最近になって毘沙門の裏からP381(毘沙門山)を経て雨社まで登る道が通行止にされているとの情報から、再訪の必要があると思い諸羽山からP381(毘沙門山)までを調査してきました。 歩いているうちにだんだん実態が見えてきました。 いずれはこういう問題が起きてくるだろうと予想はしていましたが、今回は正に予想通りの事が起きました。 但しその理由については、これはあくまでもなく小生一個人の推測なのでこれが正しいか間違っているかは分かりません P381(毘沙門山)の所から毘沙門に下る道が完全に封鎖されているのを見届けた事により、自分なりに納得出来たので、下山しようと思いましたがまた諸羽山に戻るのも大文字山の四つ辻を経てAコースやBコースで下りるのもしんどいので、ここから代替えルートともいえる関電さんの巡視道で山科駅まで戻りました。 ここで小生が予想した理由を見て頂く前に先ずはいつものように軌跡、写真、所要時間などを御覧下さい。 ………………………………………… それでは小生が推測した経緯を時系列的に順を追って記しておきます。但し、しつこいようですが、これは上記にも書いたようにあくまでも個人の勝手な考えであるのを念頭に置いてお読み下さい。 ① もともと毘沙門山という山は存在しない。P381も単なる小ピーク(通過点)の独標というだけである。もちろんそこは毘沙門の寺領でも無い。 ② 毘沙門山のプレートは沢山の山(ピーク)を踏破したい登山愛好家が勝手に麓にある毘沙門堂の名前を拝借し、それを取り付け山頂ランドマークの登録申請をして認められたものである。 これと同様のケースは他でもちょくちょく見かけられる (例) 東山…京都に東山という個別の山が無いことは京都人なら常識的に誰でも知っています。東山三十六峰と言えば洛中から見てなだらかな山が並ぶ姿を東山三十六峰と形容しただけのものとされています。 ③ 毘沙門山が実存しない事を知っている登山者が危機感を持ち山頂プレートを外した。 ④ 併せて寺の名前を使用されている事を知ったお寺か或いはお寺の関係者が立入禁止の看板やバリケードを築いた。毘沙門山のプレートはこの時に外されたのかも知れない。 ⑤ 山頂ランドマークが登録認定された事により、この道を利用する登山者が急速に増え目につくようになった、或いはその道を利用したハイカーのマナーの悪さが目に止まった。 ⑥ 小生はそもそも観光トイレの傍の立入禁止の看板の所はともかく、バリケードが付けられたP381のすぐ手前の所までが毘沙門の敷地かどうかさえ疑わしいと思っています。この山の一帯はもともと安祥寺の寺領で、毘沙門(元は出雲寺)がここに他所から移転してきた時、幕府がとりあげた安祥寺の土地(そこも後に京都府の土地になりそこに府立洛東高校などが建っている)の一部を譲り受けたらしいですがその時にこんな山の奥まで寺領にする必要があったのでしょうか? それも近世(江戸時代)の事らしいので山科にある故殺、安祥寺、勧修寺や元慶寺、随心院、山科本願寺の中においては毘沙門堂は寺としては後発と言っても良いでしょう。 何処までがどこの所有の土地とかは法務局へ行って旧土地台帳などを調べればすぐ分かる事だと思います。小生はそこまでしませんが…。 ⑦ この道が寺の敷地だから通らないで欲しいと言われればそれはそれで間違った事ではないので無理に通して欲しいとは思いません。別の道を通れば良いだけの話ですから。 小生の推測は大まかにいうとこんなところです。 今日途中で見かけた音羽山で見かけるYHC(山科ハイキングクラブ)と酷似した指導表は地元の集まりかどうかは別として山科に精通している団体(個人?)かなと感じました。P381も山名のあるピークだとはせず、単なる通過点の小ピークだと捉えているようでした。 小生は山に愛称をつけたり山頂ランドマークを申請する事は反対する立場ではありません。しかし、申請する場合は安易に行うのではなく、その山の歴史を調べたりその山名が地元に根付いたものであるかを鑑みた上で行えば今回のような問題は少しは少なくなるのではと考えます。 P381もお寺の名前を流用するのではなく、いっそうの事裏大文字山の熊ちゃんシリーズ、或いはポンポン山のように確実にこれは愛称だと分かるような名前をつけた方が良かったのではないか、という気がしました。 但し、プレートは外されてもヤマップ上はそこを通過した記録はされ続けられます。誰が外したにせよ一旦登録された山頂が取り消される事は無いとしているからです。 ただ話はここだけでは終わりそうに無いです。大文字山一帯で他にもプレートが外されたりしてる所があるそうですから…。
疎水公園のここが登山口。
諸羽山
白岩から東山山頂公園の山と花山。見下ろしているのは府立洛東高校。
柳山(261)。山頂プレート無くなってはいなかった。
蔭山。
ここの山は見るものによって表記が違います。影山、陰山、蔭山。
右に行けば高島線127の鉄塔らしい。今日は行きませんが。
蹴上線3通過。
写真で読めませんが荒神口支線40。
撮り直し。
問題のバリケード。
完全に封鎖されています。注意書きなどはありません。尚この上の小ピークに前回付けられていた毘沙門山の山名プレートも外されている様子でした。小生の予測通りです。
毘沙門コースが通れない事は分かったので別ルートで下山します。荒神口支線41です。
関電さんの巡視路なので黒いプラ階段が現れました。
蹴上線4、グリーンに塗られた鉄塔です。
ここで別ルートと出合います。地図にも川が書かれている所です。ここから下流に川を沿って歩けばOK。
グレーチングの関電橋。最大重量は150キロまで。
あっ!ここにハイキングクラブの指導標識が付けられている。
この橋は京都府東部土木事務所によって設置されたようです。という事はここは公有地。毘沙門堂と隣接している場所ですが。
歩きやすい道です。
年間通じて猟がされているとの注意書き。
山道への入口を振り返っています。ここはもう住宅地。左に前の写真の注意書。
鏡山。
毘沙門道からの入口。カーブミラーと飛び出しお嬢ちゃんが目印。
この浅野は浅野内匠頭(アサノタクミノカミ)の浅野です。ここは瑞光院というお寺。瑞光院は赤穂浅野家の祈願寺。
瑞光院の山門。ここが12月14日に行われる義士行列(赤穂浪士)の出発地でもあります。
久々に通る安朱橋。この後、山科駅のスタバに行きそこでヤマップ終了しました。