活動データ
タイム
02:33
距離
8.1km
のぼり
172m
くだり
172m
チェックポイント
活動詳細
すべて見る(今回のレポは、思い出に残したい一日の日記として、こまか~く綴っています。あまりに主観と私生活的内容なのでコメントは閉じさせてもらいました。) この日の前日、21時前までは、日常の時間が流れていた。 息子の高校のクラブが出場校にきまっていた、3月に行われるはずだった全国高校選抜大会。 東北での地震があり苦渋の中止が決まり、途方もなく落胆していた息子や仲間、その保護者たち・・・。 だが、関係者の尽力のおかげで東京開催が決まり、先日送り出し、明日が息子の団体戦の本番試合。 晴れて大阪代表の高校メンバーに名を連ねることができ、時勢柄、無観客開催となったため、我々は自宅でライブ動画配信を楽しみに、明日は卓球レッスンもお休みしてスタンバイしていた夜だった。 仲間がでた個人戦種目は本日実施され、仕事のあと家事におわれていた私は、ようやく腰をすえてpc前で、仲間のユーチューブ動画を開き、コート番号を確認。仲間を見つけたときに、ふと目が留まる。 「!」と、見開いてしまう、その背中に…。 全身が凍りつく。 …ゼッケンをつけ間違えている、あたし、息子に。 この時の一瞬の恐ろしさと、とてつもない衝撃は今でも忘れられない。 息子の名が印刷された名入りゼッケンを縫い付けたのは、私である。仲間の背中をみて気づいた。 私は従来大会で使用していた、名入りのものを縫い付けてしまった。同じような青色…!なんて失態。選抜大会でつけるべくいただいたものが…ここにあるじゃないの…。 丁寧に心を込めて1時間以上かけてアイロンをかけたのだが、そのあとにゼッケンを縫い付けたときは、気がそぞろだったことに猛省。 大変なことになった…。何とかしなければ!「全国選抜大会」と、選ばれたものが名を入れてもらってるゼッケン、代わりなど無い。わたしがこれを届けなければ…!他の選択肢は考えられなかった。 新幹線を調べる、早朝は間に合うか?、ぎりぎりだ、だめだ。同時に息子と監督に電話をする。何とか朝、関係者に話してみるといってくれたが、今回、中止のちに大会が開催されることになり、悦び溢れた選手ら子供たちの顔、日々の努力と汗と涙、必死でつかんだ夢の切符…。これを私のミスで、万が一の出場不可として、団体欠場などということで、つぶすわけにはいかない! そしてなにより、全力で力を発揮する夢の全国の舞台で、息子と仲間に恥ずかしい思いをさせるほど心悔やむものはない。 零時すぎの出雲からくる寝台もあるが、まずは高速バスを調べる、1時間間際の予約はできないバスもある、ようやく見つけてネット予約。 電話でタクシー手配、急いでシャワーを浴びナップサックに必要と最低の荷物をつめこむ。衝撃のミスを知った1時間15分後には、予約も済み、自宅にタクシーを呼んでいた。 仕事で帰宅の遅い主人には事の顛末を電話で話し、「気をつけてあわてるなよ、充電へるからホテルで会えたときまで連絡はいいから」、と言ってもらい、寝てる娘には、ねぼけながらも理解してもらい、トラブルがないことを祈りながら大阪駅のバス乗り場へ。 ミスも、この急な判断も、監督も息子ら仲間も驚いていたが、団体戦出場不可の可能性があるかぎり、その現実を生むわけにはいかない衝動で、行動していた。 朝、渋滞もなく無事に夜行バスは東京へ。東京は10年以上きてない。慣れない地下鉄に乗ってるときも、車両事故とかで止まらないで、お願い…と祈る。無事に時間までにホテルに着かせてください…! ホテルロビーの息子と仲間達、監督のところへ着いたときには、思いがけず、涙があふれた。情けなさと、無事にここにこれたありがたさで、頭があがらなかった。よくきてくれたよ、うちのオカンしかこれは無理だ、と笑って肩をだいてくれた優しい息子に謝りながら、縫い付けた。気づくのが遅かったら?ただそれだけは、現実にしたくなかったのだ。 すべてのタイミングが、神がかったように、うまく流れてくれた。機を逸しず、できることをすぐに行動にうつせて、風のようにスムーズに流れてくれたありがたさ。神様か、ご先祖様か。感謝しかなかった。 自分は子離れできない親を自覚しているのだが、この私の愛も伝わったのか、息子らの高校は勝ち進み、メダルマッチまでいき、全国五位という快挙を果たせた。 無観客開催のため、会場へはいる選手の背中を見送ってから、私は駅のホームのベンチで、少しの音量で臨場感を感じながら、手に汗握って応援していた。動画を食い入るように見て、祈る、精一杯がんばれ!長年、この好きなことをやってきた集大成だよ、と。 ひとり熱くなってた駅のホーム、主人や保護者仲間は自宅で観戦、連絡を随時取りあい、興奮を分かち合っていた。 ほんと子供たちがくれる感動はなんてキラキラしてるんだろう。 なにか、どこか日頃贅沢になってる自分がいて、この純粋な感動をもらえたことに、ただ感謝だった。 母はこどものためなら、なんでもできる。してあげれるものなら、なんでもさせてほしい、力のかぎり。 そう思って、ここ、東京にきた私がいる。 ヤマップを起動して歩こうと思ったのは、午後から。 写真は、午後から、試合がおわり、あとは大阪に帰るだけになったとき、さぁ、どこへいこう?と思った。 座っていた駅からお台場が近かったので、そこを歩いてみようかと。 フォローさせてもらってる『力愛不二』さんが、ここを歩かれてたことを思い出し、軌跡を参考にさせてもらった。 スタートは東京テレポート駅。 「踊る捜査線」の音楽が鳴るホームから下車して、歩きだす。 呼んでくれて、私たち親子を無事にうけいれてくれた街、東京。 ここを上からみたいな、そう思ってチケットをかってみた観覧車。今年8月には閉設らしい。ひとりで乗る観覧車は生まれて初めてだ、それもシースルー。青い海と大都会、素晴らしい眺望が広がる。 お台場、という名の由来となった、砲台跡が残る遺跡をたずねる。 緑の草地になっていて、三角点もあり、山から離れられないな~と苦笑い。巨樹の桜にもあえて、これまた私がここにくる縁があったのか?と思う嬉しさ。 東京湾の浜辺をあるき、レインボーブリッジの遊歩道を歩きだす。 さっきは東京湾を観覧車からみたので、今度は都心側を水平線沿いに、みながら歩く。手すりの色が、歩くたびに徐々にかわるグラデーション、まさに虹色になっていた。 知らない街を歩いて、その空気に受け入れてもらって、自分の心身を整えて、ホームに帰る。 小学生たちの下校時刻、品川のマンション群の下で、黄色い旗を持ち、こどもたちの安全をみまもる年配の方たち。 東西、どこも同じ風景があふれてて、そこにあるのは、人を想う愛と優しさだな・・・と。 品川駅へ着いたときには、迎え入れてくれた東京に感謝しかなかった。 なぜかここを歩くことになった不思議なご縁。 そしてまた日常へ戻らせてもらうありがたさ。 ひとは皆、自分の居場所がある。そこで全力を尽くすのが、生きることなのだろう。 ありがとう、東京。 キラキラした一日、また大阪で、それを創ろう。
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