展望良きかな✨鬼ヶ城址(浜玉町)

2022.01.12(水) 日帰り

活動データ

タイム

01:43

距離

2.0km

のぼり

276m

くだり

274m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
1 時間 43
休憩時間
9
距離
2.0 km
のぼり / くだり
276 / 274 m
20
20

活動詳細

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2022年攻城記No.3 肥前鬼ヶ城。 唐津市浜玉町浜崎の城山。 この城山、とにかく山頂からの展望が良い✨(๑•̀ㅂ•́)و✧ んでもって、最近の攻城日記では珍しく風景画あり😅 虹ノ松原、鏡山が綺麗に見えてます🤩 その展望が良い山頂付近に遺構があります。 土塁や堀切などの遺構は勿論のこと、其処彼処に点在する巨石に目がいきます。これだけの巨石があれば何かしら利用したであろう。 石に身を隠した、駆け上がる敵に石つぶて攻撃などなど🤔妄想はとまらない🤭 展望と巨石と山城遺構の浜玉町城山❗ 登山口付近に数台の駐車可能です。 登山口からゆっくり40分弱で山頂着。 是非、山頂からの虹ノ松原・鏡山見たってください。 《 肥前鬼ヶ城🏯 》 ここ肥前鬼ヶ城の出自については不明です。 文治2年(1186年)、筑後草野の竹井城主であった草野永経の子永平が鏡神社大宮司職となりこの地に移住・築城されたとかんがえられている。 天文二十一年(1552)、当主草野永久亡き後、大内氏と結ぶ筑前高祖城主原田隆種の次男が養子に迎えられ、草野鎮永と名乗り家督を継ぐ。 天正元年(1573)、龍造寺氏の攻撃により鬼ヶ城は落城、草野鎮永は実家の原田氏のもとに落ち延びます。龍造寺隆信は原田氏にも迫り、ついに草野鎮永は原田氏とともに隆信に降り、旧領を安堵されます。 豊臣秀吉の九州征伐の際、草野鎮永は原田氏と共に島津氏に通じ所領は没収、没落したようである。

メンバー

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