四国遍路 88+別20 : Day 20

2022.05.14(土) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
10 時間 18
休憩時間
1 時間 33
距離
19.5 km
のぼり / くだり
1324 / 1301 m
1 45
5 36
2 25

活動詳細

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四国歩き遍路(88&別格20)20日目。 道の駅ひなの里かつうら〜20番鶴林寺〜水井橋〜一宿寺〜かも道〜21番太龍寺〜北地道〜道の宿そわか(道の駅鷲の里) 今日からいよいよ、何の用事に邪魔されることもなくひたすら次の札所に向かって歩くお遍路の日々が始まります。しかも、これから鶴林寺の山を越えれば、遂に東徳島から離れて「四国の右下」徳島県南部エリアに入ります。 20番鶴林寺〜21番太龍寺〜22番平等寺の道のりは、お遍路界隈では「第2の遍路ころがし」として、焼山寺道と匹敵する難所。ただし私にとっては「加茂谷へんろ道の会」の一員として6年近く何度も歩き回り、道を整備しまくり、嵐の後には倒木処理しまくったとてつもなく愛着のある道のり。四国遍路で一番の寺と山道はと聞かれたら、コンマ1秒で「太龍寺、一択」と答えられるぐらいの、太龍寺激LOVE。(しかも私は寅年なので、四国遍路の中では超少数派・虚空蔵菩薩の寺というだけで、LOVEが5倍増し) 今日以降、もう当分は歩くこともないと思うだけで、出発前からもう涙が出てきそうでした。 思い入れありすぎてどれだけ言葉を尽くしても書き尽くせないので、むしろできるだけ簡潔に今日の記録をまとめる。。。努力をしたいと思います。 太龍寺山の上にある太龍寺へは今でも遍路地図に載っているだけでも、水井橋から一番の近道・太龍寺道、かも道、いわや道、那賀町側の中山道と北地道と5ルートもあります。(実はこの他にもほとんど猟師さんしか行かないようなルートが幾つかあります)太龍寺ラブの第一人者としては、たとえ何度か上り下りしようともできるだけ多くのルートを歩いて別れを惜しみたい、との思いから私達が今回作ったルートは、 「鶴林寺から水井橋に降り、那賀川南岸を3km下って一宿寺からかも道で太龍寺、舎心ヶ嶽からほぼロープウェイ沿いの北地道で那賀町鷲敷に下山。そこから中山道の登山口・持福院まで歩いて、中山道を登って補陀落山頂経由で舎心ヶ嶽アゲイン、いわや道で阿瀬比に下りて、あとはスタンダードに大根峠越えで平等寺」 つまり太龍寺さんを2回登って下りるので、トレランの猛者でもない限り1日では不可能。このルートを可能にするのは「道の宿そわか」に部屋が予約できるかできないかにかかっていた。 そして、GWのあたりで休まずに歩き続けた場合にそわか宿泊になるであろう日には部屋が取れないとわかったために、19番立江寺以降、勝浦町のあたりで何度も徳島駅前に行ったり来たりして休息日やらを取る羽目になっていたというのがこれまでの流れでした。 5月14日の早朝、今度こそ本当にしばらくさようならの「ふれあいの里さかもと」を後にし、送迎車で道の駅横のファミリーマートへ。軽い朝食を取り、今日と明日分の行動食を確保した。 20〜21〜22番の第2遍路ころがしが難所なのは、なんども山を登ったり下りたりしなければいけないだけではなく、このファミマを過ぎた後はルート沿いに補給点がないというのも大きな要因です。自販機はかろうじて水井橋と太龍寺にあるものの、食べ物はない。なんなら、22番を過ぎた後でも、ず〜っとない。次にルート沿いでコンビニに遭遇できるのは、なんと23番日和佐です。 ただし阿瀬比の道の駅わじきまで行けば、今はなんとおうどん屋さんがあり、平等寺を過ぎてすぐの辺りの商店街で少し道からそれれば、ローカルな食料品店はあるので、何日分もの行動食を背負わなければいけない訳ではありません。 私達はふたりとも歩き旅中は基本的に1日2食、朝食べたら夜ご飯まではそれほどお腹にものは入れないタイプなので、行動食もソイジョイや一本満足、カロリーメートを少しという感じです。私はグミも1袋はいつも持っています。自販機で頻繁にコーヒーやジュースを飲んで、糖分やカロリーはそっちで摂取です。 今日はありがたいことに天気予報は徐々に晴れていくとのこと。いよいよ鶴林寺への遍路道を登り始めた時はまだ昨日までの曇り空の名残と山々にぽつりぽつりと靄がたなびいていました。 鶴林寺への遍路道は最初の半分がとにかく急登なので、その部分を歩いている間はまだ曇りで気温もそれほど上がらなかったのは、とても助かりました。 山道に入り、最後の国史跡指定の石畳部分に入る手前、写真撮影率たぶん100%の那賀川を見下ろす絶景スポットまで来ると、まさにグッドタイミングで空が青く晴れました。那賀川の水も、大雨の後には灰色に濁るのがここ最近の雨程度では大丈夫だったようで実に美しい青緑色。最後に一番美しい状態でこの景色を見れたことは本当に嬉しかったです。 土曜日とはいえ時間も早く、GWも過ぎてしまったためか、鶴林寺は予想よりずっと静か。本堂に参拝後、下の大師堂に下りてくると入れ違いに白装束で揃えた団体さんが階段を登っていきました。最後に引率のお坊さんが歩いていたので、どこかのお寺の講か信者さんたちでしょうか。 その後納経所で、この団体さんはなんと北海道のお寺と知り、びっくり。とても熱心なお寺で毎年のように団体さん四国に来られるのだそうです。他にも青森からいつも来られるお寺もあるとかで、北の人たちここまでの道のりを考えただけでただただ頭が下がります。 私達は、荷物を担ぎ直して下山の途へ。 ちなみに鶴林寺には自販機はありません。数年前駐車場の入り口に立派な新しいトイレができるまでは、トイレでも水はありませんでした。四国遍路のお寺ではほぼどこのお寺にも(焼山寺でも)自販機はあるので、鶴林寺でも当然あるだろうと急登を汗だくで登ってきた初めて歩きお遍路さんは、ここで大衝撃を受け手水場付近のベンチで真っ白になり呆然と座っている姿が散見されたものです。私はこれを「鶴林寺ショック」と呼んでいます。なにしろ私の初めてのお遍路の時もまさにそうだった。 そしてなんとか下山し、水井橋を渡る前にある自販機を見て五体投地しそうになりました。 ペットボトルで2本一気飲みした後、もう一本買った思い出。あの自販機はさぞかしすごい売り上げなのではないでしょうか。まさに絶望の後の希望、命の水。 鶴林寺からの下り口にはなぜか長年「かも道は危険だから歩いてはいけません」という趣旨の看板があります。もちろんそんな事はありません。整備している人間が言ってるんだから確かです。へんろ道の会のおじいさんたちが何年も何年もずっと外してくれと言っているのに、なぜかずっと外されないので、どうかあの看板信じないで下さい。かも道は台風一過の後でもたぶんどこの四国遍路の山道よりも早く、通行可能になる道です。 初めての歩き遍路さん達が口を揃えて「下りがつらかった」という鶴林寺から水井橋への下り道。とにかく階段続きで段差が大きいから膝に来るのです。特に寺からすぐ下のあたり。先はまだまだ長いので、ここで急いで跳んで下りるようなことはせず、一歩一歩膝に圧をかけないように下りましょう。 休校中の大井小学校でトイレを済ました後、例の自販機へ。小休止をしていると、顔なじみの隣家のおじさんがたまたま通りかかりました。(基本的のこの集落の人たちは皆顔なじみなのですが)これまで徳島在住6年間、とてもお世話になったおじさんのお一人なので、最後にこのタイミングでお会いできて本当に良かった。 そして、自販機の前で立ち話をしているところで、今私達が下りてきた道からトコトコと灰色の法衣でお遍路姿のお坊さんが歩いてきた。 灰色の法衣だったので禅僧さんですか?と声をかけると「いえいえ、私は真言宗の僧ですよ」と。背負われた荷物とともに一眼レフカメラもあり、予想通り写真撮影が好きとのこと。 実はこちらのお坊さんは、高知県仁淀川町の奥の奥、私も大好き中津渓谷のすぐ横にある法輪寺のご住職さんでした。10年以上前に歩き遍路一周され、お寺で開催しているお砂踏み法要にお参りに来られた方たちの納め札を、四国遍路のそれぞれのお寺に納めて周っているのだそうです。これまでは車で納に行っていたのを、今年は自ら歩いて納めてまわろう、ごいうことで、背中の荷物の中には88箇所×法要に参加された人数分の納め札という結構な重量が入っているそうです。先に進めば進むほど納め札がなくなって軽くなっていくわけですが、まだ序盤戦の現在地だとまだ68ヶ寺分残っている。。。重い。 水井橋を渡って太龍寺道の入口までの僅かな時間でしたが楽しくおしゃべりさせていただき、フェイスブックを交換。ご住職さんは歩くのも速く、私達と違って時間の制約もあるので進むペースは遥かに速いのですが、もちろんお寺でのお仕事の時には一旦急遽戻って、また遍路に戻ってくるとのこと。その間に私達が追いついてどこかで再会できる可能性はゼロではないので、それではまた〜と手を降って、太龍寺道を軽やかに進む住職さんのお背中を見送り、私達はそのまま那賀川南岸の道を真っ直ぐ下っていきました。 水井町を通り過ぎる時には、この6年間誰よりもお世話になった加茂谷へんろ道の会の会長さんにしばしのお別れのお挨拶をしました。 十八女橋を過ぎると、ようやく完成した水害防止の高いコンクリ堤防で那賀川は見えなくなり、以前は大型バスは通れなかった細い道が今やすっかり広々とした2車線道路に。この加茂町で過去何年もかかって行われていた水害防止堤防・河川修理工事が完成し、今日はその完成記念式典が午後から開かれるとのことで、かも道へ続く細い道へ入るあたりから少し遠くの堤防上でテントや椅子が並んで準備中なのが見えました。 かも道前の最後の自販機で水分補給をした後、一宿寺山門手前からいよいよ「四国遍路最古のへんろみち」かも道へ。この6年間、一体何回歩いたか数え切れない道です。大きな台風通過直後に倒木確認で一人、熊手片手に小さな倒木や落ちた枝を履き散らしながらかも道から太龍寺、いわや道まで歩いたことも何度もありました。 かも道に関してはこれまで私も何度も投稿しているし、今やトレランの人たちにはとても人気のある道なので、ここでは詳しく書きませんが、とにかく全長4.5km(いわや道と合わせれば10km強)すべて自然の未舗装道というのは、長い山道が少ない四国遍路道の中ではとても貴重な存在です。ただ、鶴林寺から下りてくると一宿寺まで舗装道路を3km余計に歩いてこないといけないので、通常一日で平等寺までたどり着きたい歩き遍路さんたちはどうしても最短距離の太龍寺道を上るのは仕方がなく、かも道で歩き遍路さんに会う機会は本当にまれです。 太龍寺でもこれまでいろいろお世話になったお寺の方々にご挨拶。合わせて四国遍路後に続く私達の海外生活へ持っていこうと、毎年購入定番グッズの虚空蔵菩薩のステッカーやらお守りやらを買いました。副住さんがせっかくだからと、特に長く時間をかけてお守りに向けて祈祷して念を込めてくださり、むちゃくちゃご利益高まった感じです。本堂を過ぎて少し離れた求聞持堂を眺めると、衣が干してあり、ああ、またどなたかが求聞持法に入っておられるようです。 弘法大師の巨大像が座している舎心ヶ嶽までの道、最後の急登の傾斜度は私的には四国遍路道最高急登だと思っています。これに並ぶ急登は香川の我拝師山、これまた読みは同じの捨身ヶ嶽禅定への道しか思いつきません。この2つに合わせて、鶴林寺へ登る道の、ちょうどお水大師を過ぎて登る部分が、私の中では四国遍路3大急登坂です。 舎心ヶ嶽には明日もどのみち上がってくるので、今日はスルーし左手のいわや道の方に入らずに、右手の北地道へ。 北地道は、上の方の山犬の像までは何度も行ったことがあるのですが、下の麓まで全部歩いたことは数年前に一度だけです。その当時でも、中盤をすぎて下れば下るほど道が荒れていき、麓近くの植林の中はかなりやばかった記憶があります。 今回もその状況は変わらず、中盤の見晴らしの良い場所を過ぎた後はどんどん道が急になり、荒れていく。そもそもここはもうお遍路さんは歩かないし、普通のハイキングの人すらほとんど歩かない道なので標識もなく、GPSのトラックを持っていなければ「これ、どっち?」迷うような分岐が幾つも出てきました。元々荒れていた麓近くの道は更に荒れ、もう写真を撮っている余裕すらない。 先程の見晴らしが良い場所の時点で、予定していた5時チェックインには絶対間に合わないと予想がついたので、宿に電話し6時になりそうと連絡していました。大正解で、最後の急な下りから荒れた部分を通過するのに異様に時間がかかったことかかったこと。しかもこの部分は山の陰になる場所なので道は既に薄暗く、ようやく山道から出て実はまだこんなに明るかったのだと驚いたほどでした。 北地道の出口は一見ロープウェイの駅からすぐ近くに見えますが、もちろん那賀川のあちら側とこちら側なので橋がある場所までぐるりと回らなければいけません。ここでも地味に時間がかかりますが、水田に映るキレイな空と那賀川の美しい水の色に癒やされながら歩き、今夜のお宿「そわか」に到着しました。 「そわか」といえばとにかく大きなお風呂。お部屋も畳は変えたばかりのようで新しく、快適でした。 明日の朝食は早く出発したいお遍路さんのためのサービス・おにぎり朝食にしてもらいました。夕ごはんのうちに渡してくれたので、明日は朝一番に出られます。

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