毘沙門山/馬上(Moue)の彷徨

2022.01.29(土) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
8 時間 29
休憩時間
2 時間 35
距離
10.7 km
のぼり / くだり
1132 / 1131 m
4
29
4 18
3
2 12

活動詳細

すべて見る

飽くなき小鹿野町の山探訪が続いている。もう何回目になるのだろう。そう思って記録を遡って確認すると、今回の毘沙門山で、十一回を数えることが判明した。両神山、二子山は重複して登ったので、山域としての訪問となると、九箇所目と云うことになる。 約三ヶ月の間、一心不乱に秩父市と小鹿野町に通い続けている訳で、我ながら感心してしまう。 毘沙門山は、登山地図等では「白石(はくせき)山」と記されているので、別名と云う扱いである。石灰岩採掘で削られた荒々しい山容は、石灰で白いから白石山と呼ばれているようだが、憤怒の形相の守護神、毘沙門天に通じる毘沙門山の方が、相応しいのではないかと思えてしまう。 「ジオパーク秩父」のサイトでは、平成の名水百選のひとつ、として紹介されている「毘沙門水」の説明文で、此の山に就いて触れている。その一部を抜粋すると…。 (前略) 白石山は名前のとおり石灰岩の山で、カルシウムなどミネラルが豊富な天然水が湧き出ています。水量も豊富で渇水期も干上がることがなく、毘沙門様が守る「神の水」とも呼ばれ、古くから当地・馬上(もうえ)の人々の暮らしを支えてきました。 (後略) 石灰石鉱山の、もうひとつの姿は、神の水を湧出せらるる、恵みの山であることが理解できる。 毘沙門山の異形は、採掘に拠って白い岩崖を剥き出しにしている、南側の山腹である。その独特な山容を見て、登ってみたいなと感じたのは、三合落岳からの辺見尾根、尾ノ内渓谷から登った天理岳など、毘沙門山南面と対峙できる位置の、高みから眺めた時のことであった。 両神山からは遠く、同じ稜線に並んでいる二子山からは、毘沙門山南面を見ることは出来ない。 採掘が中断する迄は入山禁止だった、と云うのが大きな理由だとは思うけれど、小鹿野町の二大メジャーである両神山、二子山から見え難いと云うのが、毘沙門山(白石山)の秘境ぶりを構成する要因の、ひとつであるような気がする。 KZ氏とふたりで、次回は行こうと云いながら、なかなか登る機会が訪れていなかったのは、見るからに峻険な岩稜に恐れをなしてと云う理由が大きいのと、牛首峠から尾根伝いに辿る行程の仔細が、なかなか掴めないでいたと云うのも有った。そう云う訳で、行ってみなければ判らない。 前回歩いた釜ノ沢五峰で、送電鉄塔の立つ広場から眺めた毘沙門山は、そろそろ登らなければ、と思わせる、独特の存在感であった。異形の奇峰に、そろそろ、登らなければならない。 毘沙門水の馬上から、牛首峠を経て、毘沙門山に登る。 其れを目的にして、いよいよ実行することになったのだが…。

両神山・諏訪山・二子山 不穏な幕開けは、池袋駅から始まった。

始発の山手線で池袋に到着して、五分後に発車する、西武池袋線始発の小手指行きに乗り換える。

広い地下通路を小走りで移動するが、此の間に「秩父市応援 秩父漫遊きっぷ」を購入しなければならない。

券売機に到達して、ポケットに裸で入れた現金千六百円を取り出そうとして、あれっと思う。

掌には、千円札と百円玉しか無い。何処かで、五百円玉を落としてしまったようで、なんたることかと思うが、躊躇している場合では無い。財布から現金を補充して、タッチパネルの「お得なきっぷ」にタッチする。

しかし、「秩父市応援 秩父漫遊きっぷ」の項目が現われない。購入できるのは「秩父フリーきっぷ」のみである。どう云うことのなのか…。

小手指行きの発車が、刻一刻と迫っている。考えている暇は無い。ICカードで入場して電車に乗り込むと、間も無く発車の車内アナウンスが流れる。そして、何事も無いと云う感じで、ドアが閉まった。

西武鉄道のサイトを閲覧すると…。

【「秩父市応援 秩父漫遊きっぷ」の発売中止について】
https://www.seiburailway.jp/ticket/otoku/chichibu-manyu-kippu/index.html

埼玉県の「まん延防止等重点措置」適用から一週間が経過しているが、その間に発売中止が決まったようであった。

事情が判明したので、今度はゆっくりと落胆し、虚脱状態である。不要不急の外出を奨励するようなチケットの販売自粛と云うことで、止むを得ないかなとは思う。

それにしても、五百円玉を遺失した挙句に、漫遊きっぷが買えないことを突然知ると云う、ダブルショックである。なんだか気が重い。

KZ氏も所沢附近の最寄り駅で、此の事態に遭遇したが、呼び出しボタンで係員を呼び、秩父市応援無しの「秩父漫遊きっぷ」を購入したとのことであった。

割引額は「秩父市応援」にこそ及ばないが、バスで馬上迄往復することを考えると、かなり得であることに変わりは無い。

券売機では買えなくなった「秩父漫遊きっぷ」を、五分間の猶予で、早朝の池袋駅で購入するのは難しそうである。

ふたたび嘆息していると、車内でのオンラインでのやりとりで、西武観光バスの一日乗車券が有ると云う情報をKZ氏から戴く。それで漸く安堵した。有り難いことである。

【秩父バス一日乗車券】
https://www.seibubus.co.jp/docs/rosen/chichibu/oneday.pdf

漫遊きっぷショックと、五百円玉遺失事件で、なかなか秩父に辿り着けていない。話を先に進めることにする。

西武秩父駅でKZ氏と合流。七時丁度の小鹿野車庫行きに乗り込む。車中では、秩父市の応援無しでの山行に就いて、話題が尽きない。

それで漸く曾遊の地、小鹿野町に入り、小鹿野町役場バス停に降り立った。

ハイカーをふたりほど乗せた坂本行きが出発すると、続いて長沢行き始発バスがやってくる。乗客は勿論、我々ふたりだけであった。
不穏な幕開けは、池袋駅から始まった。 始発の山手線で池袋に到着して、五分後に発車する、西武池袋線始発の小手指行きに乗り換える。 広い地下通路を小走りで移動するが、此の間に「秩父市応援 秩父漫遊きっぷ」を購入しなければならない。 券売機に到達して、ポケットに裸で入れた現金千六百円を取り出そうとして、あれっと思う。 掌には、千円札と百円玉しか無い。何処かで、五百円玉を落としてしまったようで、なんたることかと思うが、躊躇している場合では無い。財布から現金を補充して、タッチパネルの「お得なきっぷ」にタッチする。 しかし、「秩父市応援 秩父漫遊きっぷ」の項目が現われない。購入できるのは「秩父フリーきっぷ」のみである。どう云うことのなのか…。 小手指行きの発車が、刻一刻と迫っている。考えている暇は無い。ICカードで入場して電車に乗り込むと、間も無く発車の車内アナウンスが流れる。そして、何事も無いと云う感じで、ドアが閉まった。 西武鉄道のサイトを閲覧すると…。 【「秩父市応援 秩父漫遊きっぷ」の発売中止について】 https://www.seiburailway.jp/ticket/otoku/chichibu-manyu-kippu/index.html 埼玉県の「まん延防止等重点措置」適用から一週間が経過しているが、その間に発売中止が決まったようであった。 事情が判明したので、今度はゆっくりと落胆し、虚脱状態である。不要不急の外出を奨励するようなチケットの販売自粛と云うことで、止むを得ないかなとは思う。 それにしても、五百円玉を遺失した挙句に、漫遊きっぷが買えないことを突然知ると云う、ダブルショックである。なんだか気が重い。 KZ氏も所沢附近の最寄り駅で、此の事態に遭遇したが、呼び出しボタンで係員を呼び、秩父市応援無しの「秩父漫遊きっぷ」を購入したとのことであった。 割引額は「秩父市応援」にこそ及ばないが、バスで馬上迄往復することを考えると、かなり得であることに変わりは無い。 券売機では買えなくなった「秩父漫遊きっぷ」を、五分間の猶予で、早朝の池袋駅で購入するのは難しそうである。 ふたたび嘆息していると、車内でのオンラインでのやりとりで、西武観光バスの一日乗車券が有ると云う情報をKZ氏から戴く。それで漸く安堵した。有り難いことである。 【秩父バス一日乗車券】 https://www.seibubus.co.jp/docs/rosen/chichibu/oneday.pdf 漫遊きっぷショックと、五百円玉遺失事件で、なかなか秩父に辿り着けていない。話を先に進めることにする。 西武秩父駅でKZ氏と合流。七時丁度の小鹿野車庫行きに乗り込む。車中では、秩父市の応援無しでの山行に就いて、話題が尽きない。 それで漸く曾遊の地、小鹿野町に入り、小鹿野町役場バス停に降り立った。 ハイカーをふたりほど乗せた坂本行きが出発すると、続いて長沢行き始発バスがやってくる。乗客は勿論、我々ふたりだけであった。
両神山・諏訪山・二子山 難読地名の馬上に到着。山峡の集落に陽は未だ射さず、猛烈に冷え込んでいる。早速歩き出すことにした。

以前、観音山から下山の途を辿った、沢沿いの道を登っていくと、険阻な岩崖に、踏路が狭まってくる。
難読地名の馬上に到着。山峡の集落に陽は未だ射さず、猛烈に冷え込んでいる。早速歩き出すことにした。 以前、観音山から下山の途を辿った、沢沿いの道を登っていくと、険阻な岩崖に、踏路が狭まってくる。
両神山・諏訪山・二子山 登っている途上で、KZ氏は岩崖の尾根をトラバースできそうな道を探るが果たせず、牛首峠に至る直前でショートカットして、鞍部に乗ることにした。踏み跡は明瞭であった。

木立ち越しに観音山を見て、尾根分岐の瘤で小休止する。標高520mの等高線が囲む尾根の先は、絶望的な断崖で、牛首峠からのルートに、早速赤信号が点滅するのであった。
登っている途上で、KZ氏は岩崖の尾根をトラバースできそうな道を探るが果たせず、牛首峠に至る直前でショートカットして、鞍部に乗ることにした。踏み跡は明瞭であった。 木立ち越しに観音山を見て、尾根分岐の瘤で小休止する。標高520mの等高線が囲む尾根の先は、絶望的な断崖で、牛首峠からのルートに、早速赤信号が点滅するのであった。
両神山・諏訪山・二子山 KZ氏がロープを潅木に括り、とりあえず下降を試みる。それを二回続けた処で、岩尾根の断崖は、絶望的に垂直であるのを確認する。

来た道を引き返し、北尾根の何処かに取り付こう。と云うことになった。
KZ氏がロープを潅木に括り、とりあえず下降を試みる。それを二回続けた処で、岩尾根の断崖は、絶望的に垂直であるのを確認する。 来た道を引き返し、北尾根の何処かに取り付こう。と云うことになった。
両神山・諏訪山・二子山 北面の岩崖をふたたび探索して、KZ氏が様子を見に行った。私は登山道から、険しい岩尾根の横這いを、固唾を呑んで見ている。

そして、諦めて引き返してきたKZ氏を見て、安堵するのであった。
北面の岩崖をふたたび探索して、KZ氏が様子を見に行った。私は登山道から、険しい岩尾根の横這いを、固唾を呑んで見ている。 そして、諦めて引き返してきたKZ氏を見て、安堵するのであった。
両神山・諏訪山・二子山 せっかく登った道を引き返して、どんどん下っていく。北尾根の上は陽が射していて、気持ちよさそうであるが、其れに登って行けそうな斜面が、なかなか見つからない。
せっかく登った道を引き返して、どんどん下っていく。北尾根の上は陽が射していて、気持ちよさそうであるが、其れに登って行けそうな斜面が、なかなか見つからない。
両神山・諏訪山・二子山 標高400m附近迄下り、漸く取り付けそうな箇所を発見する。微かに残る踏み跡を辿り、登って行くと、空が見えてきて、尾根上を示唆している。
標高400m附近迄下り、漸く取り付けそうな箇所を発見する。微かに残る踏み跡を辿り、登って行くと、空が見えてきて、尾根上を示唆している。
両神山・諏訪山・二子山 尾根に乗ってひと安心となるが、登り返しを始めて間も無く、巨岩の遮る踏路となった。

前途多難の予感が、ふたりを覆っていく。
尾根に乗ってひと安心となるが、登り返しを始めて間も無く、巨岩の遮る踏路となった。 前途多難の予感が、ふたりを覆っていく。
両神山・諏訪山・二子山 ふたたび巨岩が出現して、迂回しながら急斜面に手を突き、懸命に登っていく。

標高480m附近で勾配が落ち着き、漸く送電鉄塔の立っている、撤退した岩尾根の断崖の隣に、立つことが出来たのであった。

牛首峠の鞍部から引き返して、一時間が経過していた。果たして、毘沙門山に登ることはできるのだろうかと思う。
ふたたび巨岩が出現して、迂回しながら急斜面に手を突き、懸命に登っていく。 標高480m附近で勾配が落ち着き、漸く送電鉄塔の立っている、撤退した岩尾根の断崖の隣に、立つことが出来たのであった。 牛首峠の鞍部から引き返して、一時間が経過していた。果たして、毘沙門山に登ることはできるのだろうかと思う。
両神山・諏訪山・二子山 送電新岡部線五号鉄塔から、吉田川流域の向こうに、父不見山を遠望する。良景に安堵して、小休憩となった。
送電新岡部線五号鉄塔から、吉田川流域の向こうに、父不見山を遠望する。良景に安堵して、小休憩となった。
両神山・諏訪山・二子山 標高479m点ピークから上がってくる尾根が収斂する箇所に、送電線巡視路の黄杭が立っていた。

登るのは此の尾根だったよ。KZ氏が悔しそうに云う。

標高650mを越えると、地形図の通りで、等高線の混んでいる急登が始まった。

苦悶の呻き声を上げながら、ひたすら登り続ける。辛いのだけれど、断崖に阻まれる事を思えば、耐え忍ぶしか無いのであった。

漸く急登を終えた処で、送電新榛名線の鉄塔に行き当たった。地形図の表記では、稜線の南側を送電線が通っている。しかし、標高780m圏峰に送電鉄塔が立っているのが現状であった。

待望の稜線に達した。南面は陽差しが暖かく、自然林の冬木立が疎らに林立する、穏やかな風情であった。

馬上から牛首峠を彷徨っていた行程を振り返ると、よくぞ此処迄登ってきたな、と思う。

久しぶりに、ふたりで食すカップ麺の、大休憩となった。
標高479m点ピークから上がってくる尾根が収斂する箇所に、送電線巡視路の黄杭が立っていた。 登るのは此の尾根だったよ。KZ氏が悔しそうに云う。 標高650mを越えると、地形図の通りで、等高線の混んでいる急登が始まった。 苦悶の呻き声を上げながら、ひたすら登り続ける。辛いのだけれど、断崖に阻まれる事を思えば、耐え忍ぶしか無いのであった。 漸く急登を終えた処で、送電新榛名線の鉄塔に行き当たった。地形図の表記では、稜線の南側を送電線が通っている。しかし、標高780m圏峰に送電鉄塔が立っているのが現状であった。 待望の稜線に達した。南面は陽差しが暖かく、自然林の冬木立が疎らに林立する、穏やかな風情であった。 馬上から牛首峠を彷徨っていた行程を振り返ると、よくぞ此処迄登ってきたな、と思う。 久しぶりに、ふたりで食すカップ麺の、大休憩となった。
両神山・諏訪山・二子山 稜線の西北に歩を進める。標高点811mピークにも送電鉄塔が立っており、此処は、愛宕山の名前が有るらしいよと、KZ氏が云った。

植林帯に忽然と鉄塔の立つピークで、愛宕山と云うような風情は、感じることが出来ない。

811mピークから、急激な下り勾配が始まった。せっかく登ったのに。私が云うと、未だ降りるのかよおと、KZ氏が叫ぶ。

標高差を丁度百メートル下り、鞍部に達した。地形図破線が交差する峠であり、実情は送電線巡視路が横切っている峠道である。

胡桃指峠の名が付されていることを、KZ氏に教えて貰う。植林帯で、無味乾燥な雰囲気の峠であった。
稜線の西北に歩を進める。標高点811mピークにも送電鉄塔が立っており、此処は、愛宕山の名前が有るらしいよと、KZ氏が云った。 植林帯に忽然と鉄塔の立つピークで、愛宕山と云うような風情は、感じることが出来ない。 811mピークから、急激な下り勾配が始まった。せっかく登ったのに。私が云うと、未だ降りるのかよおと、KZ氏が叫ぶ。 標高差を丁度百メートル下り、鞍部に達した。地形図破線が交差する峠であり、実情は送電線巡視路が横切っている峠道である。 胡桃指峠の名が付されていることを、KZ氏に教えて貰う。植林帯で、無味乾燥な雰囲気の峠であった。
両神山・諏訪山・二子山 胡桃指峠から登り返すと、やがて植林が終わり、冬木立の広がる小平地に達した。

ビバーク適地だね、などと云いながら、心地好い雰囲気に、ふたりで溜飲を下げる。
胡桃指峠から登り返すと、やがて植林が終わり、冬木立の広がる小平地に達した。 ビバーク適地だね、などと云いながら、心地好い雰囲気に、ふたりで溜飲を下げる。
両神山・諏訪山・二子山 緩やかな勾配を登り切ると、毘沙門山に至る途上では最後のピークとなる、標高点851mに到達した。

両神山が、意外な程に間近に見える。そして、対岸の尾根の向こうに、凄惨な灰色の山肌が現われた。

とうとう、毘沙門山が近づいてきた。そう思うと、登攀の意欲が、途端に湧いてくるのであった。
緩やかな勾配を登り切ると、毘沙門山に至る途上では最後のピークとなる、標高点851mに到達した。 両神山が、意外な程に間近に見える。そして、対岸の尾根の向こうに、凄惨な灰色の山肌が現われた。 とうとう、毘沙門山が近づいてきた。そう思うと、登攀の意欲が、途端に湧いてくるのであった。
両神山・諏訪山・二子山 標高点851mを下り、ふたたび暗い植林帯の踏路となった。鞍部を越えると、苔生した石祠を見て、毘沙門山の山頂域に向かって登り始める。
標高点851mを下り、ふたたび暗い植林帯の踏路となった。鞍部を越えると、苔生した石祠を見て、毘沙門山の山頂域に向かって登り始める。
両神山・諏訪山・二子山 標高860m附近で支尾根が合流すると、山腹トラバースの踏路が、岩稜の尾根上に続いている。

複雑怪奇に散逸し屹立する露岩の、南側に沿って登っていくと…。
標高860m附近で支尾根が合流すると、山腹トラバースの踏路が、岩稜の尾根上に続いている。 複雑怪奇に散逸し屹立する露岩の、南側に沿って登っていくと…。
両神山・諏訪山・二子山 全てを遮るようにして盛り上がる岩峰が出現した。KZ氏の資料には、蛙岩と記された地点である。

あれが蛙岩かな。蛙には見えないよね。そんなことを云い合いながら、毘沙門山の岩稜を歩いている。
全てを遮るようにして盛り上がる岩峰が出現した。KZ氏の資料には、蛙岩と記された地点である。 あれが蛙岩かな。蛙には見えないよね。そんなことを云い合いながら、毘沙門山の岩稜を歩いている。
両神山・諏訪山・二子山 岩峰を登り切ると、秩父、そして上武の山なみを見渡す大展望。

予想できた事とは云え、胸のすくような気分になる眺望である。
岩峰を登り切ると、秩父、そして上武の山なみを見渡す大展望。 予想できた事とは云え、胸のすくような気分になる眺望である。
両神山・諏訪山・二子山 佇立する奇岩を越えて、見事に山腹を抉られた、異形の毘沙門山が現われる。

背後の両神山は途轍も無く巨大で、今迄見た両神山の姿とは一線を画す、迫力の山容であった。

明らかに断崖の縁であろう、採掘で抉られた、ぎりぎりの処迄歩いていくと…。
佇立する奇岩を越えて、見事に山腹を抉られた、異形の毘沙門山が現われる。 背後の両神山は途轍も無く巨大で、今迄見た両神山の姿とは一線を画す、迫力の山容であった。 明らかに断崖の縁であろう、採掘で抉られた、ぎりぎりの処迄歩いていくと…。
両神山・諏訪山・二子山 余りにも怪異な全容を見る。所謂露天掘りの手法と、手順に関する知識が無いので、どうしてこんな山貌になったのかは、判らない。

恰もケーキカットに失敗したみたいに、山頂部位から垂直に抉り取られた山肌は、自然の光景とは程遠い。

毘沙門山の断面を、茫然と眺める。暗喩としてでは無い頽廃美と云うのが、こんな光景なのではないかな、などと思うのであった。
余りにも怪異な全容を見る。所謂露天掘りの手法と、手順に関する知識が無いので、どうしてこんな山貌になったのかは、判らない。 恰もケーキカットに失敗したみたいに、山頂部位から垂直に抉り取られた山肌は、自然の光景とは程遠い。 毘沙門山の断面を、茫然と眺める。暗喩としてでは無い頽廃美と云うのが、こんな光景なのではないかな、などと思うのであった。
両神山・諏訪山・二子山 思いがけない事に、毘沙門山から、ふたり組のハイカーが下山して来た。

断崖の上から眺めていても、彼らがどんなルートで、此の抉れた尾根を踏破してくるのかは判然としない。

暫く待っていたが、気配は近づいて来ない。北面に捲く道があるのかな。KZ氏が云った。

そして、我々自身が、どうやって此の崖を下るべきなのかを模索しなければならない。錆びた金網が張り巡る斜面を、慎重に下降していった。

足元は脆弱で、崩れた石が先行するKZ氏に向かって転がっていく。落石を叫びながらも、滑落の危機に直面しているので、必死に手掛かりを維持しなければならない。

直截的に下った先の断崖で立ち往生するKZ氏が、ロープを取り出そうとしていた。

余りにも怖いので、金網沿いに迂回する提案をすると、了承してくれた。そうして、簡単では無い下降を続け、採掘場の広場に降り立つことに、成功したのだった。
思いがけない事に、毘沙門山から、ふたり組のハイカーが下山して来た。 断崖の上から眺めていても、彼らがどんなルートで、此の抉れた尾根を踏破してくるのかは判然としない。 暫く待っていたが、気配は近づいて来ない。北面に捲く道があるのかな。KZ氏が云った。 そして、我々自身が、どうやって此の崖を下るべきなのかを模索しなければならない。錆びた金網が張り巡る斜面を、慎重に下降していった。 足元は脆弱で、崩れた石が先行するKZ氏に向かって転がっていく。落石を叫びながらも、滑落の危機に直面しているので、必死に手掛かりを維持しなければならない。 直截的に下った先の断崖で立ち往生するKZ氏が、ロープを取り出そうとしていた。 余りにも怖いので、金網沿いに迂回する提案をすると、了承してくれた。そうして、簡単では無い下降を続け、採掘場の広場に降り立つことに、成功したのだった。
両神山・諏訪山・二子山 作業用の砂利道が、毘沙門山に向けて辿っている。ふたたび高度を上げていく途上で振り返ると、歩いてきた岩峰の全容が判然とする景色であった。

地平の彼方に、武甲山を頂点とする山なみが広がり、毘沙門山から続く尾根伝いの先に、小鹿野町の営みが窺える。

支尾根から送電線が辿り、御椀のような山に、鉄塔が二本、並んで立っている。苦労して登った標高780圏峰と、標高811m点のピークであった。

こうして眺めると、確かに愛宕山と呼ばれてもおかしくない山容だね。KZ氏が云った。

山頂に鉄塔が二本並んでいるから、ツインタワーですね。私が云うと、KZ氏は、困ったような顔をするのであった。
作業用の砂利道が、毘沙門山に向けて辿っている。ふたたび高度を上げていく途上で振り返ると、歩いてきた岩峰の全容が判然とする景色であった。 地平の彼方に、武甲山を頂点とする山なみが広がり、毘沙門山から続く尾根伝いの先に、小鹿野町の営みが窺える。 支尾根から送電線が辿り、御椀のような山に、鉄塔が二本、並んで立っている。苦労して登った標高780圏峰と、標高811m点のピークであった。 こうして眺めると、確かに愛宕山と呼ばれてもおかしくない山容だね。KZ氏が云った。 山頂に鉄塔が二本並んでいるから、ツインタワーですね。私が云うと、KZ氏は、困ったような顔をするのであった。
両神山・諏訪山・二子山 作業道が岩峰の上部に達しようかと云う箇所は、ゲートで閉じられていた。鉄扉の周囲は有刺鉄線で覆われており、執拗な迄に通過を阻んでいる。

北面側の崖を攀じ登るように踏路が在り、岩稜に乗り上がった。下方を見れば、採掘場の底である。もの凄い高度感に、頭がくらくらしてくる。
作業道が岩峰の上部に達しようかと云う箇所は、ゲートで閉じられていた。鉄扉の周囲は有刺鉄線で覆われており、執拗な迄に通過を阻んでいる。 北面側の崖を攀じ登るように踏路が在り、岩稜に乗り上がった。下方を見れば、採掘場の底である。もの凄い高度感に、頭がくらくらしてくる。
両神山・諏訪山・二子山 細長い瓦礫の尾根の上を、空に浮かんでいるような気分で、歩いている。

毘沙門山の山頂域に差し掛かり、地形図の等高線は、崖印に囲まれながらも、頂上迄を表現していた。しかし、現状とは乖離しているようで、最高点に近づいたなと云う地点で、断崖の縁に立つことになった。

眼前には、毘沙門山の頂点が聳えている。其れは、冬枯れの木々に覆われた、殺伐とした岩峰であった。
細長い瓦礫の尾根の上を、空に浮かんでいるような気分で、歩いている。 毘沙門山の山頂域に差し掛かり、地形図の等高線は、崖印に囲まれながらも、頂上迄を表現していた。しかし、現状とは乖離しているようで、最高点に近づいたなと云う地点で、断崖の縁に立つことになった。 眼前には、毘沙門山の頂点が聳えている。其れは、冬枯れの木々に覆われた、殺伐とした岩峰であった。
両神山・諏訪山・二子山 どうやって頂上に行くのだと、ふたりで顔を見合わせる。そうして、目標地点の直前だと云うのに、またしても断崖を下る行程となった。

マーキングの示す先に、砂礫混じりの岩場を降下すると、岩崖の中腹をトラバースして、鎖などは勿論設置されていない断崖の横腹を、へつるようにして横断する。

天候が悪い日は、通りたくないなと思う難所であった。
どうやって頂上に行くのだと、ふたりで顔を見合わせる。そうして、目標地点の直前だと云うのに、またしても断崖を下る行程となった。 マーキングの示す先に、砂礫混じりの岩場を降下すると、岩崖の中腹をトラバースして、鎖などは勿論設置されていない断崖の横腹を、へつるようにして横断する。 天候が悪い日は、通りたくないなと思う難所であった。
両神山・諏訪山・二子山 ふたたび岩峰に乗り上がって、両神山と二子山を背景にした、毘沙門山の頂上に近づいてきた。

馬上からの紆余曲折ぶりが凄まじい、此れ迄の行程が脳裏に駆け巡る。
ふたたび岩峰に乗り上がって、両神山と二子山を背景にした、毘沙門山の頂上に近づいてきた。 馬上からの紆余曲折ぶりが凄まじい、此れ迄の行程が脳裏に駆け巡る。
両神山・諏訪山・二子山 馬上バス停を出発後、六時間弱が経過して、毘沙門山に登頂した。感無量である。

KZ氏と健闘を讃え合う。怪異な山容の岩崖を踏破できたことに、驚きを禁じ得ない。

山名標は、三合落岳と同じ様式のものであった。新ハイ浦和支部製の山名標が、白石山ではなく毘沙門山と認定している事に、なんとなく安堵する。
馬上バス停を出発後、六時間弱が経過して、毘沙門山に登頂した。感無量である。 KZ氏と健闘を讃え合う。怪異な山容の岩崖を踏破できたことに、驚きを禁じ得ない。 山名標は、三合落岳と同じ様式のものであった。新ハイ浦和支部製の山名標が、白石山ではなく毘沙門山と認定している事に、なんとなく安堵する。
両神山・諏訪山・二子山 送電鉄塔がジオラマのパーツみたいな、父不見山から続く尾根を俯瞰する。

長久保ノ頭から下り続けた尾根の全容を見て、其の長さを概観するのであった。
送電鉄塔がジオラマのパーツみたいな、父不見山から続く尾根を俯瞰する。 長久保ノ頭から下り続けた尾根の全容を見て、其の長さを概観するのであった。
両神山・諏訪山・二子山 山頂域の西端は断崖の縁で、またもやどう下るのか、と狼狽する。北面寄りに踏路を見つけるが、砂礫の急勾配を下るようであった。
山頂域の西端は断崖の縁で、またもやどう下るのか、と狼狽する。北面寄りに踏路を見つけるが、砂礫の急勾配を下るようであった。
両神山・諏訪山・二子山 断崖直下の、平坦で穏やかな尾根上に降り立った。振り返ると、毘沙門山の西端が尖っている。

山頂域に居ると実感出来ないが、とんでもない岩峰の上に立って居たんだなと思うのであった。
断崖直下の、平坦で穏やかな尾根上に降り立った。振り返ると、毘沙門山の西端が尖っている。 山頂域に居ると実感出来ないが、とんでもない岩峰の上に立って居たんだなと思うのであった。
両神山・諏訪山・二子山 小鞍部から登り返した標高980m圏峰は、長合沢(なごうさわ)ノ頭と云う名前が有ると、KZ氏が教えて呉れる。

此処から、長合沢を囲む尾根を辿り、吉田川に沿う集落へと下山に掛かる。

標高800m附近の鞍部迄、等高線幅の示す通りの、急勾配を下ることになった。

砂礫の足元は覚束ないが、軽アイゼンを装着しているので、なんとか下ることが出来た。
小鞍部から登り返した標高980m圏峰は、長合沢(なごうさわ)ノ頭と云う名前が有ると、KZ氏が教えて呉れる。 此処から、長合沢を囲む尾根を辿り、吉田川に沿う集落へと下山に掛かる。 標高800m附近の鞍部迄、等高線幅の示す通りの、急勾配を下ることになった。 砂礫の足元は覚束ないが、軽アイゼンを装着しているので、なんとか下ることが出来た。
両神山・諏訪山・二子山 標高836m点ピークから北東に進路を変えて、複雑に支尾根が派生する山道を辿る。

やがて長合沢の左岸尾根となり、対岸に毘沙門山の北面を見上げるようになった。
標高836m点ピークから北東に進路を変えて、複雑に支尾根が派生する山道を辿る。 やがて長合沢の左岸尾根となり、対岸に毘沙門山の北面を見上げるようになった。
両神山・諏訪山・二子山 長合沢左岸尾根は、山腹の南面を辿る、歩き易い踏路だった。

小鹿野町役場行きバスの時刻に、間に合うかどうか判らない。長合沢ノ頭に登る途上でKZ氏が云うので、かなりのハイペースで歩いた。

砂礫の急勾配を、かなりの速度で下った成果で、所要時間は其れ程、掛かってはいないようである。

此の儘では、ずいぶん早く下山してしまうね。KZ氏が云った。

送電鉄塔の箇所で小休止。時刻を確認すると、バス時刻迄、あと一時間半も余禄が有ることが判明する。

それで、長合沢林道経由では無く、尾根伝いに、池原集落方面に歩いていくことにした。

地形図破線を辿るが、途中で尾根を越えていくように記された箇所が不明瞭で、私が躊躇する。

KZ氏が先行して、トラバースを続けていくと、やがて明瞭な踏路となった。私ひとりで歩いていたら、破線に拘り尾根を越えて道を失い、右往左往していたかもしれない。

畑の跡地が広がると、午後の斜光を浴びて聳える観音山が美しい。

改めて、端整な山容だなと思うのであった。
長合沢左岸尾根は、山腹の南面を辿る、歩き易い踏路だった。 小鹿野町役場行きバスの時刻に、間に合うかどうか判らない。長合沢ノ頭に登る途上でKZ氏が云うので、かなりのハイペースで歩いた。 砂礫の急勾配を、かなりの速度で下った成果で、所要時間は其れ程、掛かってはいないようである。 此の儘では、ずいぶん早く下山してしまうね。KZ氏が云った。 送電鉄塔の箇所で小休止。時刻を確認すると、バス時刻迄、あと一時間半も余禄が有ることが判明する。 それで、長合沢林道経由では無く、尾根伝いに、池原集落方面に歩いていくことにした。 地形図破線を辿るが、途中で尾根を越えていくように記された箇所が不明瞭で、私が躊躇する。 KZ氏が先行して、トラバースを続けていくと、やがて明瞭な踏路となった。私ひとりで歩いていたら、破線に拘り尾根を越えて道を失い、右往左往していたかもしれない。 畑の跡地が広がると、午後の斜光を浴びて聳える観音山が美しい。 改めて、端整な山容だなと思うのであった。
両神山・諏訪山・二子山 廃屋の残骸と、錆び付いた農機具が散見されるようになり、やがて吉田川に沿って山道が下降していくと、池原の集落に到達した。

長泉寺を見に行くと云うKZ氏には付き合わず、赤い橋の袂に在るベンチで、荷物番をすることにした。

池原地区の風景を眺めると、吉田川左岸の尾根に、岩峰が聳えている。父不見山から下ってきた時に、尾根の途上で立ち寄った、絶景の岩峰であった。

KZ氏が戻り、歩き出そうかと云う時に、地元住民の女性が声を掛けてきた。此の一帯の昔話を拝聴する。

吉田川左岸尾根の岩峰は、天狗山と呼ばれていると聞き、KZ氏は嬉しそうであった。
廃屋の残骸と、錆び付いた農機具が散見されるようになり、やがて吉田川に沿って山道が下降していくと、池原の集落に到達した。 長泉寺を見に行くと云うKZ氏には付き合わず、赤い橋の袂に在るベンチで、荷物番をすることにした。 池原地区の風景を眺めると、吉田川左岸の尾根に、岩峰が聳えている。父不見山から下ってきた時に、尾根の途上で立ち寄った、絶景の岩峰であった。 KZ氏が戻り、歩き出そうかと云う時に、地元住民の女性が声を掛けてきた。此の一帯の昔話を拝聴する。 吉田川左岸尾根の岩峰は、天狗山と呼ばれていると聞き、KZ氏は嬉しそうであった。
両神山・諏訪山・二子山 起点である馬上を目指して、車道を歩く。新要トンネルの隣に、旧要トンネル。潜った先に、長合沢林道の入口が在った。

地元の方の貴重な話も聞くことが出来たので、池原に下山してよかったな、と思う。

馬上に到着したのは、バスがやってくる迄、あと十数分と云う絶妙なタイミングだった。

御馴染みの待合所に落ち着き、旅装を解くような気分でザックの整理をしていると、もう小鹿野町役場行きがやってくる時刻なのであった。
起点である馬上を目指して、車道を歩く。新要トンネルの隣に、旧要トンネル。潜った先に、長合沢林道の入口が在った。 地元の方の貴重な話も聞くことが出来たので、池原に下山してよかったな、と思う。 馬上に到着したのは、バスがやってくる迄、あと十数分と云う絶妙なタイミングだった。 御馴染みの待合所に落ち着き、旅装を解くような気分でザックの整理をしていると、もう小鹿野町役場行きがやってくる時刻なのであった。
両神山・諏訪山・二子山 西武観光バスを乗り継ぎ、秩父鉄道秩父駅で下車する。秩父駅の裏手に位置する洋食店「駅馬車」が、今日の目的地である。

陽が暮れると真っ暗な路地で、其れを歩いた先に、ひっそりと佇む「駅馬車」は、観光客がふらりと立ち寄るような場所では無い。

広い店内に、テーブル席が余裕の在る間隔で並んでいる。所謂、ソーシャル・ディスタンスに配慮したものなのかは、初めて訪れたので判らない。

私が「チーズハンバーグ&ライス」を選んだので、同じじゃ詰まらないと、KZ氏は「豚味噌焼き&ライス」を注文する。

そんな合間にも、地元の常連客が次々に入店して、空席は無くなった。テイクアウト目当ての客も漸次来店して、かなりの繁盛ぶりであった。

鉄皿に載ってやってきたハンバーグは、ソースの旨味よりも、肉の味わいが堪能できると云う感じで、とても美味しい。大盛りではないかと思える程のライスと共に食して、満腹である。

惜しむらくは、「まん延防止等重点措置」のお陰なのか、アルコール類の提供が中止されていると云うことに尽きる。

赤ワイン無しで、このハンバーグを食せねばならないとは…蛇の生殺しであり、そんな殺生な、と云わざるを得ない。

真っ暗な裏路地を歩き、KZ氏は特急券を買う為に西武秩父駅へ、私は缶ビールを買う為にコンビニへと、役割分担で別れる。

ラビューの発車時刻数分前に乗車して、改めて乾杯した。

今日は「漫遊きっぷ」では無いので、所沢で新宿線に乗り換える。帰途に池袋を通らないのは久しぶりで、それがなんだか、新鮮な気分であった。
西武観光バスを乗り継ぎ、秩父鉄道秩父駅で下車する。秩父駅の裏手に位置する洋食店「駅馬車」が、今日の目的地である。 陽が暮れると真っ暗な路地で、其れを歩いた先に、ひっそりと佇む「駅馬車」は、観光客がふらりと立ち寄るような場所では無い。 広い店内に、テーブル席が余裕の在る間隔で並んでいる。所謂、ソーシャル・ディスタンスに配慮したものなのかは、初めて訪れたので判らない。 私が「チーズハンバーグ&ライス」を選んだので、同じじゃ詰まらないと、KZ氏は「豚味噌焼き&ライス」を注文する。 そんな合間にも、地元の常連客が次々に入店して、空席は無くなった。テイクアウト目当ての客も漸次来店して、かなりの繁盛ぶりであった。 鉄皿に載ってやってきたハンバーグは、ソースの旨味よりも、肉の味わいが堪能できると云う感じで、とても美味しい。大盛りではないかと思える程のライスと共に食して、満腹である。 惜しむらくは、「まん延防止等重点措置」のお陰なのか、アルコール類の提供が中止されていると云うことに尽きる。 赤ワイン無しで、このハンバーグを食せねばならないとは…蛇の生殺しであり、そんな殺生な、と云わざるを得ない。 真っ暗な裏路地を歩き、KZ氏は特急券を買う為に西武秩父駅へ、私は缶ビールを買う為にコンビニへと、役割分担で別れる。 ラビューの発車時刻数分前に乗車して、改めて乾杯した。 今日は「漫遊きっぷ」では無いので、所沢で新宿線に乗り換える。帰途に池袋を通らないのは久しぶりで、それがなんだか、新鮮な気分であった。

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