイクリストがたまに通るくらいです。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 「入山分校跡」。昭和27年4月に芦ヶ久保村立小学校の入山分校が開校。昭和30年に合併で横瀬村立となり、昭和42年に閉校。
「入山分校跡」。昭和27年4月に芦ヶ久保村立小学校の入山分校が開校。昭和30年に合併で横瀬村立となり、昭和42年に閉校。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 全長2km 近い「正丸トンネル」の脇から再び山に入ります。
全長2km 近い「正丸トンネル」の脇から再び山に入ります。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 見事な藤の花です。
見事な藤の花です。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 シカの顎の骨が倒木の上に乗せてありました。
シカの顎の骨が倒木の上に乗せてありました。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 裏返してみると、歯は健全な状態だったようです。山で寿命を全うできたのなら良いですね。
裏返してみると、歯は健全な状態だったようです。山で寿命を全うできたのなら良いですね。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 「辰目沢右岸尾根ルート」666P 直下の鞍部です。1年前は「長久保」(780)から北に下り沢を跨いでこの鞍部で休憩しました。
「辰目沢右岸尾根ルート」666P 直下の鞍部です。1年前は「長久保」(780)から北に下り沢を跨いでこの鞍部で休憩しました。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 人工林優勢のこのルートの中では、まさに癒しの鞍部です。
人工林優勢のこのルートの中では、まさに癒しの鞍部です。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 ニリンソウです。
ニリンソウです。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 虚空蔵峠 直下の広場。切り株に座ってうたた寝しました。
虚空蔵峠 直下の広場。切り株に座ってうたた寝しました。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 中世以降、江戸時代に盛んに往来があった旧 正丸峠よりもさらに古い時代から歩かれていたとされる「虚空蔵峠」です。
中世以降、江戸時代に盛んに往来があった旧 正丸峠よりもさらに古い時代から歩かれていたとされる「虚空蔵峠」です。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 この虚空蔵菩薩はかなり風化していますが、元々あったものとは違うとの説があります。峠の歴史と併せ、日記に詳述しました。
この虚空蔵菩薩はかなり風化していますが、元々あったものとは違うとの説があります。峠の歴史と併せ、日記に詳述しました。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 「サッキョ峠」です。東西の斜面は急峻で道形は消滅しています。
「サッキョ峠」です。東西の斜面は急峻で道形は消滅しています。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 奥武蔵高原 東部の山並みです。
奥武蔵高原 東部の山並みです。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 「旧 正丸峠」。別名「秩父峠」「小丸峠」「二子峠」「南沢峠」。 江戸と秩父を最短で結ぶ秩父往還 裏街道の峠として江戸時代中期から盛んに人々が往来しました。
「旧 正丸峠」。別名「秩父峠」「小丸峠」「二子峠」「南沢峠」。 江戸と秩父を最短で結ぶ秩父往還 裏街道の峠として江戸時代中期から盛んに人々が往来しました。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 旧 正丸峠入口(坂元集落 最奥)にある宝暦五年  1755年の馬頭観音。俚称「ままの上の馬頭さま」。
旧 正丸峠入口(坂元集落 最奥)にある宝暦五年 1755年の馬頭観音。俚称「ままの上の馬頭さま」。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 朝はハイカーで賑わっただろう正丸駅も日没前には人影がありません。
朝はハイカーで賑わっただろう正丸駅も日没前には人影がありません。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 18時。ホームには誰もいませんでした。
18時。ホームには誰もいませんでした。

もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。