東殿山(とうどやま)

2021.10.17(日) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
7 時間 16
休憩時間
1 時間 53
距離
7.6 km
上り / 下り
532 / 532 m
1 49
4 19
42

活動詳細

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天正10(1582)年6月2日、織田信長が本能寺で殉死してのち、後継者を巡り同年6月27日に清州会議が行われた。織田氏の後継者選びとは言うものの、実質は羽柴秀吉と柴田勝家の勢力争いで、この結果が両者の覇権を争う戦争に発展する。 金森長近(かなもりながちか)は柴田勝家の側についていた。しかし、天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いで、秀吉の巧みな調略により前田利家と共に柴田軍の援軍を放棄し自国へ撤退した。後ろ盾の無くなった柴田勝家はこれにより滅び、長近は前田と共に秀吉の傘下に入った。🏯 その後、秀吉の鉾先が勝家と北陸で同盟を結んでいた佐々成政(さっさなりまさ)に向けられると、秀吉は金森長近に飛騨白川郷からの侵攻を命じる。しかし飛騨には当時、佐々氏と同盟関係の有った姉小路(三木)自綱(よりつな)・秀綱親子がその勢力を誇っていた。金森長近は姉小路氏に遺恨の有る飛騨の旧勢力を率いて攻め、先ず自綱を降伏させるとその子秀綱の松倉城へと進軍。秀綱は難攻不落と言われた松倉城での籠城を決め、徹底抗戦を続けるが最後は落城し敗走することになる。🎠🎠🎶 https://yamap.com/activities/7490483 https://yamap.com/activities/7518054 金森氏は美濃の清和源氏流土岐氏の出身で、織田信長の時代に金森長近が加賀一向一揆を鎮圧した褒美に越前大野を領地として与えられた。その後、豊臣秀吉の時代に飛騨を平定し領地を増やしていった。秀吉没後は徳川家康に仕え、はじめは領地を安堵されるも飛騨の森林資源と神岡鉱山の権利を幕府が剥奪したことから、飛騨は幕府の直轄地となった。これにより金森氏は出羽上山藩(現在の山形県上山市)に移封となる。ところが三年後、美濃の郡上八幡藩に再移封された。🃏 金森氏は凡そ5万石ほどの大名で、規模としては然程大きくない。江戸時代の大名の最低石高は1万石とされ、城持ち大名に至っては3万石以上であったようだ。もともと織田信長に仕えるも柴田勝家を裏切り秀吉に付き、さらには徳川に仕えるなど主従を転々とした経緯を考えると当然のように思えるが、一方で同様の道を辿った前田氏は加賀100万石と言われる出世大名となる。同じ外様でも金森氏には出世街道から外れた現代のサラリーマンの悲哀が感じられるのは私だけか…。😵💫 出世と言えば、「梲(うだつ)が上がらない」という表現は地位・生活などがよくならないとか、 パッとしない場合に用いられるが、この「うだつ」には諸説あるようだ。一般的なのは大工用語の「卯建(うだて)」説で、隣り合う長屋を仕切る防火壁のことを「卯建」と呼び、この「卯建」を高く上げることが出世を意味しているというもの。岐阜県美濃市には「うだつの上がる町並み」がある。ここは江戸時代にその領主、金森長近によって造られたというから、何とも皮肉な巡り合わせになっている。😱 さて、再び話を本題に戻すと、度重なる国替えの影響で金森氏の郡上藩の財政はひっ迫していた。そのため、年貢米やその他の物品に掛る増税で農民の暮らしも苦しくなり、農民たちは一揆を起こした。郡上宝暦騒動いわゆる「郡上一揆」で、幕府よりその責任を追及された金森家は宝暦8年(1758)に改易となり、所領没収となった。🤬 その後、金森家が信長以来の名家であることから、お家断絶は免れたものの分家である金森左京家に名跡を継がせ、3,000石を残す旗本に降格となる。 戦国の勇であった金森氏も、徳川幕府の政策と土民の反抗に翻弄され、寂しい終末を迎えたようだ。😭🏁 今回は戦国期から江戸の安定期に、金森氏の命運を掛けたこの地の歴史探訪の山行とした。

東殿山 郡上市役所の横にある有料駐車場🅿に車を停めてスタート。
郡上市役所の横にある有料駐車場🅿に車を停めてスタート。
東殿山 駐車場から郡上八幡城が見えました。再建80周年は木造では最古だそうです。🏯🎉
駐車場から郡上八幡城が見えました。再建80周年は木造では最古だそうです。🏯🎉
東殿山 ヤマガラが捕獲した蛾を食事中でした。🕊🍚
ヤマガラが捕獲した蛾を食事中でした。🕊🍚
東殿山 愛宕公園から行きます。🚀
愛宕公園から行きます。🚀
東殿山 愛宕神社。⛩
1600年(慶長5年)に当時、郡上八幡城主遠藤慶隆(えんどうよしたか)が地蔵菩薩を祀り愛宕権現として創建したそうだ。
愛宕神社。⛩ 1600年(慶長5年)に当時、郡上八幡城主遠藤慶隆(えんどうよしたか)が地蔵菩薩を祀り愛宕権現として創建したそうだ。
東殿山 遠藤慶隆は美濃遠藤氏で、東氏(とうし/千葉氏一族)の庶流であった。 慶隆の父盛数は、舅(しゅうと)にあたる東常慶と東氏を滅ぼし、八幡城主となった。🏯
遠藤慶隆は美濃遠藤氏で、東氏(とうし/千葉氏一族)の庶流であった。 慶隆の父盛数は、舅(しゅうと)にあたる東常慶と東氏を滅ぼし、八幡城主となった。🏯
東殿山 遠藤氏は信長に仕える一方で、織田氏と敵対する石山本願寺と武田信玄とも通じていた。地方の小国の一大名には、中央の覇権争いを巧みに利用し、生き残りを掛けた知略の戦いがある。🤨
遠藤氏は信長に仕える一方で、織田氏と敵対する石山本願寺と武田信玄とも通じていた。地方の小国の一大名には、中央の覇権争いを巧みに利用し、生き残りを掛けた知略の戦いがある。🤨
東殿山 当時、石山合戦や一向一揆を指揮してした石山本願寺と、越前国の朝倉義景との同盟を確固たるものにしたい武田氏側などと通じる事は、信濃~郡上~越前のルートを確保し、要所を抑え存在感を示すには良い考えだ。🤔
当時、石山合戦や一向一揆を指揮してした石山本願寺と、越前国の朝倉義景との同盟を確固たるものにしたい武田氏側などと通じる事は、信濃~郡上~越前のルートを確保し、要所を抑え存在感を示すには良い考えだ。🤔
東殿山 現在計画が進んでいる中部縦貫自動車道は長野県松本市を起点とし、岐阜県高山市から郡上市を経由して福井県福井市に至る総延長約160kmの高速道路である。これは、中央自動車道、東海北陸自動車道、北陸自動車道を相互に連絡する広域交通の円滑化に寄与し、沿線の文化や観光を生かした地域振興や産業経済の発展に繋がると期待されている。😲
現在計画が進んでいる中部縦貫自動車道は長野県松本市を起点とし、岐阜県高山市から郡上市を経由して福井県福井市に至る総延長約160kmの高速道路である。これは、中央自動車道、東海北陸自動車道、北陸自動車道を相互に連絡する広域交通の円滑化に寄与し、沿線の文化や観光を生かした地域振興や産業経済の発展に繋がると期待されている。😲
東殿山 遠藤氏の願いは平和になった現代においても、この郡上という地が各地域を結ぶ重要な場所であることを裏付けている。🧐

祠の横から登山道が延びています。👉
遠藤氏の願いは平和になった現代においても、この郡上という地が各地域を結ぶ重要な場所であることを裏付けている。🧐 祠の横から登山道が延びています。👉
東殿山 ここから急登。起伏の有る、変化に富んだ登山道です。😱
ここから急登。起伏の有る、変化に富んだ登山道です。😱
東殿山 播隆様~!!!
槍への道は険しゅうございますぞ~っ!😆
播隆様~!!! 槍への道は険しゅうございますぞ~っ!😆
東殿山 ミチクサさん、頑張れ~!!🙋
ミチクサさん、頑張れ~!!🙋
東殿山 郡上の低山、舐めていました。楽しい!!!🤣
郡上の低山、舐めていました。楽しい!!!🤣
東殿山 先ずは赤谷山城(東殿山城)へ🏯
先ずは赤谷山城(東殿山城)へ🏯
東殿山 赤谷山城の本丸(一の丸)跡に到着。🏁
赤谷山城の本丸(一の丸)跡に到着。🏁
東殿山 次は、東殿山の山頂を目指します。☝️
次は、東殿山の山頂を目指します。☝️
東殿山 こんな楽しいコースも。😊
こんな楽しいコースも。😊
東殿山 鎖場もあります。
播隆様~!!!😆😆
鎖場もあります。 播隆様~!!!😆😆
東殿山 ⛓😁
⛓😁
東殿山 ミチクサさん、頑張れ~っ!😅
ミチクサさん、頑張れ~っ!😅
東殿山 ウサイン・ボルト⚡
ウサイン・ボルト⚡
東殿山 虎バース!🐅💨
虎バース!🐅💨
東殿山 東殿山山頂に到着。⛰️
眺望はありませんが、少し行ったところに展望台があります。🔭
東殿山山頂に到着。⛰️ 眺望はありませんが、少し行ったところに展望台があります。🔭
東殿山 美濃遠藤氏に滅ぼされた東氏(とうし)を金森氏から「とうどの」と敬称され付いた山名のようです。🤔
美濃遠藤氏に滅ぼされた東氏(とうし)を金森氏から「とうどの」と敬称され付いた山名のようです。🤔
東殿山 なかなか立派な展望台です。🔭
なかなか立派な展望台です。🔭
東殿山 大日ヶ岳とスキー場が見えます。🎿
雲の向こうは白山、別山だそうです。🏔️
大日ヶ岳とスキー場が見えます。🎿 雲の向こうは白山、別山だそうです。🏔️
東殿山 この角度のお城はなかなか拝められない。是非、雲海に浮かぶお城の写真なんかも撮ってみたいものです。🏯😆
この角度のお城はなかなか拝められない。是非、雲海に浮かぶお城の写真なんかも撮ってみたいものです。🏯😆
東殿山 皆で盛り上げましょう!!!☝️
皆で盛り上げましょう!!!☝️
東殿山 🏯🧐
🏯🧐
東殿山 東海北陸自動車道。🚗🚜🚴⛷️🤺
東海北陸自動車道。🚗🚜🚴⛷️🤺
東殿山 郡上八幡の町並み。😄
郡上八幡の町並み。😄
東殿山 後ほど街中も散策します。🙋
後ほど街中も散策します。🙋
東殿山 吉田川に掛る宮ケ瀬橋。🌉
吉田川に掛る宮ケ瀬橋。🌉
東殿山 少し上流の新橋です。🥢
少し上流の新橋です。🥢
東殿山 パッチワークのような街並みの屋根。😳
パッチワークのような街並みの屋根。😳
東殿山 吉田川の支流の乙姫滝(乙姫川)方面へ降ります。
吉田川の支流の乙姫滝(乙姫川)方面へ降ります。
東殿山 国有林なので広葉樹の巨木が残っています。😧
国有林なので広葉樹の巨木が残っています。😧
東殿山 紅葉は11月に入ってかな…。🍁
紅葉は11月に入ってかな…。🍁
東殿山 クサギ。
クサギ。
東殿山 この辺りは石灰岩の地質のようです。南に数キロ行った場所に大滝鍾乳洞、縄文鍾乳洞が有るので、地下には鍾乳洞が眠っているかも知れません。🦇〜
この辺りは石灰岩の地質のようです。南に数キロ行った場所に大滝鍾乳洞、縄文鍾乳洞が有るので、地下には鍾乳洞が眠っているかも知れません。🦇〜
東殿山 乙姫滝に来ました。💦
乙姫滝に来ました。💦
東殿山 滝の上から😱
滝の上から😱
東殿山 イワナは背中に白い斑点があり、体の側面にある小判型のパーマークと呼ばれる模様が薄い。 ヤマメは背中の斑点は黒く、パーマークははっきりと濃く目立ち、赤帯と呼ばれる赤い線が入っている。
んじゃあコレは?🦈
イワナは背中に白い斑点があり、体の側面にある小判型のパーマークと呼ばれる模様が薄い。 ヤマメは背中の斑点は黒く、パーマークははっきりと濃く目立ち、赤帯と呼ばれる赤い線が入っている。 んじゃあコレは?🦈
東殿山 ミチクサタ~イム!!!😱😱😱
ミチクサタ~イム!!!😱😱😱
東殿山 ムラサキシキブ
ムラサキシキブ
東殿山 乙姫滝発電所跡。「県下初の水力発電所跡、明治32年から35年まで操業」だそうだ。八幡水力電気(はちまんすいりょくでんき)は、明治後期から大正にかけて、岐阜県郡上郡八幡町(現・郡上市)に存在した電力会社。⚡
乙姫滝発電所跡。「県下初の水力発電所跡、明治32年から35年まで操業」だそうだ。八幡水力電気(はちまんすいりょくでんき)は、明治後期から大正にかけて、岐阜県郡上郡八幡町(現・郡上市)に存在した電力会社。⚡
東殿山 乙姫滝側の登山口となる。🤔
乙姫滝側の登山口となる。🤔
東殿山 大きなニジマスが。ニジマスは外来種 で1877年にカリフォルニア州から卵が持ち込まれたのが最初。食用として広く冷水域で養殖されたが、釣魚としても大量に放流されている。🎣
大きなニジマスが。ニジマスは外来種 で1877年にカリフォルニア州から卵が持ち込まれたのが最初。食用として広く冷水域で養殖されたが、釣魚としても大量に放流されている。🎣
東殿山 🛕卍
🛕卍
東殿山 🦀………
🦀………
東殿山 乙姫川から敷かれた名物の洗い場。😲
乙姫川から敷かれた名物の洗い場。😲
東殿山 雰囲気の有る小径です。😄
雰囲気の有る小径です。😄
東殿山 うだつの町並みが広がります。
うだつの町並みが広がります。
東殿山 吉田川支流の乙姫川左岸に鎮座する左京神社。左京町の由来であり、金森左京家の守護神だ。金森左京家は郡上藩主・金森頼錦が宝暦の百姓一揆、石徹白騒動などの責任をとり、お家断絶となったとき、唯一旗本として存続を許された。🧐
吉田川支流の乙姫川左岸に鎮座する左京神社。左京町の由来であり、金森左京家の守護神だ。金森左京家は郡上藩主・金森頼錦が宝暦の百姓一揆、石徹白騒動などの責任をとり、お家断絶となったとき、唯一旗本として存続を許された。🧐
東殿山 長良川の支流、吉田川。
長良川の支流、吉田川。
東殿山 😊
😊
東殿山 修学旅行の生徒が来ていました。🚌
修学旅行の生徒が来ていました。🚌
東殿山 郡上八幡城を目指します。🏯
郡上八幡城を目指します。🏯
東殿山 登城口の安養寺の寺紋「九条六つ藤」。浄土真宗大谷派の寺院。遠藤慶隆が安養寺の要請で一時的に武田方に寝返ったものの、後に織田方に帰参するなど影響力が有ったようだ。
登城口の安養寺の寺紋「九条六つ藤」。浄土真宗大谷派の寺院。遠藤慶隆が安養寺の要請で一時的に武田方に寝返ったものの、後に織田方に帰参するなど影響力が有ったようだ。
東殿山 正面の東殿山(赤谷山)。
正面の東殿山(赤谷山)。
東殿山 📷ポイント☝️
📷ポイント☝️
東殿山 天守には行きませんでした。
天守には行きませんでした。
東殿山 天守裏の駐車場に登山道が延びているので、そこを行きます。
天守裏の駐車場に登山道が延びているので、そこを行きます。
東殿山 分岐。真っ直ぐ行けば滝山へ行きますが、本日はここまで。右に降りて、郡上高校方面へ行きます。
分岐。真っ直ぐ行けば滝山へ行きますが、本日はここまで。右に降りて、郡上高校方面へ行きます。
東殿山 間もなく下山。民家の裏に出ました。😅
間もなく下山。民家の裏に出ました。😅
東殿山 セキレイ。
セキレイ。
東殿山 🏯🙋
🏯🙋
東殿山 😲
😲
東殿山 八幡大橋で吉田川を渡ります。💦
八幡大橋で吉田川を渡ります。💦
東殿山 愛宕公園まで戻って来ました。
郡上は母親、他界した祖母の故郷で、親戚も多数居る中、子供のころは良く遊びに来たが、これほどじっくりと散策した事はなかった。新しい発見が沢山見つかった歴史探訪の一日となりました。
本日もお疲れ様~!!!😆😆😆
愛宕公園まで戻って来ました。 郡上は母親、他界した祖母の故郷で、親戚も多数居る中、子供のころは良く遊びに来たが、これほどじっくりと散策した事はなかった。新しい発見が沢山見つかった歴史探訪の一日となりました。 本日もお疲れ様~!!!😆😆😆

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