平田城跡 別名白米城(まつたけじょう)

2022.04.24(日) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
17
休憩時間
0
距離
497 m
上り / 下り
22 / 35 m
18

活動詳細

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2022年4月22日(日) お昼頃に耶馬渓に着いて、ランチを摂り、耶馬溪橋,馬溪橋,大正橋、青の洞門(ネモフィラ)を観て、古羅漢にも行って帰宅していたつもりでしたが・・・ 途中に見た「平田城跡」の案内板が気になったらしく、せっかくここまで来たなら。。。と言い出すダンナ(様)。 「せっかくここまで来たなら」はいつものセリフです。 はい運転手が良ければどうぞ☺ で、案内に従い行くと駐車場が有りました。 駐車場の横の道を登っていくと、右手に建物があったので、えっもう着いた?と思いましたが、そこはお墓でその先に道あり。 道案内を見ると車道と歩道と書かれていて、「えっ車で行けたん?」と思いましたが、歩道を進みました。歩道の途中でヤマップを起動させてログを取りました。 こうして,弾丸日帰り耶馬溪観光を終えましたが,非常に自然豊かな良い土地でした。 紅葉🍁の季節にも訪れたいですね♪ - - - - - -平田城址-  『中津市教育委員会説明板』より。 平田城は別名白米城(まつたけじょう)ともいい、建久年間(1190~99年)長岩城主野仲重房により築城されたと伝えられている。 天正年間(1573~92年)前半には平田掃部介(かもんのすけ)が城番として居城していた。 天正十五年(1587年)黒田官兵衛が豊前国6郡を拝領し入国すると、野仲鎮兼はこれに反抗し家臣と共に長岩城に立て籠もった。 黒田勢は長岩城を攻め落とし、官兵衛は戦功のあった栗山備後守利安に野仲氏の旧領6千石を与えた。 栗田備後は平田城主となり、城を改修し現在もこの時築かれた石垣の一部が残っている。 「黒田騒動」で名高い栗山大膳(栗山備後の長子)はこの城で少年期を過ごしている。 白米城(まつたけじょう)  平田城は別名・白米城と記され、これを「まつたけじょう」と読む。いわゆる「当て字」だが、その由来ははっきりしないものの、所在する地区名が「町丈」であること、また田圃が広く米の生産に恵まれていたことからきたものだろうといわれている。現在の「平田城」とされたのは近年らしい。

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