活動データ
タイム
05:12
距離
11.9km
のぼり
1059m
くだり
1058m
チェックポイント
活動詳細
すべて見るこの機会を逃すと一生登らない気がしたので、行ってきました。 【山行のきっかけ】 事の起こりは1週前。ちょうど土曜日に低気圧が襲来するタイミングで、その襲来前の疑似好天域でどこか登れないかと画策していたことから始まりました。南に行けば行くほど前線通過までの時間がある予報のため、蔵王とか吾妻でも良いんですが、やりたいルートがなく地理院地図でそれっぽい山を詮索。すると面白そうな山があるではありませんか。番城山。蔵王から延びる中央分水嶺が、宮城県最南西部の七ヶ宿町で一時1,300mを越える高さまで突き上がります。高さのわりにまったく知りませんでしたし、このエリアには足を踏み入れたことがありません。未知の領域を知りたく、また200座目をこんな人知れず息衝く、されど実力は隠し持っていそうな秘めたピークをせめて自分の中ではアニバーサリーに仕立てたく、密かに狙っておりました。 が、先週の土曜は痛恨の寝坊。いや~痛恨でした蔵王スキー場のライブカメラを見ては悶々としていましたよ笑 でもまぁ、この山を見つけたのが前日の金曜日。それでいて記録が乏しく標高差距離共にそれなりにある山に行くのは少しリスクが大きいです。それに今シーズンの冬山の計画がある中で突如現れた謎ピークに栄えある200座目を受け渡すのは、元々登るつもりだった峰々に失礼な気がして取りやめも致し方なしという心持でした。 といえど、結局この1週間番城山をいろいろ調べたりとなかなか溜飲は下がりません。200座目は泉ヶ岳がゲットしたので、もうアニバーサリーピークとかに気を揉む必要もありません。天気予報はまさかの停滞前線襲来で下り坂なことは目に見えていましたが、昼前位ならなんとか持ち堪えそう。ここ数日の異常な昇温で融雪も一気に進み、まともに雪が繋がっているのは今シーズン最後になりそう。たぶん今日登らないと一生登らないだろうし、腹の虫を収めるためにもと、久々の連日登山週末となりました。 【番城山】 私が番城山に注目した理由は3つあります。 ①標高 前述の通り、1323mもあります。この数字は宮城県ではなかなか貴重で、山域順に並べると蔵王、栗駒、船形、二口山塊に次ぐ高さとなります。それなのに、宮城県側から登山道はなく、積雪がないと藪漕ぎで登頂は困難です。 ②地形 この山がなかなか頭から離れなかったのは、その地形によります。地形図を見ると取り付きは別として、750m過ぎからなだらかな尾根が山頂まで続きます。これだけ見るとなかなか山スキー向きな気がして、どうしても滑って確認せずにはいられませんでした。 ③未踏の地 県北に住んでいるので、そもそも県南にはめったに行きません。正直、目ぼしい山もないので、蔵王の南はもう福島の山でした。七ヶ宿町も、(南蔵王は別として)ほぼほぼ訪れたことはなく、昨年6月萬歳楽山からの帰りにちょっと寄ったくらいでした。栗子山や龍ヶ岳もちょっと考えてみましたが、いかんせん冬は距離が長すぎる…。でも知らない角度から蔵王を眺めてみたい。そんな気持ちも強く、番城山に狙いを定めました。 【ルート概要】 七ヶ宿滑津大滝付近の境沢地区より南尾根をピストンです。なお番城山はひっそりながら登る人はいるようで、yamapには数本、yamarecoには20本程登山記録がありました。そのうち宮城県側から登っている記録は半分に満ちません。メジャーなルートは、無雪期には最近まで学校登山も行われていたという上山側の萱平からのもの。萱平の方々は最近まで山頂の社をお参りするために決まって1度は登っていたようで、参拝道なんてルートもあったようです(現在はその習慣が取りやめになり廃道と化したとのこと)。地形的に見てもそんなにキツイ坂はないですし、昔の林道も稜線近くまであるようで登りやすさで言うならば上山側に軍配が上がるでしょう。 ただ、幅広くゆったりした尾根の長さで言うならば、七ヶ宿側でしょう。この地形が気になって仕方なかったというのもありましたし、宮城県民的にはオーバー1300mの標高はかなり貴重。そこは圧倒的な山ラインナップを誇る山形の登山者とは訳が違います。宮城の貴重な1300m峰として見るならば、やはり七ヶ宿から登りたいところ。 ちなみに七ヶ宿側の記録を見ると、大野沢を挟んで1つ西の尾根で周回するものや、フスベ山・二ッ森を経由するもの、それからたかかさんの金山峠から蔵王ライザまで県境稜線をぶち抜くものなど、やはりこの山を訪れる皆さんは変態(褒めてます笑)ルートも多くて楽しいですね。 ◇境沢地区〜951m点◇ 本ルートの核心部です。融雪状況で難易度が変わってきますし、傾斜も尾根の取付きで1番急。ここを突破できれば幅広い尾根のブナ林歩きが待っているんですけどね。 車道末端に水道設備?があり、そこまで除雪が入るようです。ただ、民家はすでに人がいないかな?確実な駐車場が滑津大滝のパーキングですが、少し遠いので入山点付近の除雪スペースに停めました。水道設備付近にも1台くらいは行けそうです。 登り口の林道は入口2mだけ雪が切れていましたが、そこから先は基本雪道。雪に埋もれ道がわからないので、歩けるラインを登っていきます。なお積雪状況ですが、国道113号線のライブカメラ「滑津」で写っている田んぼが完全に埋まっていれば薮も雪の下というところでしょうか。今回はライブカメラで少し地面が覗いていたので、稜線や南向き斜面では同様に雪が切れている場所も少々ありました。田んぼに20-30cmほど雪がある様子であれば、今回のルートなら確実に雪道となる気がします。 登り始めは少し傾斜のある杉林です。雪が固まっているうちにと朝早くとっとと通過したのでそこまで手こずらなかったですが、雪が腐るとたぶんシンドイです。登り始め直後は雪の切れているところを迂回しながら進みましたが、594m点手前は完全に切れていたので一端スキーを脱ぎました。なお、540m付近に後述しますがカッコいい巨岩が転がっています。 その後雑木林を登っていきます。幅はそこまでなく、少し雪庇めいているのでちょっと歩きづらかったです。また700m-770mにかけての等高線が狭いところが、そこまでキツい傾斜ではないものの早朝のカリカリ斜面だとシールが効かない場面もありました。しっかり雪を踏み込むorエッジを効かせるようにジグを切ることで突破。800mも近くなると登りやすくなります。830m付近、東面の森が伐採され景色がかなり良かったです。 ◇951m点~1218m点◇ 幅広く快適なブナ林。歩いているだけで気分が上がってきます。ただ、幅が広すぎて、少し迷いやすいかもしれません。 ◇1218m点~番城山◇ 東側が雪庇ですが、稜線は歩けるくらいには幅があるのでそこまで気になりません。ただ、雪庇帯に付き物の雪波がスキーだとたまに面倒くさかったです。1270mで萱平ルートと合流。ゆるゆる登っていくと山頂です。 ◇山頂からのスキー下山◇ 登り返しはあるなと思いましたが山頂でシールを外しました。結局登り返しは5回ありましたが、そこまで標高差もないのでスキーを担いでツボ足で突破。1064.9m三角点の登り返しが雪が緩んでいたのもあって一番面倒でした。 ちょうど山頂から雨がぱらつき始めた影響もあり、下部に行くほど締まっていた雪もグズグズに。900mくらいまでは滑走を楽しめましたがそこより下はストップ雪&滑るには狭い尾根&滑るには狭い木の間隔でなかなか渋いドロップに。594m点の登り返しを避けるため登りとは別の枝尾根を降りましたが、滑れば滑るほど雪質が悪くなります。南面だけれど登りのトレースと別れた750m時点ではそこそこ雪もあったのでギリギリ雪は繋がっているかなと祈りながら進みましたが、とうとう550mで完全に雪が切れました。薮は薄いものの雪解け水でドロドロの斜面はスキーを担ぎながらプラスチックブーツで下るには少し重荷。標高差50mだけだったので進みましたがあんまりいいルートではありませんでした(が、登りと同じ道を下るにもそれなりに苦労した気がします)。 なお、雪質が歩きやすかったことに加え、降雨予報&曇天でモチベーションがタイムアタックに傾いていたためちょっと飛ばしたペースで登っています。 【番城山の由来】 はて、変わった名前だなと思って調べてみると、2月の船形周回でお世話になったブログ「東北の山遊び」SONE氏の記事に行き当たりました(https://yama-sone.at.webry.info/201105/article_8.html)。そこでは『蔵王~自然と人間~ :東北大学山の会編』(1975)という古書からの引用がありましてそれが大変興味深い。曰く、 番城山は、古くはバン上ヵ峰ないしバン上平山であった。しかし、この山名をさらにたどると、もっと別の山名であったことは知られてくるのである。 本来の山名はイワガミ山で磐神山と書くべき山と考えられ、それが磐上山と書かれ、音読されてバンジョウ山となり、「際境絵図」などに記されたものと推定される。(中略) 番城山がイワガミに由来するとすれば、この山には二口の磐司山の見られる大岩壁と同じ意味の、何か磐(イワ)に因む地形物が存在しなければならないことになる。しかし、番城山そのものはいわゆる薮山で、そのようなものは見当たらないのである。 ところが、七ヶ宿街道の峠田の東方、渓谷沿いのところに磐神という地名があることに気付く。この磐神のことは、「聞老誌」の中にも磐神峰(イワガミヤマ)として、「神原の二氏にあり山頭に巨石多し、相並びて神仙の像の如し。」と記載されている。 この磐神山はいわゆる小峰であるが、ちょうどその背後に続く大山は、かの番城山にあたっているのである。 つまりここには、かつての小山の山名でしかなかった磐神山という山名が、それをゆうする大山へと移行し、いつしか磐神山から磐上山となりバン上山と呼称されて、番城山と当て字されることになったものと推定される。 これを見て、思い当たる節が。画像も載せていますが、取付きを登り切った594m点から西に延びる枝尾根の550m付近に、まさに上記の『「山頭に巨石多し、相並びて神仙の像の如し。」と記載されている。この磐神山はいわゆる小峰であるが、ちょうどその背後に続く大山は、かの番城山にあたっているのである。』という描写にピッタリで、何も知らずに脇を通った時も思わずお邪魔いたしますと安全登山を心の中で拝んだ大変印象的な岩でした。 ただ、上記の峠田の東、神原の二氏(西?)という表現からすると、残念ながら私の出逢った巨岩群は当てはまりません。磐神という地名も残念ながら検索しても出てきませんが、峠田・神原は字として生き残っています。そして両地名の間にある山となると、七ヶ宿スキー場と白石川を挟んで向かい側、金山峠の東のピーク蓬沢山より南東に延びる茂ヶ沢と鶴ヶ沢の間の尾根になります。もしかしたらこの尾根を登れば該当の巨石との邂逅が叶うのかもしれません。ただ、私の見た巨岩群も、かなりのオーラを放っていたことは確かです。 ところで、この磐座(いわくら)信仰というのも、なかなか興味深いんですよね。磐倉、とも書きますが、実は山名を考えるにあたり重要な存在でもあるのです。磐座とは『神の立場から見ると、「祭祀の時、人と交流するために一時的に座る、あるいは入りこむ岩石」。人間の側から見ると、「祭祀の時、神を迎えるために用意する岩石」』(日本宗教民俗学会会員、文化地質研究会会員 吉川宗明氏ブログ「石神・磐座・磐境・奇岩・巨石と呼ばれるものの研究」https://www.megalithmury.com/p/blog-page_14.htmlより)ということです。山は古来よりアニミズムと結びついてきましたし、金峰山の五丈岩や地蔵岳のオベリスクのように、度々山と巨岩はセットで信仰の対象となります。宮城においてもその様子は垣間見られ、例えば七ッ森はすべての山に「倉」が付きますが、一説にはこの倉とは磐座を指し、七座すべてに対応する巨岩があるとも言われます。この倉→磐座信仰→山の名前というもので有名どころですと、二百名山の御座山(おぐらやま)なんかもありますね。そんな高山でなくっても、宮城県内にはやたら「倉」と付く里山が多いですが、もしかすると磐座信仰との繋がりもあるような気がします。ただ私も詳細は分かりません。生半可な知識で紹介したブログを覗いたら圧倒されたので、興味ある方はぜひリンクから飛んでください。ディープすぎてビックリしました。 【未踏エリアの面白さ】 もう1つ、今回の山行で印象的だったのが、白石川の向かいの峠田岳です。県境や群境に属さない、独立した山で1000m以上の高さは宮城県内において珍しい存在です。何より目を引くのは、遠めでもわかる切り立った稜線。麓から仰ぐと雪庇がギラギラと光り、大変に威圧的です。スキー場があるおかげで幾分かアクセスがしやすくなっていますが(注、スキー場トップからは道がないとのことです)、もしスキー場がなければ堅牢な尾根と藪に阻まれ、宮城でも最も登頂の困難な山の1つに挙げられるでしょう。yamarecoでちょうど数日前にスキー場からアタックした記録を拝見いたしましたが、めちゃめちゃ痺れましたね。 (他、宮城最難関を上げるとしたら荒神山とか山猫森とかでしょうか。) また、反対側の登山口もなかなか面白そうです。古屋敷の古民家や、萱平まで水を引く横川堰なんかは文化財としてかなり貴重だと思います。地図を見て疑いましたもん横川堰なんて。山岳地帯の県境を越えた潅漑水路としては全国でただ一箇所の貴重な利水施設とのことでした。 他にも、龍ヶ岳―豪士山―栗子山あたりの稜線なんかそそられますし、今まで知らなかった分大量の掘り出し物を見つけた気がして情報処理が追いつきません笑 やはり、知らないところに行くのは楽しいですね。 ということで、気になっていた山を収めることができてとりあえず良かったです。天気は不本意でしたが、無事下山できましたし、知らないことが多くて今回も行ってよかったと思える山行となりました。 萱平からの記録に押されているので、宮城のマイナー好き勢はぜひ一度七ヶ宿側を開拓してください笑
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