竜飛崎:北の大地は見えるか

2022.04.30(土) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
5 時間 6
休憩時間
3 時間 12
距離
5.5 km
のぼり / くだり
265 / 238 m
5 6

活動詳細

すべて見る

津軽半島最北端に突き出した岬、『竜飛崎(たっぴざき)』。天気の良い日には対岸・北海道の松前半島や津軽海峡を行き交う船舶を見晴らせるほか、時期によっては渡り鳥の群れも拝むことの出来る、景勝地として知られている。またかつて、本州と北海道を鉄路で結ぶ『青函トンネル』の建設にあたっては、本州側における工事の重要拠点ともなり、現在はその地下を北海道新幹線が走っているのだ。   一方、筆者にとっても、そんな『竜飛崎』は非常に気になるスポットではあったものの、中々足を運ぶことが出来ないままであった。かれこれ青森県に越してきてからもうすぐ2年になることであるし、いい加減そろそろ行ってみたい。そんな中で迎えた春の大型連休二日目、この日は同地も大変良好な晴れ模様に恵まれる様子である。しかるに、この好機を逸する手は無いというものだ。   かくして今回は、この『竜飛崎』を訪ねてみることとした。雄大な見晴らしと隧道工事のドラマを秘めた最果ての地に憧れを募らせつつ、早朝の自宅を出発する筆者であった。     <注意事項> ・後述の『青函トンネル記念館』は例年11月上旬~4月下旬の間、冬季休業となっていることに注意。公式ウェブサイト上の開館情報をよく確認してから訪れること。   <アクセス> ※データは全て令和4年4月30日現在のもの ・往路  08:00 JR三厩駅前バス停     三厩地区バス乗車  08:30 青函トンネル記念館バス停下車      運賃:100円 ・復路  14:55 龍飛崎灯台バス停     三厩地区バス乗車  14:27 JR三厩駅前バス停下車      運賃:100円   <観光後のいで湯> ・『ホテル竜飛崎』にて日帰り入浴が可能。料金は大人500円。ボディソープおよびリンスインシャンプーの備え付けあり。後述の通りレストランも利用できる。日帰り入浴可能な時間帯は基本的に12:00~20:00とされているが、この日は15:00までとかなり短くなっていたため、事前に問い合わせて確認した方が良さそうである。

増川岳 当日朝は、青森駅からJR津軽線に乗車。そののち、『蟹田駅』にていったんディーゼルカーに乗り換えて更に北を目指す。ここから先は非電化路線なのだ(厳密には、青函トンネルへ入る線路との分岐点となる『新中小国信号場』から先が非電化路線)。
当日朝は、青森駅からJR津軽線に乗車。そののち、『蟹田駅』にていったんディーゼルカーに乗り換えて更に北を目指す。ここから先は非電化路線なのだ(厳密には、青函トンネルへ入る線路との分岐点となる『新中小国信号場』から先が非電化路線)。
増川岳 その後ものんびりと鉄路の旅を楽しんだのち、津軽線の終着駅となる『三厩(みんまや)駅』へ到着だ。
この駅は、ローカル線の末端らしい旅情をくすぐられる雰囲気も魅力的。写真は駅ホームの反対側で、線路の先にはかつて車庫があったそうな。
その後ものんびりと鉄路の旅を楽しんだのち、津軽線の終着駅となる『三厩(みんまや)駅』へ到着だ。 この駅は、ローカル線の末端らしい旅情をくすぐられる雰囲気も魅力的。写真は駅ホームの反対側で、線路の先にはかつて車庫があったそうな。
増川岳 『三厩駅』からはコミュニティバスに乗り換えて『竜飛崎』へ向かう形となる。運賃は全区間100円とお手ごろだ。
ちなみに写真左側の駅舎は、昭和33年(1958年)の開業時の姿を留めているとのこと。
『三厩駅』からはコミュニティバスに乗り換えて『竜飛崎』へ向かう形となる。運賃は全区間100円とお手ごろだ。 ちなみに写真左側の駅舎は、昭和33年(1958年)の開業時の姿を留めているとのこと。
増川岳 マイクロバスに揺られること30分ほどで『竜飛崎』に到着。『竜飛崎』にもいくつかのバス停があるが、今回は『青函トンネル記念館』バス停に降り立った。
マイクロバスに揺られること30分ほどで『竜飛崎』に到着。『竜飛崎』にもいくつかのバス停があるが、今回は『青函トンネル記念館』バス停に降り立った。
増川岳 『青函トンネル記念館』は、その名の通り『青函トンネル』建設の軌跡を様々な展示を通して紹介する博物館だ。筆者もまず最初に当館を見学していくこととした。
『青函トンネル記念館』は、その名の通り『青函トンネル』建設の軌跡を様々な展示を通して紹介する博物館だ。筆者もまず最初に当館を見学していくこととした。
増川岳 『青函トンネル記念館』の目玉が、この『青函トンネル竜飛斜坑線』である。これはかつて、トンネル工事における作業員や物資の輸送に用いられたケーブルカー路線なのだ。『もぐら号』と名付けられた列車に乗り込み、中々お目にかかれない海底トンネルの裏側目指して出発だ。
『青函トンネル記念館』の目玉が、この『青函トンネル竜飛斜坑線』である。これはかつて、トンネル工事における作業員や物資の輸送に用いられたケーブルカー路線なのだ。『もぐら号』と名付けられた列車に乗り込み、中々お目にかかれない海底トンネルの裏側目指して出発だ。
増川岳 ケーブルカーは海面下140mの深みへ向かって急坂を下ってゆく。未体験の海底世界へ向かう車窓に、ワクワクが止まらない筆者であった。
ケーブルカーは海面下140mの深みへ向かって急坂を下ってゆく。未体験の海底世界へ向かう車窓に、ワクワクが止まらない筆者であった。
増川岳 ケーブルカーを降りると、その先には『青函トンネル』建設時、資材搬入などに用いられた作業用のトンネルが続いている。ここからはガイドさんに先導していただき、坑道を進んでいくこととなる。
ケーブルカーを降りると、その先には『青函トンネル』建設時、資材搬入などに用いられた作業用のトンネルが続いている。ここからはガイドさんに先導していただき、坑道を進んでいくこととなる。
増川岳 坑道内には、トンネル工事に用いられたトロッコや各種作業機械などが展示されており、往時の様相に思いを馳せつつ歩くことが出来た。
坑道内には、トンネル工事に用いられたトロッコや各種作業機械などが展示されており、往時の様相に思いを馳せつつ歩くことが出来た。
増川岳 坑道の先には、新幹線や貨物列車の行き交っているトンネルへ続く道もあるが、通常、そちらは閉ざされている。なお、先述のケーブルカーは現在も『青函トンネル』のメンテナンスのほか、万一の際の避難ルートとしても活用されているそうだ。
坑道の先には、新幹線や貨物列車の行き交っているトンネルへ続く道もあるが、通常、そちらは閉ざされている。なお、先述のケーブルカーは現在も『青函トンネル』のメンテナンスのほか、万一の際の避難ルートとしても活用されているそうだ。
増川岳 海底トンネルの見学を負えたら、再びケーブルカーに乗り込み地上へ。ちなみに地上側の駅には、トンネル内に生じる風圧の影響を避けるために可動式の隔壁が設置されており、ケーブルカーが待機している間は、そちらが線路を遮断するようになっている。
海底トンネルの見学を負えたら、再びケーブルカーに乗り込み地上へ。ちなみに地上側の駅には、トンネル内に生じる風圧の影響を避けるために可動式の隔壁が設置されており、ケーブルカーが待機している間は、そちらが線路を遮断するようになっている。
増川岳 続いては、本館の展示コーナーへ。こちらでは、『青函トンネル』建造プロジェクトの全容が各種資料や模型、映像などを通して紹介されている。当時、世界最先端の技術が結集されて掘削が進められた『青函トンネル』であるが、それでも坑内への出水など様々な困難に見舞われたそうである。現在、我々が北海道新幹線で気軽かつ安全に本州と北海道を行き来できるのは、ひとえに先人たちの偉大な知恵と努力の賜物なのだ。
続いては、本館の展示コーナーへ。こちらでは、『青函トンネル』建造プロジェクトの全容が各種資料や模型、映像などを通して紹介されている。当時、世界最先端の技術が結集されて掘削が進められた『青函トンネル』であるが、それでも坑内への出水など様々な困難に見舞われたそうである。現在、我々が北海道新幹線で気軽かつ安全に本州と北海道を行き来できるのは、ひとえに先人たちの偉大な知恵と努力の賜物なのだ。
増川岳 『青函トンネル記念館』の見学を終えたら、今度は周辺をのんびりと散策してみることにした。
『青函トンネル記念館』の見学を終えたら、今度は周辺をのんびりと散策してみることにした。
増川岳 こちらは『津軽海峡冬景色歌謡碑』。昭和52年、女優の石川さゆりさんが、この地をイメージして歌った歌謡曲『津軽海峡・冬景色』の歌詞が刻まれた石碑である。ちなみに台座の部分にある赤いボタンを押すと、同曲の2番が大音量で周辺一帯に響き渡るギミックも搭載されている。
こちらは『津軽海峡冬景色歌謡碑』。昭和52年、女優の石川さゆりさんが、この地をイメージして歌った歌謡曲『津軽海峡・冬景色』の歌詞が刻まれた石碑である。ちなみに台座の部分にある赤いボタンを押すと、同曲の2番が大音量で周辺一帯に響き渡るギミックも搭載されている。
増川岳 前述の歌碑付近から見下ろす、『帯島(おびじま)』。『竜飛崎』の先端に位置し、三角形の小さな山が並んでいる姿が印象的だ。
前述の歌碑付近から見下ろす、『帯島(おびじま)』。『竜飛崎』の先端に位置し、三角形の小さな山が並んでいる姿が印象的だ。
増川岳 『竜飛崎』には、『階段国道』として有名な国道339号線の一部区間も所在している。同路線は青森県弘前市から津軽海峡に至る国道だが、この『竜飛崎』にて、車両の通行できない区間を通る形となる。階段を含む国道としては、全国でも唯一の存在だ。
『竜飛崎』には、『階段国道』として有名な国道339号線の一部区間も所在している。同路線は青森県弘前市から津軽海峡に至る国道だが、この『竜飛崎』にて、車両の通行できない区間を通る形となる。階段を含む国道としては、全国でも唯一の存在だ。
増川岳 続いては、灯台の置かれた高台へ登ってみることとした。この灯台は昭和7年の初点灯以来、現在に至るまで津軽海峡を行き交う船舶の安全を支え続けている。
続いては、灯台の置かれた高台へ登ってみることとした。この灯台は昭和7年の初点灯以来、現在に至るまで津軽海峡を行き交う船舶の安全を支え続けている。
増川岳 先程の灯台の傍には展望台も置かれており、津軽海峡の見晴らしが抜群だ。ちなみに写真右奥の灰色の建物は、海上自衛隊の監視施設。この海峡の中央部は公海扱いのため、しばしばロシアの軍艦もやってくるそうな。
先程の灯台の傍には展望台も置かれており、津軽海峡の見晴らしが抜群だ。ちなみに写真右奥の灰色の建物は、海上自衛隊の監視施設。この海峡の中央部は公海扱いのため、しばしばロシアの軍艦もやってくるそうな。
増川岳 この日は天候にも恵まれ、津軽海峡の対岸に位置する、北海道南端部の峰々まで良く見晴らすことが出来た。この日の海峡は比較的静穏に見えたが、ひとたび時化ると船舶の航行に危険をきたす。昭和29年には、青函連絡船の『洞爺丸』が遭難して多くの犠牲者を生じており、その悲劇が『青函トンネル』建造構想を具現化させるきっかけとなったそうだ。
この日は天候にも恵まれ、津軽海峡の対岸に位置する、北海道南端部の峰々まで良く見晴らすことが出来た。この日の海峡は比較的静穏に見えたが、ひとたび時化ると船舶の航行に危険をきたす。昭和29年には、青函連絡船の『洞爺丸』が遭難して多くの犠牲者を生じており、その悲劇が『青函トンネル』建造構想を具現化させるきっかけとなったそうだ。
増川岳 ちなみに『竜飛崎』には太宰治など、この地に所縁のある様々な文豪の文学碑も立てられているが、こちらはそれらとは趣を異にする幕末志士の一人、吉田松陰の碑。この方も『竜飛崎』と何らかの縁があった模様である。
ちなみに『竜飛崎』には太宰治など、この地に所縁のある様々な文豪の文学碑も立てられているが、こちらはそれらとは趣を異にする幕末志士の一人、吉田松陰の碑。この方も『竜飛崎』と何らかの縁があった模様である。
増川岳 さて、そろそろお腹も減ってきたのでお昼ごはんといきたいところだ。今回は『ホテル竜飛崎』のレストランを利用。同館は温泉も擁しており、日帰り入浴も受け付けている。
さて、そろそろお腹も減ってきたのでお昼ごはんといきたいところだ。今回は『ホテル竜飛崎』のレストランを利用。同館は温泉も擁しており、日帰り入浴も受け付けている。
増川岳 『ホテル竜飛崎』のレストランでは地元の海の幸を中心とした充実のメニューが供食されているが、筆者は写真の丼ぶりをチョイス。これはウニとアワビをふんだんに使用したよくばりな逸品で、両者の味と食感のコントラストを愉しみつつ、大変美味しく頂くことが出来た。
『ホテル竜飛崎』のレストランでは地元の海の幸を中心とした充実のメニューが供食されているが、筆者は写真の丼ぶりをチョイス。これはウニとアワビをふんだんに使用したよくばりな逸品で、両者の味と食感のコントラストを愉しみつつ、大変美味しく頂くことが出来た。
増川岳 昼食を終えたら、『青函トンネル』建造において殉職された方々の慰霊碑にもお参りしていくこととした。同トンネルの全工程においては34名もの尊い命が失われており、現在の鉄路はその上に成り立っていることを忘れてはならない。そんな思いを胸に、しばし黙とうを捧げた。
昼食を終えたら、『青函トンネル』建造において殉職された方々の慰霊碑にもお参りしていくこととした。同トンネルの全工程においては34名もの尊い命が失われており、現在の鉄路はその上に成り立っていることを忘れてはならない。そんな思いを胸に、しばし黙とうを捧げた。
増川岳 その後は帰りのバスまでの時間が余ってしまったため、『ホテル竜飛崎』の温泉へ。まったりとお風呂を楽しんだのち、灯台直下のバス停からマイクロバスに乗り込み、帰途に就くこととした。
その後は帰りのバスまでの時間が余ってしまったため、『ホテル竜飛崎』の温泉へ。まったりとお風呂を楽しんだのち、灯台直下のバス停からマイクロバスに乗り込み、帰途に就くこととした。
増川岳 『三厩駅』からは再び列車で青森駅へ取って返すこととなるが、この時筆者が乗りこんだ便は先述の『蟹田駅』から先の列車への接続がかなり悪そうである。そこで少々贅沢だが、今回は途中から新幹線を利用することとした。津軽線をいったん『津軽二股駅』という駅で下車すると、その隣に北海道新幹線の『奥津軽いまべつ駅』がそびえ立っている。
・・・ただ、この駅は写真の通りそこそこ立派なたたずまいなのだが、周辺には駅に併設された道の駅以外に、民家や商業施設などは一切見当たらない、木々に囲まれた正真正銘の僻地である。鉄道ファンからは「新幹線の秘境駅」と呼ばれることもあるそうな。
『三厩駅』からは再び列車で青森駅へ取って返すこととなるが、この時筆者が乗りこんだ便は先述の『蟹田駅』から先の列車への接続がかなり悪そうである。そこで少々贅沢だが、今回は途中から新幹線を利用することとした。津軽線をいったん『津軽二股駅』という駅で下車すると、その隣に北海道新幹線の『奥津軽いまべつ駅』がそびえ立っている。 ・・・ただ、この駅は写真の通りそこそこ立派なたたずまいなのだが、周辺には駅に併設された道の駅以外に、民家や商業施設などは一切見当たらない、木々に囲まれた正真正銘の僻地である。鉄道ファンからは「新幹線の秘境駅」と呼ばれることもあるそうな。
増川岳 『奥津軽いまべつ駅』は橋上駅であり、なおかつ新幹線の線路は高い所にある関係上、駅舎の入り口からは結構な高さを登る必要がある。その階段は実に115段にも達し、全部登ると中々良い運動となる。なお、当然ながらエレベーターも設置されているため、筆者のような物好きでなければ、あえて階段を利用する必要は無い。
『奥津軽いまべつ駅』は橋上駅であり、なおかつ新幹線の線路は高い所にある関係上、駅舎の入り口からは結構な高さを登る必要がある。その階段は実に115段にも達し、全部登ると中々良い運動となる。なお、当然ながらエレベーターも設置されているため、筆者のような物好きでなければ、あえて階段を利用する必要は無い。
増川岳 『奥津軽いまべつ駅』の立地状況は上述の通りであり、日本全国の新幹線においても、最も利用者数の少ない駅となっている(令和4年4月30日現在)。しかし、当駅は本州側における『青函トンネル』の入り口に最も近い駅として設置されており、その維持管理に重大な役割を担っているのだ。
橋上駅舎の下には保線基地も広がっており、線路のメンテナンスに活躍する各種車両の姿を伺える。
『奥津軽いまべつ駅』の立地状況は上述の通りであり、日本全国の新幹線においても、最も利用者数の少ない駅となっている(令和4年4月30日現在)。しかし、当駅は本州側における『青函トンネル』の入り口に最も近い駅として設置されており、その維持管理に重大な役割を担っているのだ。 橋上駅舎の下には保線基地も広がっており、線路のメンテナンスに活躍する各種車両の姿を伺える。

活動の装備

  • 富士フイルム(FUJIFILM)
    フジノンレンズ XF16-80mmF4 R OIS WR
  • 富士フイルム(FUJIFILM)
    ミラーレス一眼カメラ X-T4 シルバー X-T4-S

もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。