北条早雲が山城から見た富士山 2022.5.10 (柏久保城跡)

2022.05.10(火) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
50
休憩時間
7
距離
1.6 km
のぼり / くだり
132 / 112 m
12
18

活動詳細

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柏久保城の築城者については諸説あるが、狩野一族(茂光)が鎌倉時代に築城し、狩野城の出城とした。 その後北条早雲が護国寺城(沼津市)から伊豆進攻を始め、堀越越御所(伊豆の国市)の足利茶々丸を討ち、狩野城を攻める為柏久保城を攻め落とした。 後に狩野氏の逆襲にあうが、大見城の大見三人衆の力を借りて撤退させた。北条早雲は韮山城の支城として柏久保城を改修した。狩野城より山城らしく、早雲の地形を活かした城と思わせる。 本郭(本丸)、中郭、東西郭、南郭があり、北郭は本丸の一段下の二ノ曲輪にあったようだ。堀切、空堀も大きい。本丸は愛宕山山頂(標高180m)にあり、愛宕神社が鎮座している。土塁が作られている。また富士山を望める場所に「北条早雲山砦址」の石碑、また二ノ曲輪北側は断崖になっており、大きく切れ落ちているので土塁はない。「新九郎谷」と呼ばれ、その石碑もある。ちなみに新九郎とは早雲の名「伊勢新九郎宗瑞」である。北東側の谷は「地獄沢」と呼ばれた。 登山口は「一之宮神社」の脇(柏久保老人憩いの家)に看板がある。夏から秋にかけスズメバチがいるので注意喚起の張り紙あり。修善寺グランド脇にも登山口ある。山頂まで300mと正規ルートより近い。恐らく早雲が城を攻めたルートかと思う。

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