棚倉構造線巡礼・福島編②

2021.11.17(水) 日帰り

活動データ

タイム

08:00

距離

12.8km

のぼり

1246m

くだり

1243m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
8 時間
休憩時間
1 時間 43
距離
12.8 km
のぼり / くだり
1246 / 1243 m
2 22
55
3
21
12
5
2 1

活動詳細

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前回の大戸岳から翌週の17日、磐梯山に登るために猪苗代町に車を走らせました。 長期予報では12月からいよいよ会津地方に雪マークが並んでいます。17日の猪苗代町の天気予報は朝から晴れマーク。降水確率も20%と低く、最高気温10度、最低気温が2度の予報でした。15日に磐梯山ゴールドラインが冬季通行止めとなり、本格的な降雪の時期を前に巡ってきた最後のチャンスと思い出かけた次第です。 会津のシンボルと言えば磐梯山。 大同元年の噴火以前の山頂は、稜線から推測するとおよそ標高2200メートルはあったといわれています。万葉集の東歌に登場する「会津嶺」。噴火する以前は山頂が高く天に向かってそびえ立つ石(磐)の梯(はしご)という意味合いで「いわはし山」でした。 また病脳山(やまうさん)とも呼ばれていましたが、恵日寺の山号を磐梯山(ばんだいさん)として「磐梯山恵日寺」となったことから「磐梯山(ばんだいさん)」とは恵日寺の山号であるようです。やはり磐梯山の名付け親は徳一なのでしょうか? いろいろ思案しても始まらないので星空の下、磐梯山に向けて車のアクセルを踏みました。

磐梯山・雄国山・赤埴山 am7時、猪苗代スキー場。
待ちに待った快晴の朝日です。
am7時、猪苗代スキー場。 待ちに待った快晴の朝日です。
磐梯山・雄国山・赤埴山 この時間に駐車していた車は他に
2台ありました。
この時間に駐車していた車は他に 2台ありました。
磐梯山・雄国山・赤埴山 深田久弥も猪苗代登山口から磐梯山に登頂したとのことで誠に光栄です。
深田久弥も猪苗代登山口から磐梯山に登頂したとのことで誠に光栄です。
磐梯山・雄国山・赤埴山 時折、霧に覆われた猪苗代湖を振り帰りながらしばらく林道を進みます。
時折、霧に覆われた猪苗代湖を振り帰りながらしばらく林道を進みます。
磐梯山・雄国山・赤埴山 スキー場なのでフラットダートです。
スキー場なのでフラットダートです。
磐梯山・雄国山・赤埴山 登り始めて約1時間。
背あぶり8基が見えます。先週登った大戸岳はどの辺でしょうか?
登り始めて約1時間。 背あぶり8基が見えます。先週登った大戸岳はどの辺でしょうか?
磐梯山・雄国山・赤埴山 気温の上昇と共に猪苗代湖の霧が晴れてきます。
気温の上昇と共に猪苗代湖の霧が晴れてきます。
磐梯山・雄国山・赤埴山 猪苗代スキー場のこのルートは林間コースのようで、コース幅はありませんがけっこうな斜度です。
猪苗代スキー場のこのルートは林間コースのようで、コース幅はありませんがけっこうな斜度です。
磐梯山・雄国山・赤埴山 はやま第4リフトの降り口までやって来ました。夏季登山リフトは8月1日から9月20日までの営業で、麓の第1リフトから第6リフトまでを往復しているようです。
はやま第4リフトの降り口までやって来ました。夏季登山リフトは8月1日から9月20日までの営業で、麓の第1リフトから第6リフトまでを往復しているようです。
磐梯山・雄国山・赤埴山 スキー場だけに展望は申し分ありません。
奥に見える山並みが川桁断層です。
スキー場だけに展望は申し分ありません。 奥に見える山並みが川桁断層です。
磐梯山・雄国山・赤埴山 スタートから約1時間半、やっと登山道に入ります。
スタートから約1時間半、やっと登山道に入ります。
磐梯山・雄国山・赤埴山 天の庭まで緩やかな斜面が続きます。
天の庭まで緩やかな斜面が続きます。
磐梯山・雄国山・赤埴山 天の庭から山頂まで2.8キロ。
天の庭から山頂まで2.8キロ。
磐梯山・雄国山・赤埴山 最初の分岐を右に赤埴(あかはに)山頂に向かいました。
最初の分岐を右に赤埴(あかはに)山頂に向かいました。
磐梯山・雄国山・赤埴山 かなり枯れ葉が降り積もっています。
かなり枯れ葉が降り積もっています。
磐梯山・雄国山・赤埴山 標高1300メートルくらいから霜が深くなりザクザク登ります。
標高1300メートルくらいから霜が深くなりザクザク登ります。
磐梯山・雄国山・赤埴山 9時過ぎでも会津若松方面はまだ霧に覆われていました。
9時過ぎでも会津若松方面はまだ霧に覆われていました。
磐梯山・雄国山・赤埴山 赤埴山頂に到着。

磐梯山に登るのは今回が始めてですが、歩を進めるたびに磐梯山が表の表情から裏の表情へと変貌していくようで楽しいルートです。
赤埴山頂に到着。 磐梯山に登るのは今回が始めてですが、歩を進めるたびに磐梯山が表の表情から裏の表情へと変貌していくようで楽しいルートです。
磐梯山・雄国山・赤埴山 安達太良山
安達太良山
磐梯山・雄国山・赤埴山 猪苗代登山口からのルートと合流して再び山頂を目指します。
猪苗代登山口からのルートと合流して再び山頂を目指します。
磐梯山・雄国山・赤埴山 沼ノ原付近。
ここまで来ると磐梯山は荒々しい裏の表情です。
沼ノ原付近。 ここまで来ると磐梯山は荒々しい裏の表情です。
磐梯山・雄国山・赤埴山 ほとんど平坦で歩きやすい道が続きます。
ほとんど平坦で歩きやすい道が続きます。
磐梯山・雄国山・赤埴山 静寂の中、大同元年の噴火口を横切ります。
静寂の中、大同元年の噴火口を横切ります。
磐梯山・雄国山・赤埴山 沼は氷結しています。
沼は氷結しています。
磐梯山・雄国山・赤埴山 深田久弥は磐梯山の表側と裏側をシムメトリーとデフォルメと表現しましたが今一つピンと来ません。
深田久弥は磐梯山の表側と裏側をシムメトリーとデフォルメと表現しましたが今一つピンと来ません。
磐梯山・雄国山・赤埴山 山頂の北斜面には雪が残っています。
山頂の北斜面には雪が残っています。
磐梯山・雄国山・赤埴山 沼ノ原を過ぎて渋谷登山口の分岐。
にわかに硫黄くさいです。
沼ノ原を過ぎて渋谷登山口の分岐。 にわかに硫黄くさいです。
磐梯山・雄国山・赤埴山 ここからガレ場が続きます。
ここからガレ場が続きます。
磐梯山・雄国山・赤埴山 爆裂火口壁付近を遠巻きに通過中。
爆裂火口壁付近を遠巻きに通過中。
磐梯山・雄国山・赤埴山 爆裂火口壁と櫛ヶ峰。
爆裂火口壁と櫛ヶ峰。
磐梯山・雄国山・赤埴山 山頂が思いのほか遠く感じている状況。
山頂が思いのほか遠く感じている状況。
磐梯山・雄国山・赤埴山 ちょっと水場で小休止。
ちょっと水場で小休止。
磐梯山・雄国山・赤埴山 天狗岩。
天狗岩。
磐梯山・雄国山・赤埴山 八方台登山口からの合流地点。

日本百名山  22 磐梯山より
「大ていの人は便利な裏側から登って裏側へ引き返す。表登山道の方がいたって静かである。」
八方台登山口からの合流地点。 日本百名山 22 磐梯山より 「大ていの人は便利な裏側から登って裏側へ引き返す。表登山道の方がいたって静かである。」
磐梯山・雄国山・赤埴山 やっと弘法清水小屋に到着です。

天気予報では13時から雲マークなのでこのまま進みます。
やっと弘法清水小屋に到着です。 天気予報では13時から雲マークなのでこのまま進みます。
磐梯山・雄国山・赤埴山 最後の登りに向かいます。
最後の登りに向かいます。
磐梯山・雄国山・赤埴山 にわかに凍りの世界が始まります。
にわかに凍りの世界が始まります。
磐梯山・雄国山・赤埴山 そろそろ山頂が近い感じです。
そろそろ山頂が近い感じです。
磐梯山・雄国山・赤埴山 視界が開ると飯豊山は雲の中でした。手前が猫魔ヶ岳と廐岳山(うまやさん)。

雄国火山群のカルデラ壁の一つ古城ヶ峯の南麓にある現在の磐梯町大寺は、かつて大寺村本寺という村だったようです。この地名の伝承に「磐梯山のおろちの尾の部分に供養・鎮護の寺院を建立した」とされています。
寺院とは他ならぬ恵日寺と思われますが、恵日寺から磐梯山への入峯には西道と東道があり、西道が表参道になっていたようです。
このルートを「蛇」とするなら恵日寺が尾で山頂が頭になる訳です。
視界が開ると飯豊山は雲の中でした。手前が猫魔ヶ岳と廐岳山(うまやさん)。 雄国火山群のカルデラ壁の一つ古城ヶ峯の南麓にある現在の磐梯町大寺は、かつて大寺村本寺という村だったようです。この地名の伝承に「磐梯山のおろちの尾の部分に供養・鎮護の寺院を建立した」とされています。 寺院とは他ならぬ恵日寺と思われますが、恵日寺から磐梯山への入峯には西道と東道があり、西道が表参道になっていたようです。 このルートを「蛇」とするなら恵日寺が尾で山頂が頭になる訳です。
磐梯山・雄国山・赤埴山 吾妻修験もこのルートを利用していたようです。
吾妻修験もこのルートを利用していたようです。
磐梯山・雄国山・赤埴山 三角点から吾妻山方面。
三角点から吾妻山方面。
磐梯山・雄国山・赤埴山 南を向く磐梯明神。 
南には布引山があります。
南を向く磐梯明神。 南には布引山があります。
磐梯山・雄国山・赤埴山 磐梯山に登るときは「卵をもってゆくな」という禁止事項があるようです。卵を持っていくと山が荒れ遭難するといわれています。
磐梯山に登るときは「卵をもってゆくな」という禁止事項があるようです。卵を持っていくと山が荒れ遭難するといわれています。
磐梯山・雄国山・赤埴山 大和の三輪山の大物主大神を祀る大神(おおみわ)神社では大物主は白蛇の化身なので卵を供えるようです。
かつて会津が倭国であったなら卵の話は何か関係性があるのかもしれません。
大和の三輪山の大物主大神を祀る大神(おおみわ)神社では大物主は白蛇の化身なので卵を供えるようです。 かつて会津が倭国であったなら卵の話は何か関係性があるのかもしれません。
磐梯山・雄国山・赤埴山 この日の山頂は風も弱く、閉ざされた岡部小屋のベンチでランチにしました。
しかし不謹慎にもタマゴサンドを食べています。
この日の山頂は風も弱く、閉ざされた岡部小屋のベンチでランチにしました。 しかし不謹慎にもタマゴサンドを食べています。
磐梯山・雄国山・赤埴山 天気の悪い日を1ヶ月間やり過ごしたことが正解だったのかは分かりませんが、この日が記憶に焼き付いたことは事実であります。
天気の悪い日を1ヶ月間やり過ごしたことが正解だったのかは分かりませんが、この日が記憶に焼き付いたことは事実であります。
磐梯山・雄国山・赤埴山 時間は正午を回ったのでそろそろ下山します。一応チェーンスパイクを持ってきましたが装着するには至りませんでした。

お昼過ぎの時間でも山頂にまだ数名おられます。
時間は正午を回ったのでそろそろ下山します。一応チェーンスパイクを持ってきましたが装着するには至りませんでした。 お昼過ぎの時間でも山頂にまだ数名おられます。
磐梯山・雄国山・赤埴山 山頂付近は、一部、氷結箇所がありましたが雪質はザクザク状態でした。
山頂付近は、一部、氷結箇所がありましたが雪質はザクザク状態でした。
磐梯山・雄国山・赤埴山 氷の回廊を下ります。
氷の回廊を下ります。
磐梯山・雄国山・赤埴山 最後に「おろち」を見納めします。
最後に「おろち」を見納めします。
磐梯山・雄国山・赤埴山 弘法清水小屋まで降りて来ました。
辺りには誰もいません。
深田久弥はここを左に中ノ湯方面に下山したようです。
弘法清水小屋まで降りて来ました。 辺りには誰もいません。 深田久弥はここを左に中ノ湯方面に下山したようです。
磐梯山・雄国山・赤埴山 明治21年(1888)7月15日の朝、磐梯山は大爆発しました。
爆発の箇所は主峰の北にあった小磐梯山でその山形は吹っ飛び、溶岩は北に流れた。桧原村はその下に埋没し死者は500余人であったという。
明治21年(1888)7月15日の朝、磐梯山は大爆発しました。 爆発の箇所は主峰の北にあった小磐梯山でその山形は吹っ飛び、溶岩は北に流れた。桧原村はその下に埋没し死者は500余人であったという。
磐梯山・雄国山・赤埴山 その爆発で桧原湖が出来たと言われても、ほとんど想像が出来ません。
その爆発で桧原湖が出来たと言われても、ほとんど想像が出来ません。
磐梯山・雄国山・赤埴山 爆裂火口壁にある三合目の碑。
火口壁の手前にはロープが張ってありますが近寄りがたいです。
爆裂火口壁にある三合目の碑。 火口壁の手前にはロープが張ってありますが近寄りがたいです。
磐梯山・雄国山・赤埴山 ここまで来れば足取りは軽いです。
ここまで来れば足取りは軽いです。
磐梯山・雄国山・赤埴山 最後に磐梯山の裏の顔を見上げてみます。

かつて磐梯山の麓の猪苗代湖畔の人々は磐梯山修験の系統ではなく、吾妻山を信仰していたようです。
これは奥山に対して里にある前山には端山・麓山・羽山などの字をあて阿武隈山地の東側海岸地帯と西側の山裾に分布した葉山信仰が関係していると思われます。
猪苗代スキー場の地名も葉山ですが、葉山神とは山の神であり田の神でもあり祖霊神としての要素をもっています。その葉山に修験の拠点があったようです。
磐梯山も吾妻山の葉山であり、さらに磐梯山の葉山が雄国火山群であり、廐岳山・古城ヶ峯山麓に恵日寺が出来る以前から大伴修験による磐梯明神の基地がありました。
そこに恵日寺が建立されてしまったことから大伴修験は恵日寺の影になってしまったようです。
最後に磐梯山の裏の顔を見上げてみます。 かつて磐梯山の麓の猪苗代湖畔の人々は磐梯山修験の系統ではなく、吾妻山を信仰していたようです。 これは奥山に対して里にある前山には端山・麓山・羽山などの字をあて阿武隈山地の東側海岸地帯と西側の山裾に分布した葉山信仰が関係していると思われます。 猪苗代スキー場の地名も葉山ですが、葉山神とは山の神であり田の神でもあり祖霊神としての要素をもっています。その葉山に修験の拠点があったようです。 磐梯山も吾妻山の葉山であり、さらに磐梯山の葉山が雄国火山群であり、廐岳山・古城ヶ峯山麓に恵日寺が出来る以前から大伴修験による磐梯明神の基地がありました。 そこに恵日寺が建立されてしまったことから大伴修験は恵日寺の影になってしまったようです。
磐梯山・雄国山・赤埴山 下山は赤埴山を経由しないので時間が短縮します。
下山は赤埴山を経由しないので時間が短縮します。
磐梯山・雄国山・赤埴山 しかし標高が下がると気温が上昇して、かなり不快な状況下であります。
しかし標高が下がると気温が上昇して、かなり不快な状況下であります。
磐梯山・雄国山・赤埴山 時刻は14時を過ぎ、天気予報通り雲が多くなってきました。
時刻は14時を過ぎ、天気予報通り雲が多くなってきました。
磐梯山・雄国山・赤埴山 しかし、ここまで降りてくれば御の字でしょう。
しかし、ここまで降りてくれば御の字でしょう。
磐梯山・雄国山・赤埴山 猪苗代湖を前にあと一息。
猪苗代湖を前にあと一息。
磐梯山・雄国山・赤埴山 この後、麓の土津(はにつ)神社に立ち寄りたいので先を急ぎます。
この後、麓の土津(はにつ)神社に立ち寄りたいので先を急ぎます。
磐梯山・雄国山・赤埴山 猪苗代スキー場に行く通り道にある会津藩祖、保科正之公を祀る土津(はにつ)神社。

写真は人がいたので戻る際に撮影。
猪苗代スキー場に行く通り道にある会津藩祖、保科正之公を祀る土津(はにつ)神社。 写真は人がいたので戻る際に撮影。
磐梯山・雄国山・赤埴山 色づいたもみじのピークは過ぎていますが次々と参拝者が訪れます。
色づいたもみじのピークは過ぎていますが次々と参拝者が訪れます。
磐梯山・雄国山・赤埴山 磐椅(いわはし)神社の末社として延宝3年(1675)に建立された当時の社殿は日光東照宮と比較されるほど絢爛豪華な建物だったらしいです。
しかし慶応4年(1868)戊辰戦争で消失しました。現在の社殿は明治7年に再建されたものです。
磐椅(いわはし)神社の末社として延宝3年(1675)に建立された当時の社殿は日光東照宮と比較されるほど絢爛豪華な建物だったらしいです。 しかし慶応4年(1868)戊辰戦争で消失しました。現在の社殿は明治7年に再建されたものです。
磐梯山・雄国山・赤埴山 保科正之公は京都の吉田神道を受け継いだ吉川惟足(これたり)から神道を学び神道の保護に力を尽くしました。
正之公が没すると土津神社の地に神葬され、以来、藩主の葬儀は神式となったという話です。

しかし一番興味があるのは「保科正之公隠れキリシタン説」だったりします。
保科正之公は京都の吉田神道を受け継いだ吉川惟足(これたり)から神道を学び神道の保護に力を尽くしました。 正之公が没すると土津神社の地に神葬され、以来、藩主の葬儀は神式となったという話です。 しかし一番興味があるのは「保科正之公隠れキリシタン説」だったりします。
磐梯山・雄国山・赤埴山 女千木?
女千木?
磐梯山・雄国山・赤埴山 末社には重臣たちが祀られていました。
末社には重臣たちが祀られていました。
磐梯山・雄国山・赤埴山 日没が近いので保科正之公の墳墓は
パスしました。
日没が近いので保科正之公の墳墓は パスしました。
磐梯山・雄国山・赤埴山 土津神社の駐車場に車を置いて、次に磐椅(いわはし)神社に向かいます。
土津神社の駐車場に車を置いて、次に磐椅(いわはし)神社に向かいます。
磐梯山・雄国山・赤埴山 途中に何故かキリシタン殉難の地があります。
正之公は親族にキリシタンが多かったので隠れキリシタンを見て見ぬふりをしていたと言われています。
詳しくは会津キリシタン研究所のサイトがあります。
途中に何故かキリシタン殉難の地があります。 正之公は親族にキリシタンが多かったので隠れキリシタンを見て見ぬふりをしていたと言われています。 詳しくは会津キリシタン研究所のサイトがあります。
磐梯山・雄国山・赤埴山 ここが磐椅神社の入り口です。
車一台分の道幅なので歩いて行きます。
ここが磐椅神社の入り口です。 車一台分の道幅なので歩いて行きます。
磐梯山・雄国山・赤埴山 実際は日没が近いので200mダッシュしました。
実際は日没が近いので200mダッシュしました。
磐梯山・雄国山・赤埴山 神社の入り口には会津五桜の一つ「大鹿桜」があります。
神社の入り口には会津五桜の一つ「大鹿桜」があります。
磐梯山・雄国山・赤埴山 この桜は来春は見たいですね。
しかし、かなり高いところに咲くのが厳しいです。
この桜は来春は見たいですね。 しかし、かなり高いところに咲くのが厳しいです。
磐梯山・雄国山・赤埴山 日没前に何とか磐椅神社いやって来ました。

磐椅神社は会津の土着の信仰に基づく神体山崇拝の地で国つ神を祀る磐梯明神として信仰されていました。後に恵日寺は磐梯山を奥の院とし「磐梯明神」を守護神として会津一円を荘園化していったようです。
そのため磐椅神社は恵日寺に地位を奪われた状態になったと思われます。
日没前に何とか磐椅神社いやって来ました。 磐椅神社は会津の土着の信仰に基づく神体山崇拝の地で国つ神を祀る磐梯明神として信仰されていました。後に恵日寺は磐梯山を奥の院とし「磐梯明神」を守護神として会津一円を荘園化していったようです。 そのため磐椅神社は恵日寺に地位を奪われた状態になったと思われます。
磐梯山・雄国山・赤埴山 神域一体は縄文遺跡の埋蔵地とされています。
神域一体は縄文遺跡の埋蔵地とされています。
磐梯山・雄国山・赤埴山 社伝によれば、応神天皇のとき神功皇后が武内宿禰に命じて大山祇命と埴山姫(はにやまやまひめ)命の二神を磐梯山頂に祀られせたのが始まりとされます。

社伝に神功皇后が絡むので卑弥呼の時代の倭国に直結するような話です。
社伝によれば、応神天皇のとき神功皇后が武内宿禰に命じて大山祇命と埴山姫(はにやまやまひめ)命の二神を磐梯山頂に祀られせたのが始まりとされます。 社伝に神功皇后が絡むので卑弥呼の時代の倭国に直結するような話です。
磐梯山・雄国山・赤埴山 御神木からして凄すぎです。
御神木からして凄すぎです。
磐梯山・雄国山・赤埴山 磐梯パノラマコースというのがあるらしいです。
磐梯パノラマコースというのがあるらしいです。
磐梯山・雄国山・赤埴山 土田堰(はにたせき)。
正之公が亡くなり1673年に家老の友松勘十郞は土津神社に奉納するための米を作るために土田という村の田を切り開き、長瀬川から水を引くために開拓された水路。
土田堰(はにたせき)。 正之公が亡くなり1673年に家老の友松勘十郞は土津神社に奉納するための米を作るために土田という村の田を切り開き、長瀬川から水を引くために開拓された水路。
磐梯山・雄国山・赤埴山 日暮れ間近の磐梯山。
山頂から見る夕日を想像してみました。
日暮れ間近の磐梯山。 山頂から見る夕日を想像してみました。
磐梯山・雄国山・赤埴山 家路に向かい国道49号線を郡山方面に走行中、猪苗代湖の対岸に夕日に浮かび上がった高さ80メートルの背あぶり山の風車が見えたので急いで湖畔に立ち寄りました。
家路に向かい国道49号線を郡山方面に走行中、猪苗代湖の対岸に夕日に浮かび上がった高さ80メートルの背あぶり山の風車が見えたので急いで湖畔に立ち寄りました。
磐梯山・雄国山・赤埴山 子供連れの家族も飛び入り参加して来ました。
子供連れの家族も飛び入り参加して来ました。
磐梯山・雄国山・赤埴山 そして沈黙する磐梯明神。
そして沈黙する磐梯明神。
磐梯山・雄国山・赤埴山 かなり冷えてきたので沢山の鴨たちに別れを告げ、猪苗代湖を後にしました。
かなり冷えてきたので沢山の鴨たちに別れを告げ、猪苗代湖を後にしました。

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