(26)中山峠~大滝山~相栗峠縦走

2021.10.10(日) 日帰り

今日は剣山方面はガスで曇る予報だが、離れた阿讃の山々はずっと晴れ予報。 できれば未踏の中山峠から相栗峠まで縦走したい。そこでHinoking氏に連絡すると快くOKの返事をもらい、再びコラボ登山して頂いた。ありがとうございます。

Hinoking氏と7時に相栗峠で待ち合わせ。途中見えた山並み。一番高いのは矢筈山かな?

Hinoking氏と7時に相栗峠で待ち合わせ。途中見えた山並み。一番高いのは矢筈山かな?

Hinoking氏と7時に相栗峠で待ち合わせ。途中見えた山並み。一番高いのは矢筈山かな?

時間があったので、相栗峠近くの旧平帽子小学校に立ち寄る。

時間があったので、相栗峠近くの旧平帽子小学校に立ち寄る。

時間があったので、相栗峠近くの旧平帽子小学校に立ち寄る。

門柱左には「徳島県美馬郡脇町平帽子青年学校」

門柱左には「徳島県美馬郡脇町平帽子青年学校」

門柱左には「徳島県美馬郡脇町平帽子青年学校」

門柱右には「徳島県美馬郡脇町平帽子小学校」とありました。

門柱右には「徳島県美馬郡脇町平帽子小学校」とありました。

門柱右には「徳島県美馬郡脇町平帽子小学校」とありました。

ここも創立100周年の石碑があります。

ここも創立100周年の石碑があります。

ここも創立100周年の石碑があります。

かつて子供たちが活動したであろう運動場。

かつて子供たちが活動したであろう運動場。

かつて子供たちが活動したであろう運動場。

小さいけれど、ここが玄関のようです。

小さいけれど、ここが玄関のようです。

小さいけれど、ここが玄関のようです。

休校となって17年がたつが、中はきれいに片付いていた。

休校となって17年がたつが、中はきれいに片付いていた。

休校となって17年がたつが、中はきれいに片付いていた。

こういったノスタルジックな木造校舎はずっと残って欲しいものである。
このあと相栗峠でHinoking氏と落ち合い、中山峠へと向かう。

こういったノスタルジックな木造校舎はずっと残って欲しいものである。 このあと相栗峠でHinoking氏と落ち合い、中山峠へと向かう。

こういったノスタルジックな木造校舎はずっと残って欲しいものである。 このあと相栗峠でHinoking氏と落ち合い、中山峠へと向かう。

では中山峠手前の、金毘羅神社の境内に駐車させてもらいます。

では中山峠手前の、金毘羅神社の境内に駐車させてもらいます。

では中山峠手前の、金毘羅神社の境内に駐車させてもらいます。

では準備をしてスタート。

では準備をしてスタート。

では準備をしてスタート。

きれいな鳥居をくぐり、

きれいな鳥居をくぐり、

きれいな鳥居をくぐり、

本殿にお参りします。

本殿にお参りします。

本殿にお参りします。

本殿左横のここから奥に行けば、

本殿左横のここから奥に行けば、

本殿左横のここから奥に行けば、

看板があります。小屋の左奥から入り、すぐに鋭角に右上の尾根に行きます。直進しないように。

看板があります。小屋の左奥から入り、すぐに鋭角に右上の尾根に行きます。直進しないように。

看板があります。小屋の左奥から入り、すぐに鋭角に右上の尾根に行きます。直進しないように。

最初のうちは、快適なトラバース道。

最初のうちは、快適なトラバース道。

最初のうちは、快適なトラバース道。

尾根に合流します。

尾根に合流します。

尾根に合流します。

まずは激登りその1。ここでヤマップを起動していないことが判明。よって今回のログは、実は同行していたHinoking氏のログをもらっています。ありがとうございました。

まずは激登りその1。ここでヤマップを起動していないことが判明。よって今回のログは、実は同行していたHinoking氏のログをもらっています。ありがとうございました。

まずは激登りその1。ここでヤマップを起動していないことが判明。よって今回のログは、実は同行していたHinoking氏のログをもらっています。ありがとうございました。

ロープ場の急登はずっと上まで続いています。

ロープ場の急登はずっと上まで続いています。

ロープ場の急登はずっと上まで続いています。

こんな道ばっかりなら楽しいのですが無理でしょうね。

こんな道ばっかりなら楽しいのですが無理でしょうね。

こんな道ばっかりなら楽しいのですが無理でしょうね。

再び激登りその2。

再び激登りその2。

再び激登りその2。

大瀧寺への看板があります。

大瀧寺への看板があります。

大瀧寺への看板があります。

またまた激登りその3。

またまた激登りその3。

またまた激登りその3。

この登山道の標識が時々現れます。

この登山道の標識が時々現れます。

この登山道の標識が時々現れます。

この道は大瀧寺への遍路道でもあります。

この道は大瀧寺への遍路道でもあります。

この道は大瀧寺への遍路道でもあります。

今日もかなり暑いです。さらに阿讃の山は展望がないので、黙々と歩くのみです。

今日もかなり暑いです。さらに阿讃の山は展望がないので、黙々と歩くのみです。

今日もかなり暑いです。さらに阿讃の山は展望がないので、黙々と歩くのみです。

このあたりから笹が出てきました。

このあたりから笹が出てきました。

このあたりから笹が出てきました。

阿讃縦走コースの看板も時々現れます。

阿讃縦走コースの看板も時々現れます。

阿讃縦走コースの看板も時々現れます。

道はよく踏まれていてまず迷うことはないです。

道はよく踏まれていてまず迷うことはないです。

道はよく踏まれていてまず迷うことはないです。

大相山との分岐に到着しました。

大相山との分岐に到着しました。

大相山との分岐に到着しました。

大相山ピークを目指して進んで行きます。

大相山ピークを目指して進んで行きます。

大相山ピークを目指して進んで行きます。

大相山山頂(881.1m)到着。

大相山山頂(881.1m)到着。

大相山山頂(881.1m)到着。

三角点もあります。

三角点もあります。

三角点もあります。

元の分岐まで戻ってきました。

元の分岐まで戻ってきました。

元の分岐まで戻ってきました。

いきなりトラロープの下りです。

いきなりトラロープの下りです。

いきなりトラロープの下りです。

手作りのベンチを通過。

手作りのベンチを通過。

手作りのベンチを通過。

743mピーク付近です。

743mピーク付近です。

743mピーク付近です。

このあたりもキツい登りです。これが激登りその4。

このあたりもキツい登りです。これが激登りその4。

このあたりもキツい登りです。これが激登りその4。

稜線に合流します。

稜線に合流します。

稜線に合流します。

十九丁の丁石地蔵です。

十九丁の丁石地蔵です。

十九丁の丁石地蔵です。

朝の木漏れ日の中を歩く。

朝の木漏れ日の中を歩く。

朝の木漏れ日の中を歩く。

岩尾根の激登りその5。

岩尾根の激登りその5。

岩尾根の激登りその5。

857mピークを通過。

857mピークを通過。

857mピークを通過。

もう少しで県道に出ます。

もう少しで県道に出ます。

もう少しで県道に出ます。

やっと車道に着いた!
もう汗だくで首のタオルを今日も4回絞った。

やっと車道に着いた! もう汗だくで首のタオルを今日も4回絞った。

やっと車道に着いた! もう汗だくで首のタオルを今日も4回絞った。

では西照神社へ向かって進んでいきます。

では西照神社へ向かって進んでいきます。

では西照神社へ向かって進んでいきます。

山の中ですが、広い境内です。

山の中ですが、広い境内です。

山の中ですが、広い境内です。

本殿にお参りしました。そしてその後

本殿にお参りしました。そしてその後

本殿にお参りしました。そしてその後

大瀧山山頂(946m)到着です。三角点はありません。

大瀧山山頂(946m)到着です。三角点はありません。

大瀧山山頂(946m)到着です。三角点はありません。

その後大瀧寺に立ち寄り、

その後大瀧寺に立ち寄り、

その後大瀧寺に立ち寄り、

通行禁止区間を迂回するべく車道を進む。

通行禁止区間を迂回するべく車道を進む。

通行禁止区間を迂回するべく車道を進む。

途中に見つけた、この東屋でランチタイム。昼食後少々藪こぎをして

途中に見つけた、この東屋でランチタイム。昼食後少々藪こぎをして

途中に見つけた、この東屋でランチタイム。昼食後少々藪こぎをして

城ヶ丸西側からのルートに合流し、

城ヶ丸西側からのルートに合流し、

城ヶ丸西側からのルートに合流し、

城ヶ丸山頂(943.2m)到着。

城ヶ丸山頂(943.2m)到着。

城ヶ丸山頂(943.2m)到着。

三角点もあります。

三角点もあります。

三角点もあります。

山頂にはベンチや東屋もありました。では相栗峠を目指します。

山頂にはベンチや東屋もありました。では相栗峠を目指します。

山頂にはベンチや東屋もありました。では相栗峠を目指します。

大生峠を通過。しかし今日も虫が多い…

大生峠を通過。しかし今日も虫が多い…

大生峠を通過。しかし今日も虫が多い…

次のベンチのある所は、

次のベンチのある所は、

次のベンチのある所は、

キャンプ場への分岐となっています。

キャンプ場への分岐となっています。

キャンプ場への分岐となっています。

三本松を通過。

三本松を通過。

三本松を通過。

もうすぐ苫尾山です。

もうすぐ苫尾山です。

もうすぐ苫尾山です。

苫尾山山頂(818.9m)到着です。

苫尾山山頂(818.9m)到着です。

苫尾山山頂(818.9m)到着です。

三角点もあります。

三角点もあります。

三角点もあります。

休憩ベンチもありました。

休憩ベンチもありました。

休憩ベンチもありました。

少し下ると、苫尾峠です。

少し下ると、苫尾峠です。

少し下ると、苫尾峠です。

ここにもベンチとキャンプ場方面の分岐がありました。

ここにもベンチとキャンプ場方面の分岐がありました。

ここにもベンチとキャンプ場方面の分岐がありました。

そしてすぐに細尾峠。ベンチもあります。

そしてすぐに細尾峠。ベンチもあります。

そしてすぐに細尾峠。ベンチもあります。

細尾峠からの分岐は通行禁止になっています。

細尾峠からの分岐は通行禁止になっています。

細尾峠からの分岐は通行禁止になっています。

しばらく進んで、国地蔵峠到着。

しばらく進んで、国地蔵峠到着。

しばらく進んで、国地蔵峠到着。

明治14年のきれいなお地蔵様がありました。ここのベンチでしばし休憩し、再スタート。

明治14年のきれいなお地蔵様がありました。ここのベンチでしばし休憩し、再スタート。

明治14年のきれいなお地蔵様がありました。ここのベンチでしばし休憩し、再スタート。

途中登山道から少し離れたところに三角点778.6mがありました。

途中登山道から少し離れたところに三角点778.6mがありました。

途中登山道から少し離れたところに三角点778.6mがありました。

そして近くの登山道上に「平帽子山778.7m」の標識があった。

そして近くの登山道上に「平帽子山778.7m」の標識があった。

そして近くの登山道上に「平帽子山778.7m」の標識があった。

この標識で進路を左に取ります。

この標識で進路を左に取ります。

この標識で進路を左に取ります。

こんな快適な道は続かないことを知っているだけに…

こんな快適な道は続かないことを知っているだけに…

こんな快適な道は続かないことを知っているだけに…

程なくベンチがあり、その先に

程なくベンチがあり、その先に

程なくベンチがあり、その先に

出ました!誰が付けたか四国三大急登の一つ相栗の急登。

出ました!誰が付けたか四国三大急登の一つ相栗の急登。

出ました!誰が付けたか四国三大急登の一つ相栗の急登。

標高差約150m、カベのような斜面を、ロープを頼りに慎重に下って行きます。

標高差約150m、カベのような斜面を、ロープを頼りに慎重に下って行きます。

標高差約150m、カベのような斜面を、ロープを頼りに慎重に下って行きます。

下りきったときは本当にホッとしました。そして整備された階段を下れば、

下りきったときは本当にホッとしました。そして整備された階段を下れば、

下りきったときは本当にホッとしました。そして整備された階段を下れば、

県道に合流です。そういや今日は珍しく一升瓶を見なかったなあ。

県道に合流です。そういや今日は珍しく一升瓶を見なかったなあ。

県道に合流です。そういや今日は珍しく一升瓶を見なかったなあ。

そして駐車場到着です。お疲れ様でした。この後、車を回収に行きました。

そして駐車場到着です。お疲れ様でした。この後、車を回収に行きました。

そして駐車場到着です。お疲れ様でした。この後、車を回収に行きました。

そして帰りに今度は清水小学校に立ち寄る。

そして帰りに今度は清水小学校に立ち寄る。

そして帰りに今度は清水小学校に立ち寄る。

5年前に休校になったということでまだ新しく、傷みはほとんどない。

5年前に休校になったということでまだ新しく、傷みはほとんどない。

5年前に休校になったということでまだ新しく、傷みはほとんどない。

やっぱり創立100周年の石碑がありました。

やっぱり創立100周年の石碑がありました。

やっぱり創立100周年の石碑がありました。

山側のこちらが児童昇降口のようです。

山側のこちらが児童昇降口のようです。

山側のこちらが児童昇降口のようです。

プールもありましたが、草が生い茂っています。

プールもありましたが、草が生い茂っています。

プールもありましたが、草が生い茂っています。

運動場にはバックネットがあります。そういえばこんな山間の小学校にも昭和58年頃には少年野球のチームがあり、当時では珍しかった女子選手が2人いたことを記憶している。

運動場にはバックネットがあります。そういえばこんな山間の小学校にも昭和58年頃には少年野球のチームがあり、当時では珍しかった女子選手が2人いたことを記憶している。

運動場にはバックネットがあります。そういえばこんな山間の小学校にも昭和58年頃には少年野球のチームがあり、当時では珍しかった女子選手が2人いたことを記憶している。

Hinoking氏と7時に相栗峠で待ち合わせ。途中見えた山並み。一番高いのは矢筈山かな?

時間があったので、相栗峠近くの旧平帽子小学校に立ち寄る。

門柱左には「徳島県美馬郡脇町平帽子青年学校」

門柱右には「徳島県美馬郡脇町平帽子小学校」とありました。

ここも創立100周年の石碑があります。

かつて子供たちが活動したであろう運動場。

小さいけれど、ここが玄関のようです。

休校となって17年がたつが、中はきれいに片付いていた。

こういったノスタルジックな木造校舎はずっと残って欲しいものである。 このあと相栗峠でHinoking氏と落ち合い、中山峠へと向かう。

では中山峠手前の、金毘羅神社の境内に駐車させてもらいます。

では準備をしてスタート。

きれいな鳥居をくぐり、

本殿にお参りします。

本殿左横のここから奥に行けば、

看板があります。小屋の左奥から入り、すぐに鋭角に右上の尾根に行きます。直進しないように。

最初のうちは、快適なトラバース道。

尾根に合流します。

まずは激登りその1。ここでヤマップを起動していないことが判明。よって今回のログは、実は同行していたHinoking氏のログをもらっています。ありがとうございました。

ロープ場の急登はずっと上まで続いています。

こんな道ばっかりなら楽しいのですが無理でしょうね。

再び激登りその2。

大瀧寺への看板があります。

またまた激登りその3。

この登山道の標識が時々現れます。

この道は大瀧寺への遍路道でもあります。

今日もかなり暑いです。さらに阿讃の山は展望がないので、黙々と歩くのみです。

このあたりから笹が出てきました。

阿讃縦走コースの看板も時々現れます。

道はよく踏まれていてまず迷うことはないです。

大相山との分岐に到着しました。

大相山ピークを目指して進んで行きます。

大相山山頂(881.1m)到着。

三角点もあります。

元の分岐まで戻ってきました。

いきなりトラロープの下りです。

手作りのベンチを通過。

743mピーク付近です。

このあたりもキツい登りです。これが激登りその4。

稜線に合流します。

十九丁の丁石地蔵です。

朝の木漏れ日の中を歩く。

岩尾根の激登りその5。

857mピークを通過。

もう少しで県道に出ます。

やっと車道に着いた! もう汗だくで首のタオルを今日も4回絞った。

では西照神社へ向かって進んでいきます。

山の中ですが、広い境内です。

本殿にお参りしました。そしてその後

大瀧山山頂(946m)到着です。三角点はありません。

その後大瀧寺に立ち寄り、

通行禁止区間を迂回するべく車道を進む。

途中に見つけた、この東屋でランチタイム。昼食後少々藪こぎをして

城ヶ丸西側からのルートに合流し、

城ヶ丸山頂(943.2m)到着。

三角点もあります。

山頂にはベンチや東屋もありました。では相栗峠を目指します。

大生峠を通過。しかし今日も虫が多い…

次のベンチのある所は、

キャンプ場への分岐となっています。

三本松を通過。

もうすぐ苫尾山です。

苫尾山山頂(818.9m)到着です。

三角点もあります。

休憩ベンチもありました。

少し下ると、苫尾峠です。

ここにもベンチとキャンプ場方面の分岐がありました。

そしてすぐに細尾峠。ベンチもあります。

細尾峠からの分岐は通行禁止になっています。

しばらく進んで、国地蔵峠到着。

明治14年のきれいなお地蔵様がありました。ここのベンチでしばし休憩し、再スタート。

途中登山道から少し離れたところに三角点778.6mがありました。

そして近くの登山道上に「平帽子山778.7m」の標識があった。

この標識で進路を左に取ります。

こんな快適な道は続かないことを知っているだけに…

程なくベンチがあり、その先に

出ました!誰が付けたか四国三大急登の一つ相栗の急登。

標高差約150m、カベのような斜面を、ロープを頼りに慎重に下って行きます。

下りきったときは本当にホッとしました。そして整備された階段を下れば、

県道に合流です。そういや今日は珍しく一升瓶を見なかったなあ。

そして駐車場到着です。お疲れ様でした。この後、車を回収に行きました。

そして帰りに今度は清水小学校に立ち寄る。

5年前に休校になったということでまだ新しく、傷みはほとんどない。

やっぱり創立100周年の石碑がありました。

山側のこちらが児童昇降口のようです。

プールもありましたが、草が生い茂っています。

運動場にはバックネットがあります。そういえばこんな山間の小学校にも昭和58年頃には少年野球のチームがあり、当時では珍しかった女子選手が2人いたことを記憶している。