神石山の頂上には昭和21年(1946)から昭和44年(1969)まで航空灯台が設置され働いていました🛬 航空灯台は航空機が安全に夜間飛行をするために飛行位置を確認する設備です✨ わたしが子どものころ豊橋市内から東の山で光の帯が回転しているのを見たことがあります。 しかし、昭和44年3月には役割を終え翌年2月撤去されたそうです。わずか20年余の活動期間でした。そして撤去されてからもう50年以上たちました。 現在は神石山の頂上の枯木に「神石山(旧航空灯台跡」と書かれた標示が掲げてあり、ここに灯台があったことが示されています😉 航空灯台についてくわしく調査された柴田昭彦氏はその著『旗振り山と航空灯台』でこの航空灯台のことを紹介されています。そこでは取材した方から痕跡は残っていないと聞いたと書かれています。 しかし、痕跡らしい物があることは知られていて、わたしも以前活動日記に挙げたことがあります。 この神石山には常連さんたちが連日のように登ってきています。その常連さんたちはこの痕跡のことは知っているようです。(この日会った方も「航空灯台の跡が残ってるよね」と言っていました。) 『旗振り台と航空灯台』に触発され、これは本格的に調べてみなくてはと思い、いくつか資料をさがしてみました。 昭和35年発行の国土地理院地形図を見ると神石山の三角点のすぐ北に灯台の記号が見えます。 また、昭和36年の豊橋市基本計画図にも三角点の北10mほどの位置に灯台の記号があります。 そして昭和55年発行の『豊橋自然歩道』には「ありし日の航空灯台」として写真が載っています。これは南側から見ているようで、北側の広場に灯台があったことがわかります。 この航空灯台の痕跡を実際に確認するため、あらためて神石山に行ってきました。 山頂の北の広場でよく地面を見ると、コンクリートやL字アングル、鉄筋のようにものが4か所に見えます。 この4か所を結んでみるとほぼ正方形になります。 アングルは2か所、正方形の対角にあり、アングルの角が外側になるような向きになっています。 これを線でつなぐと430cmほどとなり、計算すると一辺が3mぐらいの正方形になります。 L字アングルは写真の脚と比べると細いので脚そのものではなさそうですが、土台が鉄筋で補強されたコンクリートでできていたかもしれません。 鉄筋のような物についてはいずれも端が曲がっているので、撤去するとき曲げたのかもしれません。専門家ならわかるかもしれませんね。 7年前に私が撮った写真と比べ合わせると、以前はもっと埋もれていたけれども表土がさらわれて露出がはっきりしてきたようです。今後さらに露出してくるのではないでしょうか。 なお、この灯台は夜になると照明が点灯し、朝には消えます。 そのスイッチが豊橋市岩崎町の中心にあり、地元で委託された方がスイッチを入れていたそうです。 とすると電線が神石山まで伸びていたはずです。写真にも電線が見えます。(静岡側のように見えますが) 電線は現在の神石自然歩道に沿って延びていたはずですが、これまで歩いた限りでは神石自然歩道には電柱の跡などは見つからないようです。風雨に耐えなければならないので、それなりに太い電柱でしょう。これもあわせて撤去されたと考えられます。 その後、フォロアーさんからのコメントで、当時保守管理をされていた方の思い出話があることを知りました。 調べて見たら、地元の豊岡中学校が昭和57年(1982年)に発行した『とよおか誌』に載っていました。 それによると運輸省大阪航空保安局名古屋航空保安事務所から業務委嘱をされ、毎日の天気概況、点灯状況、消灯の確認、簡単な故障の修理などを行い、日報にまとめていたそうです。 話では、電球は切れると自動的に新しい電球にかわるしくみになっていたそうです。しかし、ときとして作動しないときがありそのときは急いで取り替えに登ったとか、灯台にいたずらがあると走って登って行ったなどの話を語ってくれたそうです。 なお、ここには「タイムスイッチで点灯、消灯がされることになっていた」と書かれていますが、タイマーでスイッチが入るのなら、上で書いたようにスイッチを入れる必要はないので話が合いません。 当時タイマーが一般に使われていたかどうかもわからないので、この点は不明です。 この『とよおか誌』には航空灯台の概要も載っています。 灯台の高さは約15mで、直径1m20cmほどのレンズがのせられ、1000燭光の電球が付いていたそうです。また電力は3300Vの電圧で岩崎から線が引かれていたということです。 以上の活動日記をあげようかどうしようか迷いました🤔 興味本位に掘られて荒らされるのもあまり好ましくないと思われるからです。 保護が必要なほどの物ではなさそうですが、産業遺産とも言える痕跡です。 ただし、このまま放っておくと、表土は流され露出が激しくなるので歩く邪魔になるでしょう。 それがひどくなったら撤去せざるを得なくなるかもしれません。 もちろん鉄もコンクリートも風化します。風化が先か表土の流出が先かになります。 上記『旗振り山と航空灯台』著者の柴田氏に現状をお伝えしたところ、貴重な記録だからと公開を勧められました。 わたしとしても、やがてはなくなるからこそ現況を記録しておくべきだと思い公開することにしました。 「神石山(旧航空灯台跡」の標示とあわせて、いつまで残っているかが気になるところです😅 今回は最初に航空灯台跡関連の説明をして、そのあと行程を載せます。 なお、後日新たな知見があった場合はこの日記を更新する予定です😉
豊橋自然歩道協議会編『豊橋市自然歩道』(1980年刊)に載っている航空灯台の写真(使用承認済) 灯台は脚が四角形になっている 上の方に電線が通っている 左の支柱のようなのは不明 右に松のような大きな木が見える これが現在「旧航空灯台跡」の標示がかかっている枯木かもしれないと、ここで会った方と話した
昭和35年版国土地理院地形図『二川』 上の方に「航空燈台」の文字と記号が見える
昭和36年の豊橋市都市計画基本図にも記載されている ついでに、南の分岐点の岩は「獅子岩」という
以下の痕跡等を図面にしてみた かなり大雑把な図 今後距離などを測って修正の予定
南側から広場を見たところ 手前の岩が写真の岩と思われる
神石山(旧航空灯台跡)の標示
金具の配置 南西から北東を見る 四角がいびつに見えるのは角の金具の位置がしっかりしないから? 写真のせいなのかもしれない
金具の配置 南東から北西を見る
金具の配置 北東から南西を見る 三角点が右奥に見える
①と③のL字アングルを結ぶ対角線を図ってみたら430cmほど(写真では向こうの方が10cmほどずれてたので440cmになっているのに、当て直したあと写真をとらなかった😅)
測り直したもの 少し前、角がはっきりしない金具から一辺が270cmぐらいと考えたが、これからすると正方形の一辺はほぼ3m
①の金具 L字のアングル(□で囲んだもの)は角が外側を向いている コンクリート(○で囲んだところ) 曲がっているのは鉄筋と思われる 以下「鉄筋」で通す
「鉄筋」の長さはまちまちだが、だいたいこのくらい
7年前に見た金具① かなり埋もれていたのが現在は露出がはっきりしてきたようだ (はじめ5年前としたのを修正)
②は「鉄筋」(□)だけのように見えるがコンクリートらしき物(○)も見える
③の金具 「鉄筋」とL字のアングル(□)、コンクリートらしき物(○)
L字アングルの1辺は7,8cm 過去の写真の柱はもっと太そうなのでこれ自体が支柱とは思えない
7年前に見た金具 L字アングルのような物が見え、③と似ているようだが配置が多少異なるようにも見える こちらも露出してきたのか
④の金具 こちらは「鉄筋」だけしか見えない
正方形の内部にあるこのコンクリートは60cm以上ある 鉄骨のあとのような形が見える 灯台を撤去したとき掘り返したものが残ったのか
正方形の外側にもコンクリートらしきものが見えるが、これもわからない
ここからは行程 神石自然歩道の始点
松葉の積もる道を歩く
林道を横切って登る 林道の脇にハートマーク 粋なことをするなあ
峠に到着 ふつうは左に行くがたまには回り道を
薬師岩の上で左折
これが獅子岩
山頂に到着
思案の末パラダイスまで行くことにした
中尾根分岐点
パラダイスから浜名湖がきれい 富士山もうっすらと見える
もういちど神石山に戻って メジロがミカンに寄る
これもついでに焙烙岩に寄る
普門寺峠まで回って下りる途中の望寺岩
普門寺峠は最近通っていなかった ここから普門寺自然歩道で西へ下る
普門寺自然歩道の始点に到着