20220227 これで四国遍路88箇所完!〜オーラスは明石寺と大洲少彦名神社(その①)

2022.02.27(日) 日帰り

 この日、最後に残った43番札所明石寺で納経を終え、これで四国八十八ヶ所結願、無事にグランドフィナーレを迎えることができました(^^)v。 >>昨年4月に高松で生活をスタートさせてから、早いもので、この3月で間もなく一年になります。よく遍路をはじめた切っ掛けを訪ねられるのですが、何かを成就したいといった大層な思いがあったわけでもありません。こちらでは、日頃から遍路が話題になることが多く、また勧める声もあり、一念発起して見よう見まねではじめたお遍路でした。  遍路スタイルは全くの我流で、場所によっては趣味としている山歩きを絡めたいという思いもあり、もっぱら休日&公共交通機関を使いながら、結果としては順打ち、逆打ちともつかぬ、乱れ打ちのようなお遍路となってしまいました。  それでも、88箇所の御朱印が書かれた納経帳をパラパラとめくっていると、半端ない達成感がありますね(笑)。ここでは納経をした時にエールをもらったなぁとか、ここを歩いた時には足の裏に大きなマメをこさえてヒィーコラ言ってしまったなぁ等、四国でのいい思い出ができました。  四国お遍路を結願すると、高野山奥の院に「お礼参り」をする習わしがあるそうで、道中、無事に参拝できたことを感謝しお礼を申し上げる意味があるそうです。憧れの熊野古道を歩いて「お礼参り」してみたい!、俄然、やる気スイッチが入っています (笑)!    アクセス等の、詳しい情報はヤマレコにアップしています。よろしければ↓  https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-4040144.html

🚃宇和海4号@JR四国(宇和島駅→卯之町駅)

🚃宇和海4号@JR四国(宇和島駅→卯之町駅)

🚃宇和海4号@JR四国(宇和島駅→卯之町駅)

卯之町駅から、私にとって結願となる明石寺(めいせきじ)に向かいます。

卯之町駅から、私にとって結願となる明石寺(めいせきじ)に向かいます。

卯之町駅から、私にとって結願となる明石寺(めいせきじ)に向かいます。

途中に山越えの遍路道があったようですが、そのまま商店街を抜けてしました。このエリアには「卯之町の街並み」と呼ばれる国の重要伝統的建造物群保存地区があり、帰りに立ち寄ってみようと思います。

途中に山越えの遍路道があったようですが、そのまま商店街を抜けてしました。このエリアには「卯之町の街並み」と呼ばれる国の重要伝統的建造物群保存地区があり、帰りに立ち寄ってみようと思います。

途中に山越えの遍路道があったようですが、そのまま商店街を抜けてしました。このエリアには「卯之町の街並み」と呼ばれる国の重要伝統的建造物群保存地区があり、帰りに立ち寄ってみようと思います。

舗道からだと、駅から明石寺までは30分ほど👣

舗道からだと、駅から明石寺までは30分ほど👣

舗道からだと、駅から明石寺までは30分ほど👣

(^^ゞ

(^^ゞ

途中にあったここは、明石寺奥之院「白王権現」。奥之院というと本殿より奥まったところやさらに標高の高いところにあることが多いのですが、明石寺に向かう途中にありました。 @合掌

途中にあったここは、明石寺奥之院「白王権現」。奥之院というと本殿より奥まったところやさらに標高の高いところにあることが多いのですが、明石寺に向かう途中にありました。 @合掌

途中にあったここは、明石寺奥之院「白王権現」。奥之院というと本殿より奥まったところやさらに標高の高いところにあることが多いのですが、明石寺に向かう途中にありました。 @合掌

先ほどの道標に従い分岐を左へ。

先ほどの道標に従い分岐を左へ。

先ほどの道標に従い分岐を左へ。

長い石段を登ったところが明石寺になります。

長い石段を登ったところが明石寺になります。

長い石段を登ったところが明石寺になります。

明石寺に到着しました〜 @山門

明石寺に到着しました〜 @山門

明石寺に到着しました〜 @山門

山門をくぐってさらに石段を登れば本堂があります。創建は6世紀、正澄上人の開基と伝わるそうです。 @合掌

山門をくぐってさらに石段を登れば本堂があります。創建は6世紀、正澄上人の開基と伝わるそうです。 @合掌

山門をくぐってさらに石段を登れば本堂があります。創建は6世紀、正澄上人の開基と伝わるそうです。 @合掌

こちらは大師堂

こちらは大師堂

こちらは大師堂

納経を終え、明石寺で結願となりました。終わったんだという高揚感がもう少しあるかと思ったのですが、閑静な境内の雰囲気もあるのでしょうか、自分でも不思議なくらい淡々としています。

納経を終え、明石寺で結願となりました。終わったんだという高揚感がもう少しあるかと思ったのですが、閑静な境内の雰囲気もあるのでしょうか、自分でも不思議なくらい淡々としています。

納経を終え、明石寺で結願となりました。終わったんだという高揚感がもう少しあるかと思ったのですが、閑静な境内の雰囲気もあるのでしょうか、自分でも不思議なくらい淡々としています。

本当は「あげいしじ」だったんですね〜φ(..)メモメモ。

本当は「あげいしじ」だったんですね〜φ(..)メモメモ。

本当は「あげいしじ」だったんですね〜φ(..)メモメモ。

明石寺のお隣にあった熊野神社

明石寺のお隣にあった熊野神社

明石寺のお隣にあった熊野神社

ここにはとんでもない狛犬(阿形)がいました!

ここにはとんでもない狛犬(阿形)がいました!

ここにはとんでもない狛犬(阿形)がいました!

玉取の型の狛犬ですが

玉取の型の狛犬ですが

玉取の型の狛犬ですが

この悪人面が・・、変身したクレムリンのようです。

この悪人面が・・、変身したクレムリンのようです。

この悪人面が・・、変身したクレムリンのようです。

熊野神社の前に山道が付けられており、こちらが遍路道になっているようです。

熊野神社の前に山道が付けられており、こちらが遍路道になっているようです。

熊野神社の前に山道が付けられており、こちらが遍路道になっているようです。

やっぱり、山道はいい。

やっぱり、山道はいい。

やっぱり、山道はいい。

峠を越えて先ほどの商店街に戻ってきました。

峠を越えて先ほどの商店街に戻ってきました。

峠を越えて先ほどの商店街に戻ってきました。

こちらは旧宇和町(現在、西予市)のマンホール。四国最古の小学校「開明学校」とレンゲソウがデザインされています。

こちらは旧宇和町(現在、西予市)のマンホール。四国最古の小学校「開明学校」とレンゲソウがデザインされています。

こちらは旧宇和町(現在、西予市)のマンホール。四国最古の小学校「開明学校」とレンゲソウがデザインされています。

こちらが国の重要伝統的建造物群保存地区となっている「卯之町の町並み」です。室町時代から戦国時代に宇和郡を支配していた西園寺氏の城下町が起源となり、江戸時代には宇和島と大洲を結ぶ宇和島街道の宿場町として栄えたそうです。今でも、白壁、うだつ、持送り、格子などの伝統的な建築様式が残ってます。

こちらが国の重要伝統的建造物群保存地区となっている「卯之町の町並み」です。室町時代から戦国時代に宇和郡を支配していた西園寺氏の城下町が起源となり、江戸時代には宇和島と大洲を結ぶ宇和島街道の宿場町として栄えたそうです。今でも、白壁、うだつ、持送り、格子などの伝統的な建築様式が残ってます。

こちらが国の重要伝統的建造物群保存地区となっている「卯之町の町並み」です。室町時代から戦国時代に宇和郡を支配していた西園寺氏の城下町が起源となり、江戸時代には宇和島と大洲を結ぶ宇和島街道の宿場町として栄えたそうです。今でも、白壁、うだつ、持送り、格子などの伝統的な建築様式が残ってます。

こちらは松屋旅館。建物は1804年築と云われる古い建物で、改修を加えながら今に至っているそうです。

こちらは松屋旅館。建物は1804年築と云われる古い建物で、改修を加えながら今に至っているそうです。

こちらは松屋旅館。建物は1804年築と云われる古い建物で、改修を加えながら今に至っているそうです。

歴史があるだけあって、来館者には後藤新平、犬養毅、浜口雄幸、尾崎行雄等々、宿泊者には前島蜜、新渡戸稲造等々と、政治・文化の著名人の来館が旅館入口に掲示されていました。

歴史があるだけあって、来館者には後藤新平、犬養毅、浜口雄幸、尾崎行雄等々、宿泊者には前島蜜、新渡戸稲造等々と、政治・文化の著名人の来館が旅館入口に掲示されていました。

歴史があるだけあって、来館者には後藤新平、犬養毅、浜口雄幸、尾崎行雄等々、宿泊者には前島蜜、新渡戸稲造等々と、政治・文化の著名人の来館が旅館入口に掲示されていました。

こちらは光教寺へ続く参道。

こちらは光教寺へ続く参道。

こちらは光教寺へ続く参道。

その途中に、先ほどのマンホールのデザインにもなった開明学校があります。1882年(明治15年)に建築され、現在四国では最も古い小学校校舎であり、平成9年に国の重要文化財に指定されているそうです。

その途中に、先ほどのマンホールのデザインにもなった開明学校があります。1882年(明治15年)に建築され、現在四国では最も古い小学校校舎であり、平成9年に国の重要文化財に指定されているそうです。

その途中に、先ほどのマンホールのデザインにもなった開明学校があります。1882年(明治15年)に建築され、現在四国では最も古い小学校校舎であり、平成9年に国の重要文化財に指定されているそうです。

こちらを歩いてきました。 @光教寺の山門から振り返っての一枚

こちらを歩いてきました。 @光教寺の山門から振り返っての一枚

こちらを歩いてきました。 @光教寺の山門から振り返っての一枚

光教寺の本堂。本堂裏の苔の生えた庭園が見事だそうで、その時期になったら、また、来てみましょう。

光教寺の本堂。本堂裏の苔の生えた庭園が見事だそうで、その時期になったら、また、来てみましょう。

光教寺の本堂。本堂裏の苔の生えた庭園が見事だそうで、その時期になったら、また、来てみましょう。

無事に88箇所を打ち終わり、楽しみにしていた大洲少彦名神社へ、GO!🚃宇和海10号@JR四国(卯之町駅→伊予大洲駅)

 ⇒ その②に続く

無事に88箇所を打ち終わり、楽しみにしていた大洲少彦名神社へ、GO!🚃宇和海10号@JR四国(卯之町駅→伊予大洲駅)  ⇒ その②に続く

無事に88箇所を打ち終わり、楽しみにしていた大洲少彦名神社へ、GO!🚃宇和海10号@JR四国(卯之町駅→伊予大洲駅)  ⇒ その②に続く

🚃宇和海4号@JR四国(宇和島駅→卯之町駅)

卯之町駅から、私にとって結願となる明石寺(めいせきじ)に向かいます。

途中に山越えの遍路道があったようですが、そのまま商店街を抜けてしました。このエリアには「卯之町の街並み」と呼ばれる国の重要伝統的建造物群保存地区があり、帰りに立ち寄ってみようと思います。

舗道からだと、駅から明石寺までは30分ほど👣

(^^ゞ

途中にあったここは、明石寺奥之院「白王権現」。奥之院というと本殿より奥まったところやさらに標高の高いところにあることが多いのですが、明石寺に向かう途中にありました。 @合掌

先ほどの道標に従い分岐を左へ。

長い石段を登ったところが明石寺になります。

明石寺に到着しました〜 @山門

山門をくぐってさらに石段を登れば本堂があります。創建は6世紀、正澄上人の開基と伝わるそうです。 @合掌

こちらは大師堂

納経を終え、明石寺で結願となりました。終わったんだという高揚感がもう少しあるかと思ったのですが、閑静な境内の雰囲気もあるのでしょうか、自分でも不思議なくらい淡々としています。

本当は「あげいしじ」だったんですね〜φ(..)メモメモ。

明石寺のお隣にあった熊野神社

ここにはとんでもない狛犬(阿形)がいました!

玉取の型の狛犬ですが

この悪人面が・・、変身したクレムリンのようです。

熊野神社の前に山道が付けられており、こちらが遍路道になっているようです。

やっぱり、山道はいい。

峠を越えて先ほどの商店街に戻ってきました。

こちらは旧宇和町(現在、西予市)のマンホール。四国最古の小学校「開明学校」とレンゲソウがデザインされています。

こちらが国の重要伝統的建造物群保存地区となっている「卯之町の町並み」です。室町時代から戦国時代に宇和郡を支配していた西園寺氏の城下町が起源となり、江戸時代には宇和島と大洲を結ぶ宇和島街道の宿場町として栄えたそうです。今でも、白壁、うだつ、持送り、格子などの伝統的な建築様式が残ってます。

こちらは松屋旅館。建物は1804年築と云われる古い建物で、改修を加えながら今に至っているそうです。

歴史があるだけあって、来館者には後藤新平、犬養毅、浜口雄幸、尾崎行雄等々、宿泊者には前島蜜、新渡戸稲造等々と、政治・文化の著名人の来館が旅館入口に掲示されていました。

こちらは光教寺へ続く参道。

その途中に、先ほどのマンホールのデザインにもなった開明学校があります。1882年(明治15年)に建築され、現在四国では最も古い小学校校舎であり、平成9年に国の重要文化財に指定されているそうです。

こちらを歩いてきました。 @光教寺の山門から振り返っての一枚

光教寺の本堂。本堂裏の苔の生えた庭園が見事だそうで、その時期になったら、また、来てみましょう。

無事に88箇所を打ち終わり、楽しみにしていた大洲少彦名神社へ、GO!🚃宇和海10号@JR四国(卯之町駅→伊予大洲駅)  ⇒ その②に続く