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宮之浦岳 老化現象に抗いながらの写真

2022.03.12(土) 09:01

残雪あり

この写真を含む活動日記

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宮之浦岳 老化現象に抗いながら

屋久島・宮之浦岳 (鹿児島)

2022.03.12(土) 日帰り

明らかに劣化した顔、日々生じる全身の痛みや不具合、無理が出来なくなった身体…老化現象が現れ始め、出来ないことも増えてきた。 残りの人生で後何が出来るのか? やり残したことがないようにしたい。 その中で「屋久島と上高地に行かずに死ぬわけにはいかない!」…こうして自分の登山ライフが始まった。 ※自分の想いを全力で今回の文章に叩き込みました。 ■前日 縄文杉〜白谷雲水峡トレッキングの後ゆっくり休もうと思ったが、隣りの若者が23時過ぎまで大きな声で電話をし眠れなかった。 しかも朝5時前には他の若者達が帰る準備を始めて起こされる。 10時にレンタカーを借りて2つ滝を見に行き、3つ温泉を体験する←馬鹿 結局屋久島を一周半し、民宿に帰ったが、頭を洗っていなかったのでもう一度風呂に入る←完全に馬鹿 休息日にするべきなのに逆に疲れてしまい、民宿のおばちゃんが棚に入れるだけで一度も洗わない布団に倒れ込む…。 ■当日 今度来た隣りの宿泊者は物音なども立てなかったので、ゆっくりと眠れた。 それでも何故か4時に自然に目が覚めた。 眠気もまるでなく、不思議と状態の良さを感じた。 予定よりも早く準備ができたので5時前には出発した。 運が良いことにこの日から淀川登山口の凍結規制が解けた! しかも着いた時に満車だったのだが、登山者を送り終えたからか1台車が出ていった。 空を見ると真っ暗だが星がキレイに見えた。 間違いなく快晴になると確信を持てた。 更に前日まであった筋肉痛は皆無で驚くほど身体の調子が良かった。 全てが上手くいっていた。 宮之浦岳が自分を呼んでくれているような気がした。 ヘッドライトを点けて淀川登山口から進む。 途中明るくなってきて周りを見渡すと、日に照らされて黄金色に輝く山の自然があまりにも美しくて何度も足を止める。 写真を撮る時間も長くなり、当初計画していた、宮之浦岳〜永田岳〜黒見岳の三岳踏破を止めることにした。 「今日は急がない。この美しい自然をゆっくり味わうことにしよう」…そう決めた。 弁当を2つも入れたり、エナジーゼリー系を3つも入れたりしたのもだが、シェルパの店長に調整してもらったザックの高さが合わず、足はまるで痛みはないが、肩に痛みが出てきた。 耐えられなくなったので途中で調整した。 また、あまりにも重すぎるのでお腹空いていないのに必死になって弁当を食べたりして荷物の軽量化を行った。 淀川登山口〜宮之浦岳のコースの美しさは感動モノで、イチイチ美しいのでその度止まって写真を撮るので全然進まない(笑) 屋久杉地帯があったり、湿原があったり、笹の稜線、岩場など次々に様々な景色を見せてくれる。 途中雪があったり、ロープでの岩場があったりとコース自体も楽しませてくれる。 何度か凍結で滑ったが…。 水場に関しては、縄文杉コースはパイプが設置してあったが、この宮之浦岳コースは水溜りから直接給水するタイプで非常にワイルドである(笑) 登山中あまりにも気持ちが良くて、何度も大声で叫んだ。 すると5m先に屋久鹿が2頭いて、驚いた顔でコチラを見ていた(笑) こんな標高でも屋久鹿がいるのかと驚いた。 この山は人の手が入っていないことが分かる。 植物の多様性が見事だから。 人間の手が入った山は杉や檜だけなど個性がなく、魅力が薄い。 どの木も同じような高さで揃い、木々の間隔も一定だ。 やはり様々な種が生存競争を繰り広げながらも、お互いが共生しあって生まれた調和のある世界は独特で美しい。 我々人間社会でも同じことが言えると思う。 宮之浦岳が目の前に見え始めると、緑と青、そして岩のグレーの3色だけが広がる世界が始まる。 様々な岩があるがどれもこれもが個性があり、蛙や鳥、ゴリラなど動物に見えたりする。 直射日光は厳しいが、心地よい風が吹いてくれている。 ようやく山頂に辿り着くと、数人の日帰り登山者がいて、親切にも写真を撮ってくれたりした。 その後、快晴の中見渡す宮之浦岳からの景色は美しく、深い達成感を感じた。 元々この屋久島を踏破することを夢見て、自分は登山を繰り返し、トレーニングしてきた。 何度も登山ショップに通い道具も揃えた。 無理をしすぎて下半身を痛め、医者に暫く運動を止められた。 リハビリに通い続け、それでもこの日にちでしか屋久島に行くことが出来ないという日程に向けて急いで準備を続けた。 人間は凄いと思った。 三年前は指宿の知林ヶ島の往復ですら息があがって疲れていた自分が、縄文杉を苦もなく踏破し、またこの宮之浦岳の頂上にも立っている。 プロフィールにも書いているが、自分が山に登っている理由は、健康のためでも、美しい景色が見たいからでも、山頂でカップラーメンを食べたいからでもない。 自分自身と戦うためだ。 「自分はやれば出来る人間なんだ!」と自信を深めた。 そしてもう間もなく産まれてくる娘に対してメッセージ動画を撮った。 苦しんだ30代。 自分に対して失望し、自信を失っていた。 そんな時に子供が出来たと知った。 しかし自分には心の準備が全く出来ていなかった。 何も考えずに親になった人間も多いだろう。 ただ義務的に親になった人間も多いだろう。 しかし自分はそういう親にはなりたくはなかった。 「このままでは自分にとっても娘にとっても良くない」、そう感じた自分は昨年9月に100名山最難関と言われる穂高連峰に挑もうとした。 しかしながら到着した前日に地震が発生し、登れなくなってしまった。 失意の中でもリベンジを誓い、その日に向けて登山のトレーニングを繰り返した。 途中、シェルパに道具を買いに行ったところ、偶然にもグレートトラバース1の第1話から見続けていた田中陽希君との登山ツアーがあることを知り申込日初日に電話を掛けた。 300名山一筆書きをやり遂げたばかりの彼から何かを得たいと思ったからだ。 登山を始める前までは、「登山のような面倒くさいことをする人間の気が知れない」とずっと思っていた。 しかし、自分には登れると思わなかった開聞岳や九州最強低山と呼ばれる磯間嶽、距離があり時間のかかる坊津アルプスなどを次々に踏破していくうちに、自分自身に自信が戻ってきた気がした。 そしてこの屋久島登山を余裕で行っている自分を見てそれは確信に変わり、「自分に出来ないことはない!」と強い気持ちを抱くようになった。 一歩一歩積み重ねていくことの大切さと偉大さも知った。 自分はこれでようやく自分に自信を持って娘を迎え入れる準備が完了したと実感した。 永田岳から数人山頂に登ってきた。 男女二人は鹿児島から仕事で屋久島に住んでいるとのこと。 男性の方は屋久島に来てから登山を始め、山頂で食べたカップラーメンの美味しさに感動し、山頂でカップラーメンを食べるために屋久島の山に登っていると言うことだった(笑) 色んな理由があるなぁ、と思った。 自分のように重い理由で山に登っている人は少ないのかもしれない(笑) もう一人永田岳から来た鹿児島からの男性に、「屋久島は素晴らしい。また来たい」と言うと、「そういう屋久島に魅了されて何度も訪れる人間をヤク中と言う」と言われて笑った。 「上高地に匹敵する場所ですね」と言うと、「アルプスに魅了された人はアル中と言う」と言われて再度笑った。 アル中にヤク中...最悪な響きである(笑) 屋久島在住の男性に「最後の水飲み場の水を汲んでください。皆それで三岳を割って飲んでますよ」と言われた。 彼がシングルバーナーを山頂に持って来ていたので、自分はてっきり屋久島の水をシングルバーナーで熱して、山頂で三岳を飲むのかと思ったと言うと、「いやいや、そんなの酔っ払って帰り道危ない。それこそアル中ですよ」と笑われた。 次回はモッチョム岳と永田岳にも挑もうと思うと伝えると、愛宕山と竜神杉もオススメだと教えてもらった。 今回永田岳は諦めたが、黒味岳だけは登ろうと決めていたので、そちらへ向かった。 さきほど屋久鹿を見た場所で植物を食べる音が聞こえた。 オスの屋久鹿がいた。 その辺りで後ろの宮之浦岳を振り返ると、なんとガスがかかっていた! 来た道を帰っていたのだが、「これは淀川登山口から縄文杉を抜ける縦走の方が楽だな」と思った。 自分はおそらく人にはそちらの方を勧めると思う。 黒味岳への分かれ道へ向かい、荷物をデポしてロープ付きの岩場を登ると、子供3人連れた家族に出会った。 「こんな角度のある岩場を小さな小学生達が?」と驚いた。 道中の美しさは素晴らしかった。 宮之浦岳よりもタフな山でもあった。 山頂に着くと誰も居なかったが、ガスに覆われていた。 再度産まれてくる娘に伝え忘れたことを残そうと動画を撮る。 自分の生み出した自分の座右の銘『俺は自分自身を絶対に諦めない』ことについて語った。 すると屋久島猿の群れの鳴き声が聞こえてきた。 更にうっすらとだがガスが晴れてきた。 ガスの切れ目から見える景色の素晴らしさに感動した。 そしてこの屋久島という場所に対して感謝の気持ちが沸き上がってきた。 「自分が死んだ後もずっと残り続けて欲しい...」、そう思った瞬間に涙があふれてきた。 子供の頃から泣くことが殆ど無かった自分だが、屋久島への感謝の気持ちが抑えられなくなってしまった。 自分の存在などどうでも良いという気持ちになった。 それよりも、この屋久島が1,000年後も2,000年後も残り続けて欲しい。 ただただそう思った。 そしてその想いが後世の人間達にも伝わって欲しい。 そう願った。 こんな場所があるとは思わなかった。 この場所が残り続けて、自分がその景色を見る機会を与えてくれたことに対してただただ感謝した。 「屋久島、ありがとう!」 何度も何度も大声で叫んだ。 19:30に焼き肉屋を予約していたので、後ろ髪を引かれながらも帰ることにした。 歩きながら、YAMAPに何を書こうと考えていたら、自分のこのもうすぐ終わりを迎える30代の事が次々と浮かんできた。 自分は今回の屋久島旅行に、仕事とプライベートの問題を持ち込んだ。 20代の頃に抱いていた夢を周りに左右されて諦めざるを得なかった。 それでも30代前半はがむしゃらに頑張った。 しかし30代後半になると次第に自分に迷いが生じてきた。 「果たして自分の今の生き方は正しいのだろうか?」 ずっと悩みながら歩いていた。 屋久島の自然を見ている内に、それぞれの生命が必死に生きていることを知った。 観光案内の動画で激しい風雪に耐えている縄文杉も観た。 屋久島は見た目の美しさとは裏腹に過酷な環境である。 しかしそれぞれの生命が力強く、活き活きとしているように映った。 それに対して今の自分は自分らしく生きているようには思えなかった。 また自然と涙が流れてきた。 自分自身を偽り、周りのために毎日を費やし、不満とストレスを人に対して隠さなくなった自分。 「もういいだろ!」、そう思えた。 辛くなってきた30代の生活を、もうすぐ新しくやってくる40代でも続ける気にはなれなかった。 毎日自分自身に対して失望しながら生きていく姿を、産まれてくる娘に見せるのもどうかと思った。 自分の人生を他人にコントロールされる生き方も違うと思った。 そういう事を気付かせてくれた屋久島に対してまた感謝の気持ちが沸き上がってきた。 屋久島は自分勝手に悩みを持ち込んだ自分を受け入れてくれた。 自分は利己的に自身と戦うために屋久島を利用したが、それを素晴らしい景色を持って応えてくれた。 屋久島に対して感謝という感情しか無くなった。 ようやく自分は吹っ切れた! その気持ちを忘れないように、ちょうど辿り着いた小花之江河にて動画に残した。 この淀川登山口~宮之浦岳コースは美しい。 気持ちが晴れやかになり、歩きながらもずっと景色を眺めていた。 「幸せな時間だな」と感じていた。 身体はどこも痛くはなく、体力的にもかなりの余裕があった。 どこまでも行ける気がしたし、淀川登山口~縄文杉~白谷雲水峡の日帰り縦走もいける自信があった。 身体が山登りに完全に適応し、仕上がっている気がした。 また、永田岳を外したのも正解であった。 永田岳まで挑んでいたら、時間的に追われ余裕を失い、この美しい自然を味わうことも、様々な感情が浮かぶこともなかったと思う。 ただ山に登った、その事実を得ただけに終わったであろう。 全てが完璧に思えた。 もう屋久島が、宮之浦岳が自分を呼び、自分のために全てを用意してくれたとしか思えなかった。 全てが運命であり、全てが必然であったのではないかと感じた。 この日のために自分の30代はあったのだろう。 出会う屋久杉全てに感謝の意を伝え、自分が死んだ後もずっと長生きして欲しいと願った。 そして幸福感と感謝の気持ちに満たされながら淀川登山口へたどり着いた。 結局11時間かけて踏破したが、疲れは殆どなかった。 車で帰る途中にも感動は何度も訪れた。 紀元杉の大きさ、夕陽に染まる屋久杉と屋久島の山々、川のせせらぎに鳥の鳴き声。 「なんて素晴らしい場所なのだろうか!」 屋久島の圧倒的な魅力を前に、何度そう感じたか分からなくなっていた。 自分は屋久島を訪れるにあたって、登山と言う選択を決めたことに対して自分を褒めたいと思う。 屋久島の本当の魅力を知るには、屋久島の外周をまわり観光スポットを見るだけでは分からない。 縄文杉トレッキングだけでもまだ足りない。 やはり大変ではあるが、登山をいう行為をもって初めてその圧倒的な魅力を感じることが出来ると思う。 我々登山愛好家達は幸せだな、と思った。 山を下から見るだけでは本当の魅力は分からなかった。 上高地の河童橋の先まで行こうと選択する観光客は少ない。 苦難を乗り越え、自分の力で、自分の足でその先まで行って初めてその上の魅力に出会える。 登山に出会えて自分は幸せだと思う。 翌日屋久島から帰る日が来た。 朝6時になぜか爆音で鳴り響くエーデルワイスのスピーカー放送で目が覚めた。 野生のキジも綺麗な声で鳴き続けていた。 前日の登山の身体へのダメージは皆無。 帰りたくない気持ちでいっぱいだった。 民宿のおばあちゃんと少し話をすると、コロナが広がってから客が少なくなったと聞いた。 素晴らしい場所ではあるが、住民にはやはり悩みがある事を知った。 安房川が綺麗すぎるので、少し上流側の橋に行ってみた。 素晴らしく綺麗なエメラルドグリーンが広がっていた。 レンタカーを返し、お土産を購入し、昼食をとってフェリーへ向かった。 出航し離れていく屋久島をずっと見続けていた。 その時ハッと思い出した。 田中陽希はこの海をシーカヤックで渡ったんだと! 「頭がおかしい!化け物としか思えない!」 笑ってしまった。 そして屋久島へ別れを告げて、自分の席へと戻った。 最終目標の屋久島は踏破したが、次は穂高連峰に挑みたい。 地震のせいで登れなくなってしまったとは言え、撤退した事実は事実だ。 負けたままでいるのは、自分の性質上無理がある。 30代最後を迎え、40代が始まる今年の10月に、30代最後の挑戦として穂高連峰に挑むッ! 個人的には存在する登山ルートの中で日本一危険で日本一難しいとされる西穂高岳~ジャンダルム~奥穂高岳~大キレット~槍ヶ岳の往復登山に挑みたい。 しかし前回は涸沢の紅葉が見たくて行くことを決めた奥穂高岳。 なのでまずは涸沢ルートで挑む予定だ。 その際ジャンダルムと大キレットを見に行って、その次の挑戦に備えようと思う。