昨日に続いて【城跡探訪記】の第3弾は、①三反田代官所跡、②松瀬山城跡、③名尾山城跡、④金敷城山城跡を探索しました。 *⃣三反田代官所跡は、神代氏が支配していた山内地方を知行替えによって鍋島氏が支配した時、鍋島種巻がその代官となった。寛永12年(1800年)上佐賀代官所が設置され、三反田代官所も終焉を迎えたと言う。 ①三反田代官所跡は祇園社の西200mに標柱があるが、荒れ地や竹林があるのみで、代官所跡を標す物は何も無かった。代官所は石垣の上にあったと思われ、カバー写真はその石垣です。 ②松瀬山城跡は、旧国道263号線から古い林道を登り、ヤマップを開いて山頂を目指しました。所々赤テープが🈶るので、ここも好き者が踏み込んだのかも知れない。山頂迄には何段もの曲輪と思われる平地があり、備えも万全だったのかなぁ~。驚いた事に山頂直下に畑があり、傍には作業小屋、モノレールが敷かれていたので柿の収穫時にはモノレールで降ろされていたのかも…。柿の木には梯子も架かっていたので、下には作業道が延びて来ているのでしょうねぇ。 ここにも赤テープに城跡を記したが、松瀬山城跡と書くべき処を松尾城跡と間違えて記してしまった。本来は書き直しに行かねばならないが、登る人はいないと思うので、そのままにしておく事になろう。 ③名尾山城跡は、旧松梅村と旧大和村を結ぶ村道(現・県道)沿いの山頂にあるようだが、ここも取り付き点を探してうろうろ。破線を探せばそこから登れそうだがその破線部分が見つからなかったが、藪の先に破線道が見つかり藪漕いで踏み込む。ここからもヤマップ頼りで進むと三角点🈶、名尾山城跡とうちゃこ~だ。 ④近くには巨石パークから登って来れる金敷城山があるので、名尾峠から往復する事にした。登りは桟敷林道を歩いて金敷城山へ。金敷城山は弘治3年(1557年)頃、神代勝利によって築城されたと言う。南部の龍造寺隆信軍と戦い、隆信の家臣であった小河内信安が討ち取られ、江戸期に入って供養塔や石仏が建立されたと言われています。この金敷城山のように、城跡の遺構などがあれば、ロマンも少しは感じる事が出来るが、前二つの城跡などには何も無いのでロマンは湧いて来ませんねぇ🥰。
社名は不明
2体祀られています
祇園社
本堂
ご神体は鍵が架かっていて拝めません
夫婦杉でしょうか?
祇園社の西200mの所に代官所跡の標柱🈶
三反田代官所跡
直ぐ上の草地
これらの石組みがあるので、ここが代官所跡かなぁ?
再奥部の草地
キキョウソウ
三反田代官所跡と松瀬山城跡
旧国道263号線
標識はそのままだから、まだ国道だよねぇ🥰
208mの山頂部が松瀬山城の主郭だとか
ここから松瀬山城跡へと取り付きます
ユキノシタ
廃屋があった~、寂しいねぇ~
好き者がいた~!
こんな所を進みます
現代風な水路🈶
上流には砂防ダムも
又々赤テープ🈶
作業小屋?🈶
一段目の曲輪?
二段目
三段目はかなり広い
本城は目の前だ~!
ここにも赤テープ🈶
山頂部、主郭?
広いです
この頃はどんな城だったのだろうか?
松瀬山城跡と書くべき処を、松尾山と間違えて書いてしまった~😭
帯曲輪だろうか?
主郭をグルッと回っている
この城はかなりの広さがありますねぇ
柿の木に梯子が架かっている
荒れてるが畑だ
国道が見えて来た
金網を掴んで降りてきた🥰
名尾山城跡
県道何線かは?
破線道を見つけた!
一応道だ
猪🐗ちゃんハウス
三角点🈶
又々書き記した
名尾山城跡
主郭部
南北に延びてる
主郭の北部分
これが山頂の目印
県道に帰って来ました
これでは分からないよねぇ
名尾峠(金敷峠)の地蔵さん?
私が子供の頃から見守っていてくれています
名尾山城跡と金敷城山城跡
桟敷林道もあちこち修復されています
ここから金敷城山へ
祠
供養塔
黄色で標識はみちくさ山の会さんが建てられた標識だが、随分と草臥れました~
金敷城山城跡、長いねぇ🥰
三角点🈶
ホッとします
名尾峠に降りて来ました
紫陽花