活動データ
タイム
11:47
距離
21.6km
のぼり
1771m
くだり
2252m
チェックポイント
活動詳細
すべて見るGWのメインイベント、初の四国で、四国一美しいと称えられる縦走路を歩いてきました。 【四国一美しい縦走路へ】 四国第二の高峰、剣山から三嶺、そして天狗塚へ至る稜線はずっと開放感ある笹原の続くたおやかな稜線で、四国一美しいとも。石鎚山の絶壁が男性的であるとするならば、剣山は女性的。優しい尾根が20km以上も続く四国随一の縦走路です。 今年のGWは何をしようか思いつかなかったので、大学の山仲間に誘われるがまま四国…のはずが九州まで行ってしまったのですが笑 別府の先、臼杵より九八フェリーに乗って愛媛県八幡浜へ。東京起点で、初の四国がこんな意味不明なルートになる人、なかなかいない気がします…。まぁそれはともかく、気を取り直して元々の計画の剣山―三嶺縦走をするべく、酷道と名高い酷道438号を登っていきました。 【ルート概要】 危険個所はほぼほぼないので、どちらかというと所感メインです。 ◇劒神社~剣山◇ 参考にした記録が11月の3連休で全然人いなかったって書いてたのでちょっと油断してましたが、人で溢れてました。さすが緊急事態宣言のない久方ぶりのゴールデンウィーク…。町に賑わいが戻るのは嬉しいことですが、便利すぎる山は山らしさがあまりらしいのであんまり得意ではありません…。ちょっと辟易しつつ、劒神社にお参りします。リフトもありますが、心情的にはなるべく長い距離を登ることで山全体の魅力を把握したい(といっても今回は全然リサーチしてません笑)ので、神社からそのまま登り始めます。小一時間プラスになりますが、そもそもの登り始めが1400mと高いですし、急坂もなく整備が行き届いているのでそう苦労せず山頂へ。のっぺりしたイメージこそありましたが、木道・テラスが山頂一帯を覆い、山というより観光地。確かにテラスは眺めが良くて気持ち良いですけどね、四国に2座しかない百名山を登りに来たという気分の自分にとってはなんだか拍子抜け。でも四国第2の高峰で360度眺望が広がっており、景色は一級品。山頂の一等三角点が今まで見たことない立派な造り(紙垂まで掛けられて、御神体なのか…?笑)で驚きました。 ◇剣山~次郎笈◇ 剣山は別名太郎笈とも言い、対面の次郎笈と対になっています。確かに標高は剣山に次いで四国第3位で、剣山から見る次郎笈、そして次郎笈から見る剣山は山容も似ており、兄弟と言った様子。ルート自体は笹原を往くしっかりしたルートなので問題なし。関東で言うなら大菩薩みたいな感じですね。次郎笈まではリフトからピストンされる方も多いようです。笈と言えば二百名山”笈ヶ岳”が思い起こされますが、笈とはお坊さんが経文を収めて背負う木箱のことみたいです。笈ヶ岳は山容が笈を背負うお坊さんに見えるからの由来だそうですが、ここ太郎と次郎の笈は、2人の修行僧が笈を背負ってそれぞれの山に向かったからだそうです。神社も巨岩も多いですし、山容は優しいですが修験の場としての歴史を持つんですね~。 ◇次郎笈~白髪避難小屋◇ グッと人が少なくなり、静かで美しい山歩きが楽しめます。でも連休なので十数パーティは入山していました。気になるのは稜線の枯木の多いこと。景観的には面白いのですが、シカの食害が深刻そうで気掛かりでした。本格的に歩き始める前に、次郎笈水で2日分の水を汲みます。歩き始めが遅かったで水場のない丸石避難小屋に泊まることも視野に入れたのと、徳島の水50選だったので。水量は少なかったですがクセのない良い水でした。大剣神社には日本の名水百選が湧いていますが、先述の通り時間があまりなかったので泣く泣くカット。 道自体は相変わらず笹原の中をのんびり歩いて行けます。丸石からしばらくは森の中でしたけども、危険個所はありません。景観として印象的だったのは、日本一長い林道「剣山スーパー林道」の全然自然に溶け込んでない感じが面白かったのと、林道越しに見えた四国随一の峻険、石立山です。それからアケボノツツジやカタバミ、スミレといった春を告げる花。南の山なのでとっくに春めいているかと思っていましたが新緑は稜線までには来ておらず、やはりそれなりの高い山なんだということを実感。 丸石避難小屋は簡素な造りでしたがそれなりに手入れはされている感じです。避難小屋泊計画だったので小屋が満杯になってしまうことが懸念でしたが、この時点で丸石避難小屋に誰もいなかったので、白髪避難小屋まで進むことを決定。結局白髪避難小屋にも1番乗りでした(ただ、ほぼ同じタイミングで宿泊者あり。確かにリフトの始業時間に合わせるとこのくらいに集中しそうです。最終的に単独行2名、2人パーティ1組&3人組の我々となりました)。その後水を汲んだりご飯を作ったり。山の上で過ごす一夜、この上なく時間がゆったりしているので好きです。ちなみに水場への道はあんまりよろしくありません。フィールドメモにも残したのでそちらも参照ください。 ところで避難小屋泊、東北ですっかり馴染んじゃいましたが、他2人からするとイレギュラーなことのよう。そりゃ避難小屋って付いてるくらいですし、地域によっては本当の緊急時しか使っちゃいけませんってところもありますもんね。ちょっとその辺は感覚を人の多い山域にチューニングし直さなきゃと少し反省しました。 ◇白髪避難小屋~三嶺◇ 翌朝、ご来光&バスに乗るために夜明け前に出発。道は昨日と変わらず歩きやすく、ヘッ電でもへっちゃら。東熊山で日の出を見ます。1760mから断続的に鎖が続きますが、本当に岩場なのはごく一部。フィールドメモ挙げたので参照ください。このルートで一番まとまった坂になりますが、登り切れば山頂。昨日いた剣山から、遠く石鎚山まで四国中の山を見渡せて、眺望は素晴らしい。三嶺ヒュッテは東北の避難小屋レベルで綺麗で、素敵でした。そこから森の中をゆるゆる降りていくと名頃の集落に着きます。バスは激混みでした(マイクロバス&1日2本ゆえ…) 【歴史】 深田久弥は百名山を選出する際、品格・歴史・個性のある山にしたと後書きに残していますが、剣山も歴史の山。剣山のページには、まったく剣らしくない山の由来は大劒神社の巨岩による、とあります。続いて、それだけでなく安徳天皇が壇ノ浦から実は落ち延びておりその宝剣を納めたことによるとあります。ということは、もしかすると草薙の剣…!!?まぁ、草薙の剣は諸説ありますけれど笑。安徳天皇の件も真偽はともかく、深田さんも書いていますが、屋島や壇ノ浦も近く平家伝説の謂れについては他の山里より納得できます(仙台の定義山とか、鹿島槍のカクネ里とか、どちらかというと源氏の地盤ですしどうなんでしょう。ただ最盛期平家郎党は3,000人に及ぶと『新・平家物語』に書いてあった気がしますし、その勢力が日本中に落ちぶれたとなると、剣山から見下ろす山深い谷に家があるのも平家伝説と関係がある気がしてくるんですよね。 個人的には、ちょうど先日大河ドラマで安徳天皇入水のシーンがあったのでちょうどオンタイムで見てびっくりしちゃいました。あと、祖母が元々広島の世羅?だかでそこに平川という川があって、平家伝説が云々みたいなことを言っていたなと思い出し…。 それはさておき、ただの笹山(と言ってしまうと剣山に失礼ですが)のバックに眠る歴史を思うと何倍もロマンある山に見えてきますよね。 【地学】 四国って大部分付加体でできていて、剣山もその中にあるんですよね。付加体と言うのは、海洋プレートが大陸プレートに沈み込む際、海底に積もった泥が圧縮されて重なったものです。アップした画像をご覧いただくと分かりやすいですが、剣山周辺はミルフィーユ状に地質が分布していることが分かると思います。こんな感じで、海底の泥がどんどん付け加えられていくので付加体。この付加体の範囲を見てみると、日本の構造を二分する中央構造線の南(海洋プレート側)に分布している点が分かると思います。中央構造線の北はピンク色の花崗岩だったり、火成岩が広く分布していて、その名の通り中央構造線で地質が二分されているのが面白いですよね。今回も三嶺の手前で頁岩(海底の泥が圧縮されてできた岩。積み重なった泥が元々のため、こちらも多層構造をしている)を見つけ、今はこんなにも山の中なのに元々は海底だったという時の流れに思いを馳せてました。 ちなみに石鎚山は特例で、中央構造線の南側ですが火成岩になります。中央構造線の話はかなりダイナミックでなかなかイメージできないですが、日本列島の素が海洋プレートに乗り上げた際、地下にマグマが溜まって一時的に火山活動が活発化。紀伊半島も中央構造線の南にありながら古い火山活動の痕跡があるようですが、そんな活動が石鎚山でも見られたようです。それで四国では珍しいあの切り立った稜線が生まれているということですね。地質の違いは山の個性にもろに影響するのでなかなか面白いですね。 【地理】 山の個性という話では、剣山は地理的な特徴を多く持っています。 ①一等三角点 かつての地図の必須技術、三角測量ではどこからでも目立つ高地を結び合わせることで距離を算出していき、それらをつなぎ合わせ地図を作ります。その三角測量でにおいて第一の基準となるのが一等三角点。概ね20-40km範囲に1つしかなく、逆に言えば一等三角点がある地点はその範囲で一番目立つ山(高地)ということになります。剣山はやはり徳島県最高峰ということで堂々の一等三角点(しかも本点)。富士山は山頂が広すぎるからなのかどうかはわかりませんが、日本一の高さと言えど一等三角点ではないんですよね。一等三角点百名山と言うものもあるくらいなので、これもまた山の個性でしょう。 ②20万分の1図郭における数少ない山名 2万5千分の1地形図は、昔から山に登られている方なら馴染みがあるのではないでしょうか。国土地理院発行では更に縮尺の広い20万分の1地形図もありますが、この地形図名にを山が名乗っているのは剣山・開聞岳の2座だけです。関東の20万分の1地形図が水戸・宇都宮・千葉・東京・大多喜・横須賀とほとんど日本を代表する街の名が地図名になっていることを考えると、剣山・開聞岳が地図の名になっているのは山岳地理界にとってはかなりの快挙なのではないでしょうか。確かに「剣山」の地図範囲に主要な街はありませんが、 古くから慕われている山でなければ明治時代に第一版が作成された地図の名に載ってはこないでしょう。実際南アルプスでは2万5千の1地形図でも、山の名前が付いているのは「赤石岳」のみですし、中央アルプスに至っては山の名前は地図名としては全く出てきません。これもまた、剣山が昔から登山の対象(ここでいう登山は現代のアルピズム的な登山でなく、修験道や成人儀礼として登る対象であったという意味ですが)だったことの表れとも言えるでしょう。 ③国道の交差点 剣山の登山口見ノ越は日本三大酷道とされる国道439号(通称:与作)、同じくかなりの険路438号が交差しています。車で登っていると幾度と繰り返すヘアピンカーブに辟易しますが、国道ということは古くから往来があるということでもあります。事実三嶺の西の天狗塚の脇にはいざり峠という昔からの峠道があり、峠としては北アルプスに次いで以西最高点なんだそうです。道って基本的に人の交流・結び付きで発生するものですから、この山深い所であってもそれなりの往来があったという現れであります。ただ、見ノ越までの山道からは、もっと山に入っていってもっと高い所にある斜面に展開する集落が何度と見えましたからそれらの繋がりなんだということが分かります。分かりますが、なんでこんな山奥に集落が!?と驚くような景色ばかりだったので、そこが四国の面白い所なのかなと思います。 一番言いたいのはですね、深田久弥はそんな周囲の環境も含めて剣山一帯の個性を百名山に値すると見出したんだろうなということです。剣山の登頂があっさりすぎてちょっと拍子抜けだったのですが、よくよく考えればやっぱりすごい山なんだなということを感じております。 ということで、初の四国で四国一美しい稜線さんぽを満喫してきました。剣山だけだとちょっと楽しめなかった気がするので、欲張って石鎚・剣を弾丸日帰りするでなく、じっくり2日間歩いてその魅力をインプットできて良かったなと思います。
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