大柳生〜柳生〜阪原〜狭川

2022.02.25(金) 日帰り

活動データ

タイム

08:58

距離

40.1km

のぼり

1780m

くだり

1786m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
8 時間 58
休憩時間
7
距離
40.1 km
のぼり / くだり
1780 / 1786 m

活動詳細

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今回は柳生の山道と、阪原から藤尾城跡を経て狭川に抜ける旧道がどんな道かを調べに行きました。 *柳生沿線探勝路遊歩道 阿対(あたや)地蔵(阿弥陀磨崖仏)付近から北の山に入っていく道に「柳生沿線探勝路」という看板が立っていました。道の入り口からしばらくは、コンクリートと石で石畳風の階段になっていました。少なくとも看板が立った頃は相当しっかり整備されていたようです。 尾根に出ると丁字路になっており、左右に道が伸びていました。丁字路にも道標があり、道を左に取ると飛鳥路に行けるが山道険路であるとのこと。 地理院地図を見る限り、尾根道をしばらく北に歩いたところで、ゴルフ場にぶつかるようでしたから、これは今は行き止まりなのではないかとも思いましたが、行けるところまで行ってみることにしました。 すると、ゴルフ場にぶつかったところにも道標があり、ゴルフ場を迂回する道が作られていることがわかりました。その道を歩いてみたところ、ゴルフ場の獣害防護柵沿いに、谷を登ったり降りたりさせられ、しかもすぐ上にゴルフ場の端が見えているため、あまり気持ちの良い道ではありませんでした。 急登箇所には階段が作られていましたし、柳生と飛鳥路を繋ぐハイキング道としてそれなりにお金をかけて整備されたようです。しかし今は通る人がほとんどいないと思います。倒木が多く一部は藪漕ぎ状態で、道がかなり荒れていました。早晩消えてなくなりそうな道です。 それでも、途中の木の枝にサングラスがぶら下げられていました。誰かが落として、それをまた違う誰かが、木の枝にぶら下げたものと思います。通る人が全くいないわけではなさそうです。 地理院地図にもある飛鳥路から続く道に出たところで、飛鳥路に行く気はなかったため引き返しました。 *阪原〜狭川旧道 少なくとも軽トラやジムニーのような軽自動車なら、阪原町からゴルフ場北の貯水池までは、車で行けそうでした。ゴルフ場の手前まで舗装された道か砂利道で、ゴルフ場手前の数十メートルだけ笹が茂っていますが、車で進めなくはない程度です。その先のゴルフ場を迂回して貯水池まで行く道はコンクリートで舗装されていました。貯水池付近にはUターンするスペースもなくはないです。ちなみにゴルフ場北の貯水池の西の尾根に、藤尾城跡があります。 狭川側からは、ゴルフ場北の貯水池まで、車で行くことはできません。狭川からゴルフ場北の貯水池の間も、道がコンクリート舗装されているため、藪漕ぎ箇所はありませんが、倒木が道に多数転がっているほか、道はばが1メートルほどしかない場所もありました。

奈良市(東エリア) 岩船寺さんは、午前中早い時間帯、三重塔に日が差す様子が、とてもきれいです。
岩船寺さんは、午前中早い時間帯、三重塔に日が差す様子が、とてもきれいです。
奈良市(東エリア) 金曜日午前中の岩船寺。ここ二日ぐらい暖かくなりましたが、金曜は寒かったので、カエルさんのいる青い水鉢がすっかり凍りついていました。
金曜日午前中の岩船寺。ここ二日ぐらい暖かくなりましたが、金曜は寒かったので、カエルさんのいる青い水鉢がすっかり凍りついていました。
奈良市(東エリア) 奈良市須川町から奈良市役所東部出張所(旧興東中学校)に登っていく県道47号線の柵に、鳥居がくくり付けられています。
https://goo.gl/maps/PpZRjZQEscSd7Reh9
奈良市須川町から奈良市役所東部出張所(旧興東中学校)に登っていく県道47号線の柵に、鳥居がくくり付けられています。 https://goo.gl/maps/PpZRjZQEscSd7Reh9
奈良市(東エリア) 前から気になっていて、鳥居の向こうの小山の上に何かあるのかと思いましたが何もありませんでした。なんなんでしょう、これ。謎です。
前から気になっていて、鳥居の向こうの小山の上に何かあるのかと思いましたが何もありませんでした。なんなんでしょう、これ。謎です。
奈良市(東エリア) 大柳生の藤井の森を再訪しました。
大柳生の藤井の森を再訪しました。
奈良市(東エリア) 確かに上脇垣内の勧請縄がありました。
確かに上脇垣内の勧請縄がありました。
奈良市(東エリア) 須川への旧道にあったものと同じく、タコと鋤と鍬と御幣と何かが書かれているお札のようなものと常緑樹の枝がぶら下がっていました。
須川への旧道にあったものと同じく、タコと鋤と鍬と御幣と何かが書かれているお札のようなものと常緑樹の枝がぶら下がっていました。
奈良市(東エリア) 前回、なんで気がつかなかったんだろう。。。😅
https://yamap.com/activities/15575619
前回、なんで気がつかなかったんだろう。。。😅 https://yamap.com/activities/15575619
奈良市(東エリア) お藤の井戸。
お藤の井戸。
奈良市(東エリア) かえりばさ峠に登る急登。阪原配水池までは車が通れる道ですが、ここから先はかなり急な山道でした。

「昔花嫁が西の阪原・大柳生から東の柳生へ嫁入りする時、ここで故郷の名残を惜しみ、ふりかえったので、この峠を地元の人々は「かえりばさ」と呼んでいます。」
https://www.yagyukanko.com/%E8%A6%B3%E5%85%89%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%83%E3%83%88/%E6%9F%B3%E7%94%9F%E8%A1%97%E9%81%93/
かえりばさ峠に登る急登。阪原配水池までは車が通れる道ですが、ここから先はかなり急な山道でした。 「昔花嫁が西の阪原・大柳生から東の柳生へ嫁入りする時、ここで故郷の名残を惜しみ、ふりかえったので、この峠を地元の人々は「かえりばさ」と呼んでいます。」 https://www.yagyukanko.com/%E8%A6%B3%E5%85%89%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%83%E3%83%88/%E6%9F%B3%E7%94%9F%E8%A1%97%E9%81%93/
奈良市(東エリア) 疱瘡地蔵。この手前で、ウロウロしているのは、地理院地図にある道と現地の道が全然違ったので、どういう風に道がつながっているか、道を辿って確かめていたためです😅。
疱瘡地蔵。この手前で、ウロウロしているのは、地理院地図にある道と現地の道が全然違ったので、どういう風に道がつながっているか、道を辿って確かめていたためです😅。
奈良市(東エリア) 正長元年(1428)徳政碑で、歴史の教科書にもよく取り上げられている疱瘡地蔵さん。
正長元年(1428)徳政碑で、歴史の教科書にもよく取り上げられている疱瘡地蔵さん。
奈良市(東エリア) 地蔵磨崖仏の右下に碑文があります。
地蔵磨崖仏の右下に碑文があります。
奈良市(東エリア) 肝心の碑文はよくわかりませんでした。「正長元年」はわかる気がします。
肝心の碑文はよくわかりませんでした。「正長元年」はわかる気がします。
奈良市(東エリア) 疱瘡地蔵から柳生側に少し歩いたところにある柳生六地蔵磨崖仏。大柳生側からだと見えにくい(3枚目)ので、一回素通りしてしまいました。こうして点々と磨崖仏があるということは、この細い道が街道だったということなんでしょうね。
疱瘡地蔵から柳生側に少し歩いたところにある柳生六地蔵磨崖仏。大柳生側からだと見えにくい(3枚目)ので、一回素通りしてしまいました。こうして点々と磨崖仏があるということは、この細い道が街道だったということなんでしょうね。
奈良市(東エリア) 柳生側から見たところ。谷の方を見ながら歩いていたので、全く気がつきませんでした。
柳生側から見たところ。谷の方を見ながら歩いていたので、全く気がつきませんでした。
奈良市(東エリア) 気持ちはわかります😅。
気持ちはわかります😅。
奈良市(東エリア) 炭焼き小屋。
炭焼き小屋。
奈良市(東エリア) はい。
はい。
奈良市(東エリア) 天石立神社の傍らには巨石が積み上がった山がありました。
天石立神社の傍らには巨石が積み上がった山がありました。
奈良市(東エリア) 巨大な板のようなご神体の岩が屹立していました。
巨大な板のようなご神体の岩が屹立していました。
奈良市(東エリア) 手水の水が不思議な凍り方をしていました。
手水の水が不思議な凍り方をしていました。
奈良市(東エリア) うん。。
うん。。
奈良市(東エリア) なかなか神秘的なところでよかったです。
なかなか神秘的なところでよかったです。
奈良市(東エリア) 柳生家代々のお墓。佐官さんがお墓を囲う塀を修繕していました。
柳生家代々のお墓。佐官さんがお墓を囲う塀を修繕していました。
奈良市(東エリア) もみじ橋からお墓に上がってくる道があるようだったので、地理院地図を辿ってみたところ、お墓の入り口脇に出てきました。ただ、地理院地図とはかなり違う道筋でした。
もみじ橋からお墓に上がってくる道があるようだったので、地理院地図を辿ってみたところ、お墓の入り口脇に出てきました。ただ、地理院地図とはかなり違う道筋でした。
奈良市(東エリア) 十兵衛杉。もう何十年も前に枯れたんだと思いますが、そのまま腐って倒れることもなく、いまだ立っているのがすごいと思います。一応倒れないように、金属のワイヤーが張られていました。
十兵衛杉。もう何十年も前に枯れたんだと思いますが、そのまま腐って倒れることもなく、いまだ立っているのがすごいと思います。一応倒れないように、金属のワイヤーが張られていました。
奈良市(東エリア) 阿対(あたや)の石仏。大きな阿弥陀磨崖仏の左下に地蔵磨崖仏が彫られています。お地蔵様に豆腐を備えると子供が授かるという信仰があり、子供が授かったときには一千個の数珠作ってお礼詣りをするそうです。
阿対(あたや)の石仏。大きな阿弥陀磨崖仏の左下に地蔵磨崖仏が彫られています。お地蔵様に豆腐を備えると子供が授かるという信仰があり、子供が授かったときには一千個の数珠作ってお礼詣りをするそうです。
奈良市(東エリア) 阿対(あたや)の石仏の手前(柳生側)の農道を東の山の方へ入っていくと、「柳生沿線探勝路」と書かれた看板があり、コンクリートで固めた石畳風の階段が設えられていました。
阿対(あたや)の石仏の手前(柳生側)の農道を東の山の方へ入っていくと、「柳生沿線探勝路」と書かれた看板があり、コンクリートで固めた石畳風の階段が設えられていました。
奈良市(東エリア) なかなか気持ちの良い山道です。
なかなか気持ちの良い山道です。
奈良市(東エリア) 尾根筋に出ると丁字路になっていました。左は飛鳥路まで続くというのですが。。。
尾根筋に出ると丁字路になっていました。左は飛鳥路まで続くというのですが。。。
奈良市(東エリア) ゴルフ場で行き止まりかと思いきや、迂回路が作られている様子。
ゴルフ場で行き止まりかと思いきや、迂回路が作られている様子。
奈良市(東エリア) ゴルフ場の獣害防護柵沿いに、荒れた道を歩いていくと、サングラスが木の枝にぶら下がっていました。最近も誰かが歩いてはいるようです。

この後、飛鳥路から続く道に出たところで、飛鳥路に行く気はなかったため引き返しました。
ゴルフ場の獣害防護柵沿いに、荒れた道を歩いていくと、サングラスが木の枝にぶら下がっていました。最近も誰かが歩いてはいるようです。 この後、飛鳥路から続く道に出たところで、飛鳥路に行く気はなかったため引き返しました。
奈良市(東エリア) 写真ではわかりにくいですが、強化プラスチックで土留めをして階段が作られています。かなり急な下り坂になっています(行きは登り)。
写真ではわかりにくいですが、強化プラスチックで土留めをして階段が作られています。かなり急な下り坂になっています(行きは登り)。
奈良市(東エリア) 帰りは途中から、全く気づかずに、行きとは違う道を歩いていました。

途中に、天石立神社で見たような巨石が積み上がった場所がありました。
帰りは途中から、全く気づかずに、行きとは違う道を歩いていました。 途中に、天石立神社で見たような巨石が積み上がった場所がありました。
奈良市(東エリア) 何かありそうに思って、巨石の隙間にできた洞穴を覗いてみましたが、何もなかったです。

そんなこんなで行きに見かけなかった巨石に感じ入りながら、それをおかしいと思わなかった自分がちょっと怖いです😅。

たまたま元の道に戻って、ある意味近道を見つけられてよかったですが、危ないところでした。
何かありそうに思って、巨石の隙間にできた洞穴を覗いてみましたが、何もなかったです。 そんなこんなで行きに見かけなかった巨石に感じ入りながら、それをおかしいと思わなかった自分がちょっと怖いです😅。 たまたま元の道に戻って、ある意味近道を見つけられてよかったですが、危ないところでした。
奈良市(東エリア) 丁字路から柳生古城へは快適な山道でした。1カ所こんなところも。かつては遊歩道として、きちんと整備されていたのだろうと思います。
丁字路から柳生古城へは快適な山道でした。1カ所こんなところも。かつては遊歩道として、きちんと整備されていたのだろうと思います。
奈良市(東エリア) ここもすぐ笹藪に覆われそうな場所です。「柳生沿線探勝路」沿いの山林では、あちこちで間伐など山仕事が行われている様子でした。それで、最近山に入るために、草刈りなどして道が整備し直されたのかもしれないです。
ここもすぐ笹藪に覆われそうな場所です。「柳生沿線探勝路」沿いの山林では、あちこちで間伐など山仕事が行われている様子でした。それで、最近山に入るために、草刈りなどして道が整備し直されたのかもしれないです。
奈良市(東エリア) 柳生古城跡の劔塚。
柳生古城跡の劔塚。
奈良市(東エリア) 月ヶ瀬街道脇の「柳生沿線探勝路」入り口に、「現在は剣塚で行き止まり」と書かれていました。実際には、行き止まりではありませんでしたが、途中の笹藪が草刈りされていない時期があったとすると、通行はほぼ無理な状態だっただろうと思います。
月ヶ瀬街道脇の「柳生沿線探勝路」入り口に、「現在は剣塚で行き止まり」と書かれていました。実際には、行き止まりではありませんでしたが、途中の笹藪が草刈りされていない時期があったとすると、通行はほぼ無理な状態だっただろうと思います。
奈良市(東エリア) 阪原町北出阿弥陀磨崖仏。
阪原町北出阿弥陀磨崖仏。
奈良市(東エリア) こちらの記事に悲しい出来事が書かれていました...。

>柳生阪原北出橋 阿弥陀如来磨崖仏[画像更新] - 愛しきものたち 
https://blog.goo.ne.jp/pzm4366/e/c80203918e6feddd7b5f9edbfd2ca4ba 
「この北出橋の畔には以前一石六体地蔵があったようですが、盗難にあってからは別の場所に移され、どこに在るのか教えてもらえません。」
こちらの記事に悲しい出来事が書かれていました...。 >柳生阪原北出橋 阿弥陀如来磨崖仏[画像更新] - 愛しきものたち https://blog.goo.ne.jp/pzm4366/e/c80203918e6feddd7b5f9edbfd2ca4ba 「この北出橋の畔には以前一石六体地蔵があったようですが、盗難にあってからは別の場所に移され、どこに在るのか教えてもらえません。」
奈良市(東エリア) 橋の南側の白砂川べりにいらっしゃいます。磨崖仏のちょうど対岸に阪原町の公民館があり、その脇に集落へ登っていく道があるので、かつては磨崖仏の前に橋があったのかもしれないです。山村にありがちですが、公民館が元はお寺だった可能性も?
橋の南側の白砂川べりにいらっしゃいます。磨崖仏のちょうど対岸に阪原町の公民館があり、その脇に集落へ登っていく道があるので、かつては磨崖仏の前に橋があったのかもしれないです。山村にありがちですが、公民館が元はお寺だった可能性も?
奈良市(東エリア) 阪原町足痛地蔵。阪原町から藤尾城跡、下狭川城跡を経て、下狭川の中墓寺の裏へ抜ける道の脇に、お堂があります。下狭川からは加茂の船屋まで山越えの道が通じていましたから、阪原から加茂まで、重い荷物を背負って行き来することもあったのではないでしょうか。ここは、村に帰ってきたとき、足痛が治るよう祈りたくなる場所だったのかもしれないです。
阪原町足痛地蔵。阪原町から藤尾城跡、下狭川城跡を経て、下狭川の中墓寺の裏へ抜ける道の脇に、お堂があります。下狭川からは加茂の船屋まで山越えの道が通じていましたから、阪原から加茂まで、重い荷物を背負って行き来することもあったのではないでしょうか。ここは、村に帰ってきたとき、足痛が治るよう祈りたくなる場所だったのかもしれないです。
奈良市(東エリア) 思っていたより大きなお地蔵様で、迫力がありました。妙に立体的でリアルなお顔といい、少し怖いくらい。
思っていたより大きなお地蔵様で、迫力がありました。妙に立体的でリアルなお顔といい、少し怖いくらい。
奈良市(東エリア) でも五尺=約151cmだそうです。もっと大きく見えました。
でも五尺=約151cmだそうです。もっと大きく見えました。
奈良市(東エリア) 小さな石仏とともにお堂に安置されています。
小さな石仏とともにお堂に安置されています。
奈良市(東エリア) 藤尾城跡。ゴルフ場北の貯水池の西の尾根に山城跡があります。道の西側の擁壁が低くなったところから適当に尾根の上を目指して歩いていくと、素人目にもお城の跡とわかるような土塁や堀切がみつかります。
藤尾城跡。ゴルフ場北の貯水池の西の尾根に山城跡があります。道の西側の擁壁が低くなったところから適当に尾根の上を目指して歩いていくと、素人目にもお城の跡とわかるような土塁や堀切がみつかります。
奈良市(東エリア) 阪原から狭川への旧道に、まだ枝にかけられて日が浅い手袋が。この道を歩く人はいるようです。
阪原から狭川への旧道に、まだ枝にかけられて日が浅い手袋が。この道を歩く人はいるようです。
奈良市(東エリア) 下狭川城跡。馬場跡の近くで、お婆さんが草刈りをしておられました。

「昔はここで山葵を作っていたんだけれど、今はすっかり荒れてしまって。通る人が困らないよう、草刈りしている」とおっしゃっていました。

ありがたいことです🙏🙏。
下狭川城跡。馬場跡の近くで、お婆さんが草刈りをしておられました。 「昔はここで山葵を作っていたんだけれど、今はすっかり荒れてしまって。通る人が困らないよう、草刈りしている」とおっしゃっていました。 ありがたいことです🙏🙏。

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