山田〜下狭川〜笠置山〜千手滝捜索〜大神田双体磨崖仏〜笠置城横堀〜阿蘇城堀切

2022.04.01(金) 日帰り

活動データ

タイム

08:59

距離

33.1km

のぼり

1814m

くだり

1825m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
8 時間 59
休憩時間
21
距離
33.1 km
のぼり / くだり
1814 / 1825 m
53
1 58
15
6
1 34
18
1
8

活動詳細

すべて見る

今回の探検の目的は、山田と下狭川を結ぶ道の途中にある分岐がどこへ行くのか確かめることと、笠置山の東山にある千手滝を探すこと、そして、阿蘇城跡を見てくることでした。結局、千手滝は見つかりませんでしたので、また次回以降の課題です😅。 笠置寺では、受付におられた前のご住職からいろいろなお話を伺うことができました。たいへん興味深いお話でしたので、備忘録としてこちらにも書き残しておこうと思います。私の聞き間違いや記憶違いなどにより、不正確な部分もあると思いますので、その辺りご注意ください。 <千手滝> 千手滝には清水寺の千手観音が姿を現したという伝承がある。それで笠置寺の東の谷を観音谷という。子どもの頃千手滝で滝登りをして遊んだことがある。それくらい当時も水量はなかった。落ち口が50センチぐらいだが、それが岩の上を滑り落ちるように流れて、最後は幅が2、3メートルになった。 昔は木が今ほど茂っていなかったから、虚空蔵菩薩のあたりからよく見えた。冬は滝が白く凍っているのが見えた。今は、木を切りたくても、国からいろいろ規制がかかっていて切ることができない。かつては一帯が笠置寺の寺領だったが今は個人所有になっているから、勝手に道を作るわけにもいかない。 昔は舎利殿のあたりから谷底へ降りる道があった。その道は木津川まで続いていた。しかし国鉄が線路に柵をして塞いでしまった。線路沿いに東海自然歩道もあることだから、歩く人もいると思うのだが、万が一にも事故があると困るということだった。他にも通れなくなったり忘れられた道はたくさんある。 <殿様街道> 柳生から笠置の飛鳥路まで、昔、柳生の殿様が江戸に出るのに通った殿様街道と呼ばれる道がある。かつてはこの辺りの小学生は、殿様街道を通って柳生に行くのが、遠足の定番だった。殿様街道をハイキングコースとして整備した時は山の持ち主も賛成していた。 ところが途中に水場まで作ったところ、そこで火を使う奴が出てきた。ひどい時には年に数回も山火事があった。それで山の持ち主もあまり人を通したくないということになった。今はゴルフ場ができたし、下の方が崩れて通れないと聞いた。(注:ゴルフ場迂回路はあるものの荒れてます。 https://yamap.com/activities/15914579 ) 殿様街道の飛鳥路へ下る坂道は「泣き坂」という。柳生のお姫様が、江戸へ向かう時、いよいよここを下ると故郷を離れるということで泣いたから「泣き坂」。そうして名前がある道でも消えていく。山中にはいろいろな史跡や文化財があるのに、行けなくなっている。 <石あて地蔵> 「全国あちこちに水かけ不動や砂かけ地蔵はある。しかし笠置にだけ石あて地蔵がある。」と、ある大学教授が言っていた。自分も子どもの頃は、大神田にメダカを取りに行く時など、石を当てるものだと思っていたから、石あて地蔵に必ず石を当てていた。 それが道路拡幅でザーッと石をのけてみたら、石の下には台座しかなかった。その後は現地に看板も何もないから、石あて地蔵のことを知っている者もほとんどいなくなった。石あて地蔵の言われ(http://town.kasagi.lg.jp/contents_detail.php?frmId=494)を書いた看板を立ててくれても良さそうに思う。 <上人井戸:貞慶が掘ったと伝わる井戸> 上人井戸は舎利殿から墓地道を少し降ったところにある。確か後醍醐天皇630年忌事業として、当時は水道が山の上まで来ていなかったので、上人井戸を防火水槽にした。井戸から湧いた水をコンクリートのタンクに貯めるもの。今でもポンプ室が残っている。 今は山の上にも水道が来ているので、上人井戸の水は使っていない。元々上人井戸の水は、谷の方にある田んぼに引いていた。(感想:上人井戸は水が自噴するような井戸だったらしい。上人井戸近くの平坦地は田畑にされていた時代もある??) <墓地道> 墓地道は危ないので行けない。通りたいという人には7月の第四日曜に、地域で墓地道の清掃と道づくりをするから、その時に来ると良いと伝えている。その時は綺麗な道になるが、その後は猪が道を掘り返している。猪のために道を作っているようなものだ。 <上人墓> 貞慶上人は般若台に住んでいたわけではない。今の上人墓の近くにあった観音堂に住んでいた。そこから日々谷越しに弥勒像を眺めていた。死後も同じように弥勒像を眺められるよう、あの場所に上人墓がある。それが今では樹木で何も見えない。樹木の高さを低くするのも許可してもらえない。 →前のご住職は、もうじき90歳になるから、自分が覚えていることや伝え聞いたことを書き残さないといけない、昔は口伝だったが書き残すことが大事だとおっしゃって、生きているうちに残すべきものを残さなければと熱い思いを抱いておられるようでした。とは言え声に張りがありまだまだお元気です☺️

奈良市(東エリア) こんなところから高の原イオンが見えました。
こんなところから高の原イオンが見えました。
奈良市(東エリア) 下狭川下垣内城跡( https://yamap.com/activities/16018609 )の北側の山裾はこんな急斜面でした。ここからお城に攻め入るのは難しそうです😅。
下狭川下垣内城跡( https://yamap.com/activities/16018609 )の北側の山裾はこんな急斜面でした。ここからお城に攻め入るのは難しそうです😅。
奈良市(東エリア) 東側の山裾から山城跡のある方を見上げたところ。
東側の山裾から山城跡のある方を見上げたところ。
奈良市(東エリア) 奈良市下狭川町の田園風景。あちこち花が咲いていてきれいでした。
奈良市下狭川町の田園風景。あちこち花が咲いていてきれいでした。
奈良市(東エリア) 下垣内八幡宮(安養寺跡)の十九夜講碑(寛政十年(1798))。
下垣内八幡宮(安養寺跡)の十九夜講碑(寛政十年(1798))。
奈良市(東エリア) 二つ前の写真はこの写真の奥から撮りました。
二つ前の写真はこの写真の奥から撮りました。
奈良市(東エリア) 奈良市下狭川町寺坂橋付近の磨崖仏。阿弥陀磨崖仏の左右に年号があるとのこと。「天文八年(1539)己亥 二月十五日 与三郎」。
奈良市下狭川町寺坂橋付近の磨崖仏。阿弥陀磨崖仏の左右に年号があるとのこと。「天文八年(1539)己亥 二月十五日 与三郎」。
奈良市(東エリア) 左上の岩に六地蔵も彫られています。こちらも同時代のものだそうです。
左上の岩に六地蔵も彫られています。こちらも同時代のものだそうです。
奈良市(東エリア) 六地蔵磨崖仏は苔などに覆われわかりにくくなっていました。
六地蔵磨崖仏は苔などに覆われわかりにくくなっていました。
奈良市(東エリア) 境の神(弁財天社?)
境の神(弁財天社?)
奈良市(東エリア) この道の奥に大きな岩と小さな祠があります。
この道の奥に大きな岩と小さな祠があります。
奈良市(東エリア) 笠置寺弥勒石。56億7千万年後にこの世に現れる弥勒如来像が彫られていましたが、元弘の乱、笠置山の合戦で焼かれ、岩肌が剥離し、弥勒像は失われてしまいました。
笠置寺弥勒石。56億7千万年後にこの世に現れる弥勒如来像が彫られていましたが、元弘の乱、笠置山の合戦で焼かれ、岩肌が剥離し、弥勒像は失われてしまいました。
奈良市(東エリア) 笠置寺縁起絵巻に、笠置寺千手窟の左側にある金剛界石あたりに法輪のようなものが描かれているので( https://twitter.com/mirokunomichi/status/1468124048899321857 )、じっくり見てみたんですが、それらしいものは何も見つかりませんでした。
笠置寺縁起絵巻に、笠置寺千手窟の左側にある金剛界石あたりに法輪のようなものが描かれているので( https://twitter.com/mirokunomichi/status/1468124048899321857 )、じっくり見てみたんですが、それらしいものは何も見つかりませんでした。
奈良市(東エリア) 千手窟。かつてはここに洞穴があり、弥勒菩薩のおわす兜率天に通じていたと言います。
千手窟。かつてはここに洞穴があり、弥勒菩薩のおわす兜率天に通じていたと言います。
奈良市(東エリア) 伝虚空蔵菩薩像。兜率天の弥勒菩薩像(上生像)とも言われます。
伝虚空蔵菩薩像。兜率天の弥勒菩薩像(上生像)とも言われます。
奈良市(東エリア) 笠置寺虚空蔵菩薩磨崖仏のあたりから千手滝が見えるとのことでしたが、樹木が生い茂っていて全くわかりませんでした。
笠置寺虚空蔵菩薩磨崖仏のあたりから千手滝が見えるとのことでしたが、樹木が生い茂っていて全くわかりませんでした。
奈良市(東エリア) 平等石の上から見渡してもやっぱりわからず。千手滝は岩の上を滑るように流れる滝だというのですが…。
平等石の上から見渡してもやっぱりわからず。千手滝は岩の上を滑るように流れる滝だというのですが…。
奈良市(東エリア) ちなみに平等石の下はくぐれます☺️。奥で平等石の下のトンネルが、90度左に折れ曲がり、折れ曲がったところを這って進むと、外に出られます。
ちなみに平等石の下はくぐれます☺️。奥で平等石の下のトンネルが、90度左に折れ曲がり、折れ曲がったところを這って進むと、外に出られます。
奈良市(東エリア) 出口は縦長です。
出口は縦長です。
奈良市(東エリア) 二の丸跡からの木津川上流方向の眺め。
二の丸跡からの木津川上流方向の眺め。
奈良市(東エリア) 貝吹き岩付近からの木津川下流方向の眺め。
貝吹き岩付近からの木津川下流方向の眺め。
奈良市(東エリア) 最近笠置寺にはボルダリングエリアができたそうで、正月堂の少し下から、観音谷の底まで降りられるようになっていました(清掃協力費500円が必要)。で、千手滝が下から見られるというので、降りてみました。いくつかそれっぽ谷筋はあったものの、水が地表を流れていないので、どれが滝やらわからず😅
最近笠置寺にはボルダリングエリアができたそうで、正月堂の少し下から、観音谷の底まで降りられるようになっていました(清掃協力費500円が必要)。で、千手滝が下から見られるというので、降りてみました。いくつかそれっぽ谷筋はあったものの、水が地表を流れていないので、どれが滝やらわからず😅
奈良市(東エリア) 観音谷の谷底には大きな岩がたくさん積み重なっていました。そこかしこにラミネートされた札がぶら下がっていて、そこにそれぞれの岩の登り方と「8級」といった難しさのランク?が記されていました。道の踏み跡が濃く、結構人が来ているようです。

谷底のこう言った岩の下を水が流れているので、谷底の地面には、どこが陥没するかわからない怖さがありました。
観音谷の谷底には大きな岩がたくさん積み重なっていました。そこかしこにラミネートされた札がぶら下がっていて、そこにそれぞれの岩の登り方と「8級」といった難しさのランク?が記されていました。道の踏み跡が濃く、結構人が来ているようです。 谷底のこう言った岩の下を水が流れているので、谷底の地面には、どこが陥没するかわからない怖さがありました。
奈良市(東エリア) 笠置寺の下から木津川まで谷底に道があったなら、谷の一番上の大神田から木津川まで、ずっと谷沿いに道があったとしてもおかしくないかなあと思うわけです。
https://twitter.com/mirokunomichi/status/1370041756520116224

そこで、良い子は真似をしてはいけませんが、ボルダリングエリアを離れ、谷を遡ってみました。観音谷は大きな岩がたくさんあり、神秘的な場所でした。写真は五階建ての建物ほどの大きさがある岩。
笠置寺の下から木津川まで谷底に道があったなら、谷の一番上の大神田から木津川まで、ずっと谷沿いに道があったとしてもおかしくないかなあと思うわけです。 https://twitter.com/mirokunomichi/status/1370041756520116224 そこで、良い子は真似をしてはいけませんが、ボルダリングエリアを離れ、谷を遡ってみました。観音谷は大きな岩がたくさんあり、神秘的な場所でした。写真は五階建ての建物ほどの大きさがある岩。
奈良市(東エリア) あまりの神々しさに気になって上側に回ってみました😅。でも特に何もなかったです。
あまりの神々しさに気になって上側に回ってみました😅。でも特に何もなかったです。
奈良市(東エリア) しばらく谷を遡ると、上人墓への墓地道の、六地蔵があるところに出てきます。ここには、道のある側と道のない谷側の両面に地蔵磨崖仏が彫られた岩があります。谷側の磨崖仏は谷の向かい側から降りてきた時の道しるべなのか、はたまた磨崖仏の前にも木津川への道があったのか。

https://twitter.com/mirokunomichi/status/1382914326021898242
しばらく谷を遡ると、上人墓への墓地道の、六地蔵があるところに出てきます。ここには、道のある側と道のない谷側の両面に地蔵磨崖仏が彫られた岩があります。谷側の磨崖仏は谷の向かい側から降りてきた時の道しるべなのか、はたまた磨崖仏の前にも木津川への道があったのか。 https://twitter.com/mirokunomichi/status/1382914326021898242
奈良市(東エリア) 道側の地蔵磨崖仏。
道側の地蔵磨崖仏。
奈良市(東エリア) 六地蔵。
六地蔵。
奈良市(東エリア) 六地蔵の右側にある岩にも地蔵磨崖仏。
六地蔵の右側にある岩にも地蔵磨崖仏。
奈良市(東エリア) 墓地道の六地蔵からさらに谷を遡ると、大神田に出ます。途中砂防ダムがありますが、ダムの西側の方が歩きやすいです。西側はすでに土砂で埋まっていて、陸地になっています。前回東側を歩いた時は高いところを巻いていく必要がありました( https://twitter.com/mirokunomichi/status/1370041778858983424 )。

で、砂防ダムの土砂で埋まった谷を歩いていると、見るからに怪しい丸い石が。コケを剥がしたところ、五輪塔の水輪でした。近くには、一具のものとみられる地輪もありました。上の笠置寺僧房跡から転げ落ちたものか、元々この近くにあったものか。きっとこの砂防ダムにはいろんなものが埋まってますね😓。
墓地道の六地蔵からさらに谷を遡ると、大神田に出ます。途中砂防ダムがありますが、ダムの西側の方が歩きやすいです。西側はすでに土砂で埋まっていて、陸地になっています。前回東側を歩いた時は高いところを巻いていく必要がありました( https://twitter.com/mirokunomichi/status/1370041778858983424 )。 で、砂防ダムの土砂で埋まった谷を歩いていると、見るからに怪しい丸い石が。コケを剥がしたところ、五輪塔の水輪でした。近くには、一具のものとみられる地輪もありました。上の笠置寺僧房跡から転げ落ちたものか、元々この近くにあったものか。きっとこの砂防ダムにはいろんなものが埋まってますね😓。
奈良市(東エリア) 水輪のすぐ近くに落ちていた地輪。残念なことに全体がわかる写真を撮り忘れていました。
水輪のすぐ近くに落ちていた地輪。残念なことに全体がわかる写真を撮り忘れていました。
奈良市(東エリア) ここから上に登っていく道があります。砂防ダム建設のための作業路だったのではないかと思います。
ここから上に登っていく道があります。砂防ダム建設のための作業路だったのではないかと思います。
奈良市(東エリア) 谷の真ん中に、大きな岩が鎮座しています。
谷の真ん中に、大きな岩が鎮座しています。
奈良市(東エリア) その岩の東側面に、阿弥陀如来と不動明王が彫られています。室町時代後期の作風とのこと。
その岩の東側面に、阿弥陀如来と不動明王が彫られています。室町時代後期の作風とのこと。
奈良市(東エリア) 大神田(だいじんだ)阿弥陀不動双体磨崖仏。本によっては「おおじんだ」としていますが、笠置寺のご住職によると地元では「だいじんだ」と呼んでいるそうです。
大神田(だいじんだ)阿弥陀不動双体磨崖仏。本によっては「おおじんだ」としていますが、笠置寺のご住職によると地元では「だいじんだ」と呼んでいるそうです。
奈良市(東エリア) 大きさがわかりにくいですが、真下に立って手を伸ばしても磨崖仏には全然手が届きません。
大きさがわかりにくいですが、真下に立って手を伸ばしても磨崖仏には全然手が届きません。
奈良市(東エリア) かつては谷筋の棚田が途切れるところにあって、磨崖仏にも日の光がたっぷりと降り注いでいたこととと思いますが、現在は鬱蒼とした針葉樹林の谷にひっそりと佇んでいます。
かつては谷筋の棚田が途切れるところにあって、磨崖仏にも日の光がたっぷりと降り注いでいたこととと思いますが、現在は鬱蒼とした針葉樹林の谷にひっそりと佇んでいます。
奈良市(東エリア) 巨岩が積み重なり神秘的な雰囲気のある場所です。
巨岩が積み重なり神秘的な雰囲気のある場所です。
奈良市(東エリア) 先ほどの作業路らしき道を登っていくと(結構な急登です)、途中から道が笹に覆われますが、笹の高さが腰より低いのでかき分けながら進んでいけます。
先ほどの作業路らしき道を登っていくと(結構な急登です)、途中から道が笹に覆われますが、笹の高さが腰より低いのでかき分けながら進んでいけます。
奈良市(東エリア) 東海自然歩道の道標があるところに出てきました。

この後、大神田阿弥陀不動双体磨崖仏へのいろんなルートを辿っています。

去年は石あて地蔵から降りて行きました。
https://yamap.com/activities/10209973
東海自然歩道の道標があるところに出てきました。 この後、大神田阿弥陀不動双体磨崖仏へのいろんなルートを辿っています。 去年は石あて地蔵から降りて行きました。 https://yamap.com/activities/10209973
奈良市(東エリア) 笠置寺の般若台跡の南に横堀がある( https://twitter.com/mirokunomichi/status/1501979157194240001 )というので見に行ってきました。確かに横堀と土塁があり、寺院というより山城の雰囲気がありました。
笠置寺の般若台跡の南に横堀がある( https://twitter.com/mirokunomichi/status/1501979157194240001 )というので見に行ってきました。確かに横堀と土塁があり、寺院というより山城の雰囲気がありました。
奈良市(東エリア) 砕石が積まれている平坦地もありましたが、これはいつ積んだものなんでしょうね🤔。
砕石が積まれている平坦地もありましたが、これはいつ積んだものなんでしょうね🤔。
奈良市(東エリア) かと思えば大きな火輪と風輪が埋まっていたり。般若台の南側なかなか面白いです。
かと思えば大きな火輪と風輪が埋まっていたり。般若台の南側なかなか面白いです。
奈良市(東エリア) 般若台六角堂跡。建久4(1193)年、興福寺から笠置寺に隠棲した解脱上人貞慶は、翌建久5(1194)年、書写の完成した大般若経一部六百巻を納めるため般若台に六角堂を建立しました。般若台六角堂は板葺六角三間で、本尊は文殊菩薩だったと伝わります。

この般若台の下に貞慶上人が掘ったと伝わる上人井戸があると言います。
般若台六角堂跡。建久4(1193)年、興福寺から笠置寺に隠棲した解脱上人貞慶は、翌建久5(1194)年、書写の完成した大般若経一部六百巻を納めるため般若台に六角堂を建立しました。般若台六角堂は板葺六角三間で、本尊は文殊菩薩だったと伝わります。 この般若台の下に貞慶上人が掘ったと伝わる上人井戸があると言います。
奈良市(東エリア) 墓地道を少し降ったところ、般若台の北東60mほどの平坦地に、ポンプ室跡がありますが、これが上人井戸なのだそうです。
墓地道を少し降ったところ、般若台の北東60mほどの平坦地に、ポンプ室跡がありますが、これが上人井戸なのだそうです。
奈良市(東エリア) 扉が開いていたので中を覗くと確かにポンプがありました。ポンプ室の前に四角いコンクリートの区画がありました。そこが井戸なのかもしれません。
扉が開いていたので中を覗くと確かにポンプがありました。ポンプ室の前に四角いコンクリートの区画がありました。そこが井戸なのかもしれません。
奈良市(東エリア) 上人井戸から少し降ったところにある地蔵磨崖仏。お像の周りは綺麗に苔が落とされています。
上人井戸から少し降ったところにある地蔵磨崖仏。お像の周りは綺麗に苔が落とされています。
奈良市(東エリア) 阿蘇城跡東尾根の平坦地( https://twitter.com/mirokunomichi/status/1501979149149556736 )。素人には自然の地形と見分けがつきませんでした。この平坦地をみて山城と判断するのは難易度が高いです🤔。
阿蘇城跡東尾根の平坦地( https://twitter.com/mirokunomichi/status/1501979149149556736 )。素人には自然の地形と見分けがつきませんでした。この平坦地をみて山城と判断するのは難易度が高いです🤔。
奈良市(東エリア) 道を横切る堀切。南側から振り返って撮影。
道を横切る堀切。南側から振り返って撮影。
奈良市(東エリア) 30mほど離れたところにもう一本堀切が道を横切っていました。
30mほど離れたところにもう一本堀切が道を横切っていました。

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