高山峠:歴史を辿るハイキング

2022.04.29(金) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
3 時間 39
休憩時間
16
距離
16.9 km
のぼり / くだり
606 / 606 m
1 6
2 33

活動詳細

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江戸時代、日本橋から白河を経て函館を結ぶ交通路として整備が進められ、多くの人や物が行き交った『奥州街道』。そのうち、現在の青森県五戸町におけるチェックポイントの一つとなっていたのが、『高山峠(たかやまとうげ、277m)』だ。明治天皇も東北御巡幸の折、重鎮らと共にこの峠を越えており、平成8年(1996年)には文化庁により『歴史の道百選』のひとつにも指定されている。 さて、新年度の幕開け前後から続いていた仕事上のゴタゴタもひと段落し、無事に春の大型連休を迎えた筆者。しかしながら、肝心の予定は全く立っていないのが実情であった。ひとまず初日は、近場の山に足を運んで気分転換を図ろうと考えたものの、この日は午後から天気が崩れる模様である。どこか短時間で楽しめる山を、とガイド本をめくっていたところ、目に留まったのがこの『高山峠』であった。この峠を越える山路は、現在はお手軽なハイキングコースとなっている様子で、筆者宅からも比較的近いため、この機会に足を運んでおくのも良さそうである。そんな訳で本日はこの『高山峠』を目指して出発することとした。     <アクセス> ・『五戸町役場浅田支所(青森県三戸郡五戸町浅水浅水119)』をカーナビの目的地にセット。以降のルートは、当記事のログ並びに写真のキャプションを参照のこと。   ・公共交通機関の場合は、青い森鉄道『五戸駅』から『上浅水バス停』まで、本数は少ないが五戸町コミュニティバス西越線も利用可能。詳細は各種ウェブサイト等を参照のこと。

名久井岳  今回のスタート地点は、五戸町役場の『浅田支所』で、建物は地域の活性化センターとなっている。駐車場に車を停めたら支度を整え、まずは登山口へ向かう。
今回のスタート地点は、五戸町役場の『浅田支所』で、建物は地域の活性化センターとなっている。駐車場に車を停めたら支度を整え、まずは登山口へ向かう。
名久井岳  県道沿いに南西方向へ少し進むと、右手に駐在所が見えるので、その反対側へ折れる脇道が『奥州街道』の古道への入り口だ。同所には道標と案内看板も立っている。
県道沿いに南西方向へ少し進むと、右手に駐在所が見えるので、その反対側へ折れる脇道が『奥州街道』の古道への入り口だ。同所には道標と案内看板も立っている。
名久井岳  急坂を経て小さな集落を抜けると、足元は砂利の敷かれた作業道となる。なお今回の山路は終始、車両の通行可能な林道の様相を呈しており、登山道というよりもハイキングコースと呼んだ方が適切かもしれない。
急坂を経て小さな集落を抜けると、足元は砂利の敷かれた作業道となる。なお今回の山路は終始、車両の通行可能な林道の様相を呈しており、登山道というよりもハイキングコースと呼んだ方が適切かもしれない。
名久井岳  果樹園を過ぎ、引き続き緩やかな道程を進むと、別方向から延びる車道との分岐点へ。ここはそのまままっすぐ(写真左側)進めば大丈夫だ。
果樹園を過ぎ、引き続き緩やかな道程を進むと、別方向から延びる車道との分岐点へ。ここはそのまままっすぐ(写真左側)進めば大丈夫だ。
名久井岳  やがて、林道脇に『水梨清水』という湧水スポットが現れる。かつて、明治天皇も口にされたという名水だ。
やがて、林道脇に『水梨清水』という湧水スポットが現れる。かつて、明治天皇も口にされたという名水だ。
名久井岳  なお、『水梨清水』の傍には東屋とお稲荷様を祀る祠も建っており、一つのチェックポイントとなっている。筆者も『水梨清水』で喉を潤し、祠で山行の無事を祈願したら再び出発だ。
なお、『水梨清水』の傍には東屋とお稲荷様を祀る祠も建っており、一つのチェックポイントとなっている。筆者も『水梨清水』で喉を潤し、祠で山行の無事を祈願したら再び出発だ。
名久井岳  道中、いったん木立を抜けると右手側が大きく拓けた箇所に。この場所にも脇道への分岐点があるが、そのまま直進する形となる。
道中、いったん木立を抜けると右手側が大きく拓けた箇所に。この場所にも脇道への分岐点があるが、そのまま直進する形となる。
名久井岳  その後も、時々やってくる軽トラックに気を付けつつ変化に乏しい道のりを進むと、『駕籠立場』と記された道標が立っている。
その後も、時々やってくる軽トラックに気を付けつつ変化に乏しい道のりを進むと、『駕籠立場』と記された道標が立っている。
名久井岳  先程の分岐点から左手に折れ、わずかに急な斜面を登れば、無事山頂広場へ到着だ。同所には立派な木製の展望台も建てられているが、老朽化のためか、残念ながら立ち入り禁止とされている。
先程の分岐点から左手に折れ、わずかに急な斜面を登れば、無事山頂広場へ到着だ。同所には立派な木製の展望台も建てられているが、老朽化のためか、残念ながら立ち入り禁止とされている。
名久井岳  山頂広場には、明治天皇御巡幸の記念碑も立っている。現代のような交通網が発達していなかった時代、この峠も重要な交通の要衝だったのだ。
山頂広場には、明治天皇御巡幸の記念碑も立っている。現代のような交通網が発達していなかった時代、この峠も重要な交通の要衝だったのだ。
名久井岳  ちなみに三角点の置かれた本峰の最高地点は、山頂広場よりももう少し東側に位置している。しかしながら、同所周辺は完全に藪に閉ざされていたため、結局断念して下山の途に就くこととした。
ちなみに三角点の置かれた本峰の最高地点は、山頂広場よりももう少し東側に位置している。しかしながら、同所周辺は完全に藪に閉ざされていたため、結局断念して下山の途に就くこととした。
名久井岳  下山にあたっては往路と反対側へ進み、引き続きかつての峠越えの道筋を辿ってみることとした。山頂広場から少し下ると右手が大きく拓けた展望スポットが出現。青森県の名峰である『戸来岳(へらいだけ、写真左奥)』および『八甲田山(八甲田山、写真右奥)』の姿を見晴らす大パノラマが広がっている。
下山にあたっては往路と反対側へ進み、引き続きかつての峠越えの道筋を辿ってみることとした。山頂広場から少し下ると右手が大きく拓けた展望スポットが出現。青森県の名峰である『戸来岳(へらいだけ、写真左奥)』および『八甲田山(八甲田山、写真右奥)』の姿を見晴らす大パノラマが広がっている。
名久井岳  その後もしばらく、緩やかなアップダウンを繰り返しつつ、轍の刻まれた道程をのんびりと進む。
その後もしばらく、緩やかなアップダウンを繰り返しつつ、轍の刻まれた道程をのんびりと進む。
名久井岳  そののち、にわかに下り坂が急になると谷あいの地形に入る。次第に木立が拓けてくれば、下山先まであと少しだ。
そののち、にわかに下り坂が急になると谷あいの地形に入る。次第に木立が拓けてくれば、下山先まであと少しだ。
名久井岳  そして、再びの果樹園や水道施設の脇を抜けると県道に合流。これにて無事下山完了である。
そして、再びの果樹園や水道施設の脇を抜けると県道に合流。これにて無事下山完了である。
名久井岳  下山先からは、県道を歩いてスタート地点への帰還を目指すことした。ちなみに写真のトンネルの手前までは、先程までの山路よりショートカットコースも分岐している様子である。
下山先からは、県道を歩いてスタート地点への帰還を目指すことした。ちなみに写真のトンネルの手前までは、先程までの山路よりショートカットコースも分岐している様子である。
名久井岳  ・・・が、あらかじめ覚悟はしていたもののこの道程は非常に長い上に退屈で、想像以上にしんどいものがあった。上空にも次第に灰色の雲が立ち込める中、ひたすら無心でスタート地点への果てしなき道を歩き続ける。
・・・が、あらかじめ覚悟はしていたもののこの道程は非常に長い上に退屈で、想像以上にしんどいものがあった。上空にも次第に灰色の雲が立ち込める中、ひたすら無心でスタート地点への果てしなき道を歩き続ける。
名久井岳  『高山峠』の頂から折り返しておけば良かったと後悔しつつもアスファルトの道程を頑張り続けた末、最初の分岐点への目印となった駐在所(写真左)が見えた時には心底ホッとさせられた。何より、本格的に雨が降り始める前に山行を終えられたのは今回最大の僥倖である。
『高山峠』の頂から折り返しておけば良かったと後悔しつつもアスファルトの道程を頑張り続けた末、最初の分岐点への目印となった駐在所(写真左)が見えた時には心底ホッとさせられた。何より、本格的に雨が降り始める前に山行を終えられたのは今回最大の僥倖である。

活動の装備

  • 富士フイルム(FUJIFILM)
    フジノンレンズ XF16-80mmF4 R OIS WR
  • 富士フイルム(FUJIFILM)
    ミラーレス一眼カメラ X-T4 シルバー X-T4-S

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