活動データ
タイム
271:59
距離
0m
のぼり
0m
くだり
0m
活動詳細
すべて見るはじめに 今年はどこへ行こう。今回で5年連続の山での年越し、そして学生最後の年末年始だからどっぷりと山に浸れる計画が良い。昨年の春に 知床(https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1798222.html) と日高(https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1798249.html) を歩き通したからやはり大雪だろうか。それならどこから入ってどこへ降りよう。そんなことを考えているうちに今年も北海道に冬の便りが届いた。最初はまた独りで行こうかと思っていたが、今年は去年とは少し事情が違う。一つ後輩のmaruがHUWVを卒部して自由の身になっている。この計画に誘うなら彼しか思い当たらないし、準備山行のようなものには行く時間がないが、彼なら現役時代に何度も厳しい山行を共にした仲だから問題ない。話してみてダメなら一人で行こう、そう思って直接会う機会があったときに何気なく聞いてみる。 「今年の年末年始はどっか行く予定あるん?」 「一人で大雪ですかね。黒岳からトムラウシとか」 どうやら彼も似たようなことを考えていたらしい。しかしその計画では少しあっさりしている感が否めない。トムラウシの頂上に立ったとき、この先の稜線も歩きたいな、と思うに違いない。 「お!いいね!そのまま富良野までとかどう?二人で」 それからはとんとん拍子に話が進み、二人の学業などの都合から最終日は1/7に決まった。そこから逆算して約二週間、12/25に入山することに決めたときから早く年末にならないかとソワソワしていた。23日に食料の買い出しと準備を兼ねてミーティングを行う。天候が問題なければ4~5泊あれば歩き通せるが、そこは厳冬の大雪である。特に前半部は天候が厳しければ小屋ごとに区切る可能性も高いことから、7泊8日6停滞とする。実質8泊の停滞を準備したのは他でもない、悪天候への備えである。重荷になるがこればかりは仕方がない。そしてその予感は的中することとなる。 12/25 晴れ 穏やか 層雲峡(9:09)-5合目(14:54)-7合目(15:29)=C1 3時に札幌を出発する。予報がそれほど良くないことと、初日は重荷で標高を稼ぐことに終始するであろうことからゆっくりの出発としたが、予想に反して天気が良い。気分よく層雲峡を出る。最初の登りは急でしんどいが、尾根に上がると少し楽になる。少し行くと抜けたところがあり、maruと別れて競争することに。しかしorangeが選んだ方は夏道を逸れたらしく思うように進めない。特に最後はかなり急な斜面を登る羽目になり大幅にタイムロス。体力と時間を浪費してしまった。5合目のロープウェイの駅には立派な暖房があり、そこで物を乾かしたり休憩したりさせていただく。施設のおじさんには、大晦日は大荒れだから無茶しないように、と忠告を頂く。それからペタペタ歩いて7合目のリフトの上でCamp1とする。荷物が重すぎてこれ以上進む気にならなかった。一人一缶ずつだけ持ってきたビールを早速開けて入山を祝う。 12/26 晴れ 風強く地吹雪 C1(5:01)-黒岳(6:44)-白雲岳避難小屋(11:01)=C2 今日は高気圧の張り出しで天気が良さそうな予報だ。シーアイゼンで攻めて黒岳の頂上を目指す。最上部は急で固めだったのでアイゼンの方が無難だったかもしれない。頂上からの展望を期待していたがすっきりとは晴れず風も強い。やはり寒気が入るとこの程度の張り出しではだめか。半分以上埋まっている石室を横目に、スキーにしたりツボにしたりで白雲小屋へ。この区間は微妙な沢型が入り組んでおり、視界がないとルート選びが大変そうだ。今回は視界はあるが、絶妙な向かい風に難儀する。昼前には白雲小屋に着いたが、先に進むか悩む。忠別小屋は微妙に遠く、今から行けば日没を過ぎるのは間違いなさそうである。幸い明日の予報も悪くなさそうなので少し早いが今日はここまでとしておく。裏目に出なければいいが。濃い目に溶かしたココアが旨い。 12/27 朝は曇り 昼から晴れ 無風 C2(5:35)-忠別沼(8:07)-忠別岳(9:11)-五色岳(10:52)-ヒサゴ沼避難小屋(12:14)=C3 朝から風はほとんどなく、気分よく高根ヶ原を闊歩する。日が昇ると後方に旭岳が姿を現す。ひときわ白い山容には舞妓さんもびっくりだろう。左手には石狩稜線も見え、昨年の年末が思い出されて懐かしい。忠別沼を越えて忠別岳へ駆け上がる。曇り空の向こうにトムラウシが悠然と佇んでいる。忠別小屋の分岐まで下るとそこから五色岳までも一気に駆け上がる。晴れてきた空に白いトムラウシが際立つ。なんてデカさだ。今日は何としてもヒサゴ小屋までと考えていたが、思っていたより天気が良く、さらに進んでおくべきかと贅沢な悩みが発生する。結局今後の天候が今一つでテントを張れるか不安なので小屋に泊まることとする。午後も晴れていて気持ちが良い。この秋に改修されたヒサゴ沼避難小屋はヨーロッパアルプスの山小屋だと言っても遜色ないくらいの雰囲気がある。しかし残念ながら小屋の中は改修前とほとんど変わっていなかった。 この先の予報では、おじさんが言っていた通り31日以降大荒れになるようである。そのため30日の低気圧の前面でオプタテを越えて美瑛富士小屋に入りたい。そして、この小屋は埋まっていて使えない可能性もあるので、その場合に雪洞を掘れるくらいの時間の余裕が欲しい。そうなると明日にはオプタテの北東コルに着いておきたく、明日は今山行の最初の正念場になりそうだ。この日、orangeのダウンシュラフのファスナーが壊れ、全開となる。右半身だけ寒い夜。 12/28 風強く地吹雪 トムラウシだけ晴れ C3(4:06)-トムラウシ山(8:11)-三川台(10:35)-ツリガネ山の肩(13:18)-コスマヌプリ東麓(15:25)=C4 緩めの冬型だが気合を入れて出る。暗い中いきなりミスして違う沢型を登ってしまう。仕切り直して正しい沢型を辿って北沼へ。ここでも少し思っていたところとずれるがすぐに修正。地吹雪がきついが北周りで南沼へ。ここから空身アタックに出るとトムラウシだけガスの上にあることが分かる。風は強いが最高に気持ちが良い。頂上からは旭岳が見える。これから行く先と十勝連峰はガスの中だ。たくさん写真を撮って縦走に戻る。三川台への尾根は地吹雪が真正面からぶつかってきて度々ホワイトアウトする過酷な進軍を強いられる。真っ白な中で目を凝らしていると不意に茶色い物体が視界を横切る。キタキツネだ。こいつも懸命に生きているんだ。僕らもここで弱音を吐くわけにはいかない。やっとのことで辿り着いた三川台では視界がなく下ろす尾根を通り過ぎてしまう。慌てて戻るも二人ともかなり消耗している。ツリガネ山の辛い登りは何とか乗り越えたものの、コスマヌプリとその手前の尖ったポコを越えるだけの気力は残っておらず、話し合った結果少しでも風が避けられそうな窪地を選んでC4とする。長時間の地吹雪行動による疲労は大きく、今日の分だけ水を作ってとっとと寝ることにする。明日のことは起きてから考えよう。 12/29 風強い ガス 停滞 C4=C5 昨日より強めの冬型でオプタテ北東コルまで進んでおくかどうか悩むが、明日早く出ることにして今日は停滞とする。テントの周りに雪が吹きだまって除雪をする。壊れたファスナーを修理すると、ペンチが有能でほぼ元通りとなり気分が良い。今日の風は日本海の荒波のようで、堤防で砕け散った白波のごとくテントの中に霜の雪を降らせる。間隔を空けて何度も襲ってくるそのたびに顔に雪が降って冷たい。地図を眺めて明日の作戦を練る。良い休養になった。 12/30 風弱め ガス C5(3:58)-コスマヌプリ(4:47)-オプタテシケ山(9:15)-べベツ岳(10:19)-石垣山(10:53)-美瑛富士避難小屋(11:13)=C6 着実に近づいてきている低気圧の前面のうちに駆け抜けるべく、昨日の作戦通り尾根を登る。暗いので地図読みは慎重に。北東コルに着いた頃には明るくなり、低気圧の影響が出る前に抜けなければと少し気が焦る。オプタテの登りは滅茶苦茶に長いがまだ風が弱いのが助かる。1600くらいまでスキーで登り、そこからはEPに替える。3年前も歩いた懐かしの頂稜を越えるとオプタテピーク。ガスに覆われているが、薄雲の奥に時折太陽が見える。まだもう少し余裕はありそうだ。ベベツ岳のE峰、W峰を一気に越えて石垣山の斜面を登る。この辺りから小屋が埋まってはいないかと心配になってくる。今年は雪が少ないから大丈夫だろうが、恐らく受かっているであろうテストの合格発表みたいだ。合格通知は突然に、前を歩くmaruの「小屋ありましたー」が届く。友達から合格者一覧の写真が送られてきたときのようなあっけなさ。何はともあれ一安心。 小屋に着くと入り口付近と土間の部分に焚火の跡がある。いい加減なことをする人がいるもんだ。午後には風が強くなり、低気圧の影響が出始める。この悪天はいつまで続くのだろうか。明日からの停滞に備えて、maruは真新しい上下ダウンを着込んでいる。本人は身分不相応だと言っていたが、厳冬の大雪はむしろこの上なく相応しいだろう。 12/31 爆風 停滞 C6=C7 大きく発達した低気圧が通過するため停滞。午前中は風は控えめか、と思っていると午後から爆風に変わる。高速道路の高架の真下にいるかのようだ。停滞グッズとして持ってきた『新冒険論』(著:角幡唯介)読了。この山行で脱システムに近づくためには、とりあえず今すぐ避難小屋を放棄して自力で雪洞を掘って停滞すべきなのかもしれない。 maruが意地でも割らないようにと荷揚げした年越しカップそばを食べながらラジオで紅白を聞く。この天候では明日も停滞は確実なので日付が変わるまで夜更かしする。嵐のお陰で白組の勝ち。 1/1 烈風 停滞 C7=C8 明けましておめでとうございます。強烈な冬型が決まり、寒すぎて足の感覚がなくなる。-20℃以下は間違いないだろう。風はもはや騒音である。一歩外に出た瞬間に待っていたかのように粉雪の塊が全身を覆う。目が開けられず、当然足元も見えず、吹雪がどうこうのレベルではない。顔の熱で雪が溶けて、小屋に戻るときには顔面はびしゃびしゃだ。飲み水のための雪のブロックを切り出すのはもはや拷問だった。これまたmaruが持参したおしるこが旨い。つかの間のお正月気分を味わう。この夜、修理したファスナーが再度壊れ修復不可能となる。全開になった右半身をmaruに寄せてくっついて眠る。人の温もりがありがたい。 1/2 暴風 停滞 C8=C9 今日も風がうるさい。二人して切れかかった靴紐を交換する。箱根駅伝往路は青学の優勝。東京国際大3区の留学生が異次元の走りを披露していた。その後maruと本を交換して『旅をする木』(著:星野道夫)読了。ページをめくる手がかじかんで仕方がない。自虐と皮肉交じりでユーモアたっぷりの尖った文章を書く角幡氏に対して、星野氏の一切の尖りがなく慈愛に満ちた優しい文章に心癒される。アラスカに行ってみたくなった。 明日は等圧線が緩むのでひょっとするかもと話し5時に起きてみることにする。 1/3 強風 停滞 C9=C10 今日で4停滞目。ひょっとはしない。厳冬の大雪山はそうは甘くない。騒がしく鳴り響くアラームを止めると、期待していた静寂は訪れず昨日と同じ風の音がする。かれこれもう100時間以上吹き続けているだろうか。明日も天候は厳しそうだが、残りの日程中はずっとこんな感じだから少し強引に行くしか無さそうだ。駅伝は青学が総合優勝。昨日なけなしのウイスキーを空けてしまったので暇を弄ぶ。甘酒が旨い。 明日に備えて、事前に主要なコンパス方向を確認しておく。 1/4 風強く吹雪 ガスも濃い C10(7:46)-美瑛岳分岐(9:43)-十勝岳(13:01)-上ホロ避難小屋(14:22)=C11 3時に起きるも相変わらず静寂には程遠い夜明け。ぶつぶつと文句を垂れながら準備を始め、5泊もの間お世話になった小屋の中を丁寧に掃除して7時半に出る。美瑛富士トラバースの時点で視界が無さすぎて尺取りをする羽目に。この視界では目は大して役に立たないので地図と足元の斜度変化に注意を払い現在地を特定していく。なんとかコルに辿り着くと今度は美瑛岳の長い登り。ここも風が強く、まともに前を向けない。この先もこれだとかなりきついと絶望感が漂う。しかし稜線に上がりきると尾根の風下側に入ることで風から逃れることが出来た。少し休憩して先へ。十勝岳までは顕著な地形を辿って進むと夏道に出会ったり離れたりを繰り返す。風向き的に火口からの噴煙が直撃し、黄色く染まった硫黄臭い氷の上を歩く。これはこれでピークが近づいてきているのが実感出来て良い。むしろそれくらいしか実感できる方法がない。鋸岳から先は吹きっさらしでしんどいが、maruは覚悟を決めて出発したから思っていたより余裕があったらしい。頼もしい限りだ。ピークで写真を撮ってすぐに下り始める。ここも視界無く、沢型の源頭に当ててじりじりと下ろす。強い横風に耐えながらなんとか上ホロ避難小屋に辿り着くと、なんとそこには半開きの扉と、びっしりと内部まで吹きだまった無残な光景が待っていた。あまり時間もないので入り口付近を中心に1/3ほど除雪してきっちりと施錠しておく。二階からは問題なく入ることが出来たのでここにテントを張ることにした。 あとは気合で富良野を越えて下山するだけなので停滞用に残っているスパを二食分貪る。明日の今頃はお風呂に入って旨いものでも食っているだろうと妄想に耽る。夜、小屋の外の風の音が気になる。予報ではもう一度冬型が強まるそうだが、もしかしてもう一波乱あるのか。 1/5 風強め ガス C11(6:16)-上ホロカメットク山(6:35)-上富良野岳(6:58)-三峰山(7:34)-富良野岳(9:24)-原始ヶ原登山口(12:54)-除雪終点(14:26) 3時に起きてしっかり準備して6時過ぎに出る。懸念していた風はそれほどではなく、問題なく進められる。結局十勝の区間はほとんど展望が無かったがそれは望みすぎということか。上ホロ、三峰山とどんどん進み、最後の長い頂稜を登りきってラストピークとなる富良野岳に立つ。昨晩はもう下山後のことで頭がいっぱいだったのに、今こうして最後のピークに立つともう少し稜線が続いていたらいいのになぁ、と不思議な気持ちになる。アイゼンのまま一気に高度を下ろし、雪が緩んだところでスキーに替える。雪が深く、あまり斜度もないので滑らない。地味にだるいラッセルをしていると他パーティのものらしきトレースにぶつかる。三の沢辺りでトレースが乱れ惑わされるが、何とか夏道に合流し栄光のウイニングロードへ。と思っていたらこの林道が長い。いくら歩いても除雪終点が現れず、最後の最後に靴擦れになってしまった。 お迎えの車で行ったフラヌイ温泉で二週間振り兼新年初風呂に入り、富良野のファミレスでハンバーグ定食と丼の二人前平らげて帰札。最高の年越しだった。 この上ない年越しとなった。層雲峡から原始ヶ原まで厳冬期に歩けたことは幸せなことだったと思う。何より前半で天候に恵まれ、体力・気力的にそれほど消耗せずに後半に入れたことが大きい。そして、体力的にも精神的にも頼もしい後輩と行動出来たことも大きかった。もし一人だったらどこかで心が折れてしまっていたかもしれない(特にシュラフが全開になってからは人の温もりがありがたかった笑)。一緒に行ってくれてありがとう。次に長期縦走出来るのはいつになるのだろうか。何度やっても、どこに行っても長期山行は良いものだ。 2020/3/14追記 今回の山行記録が『岳人』2020年4月号に掲載されました。ご興味を持っていただけた方はぜひご一読ください。
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