城山(じょうやま) ~古代山城・山頂往復3時間コース~

2015.09.04(金) 日帰り

 対馬の中央に広がる浅茅湾(あそうわん)の南岸に突き出す半島状の岩塊・城山には、7世紀に古代山城・金田城(かなたのき)が築かれました。防人(さきもり)がいたこの古代の山城は、明治期に再度要塞化されます。  国境の島・対馬の歴史・自然・景観が凝縮されている城山を、山頂まで往復3時間程度でコンパクトに楽しむ往復コースです。 防人が築いた古代要塞 金田城トレッキング(一般社団法人 対馬観光物産協会) http://www.tsushima-net.org/tourism/trekking_02.php

県道24号線(対馬市美津島町箕形)の緑の誘導看板が城山登山口への目印。

県道24号線(対馬市美津島町箕形)の緑の誘導看板が城山登山口への目印。

県道24号線(対馬市美津島町箕形)の緑の誘導看板が城山登山口への目印。

道が細くなって不安になっても直進で大丈夫。

道が細くなって不安になっても直進で大丈夫。

道が細くなって不安になっても直進で大丈夫。

未舗装道では慎重に運転を。

未舗装道では慎重に運転を。

未舗装道では慎重に運転を。

登山口の説明看板。

登山口の説明看板。

登山口の説明看板。

登山口には乗用車数台が駐車可能。

登山口には乗用車数台が駐車可能。

登山口には乗用車数台が駐車可能。

浅茅(あそう)湾と黒瀬集落を一望。

浅茅(あそう)湾と黒瀬集落を一望。

浅茅(あそう)湾と黒瀬集落を一望。

6月ごろにはヤマボウシが咲く。

6月ごろにはヤマボウシが咲く。

6月ごろにはヤマボウシが咲く。

古代山城・金田城の石塁(石垣)。7世紀に築かれた。

古代山城・金田城の石塁(石垣)。7世紀に築かれた。

古代山城・金田城の石塁(石垣)。7世紀に築かれた。

中間地点には、東屋(あずまや)があるここでひと休み。

中間地点には、東屋(あずまや)があるここでひと休み。

中間地点には、東屋(あずまや)があるここでひと休み。

城山の登山道は、明治時代の軍道(馬車道)を利用しており、歩きやすい。

城山の登山道は、明治時代の軍道(馬車道)を利用しており、歩きやすい。

城山の登山道は、明治時代の軍道(馬車道)を利用しており、歩きやすい。

炭焼窯。戦後しばらくまで、山中で炭が生産されていた。

炭焼窯。戦後しばらくまで、山中で炭が生産されていた。

炭焼窯。戦後しばらくまで、山中で炭が生産されていた。

馬車を方向転換させるための広場。

馬車を方向転換させるための広場。

馬車を方向転換させるための広場。

石塁は、場所によっては高さ7mにも達する。

石塁は、場所によっては高さ7mにも達する。

石塁は、場所によっては高さ7mにも達する。

緩やかな斜面を何度も折り返して登っていく。

緩やかな斜面を何度も折り返して登っていく。

緩やかな斜面を何度も折り返して登っていく。

山頂近くには、明治時代、日露戦争に備え、城山砲台が設置された。

山頂近くには、明治時代、日露戦争に備え、城山砲台が設置された。

山頂近くには、明治時代、日露戦争に備え、城山砲台が設置された。

28cm榴弾砲が計4門、設置されていた。

28cm榴弾砲が計4門、設置されていた。

28cm榴弾砲が計4門、設置されていた。

砲台跡はニセ山頂。実は、本物の山頂への細い道がある。

砲台跡はニセ山頂。実は、本物の山頂への細い道がある。

砲台跡はニセ山頂。実は、本物の山頂への細い道がある。

こちらは軍道ではないので急傾斜で細い。要注意。

こちらは軍道ではないので急傾斜で細い。要注意。

こちらは軍道ではないので急傾斜で細い。要注意。

草むらの中に4等三角点がある。

草むらの中に4等三角点がある。

草むらの中に4等三角点がある。

明治期の皇族で、軍人でもあった北白川宮能久親王の城山視察・植樹の記念碑。

明治期の皇族で、軍人でもあった北白川宮能久親王の城山視察・植樹の記念碑。

明治期の皇族で、軍人でもあった北白川宮能久親王の城山視察・植樹の記念碑。

7世紀の防人も見たであろう国境の海が、いまも眼前に広がる。

7世紀の防人も見たであろう国境の海が、いまも眼前に広がる。

7世紀の防人も見たであろう国境の海が、いまも眼前に広がる。

城山砲台跡。帰路は来た道を戻れば登山口まで1時間弱。

城山砲台跡。帰路は来た道を戻れば登山口まで1時間弱。

城山砲台跡。帰路は来た道を戻れば登山口まで1時間弱。

県道24号線(対馬市美津島町箕形)の緑の誘導看板が城山登山口への目印。

道が細くなって不安になっても直進で大丈夫。

未舗装道では慎重に運転を。

登山口の説明看板。

登山口には乗用車数台が駐車可能。

浅茅(あそう)湾と黒瀬集落を一望。

6月ごろにはヤマボウシが咲く。

古代山城・金田城の石塁(石垣)。7世紀に築かれた。

中間地点には、東屋(あずまや)があるここでひと休み。

城山の登山道は、明治時代の軍道(馬車道)を利用しており、歩きやすい。

炭焼窯。戦後しばらくまで、山中で炭が生産されていた。

馬車を方向転換させるための広場。

石塁は、場所によっては高さ7mにも達する。

緩やかな斜面を何度も折り返して登っていく。

山頂近くには、明治時代、日露戦争に備え、城山砲台が設置された。

28cm榴弾砲が計4門、設置されていた。

砲台跡はニセ山頂。実は、本物の山頂への細い道がある。

こちらは軍道ではないので急傾斜で細い。要注意。

草むらの中に4等三角点がある。

明治期の皇族で、軍人でもあった北白川宮能久親王の城山視察・植樹の記念碑。

7世紀の防人も見たであろう国境の海が、いまも眼前に広がる。

城山砲台跡。帰路は来た道を戻れば登山口まで1時間弱。