開聞岳

2021.11.29(月) 日帰り

活動データ

タイム

04:10

距離

6.7km

のぼり

814m

くだり

834m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
4 時間 10
休憩時間
48
距離
6.7 km
のぼり / くだり
814 / 834 m
21
20
1 4

活動詳細

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 開門岳の頂きでご来光を拝もうと、暗くなってから着いた登山口のふれあい公園に車を停め、登山口を確認しておこうと公園内の看板に従ってライトを付けて歩くものの、キャンプ場に行き着いたり、パターゴルフ場だったり、ゴーカートのコース?だったり、真っ暗になった公園内を徘徊するばかり。。。 公園に入る少し手前に[登山者用駐車場。 登山口はこの奥]なる看板があったので、そこから行けばわかるだろうと布団の中へ。 4時の目覚ましで車から起き出すと、上弦の月であまり月明かりが明るくはないものの、オリオン座の真下を頂きに左右に綺麗な稜線を下ろす開聞岳のシルエットが浮かび上がっています。  準備を整え5時に公園を出たものの、暗い内に登山するハルはいつも通り歩いてくれるだろうか?と少し心配していましたが、狭い登山道に入った途端、怯えているのか? 湯たんぽがわりに足元の布団の中で寝ているところを都合よく起こされて機嫌を損ねているのか?  私の足元を歩くのみ。 可愛そうとは思いつつ3分ほどは無理無理引っ張っていると、諦めたのか? 目が覚めたのか? いつも通りグイグイ前を歩きだしました。 自身が転ばないよう足元を照らすのが精一杯で、ハルの方にライトは当たっていないのに、構わず進んでいきます。 試しにヘッドライト消してみると、1メートルと離れていないはずの真っ白いハルが何も見えないのに、それでも構わず進んでいきます。 オイお前は夜行性だったのか!?  動物の感覚は凄いもんです。  標高が千メートルに満たなくても、登山口も百メートルに満たないので、標高差はおよそ900メートル。 しっかり2時間近くかかってようやく頂上に着いたときには明るくなり、大隅半島の真ん中あたりが赤く染まり初めています。 半島沿いに薄い雲が乗っかっているので、その雲から太陽がようやく顔を出し始めてくれました。  朝日を拝みながら父親のことを思っていました。 昭和二年生まれの父は、七人兄姉の六番目。 二人の兄は身体が弱く、三人は姉、弟はまだ幼く、一人くらいはお国の為に殉ぜねば。。。とでも思ったのか16才で海軍に志願し、呉、江田島での約一年の訓練を経て、南方(フィリピン)に鹿児島港から出港したとのこと。 錦江湾を出ていく時、開聞岳が見えなくなっていくのを『あーこれで日本の見納めと思い泣いた』と、まだ幼かった私に話してくれたことがありました。 深田久弥は逆に中国からの帰還船が鹿児島に入港したので、開門岳を見て『生きて帰ることができた』と実感する山だったと記しています。知覧基地が近くにあったことから、何人の兵士が、美しい日本の田園風景を見下ろしながら開門岳に敬礼して、片道だけの燃料を積んで、切り離すことのできない爆弾を抱え飛び立って行ったことも忘れてはならないことでしょう。  さて、頂上は広くて360度見晴らしが良い場所と想像していましたが、一反はあろうかと思いますが、全てハイマツで覆われ(たぶん)その下は凸凹の岩なのでしょう。10人も居れば腰を据えるところもないほどで、360度の景観を見ようとすると人一人が立てる岩がある程度。 お湯を沸かしコーヒー淹れるころには、背中にかいた汗が夜明けの冷たい風で冷えだし、ハルも『寒いし寂しいから早く降りよう!』とでも言うのか、山でまず吠えることのないハルがキャンキャン泣きだします。 恐れ多くも令和天皇が皇太子時代に登頂した記念プレートをテーブルに一服して、様々な想いと共に頂きを後にしました。(麓の公園にあれだけ立派な施設作るなら、頂上に屋根まで付けて欲しいとは思いませんが、せめて平なデッキくらい作られても良いのでは。。。!?と思うのは私だけでしょうか? 閉話休題)  さてさて、暗いうちから登ったのには、螺旋状になった一本道なので迷うことはないだろう!と考えたのですが、登りは暗いこともあり、ただひたすらに大きな斜面を一定の角度でトラバースしいてる感覚しかありませんでしたが、下山時は常緑樹の葉間から垣間見える景色の移ろいで、螺旋状であることを体感できます。 縦に走る谷筋が一つも無いからか出来たことでしょうが、直登でもジグザグでもなく登れのはありがたいことです。  下山後、地元に方に『開門岳と海が望める温泉は?』とお聞きしたら即答で『たまて箱温泉!』とのこと。 素晴らしいロケーションの温泉で疲れを癒すことができました。できることならハルもいれてやりたかった!!

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