活動データ
タイム
05:54
距離
14.0km
のぼり
377m
くだり
377m
活動詳細
すべて見る新年明けましておめでとーございます!本年もよろしくお願いします!( ´ ▽ ` )ノ 先月30日に登り納めをしたんですが、大晦日から元日がめちゃめちゃ寒そうで雪も降りそうだったので、天気が良さそうな2日から始動です!…と言っても今日はノーピーク。ノーピークには実はそれなりの理由がありまして、それは次回のレポートにて。たぶん明日登り始めの予定なのですぐアップします(^^) というわけで、今日のテーマは大好きな飛鳥で、「御来光」、「初詣」、「古墳巡り」です! 飛鳥にはもう何度も訪れてますが、まだまだ全然回りきれてない。まだ見てないもの、まだ訪れてない所もたくさんあります。今日は少しでもそれらを巡ってみようと思います。 いつもの甘樫丘駐車場を6:40に出発。今日の飛鳥の日の出時刻は7:04。まだ薄暗い中、甘樫丘展望台を目指します。 甘樫丘は飛鳥時代に政界の頂点に立ち栄華を極めた、蘇我氏の邸宅があったところ。乙巳の変において、蘇我本宗家終焉の壮絶な現場になったその場所ですね。 歩いて10分で展望台に到着。人はいない。めっちゃ静か。御来光もじっくり拝めそうです。結局御来光目当てで集まったのは私の他に、男性1名、ご夫婦1組の計4人でした。 7:04になっても日は昇りません。山の上から顔を出すので、その高さ分遅れます。7時を過ぎてからコーヒーを沸かす。ゆっくり待機… あれ?全然昇らないな…山際は徐々に明るくなってきているのでもうすぐかな? あー、待ち切れない!おしるこ作ります(^_^;)やっぱり正月だから餅を食べなきゃ! おしるこ食べてたら…あ!出た!御来光!*\(^o^)/* たまにしか御来光を見ないですがやっぱり神聖ですね。生命力をいただけるようです。古代の人々が日没と日の出に死と再生を感じた気持ちがよくわかります。太陽信仰はこのような気持ちから自然に湧き起こったんでしょうね☆ 甘樫丘を降り、飛鳥寺北側の道を東進。飛鳥坐神社に向かいます。 飛鳥坐神社は式内社明神大、旧社格は村社。御祭神は事代主神・高皇産霊神・飛鳥神奈備三日女神・大物主神。 んー、これではこの神社の性格がちょっとわからないですね。事代主は大国主命の子。大物主は大国主の幸御魂・奇御魂…つまり同一神ですね。高皇産霊と大国主は敵対関係ですし…そして飛鳥神奈備三日女神は賀夜奈流美乃御魂と伝わります。賀夜奈流美はおそらく朝鮮半島由来の女神でしょう。 推測するに、時代と共にニーズに合わせて祭神が増えていったのかもわかりませんね。地域的に考えても、初めに祀ったのは高皇産霊だと思います。 あ、そんなことはいいとして、初詣、初詣! 飛鳥坐神社から南に進んで岡寺を目指します。実は岡寺は初めて訪れるんです(^^) 結構な坂道を登って…かなり山あいのお寺ですね。朝から参拝者も多いです。 東光山真珠院龍蓋寺といい、本尊は日本最大の塑像である如意輪観音像です。撮影禁止だったので画像はありませんが、この如意輪観音はスゴいです。デカくて塑像だからでしょうか?生々しい。ただじっと見つめていると吸い込まれそうな…時が止まったような…そんな不思議な感覚にとらわれる仏様です。ぜひ一度訪れてみてください(^^) 岡寺で初詣を終えた後は、橘寺、川原寺跡を越えてひたすら西へと向かいます。 辿り着いたのは野口王墓。天武天皇・持統天皇合葬の檜隈大内陵です。 五段構築の豪壮な八角墳で、天武天皇の棺と持統天皇の骨臓器が確認されていることから、宮内庁指定の陵墓としては珍しく、被葬者がほぼ間違いないとされている古墳です。 この八角墳は道教に著しく傾倒した斉明女帝が、夫である舒明大王を改葬する際に採用したもので、その後数代に渡って天皇陵に限って作られた古墳形式です。八角形は天下八方、つまり宇宙の全てを表しています。 野口王墓を後にして、歴史公園高松塚地区に向かいます。どうしても訪れたい古墳があるんです。それが中尾山古墳。 この古墳は三段構築の八角墳で、現在は三段目の土盛りの部分…それも大きく崩壊している…しか確認できませんが、この墓こそ文武天皇の真陵だと考えられます。 もう八角墳だと分かった時点で天皇陵ですし、築造年代や築造場所、豪華な石槨などを考えると、もうこれは文武陵としか考えられない。 ホント、宮内庁の陵墓指定なんていい加減なもので…あ、続きは後で! 立派な横口式石槨が見れるかと思ったら、埋め戻されてました(^_^;) すぐ南に高松塚古墳があります。ここも初めて来た*\(^o^)/* これがあの壁画で有名な高松塚かぁ。二段構築の円墳でキレイに復元されています。円墳ですし二段構築ですし、サイズ的に見ても臣下の墓ですね。ただ俯瞰で見ると立地もいいし、なんといっても石室内の壁画ですよね!これはスゴい。 この壁画に関しては高句麗との関連性が示唆されています。この辺りは渡来系氏族も多く集住していた場所ですし、高句麗からの渡来系氏族の首長の墓かもしれません。 さらに南に行くと栗原塚穴古墳があります。この古墳が宮内庁指定の桧隈安古岡上陵…つまり文武天皇陵です。 宮内庁指定の陵墓は学術調査すら許されていませんが、古墳形式は山形ということで、ちょっと天皇陵とは考えにくいです。というか、私は古墳ですらないのではないかとさえ考えています。 桧前川沿いを歩いて飛鳥駅までやってきました。何か食事ができるお店があるかと思ったんですが…どこも開いてません(~_~;) 駅を西に越えるとすぐに岩屋山古墳があります。ここも注目の古墳。 一辺45メートル前後の方墳で西側は崩壊しています。花崗岩で作られた両袖式の横穴式石室は岩屋山式と呼ばれ、古墳時代終末期の横穴式石室の代表的な形式の1つとされています。 行ってビックリ、なんと石室内に入れます! ちょっと屈みながらゆっくり羨道を進み石室内に入る。石舞台のような巨大な石室ではありませんが、精巧に石を積み上げた美しい石室です。1350年の時を越えたような気分です(^^) さらに西に進んで牽牛子塚古墳に向かいます。めっちゃ行きたかった古墳!…げっ!?工事中!近づけません… 7世紀後葉の八角墳で、斉明女帝の墓だと考えられる。私もこの墓は斉明陵だと考えてるんですが、宮内庁は…みなまで言いませんが(^_^;) 巨石をくりぬいて2つの墓室を設けた特異な内部構造の横口式石槨を有し、斉明と娘の間人皇女の合葬墓だと考えられています。すぐ近くに大田皇女を葬る古墳も見つかっており、これが文献の記述とも合致することから、牽牛子塚古墳は間違いなく斉明陵でしょう。 しかし工事中!ただ遠目に眺めても三段構築の豪壮な八角墳が確認できてちょっと興奮しました。工事が終わったらぜひ訪れたい古墳です☆ 飛鳥駅まで戻って国道を北に進むと梅山古墳があります。墳丘長約140mの前方後円墳で、宮内庁はこの古墳を欽明大王の檜隈坂合陵としていますが…これもちょっと疑問ですね。 古墳の規模が極端に縮小する古墳時代後期において、この梅山古墳は決して小さな古墳ではありませんが、少し北には見瀬丸山古墳があります。見瀬丸山古墳は全国6位の規模の巨大前方後円墳。築造時期が重なるのであれば、当然見瀬丸山古墳を大王墓と考えるべきでしょう。 しかも見瀬丸山古墳はひょんなことから少し調査されたことがあるんですね。そして2つの石棺が見つかった。これが欽明とその妻堅塩媛の合葬という文献の記述と一致する。私としては見瀬丸山古墳を欽明陵と考えたい。 では梅山古墳の被葬者は? これはもうわからないとしか言いようがない。蘇我稲目墓という説もありますが、都塚古墳がありますしね… それでは甘樫丘に戻るとしましょう!その道中で、鬼の俎と鬼の雪隠に立ち寄ります。 飛鳥らしい石造物ですが、そこに謎はありません(^_^;) 組み合わせ式の横口式石槨の底石と蓋石ですね。 古墳の封土が流出し、転げ落ちてバラバラになった石槨のパーツです。 ただ精巧に作られた石槨を間近にじっくりと観察できるのは嬉しいことです(^^) ということでゴール!…の前に、せっかくなので甘樫丘川原展望台に寄っていきましょう(^^) 展望台からぼんやりと大和三山を眺める…山登りはもちろんですが、古代史研究も大切な生きがい。これからも古代に生きた人々の気持ちに寄り添う歴史研究をしていこう…そんなことを思う一日になりました。 さあ、2022年です*\(^o^)/*新年の抱負と行きましょう! …えーっと…いつもと一緒で(^_^;) 一緒なんですけど一応書きます! まずは頑張って遠征する!去年は大雨で夏の遠征ができなかったので、今年こそは! あ、それから愛知県の山が未踏なんですよ!愛知の山に詳しい方、愛知の山ならこの一座って山があったら教えてくださいm(_ _)m それからこれ大事。レポートの本文の長さを半分に…いや、無理か…せめて2/3くらいにする! でも山に登ったら伝えたいことが山ほどあるんですよねー、山だけに。ちょっと頑張ってみます(^_^;) あとはもう普遍のポリシー。 自分らしく、一歩一歩大切に山を歩く。これにつきます。目標は持ちません!目標に縛られて山行の幅を狭めるのがイヤだからです。でも夢は持ちますよ! 今年もなんの脈絡もなく、ただ行きたい時に行きたい山に!自然体で山と向き合っていこうと思います。 みなさま、今年もよろしくお願いします( ´ ▽ ` )ノ
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