東海道五十三次を一気に歩く!

2021.11.19(金) 19 DAYS

活動詳細

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還暦誕生日にJR神戸駅を出発。2日で京都に到着。ただ、これは前哨戦に過ぎない。京都(三条大橋)から東京(日本橋とJR東京駅)を一気に目指す。 漠然と15日で歩く計画を立てていたが結果19日かかってしまった。 残念ながらGPSデータは大きすぎたせいかアップすることができませんでした。 アップする方法をご存じの方いらっしゃいましたらご教示ください。 プレミアム会員でないので東海道五十三次を50枚の写真で表現することは困難。 50枚に絞り込むと、逆に旧街道に関係のないど~でもよいような写真ばかりになったw でも、それはそれで面白い! 東海道歩きに興味のある方は「東海道五十三次 一気通貫」で検索してください。 キャプションの付いた写真は1452枚になります。

 ここが今回のスタート地点。三条大橋。頭のてっぺんから気合を入れてお江戸を目指しスタートします! 気温は16℃。
ここが今回のスタート地点。三条大橋。頭のてっぺんから気合を入れてお江戸を目指しスタートします! 気温は16℃。
 滋賀県に入って、京阪の大谷駅付近には。うなぎ屋が並んでいました。高そうなので素通りするつもりでしたが、金曜日のお昼なのにどんどん店に人が入って行くのを見て、一生来ないかも・・・と思うと・・・奮発してしまいました~ 「かねよ」の特上きんし重。卵焼きが売りだそうです。ちなみに「特上」「極上」「超極上」とあります。この違いは、ウナギの質の違いとかでなく、量の違いとのこと。「超極上」は税込み5610円+サービス料なので、「特上」(税込み3960円+サービス料10%)にしました。やはり誰かと一緒に来るところです・・・

あ、ここは百人一首の蝉丸で有名な「逢坂の関」です。
滋賀県に入って、京阪の大谷駅付近には。うなぎ屋が並んでいました。高そうなので素通りするつもりでしたが、金曜日のお昼なのにどんどん店に人が入って行くのを見て、一生来ないかも・・・と思うと・・・奮発してしまいました~ 「かねよ」の特上きんし重。卵焼きが売りだそうです。ちなみに「特上」「極上」「超極上」とあります。この違いは、ウナギの質の違いとかでなく、量の違いとのこと。「超極上」は税込み5610円+サービス料なので、「特上」(税込み3960円+サービス料10%)にしました。やはり誰かと一緒に来るところです・・・ あ、ここは百人一首の蝉丸で有名な「逢坂の関」です。
 滋賀県は「飛び出し坊や」の発祥の地。飛び出し蝉丸、飛び出しゴルゴ、飛び出しベロンベロン・・・

初日は8時間、32キロ歩きました~
滋賀県は「飛び出し坊や」の発祥の地。飛び出し蝉丸、飛び出しゴルゴ、飛び出しベロンベロン・・・ 初日は8時間、32キロ歩きました~
 2日目は草津から。石部宿手前の街道に似合った看板。看板の裏はネイルサロンです。オシャレ~ 石部宿はトイレも充実! 旧街道には宿泊施設が少なく2日目は7時間半で打ち切り、29キロ。
2日目は草津から。石部宿手前の街道に似合った看板。看板の裏はネイルサロンです。オシャレ~ 石部宿はトイレも充実! 旧街道には宿泊施設が少なく2日目は7時間半で打ち切り、29キロ。
 3日目、水口宿のホテルからの朝焼け。山を見ると登りたくなる。古城山(282m 別名、大岡山)、ホテルから1キロ少しかと思って行ってみました。往復5キロありました。でも行って正解でした~ 一旦、ホテルに戻って、街道に復帰します。
3日目、水口宿のホテルからの朝焼け。山を見ると登りたくなる。古城山(282m 別名、大岡山)、ホテルから1キロ少しかと思って行ってみました。往復5キロありました。でも行って正解でした~ 一旦、ホテルに戻って、街道に復帰します。
 田村神社。秋の彩りが最高でした。これから鈴鹿峠越えです。
田村神社。秋の彩りが最高でした。これから鈴鹿峠越えです。
 鈴鹿峠を超えてしばらくすると日没。東海道53次の宿場の中で最も宿場町が保存されているのが関宿だと思われます。暗いけどいい雰囲気。
鈴鹿峠を超えてしばらくすると日没。東海道53次の宿場の中で最も宿場町が保存されているのが関宿だと思われます。暗いけどいい雰囲気。
 野村一里塚。北塚のみ現存。樹齢400年のムク。日本橋より105里目。国史跡(†)。暗闇の中、見とれてしまいました!
3日目は、古城山に行ったりしたこともあり12時間で49キロ。

†=『ちゃんと歩ける東海道五十三次』より
野村一里塚。北塚のみ現存。樹齢400年のムク。日本橋より105里目。国史跡(†)。暗闇の中、見とれてしまいました! 3日目は、古城山に行ったりしたこともあり12時間で49キロ。 †=『ちゃんと歩ける東海道五十三次』より
 4日目、雨の亀山宿を出発。宿野宿に入ると4~5人のオバチャンに囲まれる。「上がって行ってください」「寄って行ってください」。客引きだ~~~ 昔、宿場での客引きのことを「留女」と言ったらしい。最近、できたばっかりの地域の施設のようで、おばちゃんたちコワイくらいにやる気マンマン・・・ コーヒー、紅茶、アップルティー、カルピス、梅昆布茶、生姜湯、抹茶ミルク、ゆず茶、抹茶、ココア、ポタージュスープ、11種のメニュー・・・ 値段はお気持ちで・・・(余計に困る・・・) 雨が降って冷えていたので生姜湯を注文。自主制作のCDいただきました。CDはプリント違いをもう1枚とすすめられましたが、さすがに遠慮しました~(笑) でも、とても思い出に残るひとときとなりました。
4日目、雨の亀山宿を出発。宿野宿に入ると4~5人のオバチャンに囲まれる。「上がって行ってください」「寄って行ってください」。客引きだ~~~ 昔、宿場での客引きのことを「留女」と言ったらしい。最近、できたばっかりの地域の施設のようで、おばちゃんたちコワイくらいにやる気マンマン・・・ コーヒー、紅茶、アップルティー、カルピス、梅昆布茶、生姜湯、抹茶ミルク、ゆず茶、抹茶、ココア、ポタージュスープ、11種のメニュー・・・ 値段はお気持ちで・・・(余計に困る・・・) 雨が降って冷えていたので生姜湯を注文。自主制作のCDいただきました。CDはプリント違いをもう1枚とすすめられましたが、さすがに遠慮しました~(笑) でも、とても思い出に残るひとときとなりました。
 4日目は6時間半、27キロで四日市に投宿。仕事仲間のSちゃん、景気が悪くなってだんだんバイトにシフト。気がつけば東京から四日市に。2年ぶりくらいの再会。「歩くんだったら肉食わなきゃ!」。最近は量より質なのであまり気乗りはしなかったのですが「1ポンドステーキ」。美味しかった~ 結局、2人で2ポンド食べました。でも、そのあと、酔いが回っちゃってホテルに送ってもらう羽目に。Sちゃんのおごりになってしまいました・・・
4日目は6時間半、27キロで四日市に投宿。仕事仲間のSちゃん、景気が悪くなってだんだんバイトにシフト。気がつけば東京から四日市に。2年ぶりくらいの再会。「歩くんだったら肉食わなきゃ!」。最近は量より質なのであまり気乗りはしなかったのですが「1ポンドステーキ」。美味しかった~ 結局、2人で2ポンド食べました。でも、そのあと、酔いが回っちゃってホテルに送ってもらう羽目に。Sちゃんのおごりになってしまいました・・・
 5日目。桑名宿、伊勢国一の鳥居と七里の渡し跡(階段)。桑名宿と宮宿(熱田神宮周辺)は東海道唯一の海路で28キロ(7里)あることから「七里の渡し」と呼ばれていた。七里の渡しは伊勢国の東の入口にあたるため「一の鳥居」が天明年間(1781~1789年)に建てられる。伊勢湾台風(1959年)で甚大な被害を受け、七里の渡し前に堤防が築かれ、江戸時代とは表情が異なる。(¶)
渡しは現存しません。定期船もありません。チャーター船はあるようです。1隻約4万円。10~20人集まればペイしますね。この区間を近鉄電車で移動することを「近鉄渡船」と言うようです。

¶=現地案内図より
5日目。桑名宿、伊勢国一の鳥居と七里の渡し跡(階段)。桑名宿と宮宿(熱田神宮周辺)は東海道唯一の海路で28キロ(7里)あることから「七里の渡し」と呼ばれていた。七里の渡しは伊勢国の東の入口にあたるため「一の鳥居」が天明年間(1781~1789年)に建てられる。伊勢湾台風(1959年)で甚大な被害を受け、七里の渡し前に堤防が築かれ、江戸時代とは表情が異なる。(¶) 渡しは現存しません。定期船もありません。チャーター船はあるようです。1隻約4万円。10~20人集まればペイしますね。この区間を近鉄電車で移動することを「近鉄渡船」と言うようです。 ¶=現地案内図より
 長良川に架かる「伊勢大橋」から。美しい景色と言ってよいのかどうか・・・        
  長良川河口堰。
長良川に架かる「伊勢大橋」から。美しい景色と言ってよいのかどうか・・・       長良川河口堰。
 変な夕照やな~。どうやらナガシマスパーランドの明かりが反射しているようです。7時間、26キロ。宿泊地点の関係で長島泊まり。
変な夕照やな~。どうやらナガシマスパーランドの明かりが反射しているようです。7時間、26キロ。宿泊地点の関係で長島泊まり。
 6日目。佐屋街道につながる「三里の渡し」をできるだけ忠実にトレースする。
6日目。佐屋街道につながる「三里の渡し」をできるだけ忠実にトレースする。
 佐屋街道は見どころも少なかった。東海道はその多くが、幹線や、抜け道として現存しているのに対して、佐屋街道は街道そのものが、昭和20年代後半以降に宅地化で完全に消滅しているところもあった。可能な限り忠実にトレース。6日目は10時間、39キロで名古屋の金山に投宿。ちなみに長島から金山は現在の道路で歩くと22キロでほぼ半分の道のり。
佐屋街道は見どころも少なかった。東海道はその多くが、幹線や、抜け道として現存しているのに対して、佐屋街道は街道そのものが、昭和20年代後半以降に宅地化で完全に消滅しているところもあった。可能な限り忠実にトレース。6日目は10時間、39キロで名古屋の金山に投宿。ちなみに長島から金山は現在の道路で歩くと22キロでほぼ半分の道のり。
 7日目。「七里の渡し」場の熱田湊常夜燈(名古屋市熱田区)。寛永2年(1625年)建立。その後、風害で損傷、寛政3年(1791年)火災で焼失、同年再建されたが、その後、荒廃していたものを昭和30年(1955年)に復元。ここ「宮宿」から「桑名宿」までは陸路(佐屋街道)では庄内川、佐屋川、木曽川などの川越があり、運賃や海難事故のリスクを考えても、佐屋街道で1日以上(2日弱)かかる道程を4時間に短縮できる航路というのは魅力があったのだろう。もしかしたら舟旅自体が貴重だったのかも知れない。
7日目。「七里の渡し」場の熱田湊常夜燈(名古屋市熱田区)。寛永2年(1625年)建立。その後、風害で損傷、寛政3年(1791年)火災で焼失、同年再建されたが、その後、荒廃していたものを昭和30年(1955年)に復元。ここ「宮宿」から「桑名宿」までは陸路(佐屋街道)では庄内川、佐屋川、木曽川などの川越があり、運賃や海難事故のリスクを考えても、佐屋街道で1日以上(2日弱)かかる道程を4時間に短縮できる航路というのは魅力があったのだろう。もしかしたら舟旅自体が貴重だったのかも知れない。
 熱田神宮のあと、少々単調な街歩きになっていたが、名古屋第二環状自動車道高架下を通り抜けると景色は急展開。「有松宿」。ここ「有松宿」は、西から来ると関宿以降、もっとも街道風情が色濃く残っているが、東海道「五十三次」には含まれていない。鳴海宿と知立宿の距離が2里22丁(約9.3キロ)と長いため、尾張藩は桶狭間村の有松集落を分村し、知多半島からの移住者とで、有松を途中の宿場とした。今の街並みは天明4年(1784年)の大火以降のもの(†)。有松宿は名古屋市緑区。新しい建物も、景観を損なわないようなつくりになっています。
熱田神宮のあと、少々単調な街歩きになっていたが、名古屋第二環状自動車道高架下を通り抜けると景色は急展開。「有松宿」。ここ「有松宿」は、西から来ると関宿以降、もっとも街道風情が色濃く残っているが、東海道「五十三次」には含まれていない。鳴海宿と知立宿の距離が2里22丁(約9.3キロ)と長いため、尾張藩は桶狭間村の有松集落を分村し、知多半島からの移住者とで、有松を途中の宿場とした。今の街並みは天明4年(1784年)の大火以降のもの(†)。有松宿は名古屋市緑区。新しい建物も、景観を損なわないようなつくりになっています。
 知立城址。桶狭間合戦後に織田軍により落城し、のち刈谷城主水野忠重が「御屋形」を建て、将軍の上洛などの際に休憩所として使用した。元禄年中から宝永年中にかけて地震のため倒壊し再建されなかった。12世紀末頃の遺物が出土していることから、中世~近世にかけての史跡である。(愛知県史跡整備市町村協議会のホームページより)
ジャングルジムやブランコの大きさと比べればわかる立派な木があるが、どこにもこの木の解説を見つけることはできなかった。
7日目も宿泊地点で迷い知立泊。7時間半、28キロ。
知立城址。桶狭間合戦後に織田軍により落城し、のち刈谷城主水野忠重が「御屋形」を建て、将軍の上洛などの際に休憩所として使用した。元禄年中から宝永年中にかけて地震のため倒壊し再建されなかった。12世紀末頃の遺物が出土していることから、中世~近世にかけての史跡である。(愛知県史跡整備市町村協議会のホームページより) ジャングルジムやブランコの大きさと比べればわかる立派な木があるが、どこにもこの木の解説を見つけることはできなかった。 7日目も宿泊地点で迷い知立泊。7時間半、28キロ。
 8日目。知立を出発。知立は「池鯉鮒」と記していたようだ。街歩きに近かったが矢作川を渡って八丁蔵通りにはいると・・・ 味噌の会社があります。
8日目。知立を出発。知立は「池鯉鮒」と記していたようだ。街歩きに近かったが矢作川を渡って八丁蔵通りにはいると・・・ 味噌の会社があります。
 岡崎城に立ち寄ります。城下町には七曲は多いですが、何度も街道が付け替えられたため「二十七曲」になったようです。クネクネと前に進みませんでした~
岡崎城に立ち寄ります。城下町には七曲は多いですが、何度も街道が付け替えられたため「二十七曲」になったようです。クネクネと前に進みませんでした~
 冠木門と常夜燈。先の信号が岡崎市と豊川市の市境。まだ時間は17時半ですが、気分は21時くらい・・・ 東海道を15日で歩こうと考えていたので、本当は8日目には東海道ど真ん中、53次の27次目にあたる静岡県の「袋井宿」に到達していたかったのですが、まだまだです。12月10日の仕事に間に合わないのではという不安が・・・
この日は、東海道を3キロ離れたところしか宿泊施設が見つかりませんでした。豊川宿泊。12時間、48キロ。
冠木門と常夜燈。先の信号が岡崎市と豊川市の市境。まだ時間は17時半ですが、気分は21時くらい・・・ 東海道を15日で歩こうと考えていたので、本当は8日目には東海道ど真ん中、53次の27次目にあたる静岡県の「袋井宿」に到達していたかったのですが、まだまだです。12月10日の仕事に間に合わないのではという不安が・・・ この日は、東海道を3キロ離れたところしか宿泊施設が見つかりませんでした。豊川宿泊。12時間、48キロ。
 9日目。48キロ歩いて、20時半にチェックインしたら、次の日のスタートは遅くなります。11時のスタート。前夜、街道を逸れた地点まで3キロ戻ります。
豊橋市内で歩道橋から秋葉常夜燈を狙っているとブラックサンダーが・・・
9日目。48キロ歩いて、20時半にチェックインしたら、次の日のスタートは遅くなります。11時のスタート。前夜、街道を逸れた地点まで3キロ戻ります。 豊橋市内で歩道橋から秋葉常夜燈を狙っているとブラックサンダーが・・・
 歩いていて山を見ると登りたくなります。「岩屋山」(78m)。周囲に障害物がないので眺めは最高! 写真は岩屋聖観音立像。近くに寄ると結構大きい! 豊橋の吉田大橋架橋成就を願って建立された(†)という記述と、吉田大橋完成に感謝して建立という記述がある。聖観音立像は明和2年(1765)に建立されたが太平洋戦争中に金属供出されてしまい、現在のものは昭和25年(1950)に再建された。
今夜も東海道を逸れて新所原に投宿。8時間半、31キロ。
歩いていて山を見ると登りたくなります。「岩屋山」(78m)。周囲に障害物がないので眺めは最高! 写真は岩屋聖観音立像。近くに寄ると結構大きい! 豊橋の吉田大橋架橋成就を願って建立された(†)という記述と、吉田大橋完成に感謝して建立という記述がある。聖観音立像は明和2年(1765)に建立されたが太平洋戦争中に金属供出されてしまい、現在のものは昭和25年(1950)に再建された。 今夜も東海道を逸れて新所原に投宿。8時間半、31キロ。
 10日目。新所原に泊まれてラッキー! 
コロナ禍までの1年ほど、仕事で東京からの帰り道、新幹線を使わずに在来線で移動した。新幹線特急券代を浮かすというより在来線移動が楽しく苦にならなかった。特に豊橋からは米原で1回乗り換えるだけで神戸に戻れるので在来線移動はクセになった。そんな時、車窓に見つけたのがこの「立岩」。
標高60mだが、ロッククライミイングの名所。巻いて頂上まで上がってみた。眺めは最高! 浜名湖、そして、この道中で初めて富士山が見えた!
10日目。新所原に泊まれてラッキー!  コロナ禍までの1年ほど、仕事で東京からの帰り道、新幹線を使わずに在来線で移動した。新幹線特急券代を浮かすというより在来線移動が楽しく苦にならなかった。特に豊橋からは米原で1回乗り換えるだけで神戸に戻れるので在来線移動はクセになった。そんな時、車窓に見つけたのがこの「立岩」。 標高60mだが、ロッククライミイングの名所。巻いて頂上まで上がってみた。眺めは最高! 浜名湖、そして、この道中で初めて富士山が見えた!
 潮見坂。汐見坂、塩見坂、観潮坂とも書き、西から来ると初めて太平洋が見える地域。東海道屈指の景勝地。
潮見坂。汐見坂、塩見坂、観潮坂とも書き、西から来ると初めて太平洋が見える地域。東海道屈指の景勝地。
 新居関所は明治2年(1869)に廃止されましたが、明治~昭和にかけて学校や町役場として使われとして、なんと、日本で唯一、当時の建物がそのまま残る関所なのです。大正10年(1921)国の「史蹟」に、昭和30年(1955)には改めて国から「特別史跡」に指定されました。入館料は400円ですが見ごたえあり。ここは立ち寄らなければ!
新居関所は明治2年(1869)に廃止されましたが、明治~昭和にかけて学校や町役場として使われとして、なんと、日本で唯一、当時の建物がそのまま残る関所なのです。大正10年(1921)国の「史蹟」に、昭和30年(1955)には改めて国から「特別史跡」に指定されました。入館料は400円ですが見ごたえあり。ここは立ち寄らなければ!
 浜名湖を渡って、舞阪港からの夕陽。宿場町名は「舞坂」。本雁木跡。「雁木」(がんぎ)と聞けば、私は雪国にあるアーケード的なものを想像してしまうが、「雁木」とは階段または階段状のもののことを言うようだ。舞坂宿より新居宿までの交通は渡船だった。ここでは階段状になっている渡船場のことを指す。ふつうは「がんぎ」と言うが、舞阪では「がんげ」と言う(参考文献:人力 旧街道ウォーキング)。本雁木は庶民用。北雁木は公用役人用。南雁木は荷役用。木造灯台は復元(†)。
10日目は10時間、38キロ、浜松に投宿。
浜名湖を渡って、舞阪港からの夕陽。宿場町名は「舞坂」。本雁木跡。「雁木」(がんぎ)と聞けば、私は雪国にあるアーケード的なものを想像してしまうが、「雁木」とは階段または階段状のもののことを言うようだ。舞坂宿より新居宿までの交通は渡船だった。ここでは階段状になっている渡船場のことを指す。ふつうは「がんぎ」と言うが、舞阪では「がんげ」と言う(参考文献:人力 旧街道ウォーキング)。本雁木は庶民用。北雁木は公用役人用。南雁木は荷役用。木造灯台は復元(†)。 10日目は10時間、38キロ、浜松に投宿。
 11日目。浜松市内で低空飛行する飛行機。浜松に飛行場あったのか?と思って飛行機をよく見ると・・・ 円盤を背負っています。「早期警戒管制機」ボーイング社のE-767。550億円するそうです。このあとブルーインパルスも見ました~
11日目。浜松市内で低空飛行する飛行機。浜松に飛行場あったのか?と思って飛行機をよく見ると・・・ 円盤を背負っています。「早期警戒管制機」ボーイング社のE-767。550億円するそうです。このあとブルーインパルスも見ました~
 天竜川。当時の渡船場などを探索すると22分で行けるところを1時20分かかっています。また、天竜川東は明治の街道とそれ以前の街道が大きく分かれる箇所です。
天竜川。当時の渡船場などを探索すると22分で行けるところを1時20分かかっています。また、天竜川東は明治の街道とそれ以前の街道が大きく分かれる箇所です。
 磐田宿には旧見付学校という立派な建物が残っていますが、街道時代の建物は現存していないようです。これは街道風の予備校。11日目にしてどうにか27次目の袋井宿を通過し、掛川まで。10時間、45キロ。12月10日の仕事は最悪サボる決心がつきましたw
磐田宿には旧見付学校という立派な建物が残っていますが、街道時代の建物は現存していないようです。これは街道風の予備校。11日目にしてどうにか27次目の袋井宿を通過し、掛川まで。10時間、45キロ。12月10日の仕事は最悪サボる決心がつきましたw
 川坂屋。日坂(にっさか)宿の旅籠屋で、江戸時代の面影を遺す数少ない建物のひとつ。旅籠屋としては、明治3年(1870年)まで存続していたようです。土日祝日には公開されている。(掛川市HP)
日坂宿の家々の前には当時の屋号が掲げられている。屋号が掲げられていても営業しているわけではない。
川坂屋。日坂(にっさか)宿の旅籠屋で、江戸時代の面影を遺す数少ない建物のひとつ。旅籠屋としては、明治3年(1870年)まで存続していたようです。土日祝日には公開されている。(掛川市HP) 日坂宿の家々の前には当時の屋号が掲げられている。屋号が掲げられていても営業しているわけではない。
 中山峠付近。茶畑の向こうの山に「茶」の字が見える。山の名前は「粟ヶ岳」。標高532m。沓脱の集落を過ぎたあたりから見えはじめ、しばらく左手に見ながら進む(江戸行きの場合)。見える角度は徐々に変わって来る。いくつかのアングルで写真を撮った。
中山峠付近。茶畑の向こうの山に「茶」の字が見える。山の名前は「粟ヶ岳」。標高532m。沓脱の集落を過ぎたあたりから見えはじめ、しばらく左手に見ながら進む(江戸行きの場合)。見える角度は徐々に変わって来る。いくつかのアングルで写真を撮った。
 大井川を渡る。11月末日だが半袖で過ごせる。ヒストピア島田。島田市博物館から東へ続く約300メートルのルート(旧東海道エリア)は、昭和41(1966)年に国指定の史跡「島田宿大井川川越遺跡」(正式名称)になる。(島田市博物館HP)
番宿。通し番号がふられている。
島田市立博物館は本館も分館も立ち寄る価値あり。
12日目。岡部宿まで行くか迷った末に藤枝で投宿。10時間、34キロ。
大井川を渡る。11月末日だが半袖で過ごせる。ヒストピア島田。島田市博物館から東へ続く約300メートルのルート(旧東海道エリア)は、昭和41(1966)年に国指定の史跡「島田宿大井川川越遺跡」(正式名称)になる。(島田市博物館HP) 番宿。通し番号がふられている。 島田市立博物館は本館も分館も立ち寄る価値あり。 12日目。岡部宿まで行くか迷った末に藤枝で投宿。10時間、34キロ。
 13日目。岡部宿を通り、宇津ノ谷峠(うつのやとおげ)を越えます。この手前10分くらいのところに明治のトンネル「明治宇津ノ谷隧道」があります。
13日目。岡部宿を通り、宇津ノ谷峠(うつのやとおげ)を越えます。この手前10分くらいのところに明治のトンネル「明治宇津ノ谷隧道」があります。
 今回の街道歩きで数少ない明確な訪問ポイント「丁字屋」の「とろろ汁」。14時閉店とあり、走りました~ 子供の頃から憧れていた東海道五十三次のとろろ汁~ もう金に糸目はつけまへん! 基本メニューは「丸子」でとろろ汁・麦めし・味噌汁・香物・薬味で税込み1540円。私が注文したのは「百福」(写真)で、基本セットの「丸子」+揚げとろ(海苔2ヶ)・むかごの揚げ団子(1ヶ)・自然薯すったまんま(お手軽すりおろし体験)・珍味二種(むかごの和え物他)・甘味・フルーツで税込み3080円。「満福」という5280円(税込み)もあったが、刺身はいらないかな、と。14時閉店でなく、14時オーダーストップでした。
今回の街道歩きで数少ない明確な訪問ポイント「丁字屋」の「とろろ汁」。14時閉店とあり、走りました~ 子供の頃から憧れていた東海道五十三次のとろろ汁~ もう金に糸目はつけまへん! 基本メニューは「丸子」でとろろ汁・麦めし・味噌汁・香物・薬味で税込み1540円。私が注文したのは「百福」(写真)で、基本セットの「丸子」+揚げとろ(海苔2ヶ)・むかごの揚げ団子(1ヶ)・自然薯すったまんま(お手軽すりおろし体験)・珍味二種(むかごの和え物他)・甘味・フルーツで税込み3080円。「満福」という5280円(税込み)もあったが、刺身はいらないかな、と。14時閉店でなく、14時オーダーストップでした。
 安倍川。渡ったところにあべ川もち」の文字。「石部屋」(せきべや)。時間が時間で売り切れかと思っていたら、ありました! 人が良いのか、調子が良いのか微妙な店主(?)が出てきて「500円でいいよ」。もともとの値段はわかりませんでしたが、テイクアウトします。静岡によく仕事で行っていた時に、静岡駅の売店で期待して購入した「安倍川もち」(たぶん、パッケージの記憶から「やまだいち」)だと思うが、神戸のナダシンの「阿べ川」と比較して美味しくなかったので、こんかいの「あべ川」も期待していなかったのですが、美味しかった!!(⚠️味覚には個人差があります)
13日目は11時間、43キロ、清水に投宿。
安倍川。渡ったところにあべ川もち」の文字。「石部屋」(せきべや)。時間が時間で売り切れかと思っていたら、ありました! 人が良いのか、調子が良いのか微妙な店主(?)が出てきて「500円でいいよ」。もともとの値段はわかりませんでしたが、テイクアウトします。静岡によく仕事で行っていた時に、静岡駅の売店で期待して購入した「安倍川もち」(たぶん、パッケージの記憶から「やまだいち」)だと思うが、神戸のナダシンの「阿べ川」と比較して美味しくなかったので、こんかいの「あべ川」も期待していなかったのですが、美味しかった!!(⚠️味覚には個人差があります) 13日目は11時間、43キロ、清水に投宿。
 14日目。歌川広重の「由井 薩埵嶺」(ゆい さったれい)の浮世絵は知っていたが、それがどこからの眺めからも知らなかった。無論、薩埵峠の名勝も。前夜、ルートを地図で一夜漬けしながら、何でこんな山中通るの? 日没後だったらイヤだな~と思っていた場所。突然視界が開け・・・天気にも恵まれた!
14日目。歌川広重の「由井 薩埵嶺」(ゆい さったれい)の浮世絵は知っていたが、それがどこからの眺めからも知らなかった。無論、薩埵峠の名勝も。前夜、ルートを地図で一夜漬けしながら、何でこんな山中通るの? 日没後だったらイヤだな~と思っていた場所。突然視界が開け・・・天気にも恵まれた!
 この日1日、いろんな場所から、いろんな富士山を見ることができました。14日目、富士吉原に投宿。10時間、35キロ。
この日1日、いろんな場所から、いろんな富士山を見ることができました。14日目、富士吉原に投宿。10時間、35キロ。
 15日目。傘雲。これはこれで感動!
コースを逸れて片浜海岸にも足を延ばす。9時間、32キロ。三島に投宿。明日は箱根越え。
15日目。傘雲。これはこれで感動! コースを逸れて片浜海岸にも足を延ばす。9時間、32キロ。三島に投宿。明日は箱根越え。
 16日目。箱根越え。水や行動食を購入する前にコンビニのないエリアに入ってしまった。スカイウォーク。1100円。ま、値段くらいの価値はあったな。
16日目。箱根越え。水や行動食を購入する前にコンビニのないエリアに入ってしまった。スカイウォーク。1100円。ま、値段くらいの価値はあったな。
 三島から小田原までは箱根八里でGPSでも32キロと表示される。鈴鹿峠が東行き標高差434mだったのに対し、箱根越え東行きは1329mだが、六甲全山縦走からすると楽勝でした。須磨から高取山の方がハード。
三島から小田原までは箱根八里でGPSでも32キロと表示される。鈴鹿峠が東行き標高差434mだったのに対し、箱根越え東行きは1329mだが、六甲全山縦走からすると楽勝でした。須磨から高取山の方がハード。
 でも、ナイトハイクになってしまいました~ 途中でどっちがリアル東海道かわからなくなった箇所があったので、野生動物が出てきそうな山道を1キロほど引き返します。こんなところ六甲山のナイトハイクでも渡らんぞ・・・ アドレナリン完全に上がっちゃってます・・・
この日は、スカイウォークも混雑していて、小田原のホテルも満室状態。1泊素泊まり1万2千円もする部屋に泊まることに・・・
16日目、12時間、41キロ。
でも、ナイトハイクになってしまいました~ 途中でどっちがリアル東海道かわからなくなった箇所があったので、野生動物が出てきそうな山道を1キロほど引き返します。こんなところ六甲山のナイトハイクでも渡らんぞ・・・ アドレナリン完全に上がっちゃってます・・・ この日は、スカイウォークも混雑していて、小田原のホテルも満室状態。1泊素泊まり1万2千円もする部屋に泊まることに・・・ 16日目、12時間、41キロ。
 17日目。小田原から東京は道路で88キロとある。2日で歩き切るか3日かけて歩くか。どちらにしろ3日以内に東京に着きそうな目途が立った。国府津の前川で海岸線に下りてみました。
17日目。小田原から東京は道路で88キロとある。2日で歩き切るか3日かけて歩くか。どちらにしろ3日以内に東京に着きそうな目途が立った。国府津の前川で海岸線に下りてみました。
 花水橋から花水川、高麗山を見る。広重の浮世絵「縄手道」に重なる。
17日目の投宿は平塚。7時間で28キロ。神奈川の地名は聞き覚えはあっても、どこにあるかわからないので、平塚宿に。
花水橋から花水川、高麗山を見る。広重の浮世絵「縄手道」に重なる。 17日目の投宿は平塚。7時間で28キロ。神奈川の地名は聞き覚えはあっても、どこにあるかわからないので、平塚宿に。
 18日目。小田原から消化試合的な展開に。見どころも心なしか少なく思える。この日はここ遊行寺と崎陽軒のレストランくらいかな・・・ 横浜も関内がどこにあるかも知らず・・・ 10時間、40キロ。横浜駅(浅間神社)の近くに泊まる。
18日目。小田原から消化試合的な展開に。見どころも心なしか少なく思える。この日はここ遊行寺と崎陽軒のレストランくらいかな・・・ 横浜も関内がどこにあるかも知らず・・・ 10時間、40キロ。横浜駅(浅間神社)の近くに泊まる。
 19日目。たぶん今夜、日本橋にゴールするだろう。
才兵衛稲荷。昔、常陸國の信心深い村人が浄財を集め稲荷社を祀った。稲荷社に正一位の位を求め、苦心して5両の金を集め、折りしも同國を通りかかった旅の僧にその金を託した。その僧がここ子安で茶店に立ち寄り、一息入れ出立するも、金包みの荷がないのに気づく。どこを探しても金はなく、僧は悲観して海に身を投げて命を絶った。その僧の亡骸は何度沖に運んでも茶屋の裏に流れ戻り、不憫に思った村人が浜に稲荷を建てて祀った。この稲荷に正一位の位は付かなかった。才兵衛は僧の名前ではないと思われる。誰の名前なのかも定かではない。僧が関係しているためか、お稲荷様は神様にもかかわらず、この土地では神前に線香をあげる習慣がある。(¶)
賽銭箱はありませんでしたが、祠の前には500円玉が2枚置かれていました。
近くに「生麦事件碑」があるが、こちらの方が心に残った。
19日目。たぶん今夜、日本橋にゴールするだろう。 才兵衛稲荷。昔、常陸國の信心深い村人が浄財を集め稲荷社を祀った。稲荷社に正一位の位を求め、苦心して5両の金を集め、折りしも同國を通りかかった旅の僧にその金を託した。その僧がここ子安で茶店に立ち寄り、一息入れ出立するも、金包みの荷がないのに気づく。どこを探しても金はなく、僧は悲観して海に身を投げて命を絶った。その僧の亡骸は何度沖に運んでも茶屋の裏に流れ戻り、不憫に思った村人が浜に稲荷を建てて祀った。この稲荷に正一位の位は付かなかった。才兵衛は僧の名前ではないと思われる。誰の名前なのかも定かではない。僧が関係しているためか、お稲荷様は神様にもかかわらず、この土地では神前に線香をあげる習慣がある。(¶) 賽銭箱はありませんでしたが、祠の前には500円玉が2枚置かれていました。 近くに「生麦事件碑」があるが、こちらの方が心に残った。
 鉄道ガード下がトンネル状になっています。通行禁止ではない模様。自動販売機が稼働し、右の壁からは生活の音が・・・ なんか近づいてはいけないところに入ってしまった罪悪感。向こう側まで行く勇気もなく引き返します。JR鶴見線国道駅高架下。1949年の黒澤明作品『野良犬』をはじめ、『男女7人秋物語』『華麗なる一族』など、しばしば映画・ドラマのロケ地として使用された(※ Wikiより)場所らしい。引き返せないところまで行ってから、もっと探索すればよかった・・・と、かなり後悔⤵⤵⤵
鉄道ガード下がトンネル状になっています。通行禁止ではない模様。自動販売機が稼働し、右の壁からは生活の音が・・・ なんか近づいてはいけないところに入ってしまった罪悪感。向こう側まで行く勇気もなく引き返します。JR鶴見線国道駅高架下。1949年の黒澤明作品『野良犬』をはじめ、『男女7人秋物語』『華麗なる一族』など、しばしば映画・ドラマのロケ地として使用された(※ Wikiより)場所らしい。引き返せないところまで行ってから、もっと探索すればよかった・・・と、かなり後悔⤵⤵⤵
 六郷橋。川は多摩川。多摩川大橋より下流域では六郷川と呼ばれている。東京都に入ります! ついにお江戸だ~~!! 感無量!!!
六郷橋。川は多摩川。多摩川大橋より下流域では六郷川と呼ばれている。東京都に入ります! ついにお江戸だ~~!! 感無量!!!
 着いたぞ~日本橋!
東海道五十三次 19日でゴール! 品川あたりから雨になりレインウエア。21日でも髪の毛もヒゲもそれほど伸びなかったな・・・
着いたぞ~日本橋! 東海道五十三次 19日でゴール! 品川あたりから雨になりレインウエア。21日でも髪の毛もヒゲもそれほど伸びなかったな・・・
 もうひとつのゴール、東京駅。スタートは還暦誕生日にJR神戸駅前からでした。10時間、43キロ。銀座の定宿で泊まります。
もうひとつのゴール、東京駅。スタートは還暦誕生日にJR神戸駅前からでした。10時間、43キロ。銀座の定宿で泊まります。

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