槍ヶ岳への道(表銀座縦走/燕岳-大天井岳-槍ヶ岳-上高地)

2021.10.08(金) 3 DAYS

チェックポイント

DAY 1
合計時間
16 時間 26
休憩時間
7 時間 17
距離
11.7 km
上り / 下り
1998 / 569 m
6
36
33
2
27
25
12
28
51
26
5 56
DAY 2
合計時間
13 時間 39
休憩時間
4 時間 42
距離
10.4 km
上り / 下り
1392 / 1184 m
3
2
50
1 46
33
1
1 20
2 25
14
54
DAY 3
合計時間
9 時間 51
休憩時間
1 時間 48
距離
20.0 km
上り / 下り
441 / 2022 m

活動詳細

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ついに今日という日を迎えた。憧れの槍ヶ岳山頂へ、最後のアタックを開始する。槍ヶ岳山荘から東の空を見ると、深い藍色の空の下、地上と接する線がピンク色に染まり始めた。絶好を予感させる空だ。テンションが一気に高まる。山登りを始めて5年余り。これまでに登った山、歩いた尾根、転んだガレ場など、全ての一歩一歩が、この日のためにあったような気がする。ヘルメット良し、ヘッドライト良し、手袋良し、アタックザック良し、防寒着良し。夜明け前、薄暗い中、黒々とした巨大な三角形が我ら3名を威圧している。槍ヶ岳山頂部の岩稜である。ここに取り付くことのできる幸せを噛みしめながら、登頂を目指す人たちの列に続いた。槍ヶ岳まで3日がかりの登山であるが、出発した日が遥か昔のような気がしていた・・・。 【DAY 0】 10/7(木)午後、車で神戸を出発。JR芦屋駅で下山部のM監督と会社後輩のS君と合流。同乗の3名は名神高速~中央自動車道~長野自動車道を経由して、一路穂高駅を目指す。18時過ぎに穂高タウンホテルにチェックイン。このホテルは登山バスの出るJR穂高駅ロータリーから徒歩15分の場所にある。駅から少し遠いが、下山日の10/10(日)まで無料で駐車させてくれるところが良い。素泊まりシングル@6,000円。チェックイン後、3人でホテル近くの「龍門穂高(中華メインの庶民派食堂)」で夕食をとりつつ、明日からの3日間の打合せを行う。M監督のテンションは早くも上がっている。 【DAY 1】 翌10/8(金)、空は青く澄んでいる。身支度を整えた3名は途中、穂高神社を参拝し、JR穂高駅ロータリーへ。ここから登山口の中房温泉口までバスが出ているのだ。登山最盛期を過ぎた平日なので、バスの始発は6:45である。行列でバスに乗れないことを心配し6:20頃にバス停に着いた。既に10名程度が並んでいた。すると突然背後から大きな声がした。「お宅ら3人?タクシーで登山口まで行くよ。あと1人乗ったら、バス代とほとんど変わらないよ」タクシーの運転手さんであった。バス代1800円のところ、4人乗るなら@2100円で良いらしい。300円で登山開始時刻が大幅に早まるメリットは計り知れない。10人の列に向かって我らも呼びかける。「誰か一人の方いませんか!」すると妙齢の女性がおずおずと手を挙げた。ありがたや!彼女に助手席に乗ってもらい、下山部3名は後部座席へ。タクシー出発である。 タクシーは快調なスピードで山へ向かっていく。運転手さんの舌も劣らず快調である。バスの運行時刻・所要時間について、バス・タクシーが入れてマイカーは規制されているエリアについて、紅葉について、外国人登山者について、先月乗せたお客さんについて、先日の地震について・・・。話題は次から次へと移り変わる。饒舌というか多弁というか。沈黙というものが一瞬もない。座席カバーに氏名の他に、趣味「カラオケ」と記載されていた。ひとりで司会して歌の紹介して盛り上げてくれることだろう。コロナ禍でカラオケ屋さんが閉まっているのが気の毒である。 登山口には7時前に到着。バスなら7:45頃になっていただろう。幸先が良い。登山口で「登山計画書」を提出する必要があるが、コンパス登山計画書のコピーを持ってきていたので、それをポストに入れた。逸る気持ちを押さえながら、トイレをすませ、準備運動をして、さぁいよいよ表銀座縦走のスタートである。中房温泉から合戦尾根への登り道は、北アルプス3大急登と呼ばれている。烏帽子岳へのブナ立尾根(裏銀座コース)、剱岳の早月尾根と、ここである。急登といえば今まで、地元神戸の菊水山や摩耶山、比良山系の武奈ヶ岳、鈴鹿山系の鎌ヶ岳、奥滋賀の横山岳などが思い出される。今日は季節がよいこともあり、急登のキツさは全く感じない。何といっても表銀座縦走ルートは、登山者にとっての檜舞台である。急いで登るのは勿体ない。味わいながらの味登がしたい。多少の急登は喜びに代わりこそすれ、しんどいとかツライとかとは無縁の話である。 他愛もない話をしながら下山部3名は合戦小屋を目指す。M監督は「有頂天になりそうな自分を抑えるのに精一杯」だという。その気持ちわかります。件のソロ登山の妙齢女性も一緒のパーティでないが、似たようなペースでの登山なので、前に行ったり後ろに行ったりで、雑談するに、年齢は30歳。会社の後輩男性が山好きで、いろいろと教えてもらっているそう。今日は初めてのテン泊だそうだ。燕山荘のテント場で1泊し、また中房温泉へ戻るという。オーデコロンのスプレーを使っていて、山に似つかわしくない良い香りがした。 M監督はこの日のために「美尻バンド」をネット購入して、お尻の筋肉を鍛えてきた。おかげで急登に負けない脚力を得たが、肺活量を増やすことはできず、酸素缶を持参して来ていた。一昨年に南アルプスの甲斐駒ヶ岳と千丈岳を登った際にも酸素缶を持て来ていたが、今回はグレードアップ。濃縮強圧の酸素缶で、レギュレーター付きのしろもの。休憩のたびに酸素を吸引している。胸が楽になるんだそうだ。2~3口吸わせてもらったが、楽になったという自覚症状は感じなかった。 今日は10月とは思えぬほど暖かい、というよりも暑い。小生は上は速乾性の白の長袖シャツ1枚。下は下着パンツの上にCWXを履き、その上に半パンという格好。監督はというと、暑い暑いと着ている服を脱いでいって、下は加圧タイツで短パン無し。上は長袖シャツ1枚。自慢のお尻が丸くプリンとしているが、お腹もしっかりブルンと出ている。このスタイルが自分でも可笑しかったのか、すれ違う人に向かって「下着ですみませーん!」と自分の服装を強調している。ホント始末が悪い。 合戦小屋に着いたのは10時前。名物のスイカ(500円)の季節は終わっていたが、代わりに「お汁粉」(700円)をいただく。お餅が3つ入ったぜんざい。甘く暖かい料理に心がほどけていくようだ。休憩テーブルの横には、荷物専用のケーブルが伸びてきていた。麓から食材などを運んでいるのだろう。M監督は「これに乗りたい」と冗談を飛ばす。いつの間にか妙齢女性は見当たらない。テント装備の重いザックなので、ずっと後方を歩いているのだろう。 ひと心地ついた我らは先を目指す。九十九折りの道を何度目か登った刹那、前方の山の間から、黒い三角形の岩稜が目に飛び込んできた。ウォーーーーーっ!槍ヶ岳発見!北アルプスのトップスターだ。一気に血が沸き立つ。ゴジラ発見!という感じだ。M監督は感動で茫然自失。S君もカメラを構える顔が上気している。登山道から見た山並みは、手前は緑の中に紅葉した樹々が混じる。その向こうには、ゴツゴツとした岩肌の北アルプスの山並み。燕岳から伸びる稜線の先に大天井岳、更にずっと奥の姿の良い三角錐の山は常念岳だろうか。今回参加できなかったS先輩がここにいたら、何と叫んでいたのだろう。お馴染みの「絶景かな!絶景かな!」が飛び出したことだろう。 11:30に燕山荘に到着。この場所からは、左右いっぱいに立ち並ぶ北アルプスの名峰たちを眺めることができる。素晴らしい光景。表銀座の名に恥じない、オールスターの山々が勢ぞろいである。興奮しっぱなしの3名であった。山荘入り口の右手にはザック置き場の棚があるが、既に多数のザックでいっぱいである。運よく3つスペースが空き、そこへ我らのザックを入れる。ここから燕岳へは軽いアタックザックに替えて出発だ。フリース・ウィンドブレーカー・カメラ・水筒など必要最小限のものを入れた。 燕岳は山頂からの稜線を広く伸ばしており、やさしさの中にも鋭さ・切れがあり、気品・気高さを感じる。山肌は緑と白と黄色の3色が織りなし、そのバランスの良さは絶妙である。北アルプスの女王とはよく言ったものだ。白は雪ではなく、花崗岩の色である。山道の花崗岩は風化してザレ場になっている箇所もある。そこへ我々は進んでいく。花崗岩がニョキニョキと生えていて、面白い風景を作っている。この辺りには有名なイルカ岩がある筈。どこもイルカ岩に見えてくるが、本物を探して歩く。見落としたとなったら悔やんでも悔やみきれない。すると、見落としようもない、完璧なイルカが現れたではないか。嬉しい出会いである。 燕岳の山頂はさほど広くない。ここで記念撮影。我らは更に北燕岳へ足を伸ばす。今朝のタクシー乗車による時間的アドバンテージのお陰だ。こちらを登る登山者は少ない。ザレ度合が更に増しており、登ったのは良いが下るのは一苦労であった。 燕山荘でランチにする。小生はカレーうどん、M監督・S君は山菜うどん。コシのある麺はもちもちとして美味い。ショップには、バンダナ・手ぬぐい・Tシャツ・キーホルダー・スタッフバッグなど様々なものが売られている。今年は燕山荘100周年だそうで、特別グッズも販売されている。小生は「スタッフバッグL黄色」を購入。本当は他の色がよかったが、Lサイズはこの色しかなかった。でもまぁ商売上手である。燕山荘を含めた数軒の山小屋は「燕山荘グループ」のオーナーによって運営されている。聞くとこのグループ、食事が美味しいことで定評があるそうだ。今夜の「大天荘(だいてんそう)」も燕山荘グループ。投宿が楽しみである。 ランチ中に会社のO役員から入電。この方、早稲田のワンゲル同好会の出身で、山を知り尽くす方だ。槍ヶ岳へ行くことは伝えていたが詳しいルートは話していなかった。「今電話大丈夫?どこ?」に「燕山荘です」と答えると、直ぐに「あぁ東鎌尾根を登るんだね。気を付けて」との声。気遣ってもらえるのが嬉しい。 燕山荘を出たのは既に14時を過ぎていた。ここから大天荘までは約3時間。到着は17時を回る。山小屋に心配をかける時間帯だ。足元に気を付けつつ、テンポよく歩くことにする。右手に大パノラマが広がっている。いま我ら3名は名だたる先達が歩いた、表銀座縦走コースを歩いている。その喜びを噛みしめずにはおれない。その一方で生欠伸も出る。昨夜のホテルでよく眠れなかったせいだろうか。思えばこの時既に軽い高山病だったのだろう。 喜作新道とも呼ばれるこの道。大天井岳(おてんしょうだけ)が近づいた場所で、M監督が叫ぶ。「ヤッホー!」こだまが帰る。あっいいなぁ。小生もすかさず真似をする。「ヤッホー!来たぞー!チャッピー!ビッグベン!」何でもかんでも叫ぶ。気持ち良いことこの上なし。ただ叫び過ぎて息切れ、酸欠気味になってしまった。 稜線歩きの終盤に、鎖のある急な下り道があった。それを降りたところの岩には、「喜作レリーフ」が嵌め込まれている。こんな素晴らしい道を整備していただいたことに感謝する。ここへきて日が陰るとともに、雲が湧き上がってきた。急に気温が下がった気がする。見上げあると、大天荘は彼方に見えてはいるが、なかなか辿り着かない。まだたっぷり一登りある。「あと500m」の立て札が目に入る。さっきまで元気いっぱいだったが、なんだか急に疲れを感じる。大声を出したのが悪かったのか、ここまでの山歩きがハード過ぎたのか。疲れた体に鞭打って更に登る。すると「あと400m」の立て札。なんと・・・、相当登ってきたつもりだったが、たったの100mした進んでいなかったのか。少し寒い。高山病の予兆なのか、頭の片隅が痛くなってきたような気がする。目の前の一歩に集中しよう。今日の登山の最終盤だ。力を振り絞ろう。「あと300m」「あと200m」「あと100m」本当に遠い。到着は何時になるのか。腕時計を見る気力もなくなり、自分を「無」にして歩き続ける。大天荘についたのは17時頃であった。計画ではこの日のうちに、コースタイム片道10分の大天井岳山頂へ登るつもりだったが、その元気は到底なく、山小屋の三和土にへたり込んでしまった。 山小屋の中は暖かくてホッとする。室内温度16℃。外気温6℃。外気温は例年よりずっと暖かい。我々は本当に恵まれている。脇を見るとゴミ箱があった。ペットボトル・瓶・缶や、燃えるゴミも捨てられるようになっている。燕山荘グループ、すごいサービスだ。1泊2食プラスお昼弁当で@14,200円也。 個室ではなく大部屋の予約だったが、コロナ対策の都合であろうか、我ら3人だけの個室に案内された。部屋の奥から、小生・S君・M監督の順番。M監督の鼾は強烈であり、自身もそのことは自覚している。自ら「俺だけ枕の位置を反対にするわ」と申し出てくれた。悪いけれどもお言葉に甘えさせてもらう。この個室、3人布団を並べてちょうどいいくらいの大きさであるが、入り口には「定員8名」と書いてあって目を疑う。ここに8人で寝るとなると、寝返りをうつことも難しいだろう。 部屋で銘々が荷ほどきをしていると、スタッフの兄ちゃんが入ってきて、小屋についての諸注意と、小屋からのプレゼントとして「燕山荘バンダナ(ブルー)」をくれた。燕山荘でバンダナを買わなくてよかった!大天荘の粋な計らいに嬉しくなる。100円でスマホや充電器バッテリーに充電することができる。なんとありがたいことか。やるなぁ燕山荘グループ! 夕食は17時半。3人は食堂のいちばん奥の席に案内された。山小屋とは思えぬたくさんの料理が並んでいる。食欲は無かったが少しでも食べないと身体がもたぬ。ハンバーグか焼き魚の2択で3人ともハンバーグを注文したが、それ以外の料理も充実していた。頑張って食べたが、ハンバーグは半分残し、サーモンとワカメとキュウリのマリネは、サーモンが食べられなかった。隣の席では若い女性が完食している。山小屋2泊の縦走では、こうした食欲も重要な能力としてモノを言うのだ。なにくそ負けてたまるかと思ったものの、頭も身体も重く胃が食物を受け付けない。勿体なく山小屋には申し訳なかったが半分ほど料理を残し、2人より先に部屋に戻った。 当然のことながら風呂はない。着ているものをすべて脱いで全裸になった。全身用のウェットティッシュで身体をぬぐう。中途半端に服を着ながら体を拭くのは性に合わない。風呂に入るときと同じ、素っ裸になるのがよい。ウェットティッシュで胸を拭く。冷たい!この冷たさが衰弱した身体にこたえる。とにかく今は体力回復に努めよう。新しい下着に、明日の山歩き用の服装に着替えてそのまま寝ることにする。即ちタイツと長ズボン、速乾性の長袖シャツの上に更に半袖を着て、その上から長袖のフリースを着る。足先は靴下の上から貼るカイロを足の裏側に、左右の足1つずつ貼る。頭はいつものナイトキャップ。更にコロナ感染対策のため、小屋の敷布団と掛け布団の間に持参したインナーシーツを挟み込む。スマホは低温だとバッテリーを消費してしまうので、布団の中に入れた。 こうして寝る準備をしていると、2人が部屋に戻って来た。弱った小生にM監督は「酸素吸いますか?髪の汚れをふき取るシートありますよ」と。S君は「バファリンありますよ。飲みませんか」と声をかけてくれる。辛いときにこうした言葉は本当に嬉しい。仲間というのはありがたいものだなぁ。 20時前に就寝。たちまち深い眠りに引き込まれた。が・・・、23時過ぎ不快な騒音で目が覚めた。山小屋名物、M監督の鼾である。グォーッスピー、ガーッフーッ・・・いつまでたっても終わらない。「この喉どないなっとんねん!」就寝前の感謝の気持ちもどこへやら。人間とはつくづく身勝手なものである。深夜のBGMを聞きながら、2年前の「北沢峠・こもれび山荘」の夜を思い出した。M監督の隣で寝ていた小生は、監督の耳元で熊鈴を鳴らして、うるさい鼾を止めた。ところが今夜は隣に寝ているのはS君。熊鈴を振るとS君を起こしてしまう。仕方ない。耳栓をして監督の方に背中を向けて目をつぶる。 なかなか直ぐには眠れない。部屋の小さな窓を開け、外を見上げた。山小屋の建物の隙間から見上げているので、広い空を仰ぐことはできなかったが、大きな北斗七星が見え、それを繋いだ先にある北極星が見えた。北極星は市街地で見える弱弱しい光ではない。光り輝くポーラスターである。小屋の外へでて大空を見上げたかったが、体力気力なく、再び布団に戻る。いつの間にか眠りに落ちていた。 翌朝、二人によく眠れたかと聞く。当然ながらM監督は爆睡できたとのこと。ホントにこの人はスゴイ人だ。S君は寝苦しくて余り眠れなかったらしい。監督のイビキは気にならなかったが、暑くて寝苦しく、目が覚めるたびに布団の中で服を脱いでいき、最後はパンツとTシャツ1枚になっんだそうだ。寒がりの小生とはえらい違いである。 【DAY 2】 翌朝は5時に目が覚めた。頭が軽くなった気がする。山小屋の食堂、昨日と同じテーブルで朝食をとる。美味しく食べられ、完食できた。体調はV字回復だ。小生の体調を案じてくれていた2人も喜んでくれた。心配かけて申し訳ありません。我ら3人は、朝食後すぐに裏山の位置にある大天井岳へ登る。夜明け前の暗いガレ場を、ヘッドライトを頼りに登っていく。山頂にはすでに4~5人の先客。皆、夜明けの瞬間を狙っているのだ。東の空が白んできた。少し雲が邪魔をしているが、一刻ごとに雲の色が変わっていく。日の出の方向を真正面にすると、大天井岳の山頂碑は背中の位置だ。その遥か後方には、夜明け前の槍ヶ岳が息を潜めている。黒々とした山肌にうっすらと赤みが射してきた。日の出の方向・東側は雲海に覆われている。雲の下の人たちには悪天候でも、雲の上の我らにとっては上々の天気である。監督もS君も興奮している。今日も素晴らしい一日になりそうだ。 大天荘のスタッフに挨拶して2日目の山歩きはスタートだ。ここからまっすぐ西へ山を下りて行って、大天井ヒュッテへ向かう。抜けるような青空を見上げる余裕はない。急降下の山道である。足元を見つめ一歩一歩降りていく。M監督はビビりが入っていて、息苦しくないのに牛歩になっている。これがあの豪快な鼾の主とは思えない。S君は愛用のカメラで撮影チャンスを狙っている。彼の写真は独特の雰囲気がある。カメラが違うのか、目が違うのか。両方なのだろう。狙いすました写真は彼に任せて、小生は記録用に数で勝負だ。 大天井ヒュッテから喜作新道に合流、歩く方向は南へ変わった。ビックリ平で再び西へ向かう。その先に現れたのは真正面から我らを抱きとめるように立つ槍ヶ岳であった。圧倒的な存在感。きら星ぞろいの北アルプスの中でその山容の特異さは群を抜いている。天を衝く鋭い切っ先、そこから広く伸びる尾根尾根。何匹もの龍がのたうち回った末に、槍ヶ岳山頂の一点に集まったかのようである。人間を容易に寄せ付けない峻険な峰。畏れを抱かずにはおれない。目を左へ向けると穂高の峰々。重量級の山が連なっていて、こちらも惚れ惚れする眺めだ。やはり北アルプスの王は穂高岳だ。そうすると槍ヶ岳はプリンスなのか、いやそんな育ちのよいものではない。もっと孤高の強さを感じる。その道を極めた剣豪とでも言おうか。 こんな素晴らしい縦走路を歩いて幸せだなーと感じる一方で、早く家に帰りたいという思いもしている。山の幸福感と自宅の居心地の良さの両方を満喫していたい。今頃妻はどうしているだろうか。離れて暮らす娘たちは。両親は。表銀座のど真ん中を歩きながらそんなことを思う。他の登山者はどうなんだろう? 登山路は再び南へと伸びていく。左手遥か向こうにすっくと立っているのが常念岳。この山も姿のいい山だ。五日登ってみたい。いくつかピークを越えて、赤岩岳へ登る。その名の通り、赤っぽい岩がゴロゴロしている山だ。ブラタモリで解説してほしいところだ。山頂は驚くほど狭い。ここから更にヒュッテ西岳へと歩いていく。どんどんどんどん降りていく。ヒュッテ西岳は営業終了していたが、小屋の近くのスペースで大天荘が用意してくれた弁当を食べる。寿し飯の上に軽く焼いた鮭が乗り、彩り鮮やかな錦糸卵が敷いてある。梅干しと塩昆布もついている。美味いのは言わずもがな。疲れて食欲が落ちることを考えての事だろう。酢飯はパクパクと食べられる。 まだまだ下り道は続く。これから東鎌尾根へ入っていく。下りきった鞍部は水俣乗越。大学生くらいの男子2名が昼ご飯を食べていた。ここの標高は約2500m。槍ヶ岳山荘が3020mだから、ここから更に標高差520mを登らねばならない。しかもこの東鎌尾根は、急な登りと下りが交差する難所である。長い梯子にとりつく。登り切ったらまた別の梯子、それからまた別の梯子と続く。それが終わると今度は木段の連続。1段ずつ数字が書いてあって、一つの木段から次の木段へ移ると、数字が一つ減る。はは~ん、これが1になると最後の木段なんだな。15、14、13順に数字は減っていく。ところが12-3、12-2、12-1というように、枝番が入るようになった。これをやられたら終らないんだよ・・・。 北の方角、遠くにダム湖が見えた。高瀬ダムである。我ら3名ここで何度目かの小休止。監督はすかさず酸素ボンベに食らいつく。胸いっぱいに酸素を吸い込んでいる。恍惚の表情。このまま昇天してしまうのではと心配になる。3度の飯より酸素が好き!という態である。 後ろからやってきた男性ソロ登山者が休憩している我らに追いついた。彼も我らの横で休憩を取る。短い髪の丸顔で小太り。人懐っこい笑顔が印象的な若者。といっても30代くらいに見える。聞くと今朝、中房温泉口の第1駐車場に車をとめて、朝5時から登って来たのだという。今夜はヒュッテ大槍に泊まるそうだ。なんという体力だ。我らが2日かけて歩いた道を1日でやってくるとは恐れ入る。本来なら東鎌尾根を真っすぐ辿ると槍ヶ岳山荘なのだが、先日の地震による落石で道がふさがれているため、ヒュッテ大槍から殺生ヒュッテを経由して槍ヶ岳山荘へ行かねばならない。「僕は本来の道が好きですけどね。少しずつ登っていくから。地震でその道が通れないので、殺生ヒュッテからガツンと急登ですね。頑張ってください。ここまで来たら大丈夫ですよ」と、励ましているのか怖がらせているのかよくわからないが、彼の笑顔で言われると、なんだか大丈夫なんだという気がしてくる。しばし雑談した後、彼はお先にと歩いて行った。その後ろ姿、ふくらはぎははちきれそうに太い。腰もガッシリしている。腹が少し出ているのはご愛嬌。我らは勝手に「あの人は自衛隊」と決めてしまった。 雲が出てきた。どんなに天気が良くても、日が陰ってきて雲がでてくると途端に気温が下がる。さすがに疲れてきた。ゆっくりしたペースで自分を鼓舞しながら歩き続け、15時頃にヒュッテ大槍に到着。例の自衛隊の男性がヒュッテの外で黒ビールを美味そうに飲んでいる。ニコニコと「お疲れさまです」とかけてくれる。アルコールは小屋の中では禁止で、外でしか飲めないそうだ。「ここまで来たらもう着いたも同然ですよ。頑張ってください」とまた、そんな言葉をかけてくれる。額面通りは受け取れないが、もうひと踏ん張り頑張ろうという気になった。 殺生ヒュッテに到着。小林喜作が建てた小屋だ。遥か上方に槍ヶ岳山荘が見える。真っすぐ頭の上にあるという感じ。昨日の反省から、小生は大声をだしたり、遮二無二登ったりはしない。M監督を見習って、牛歩で歩いていく。既に昨夜の大天荘よりも標高の高い場所に来ている。深呼吸しながら、100mごとに小休止をとりながら、本日最後の山道を登っていく。 65歳のM監督は休憩の度に酸素を吸っている。後で聞くと3日間の縦走で、小さな高圧酸素缶1本で十分だったそうだ。ただし高圧に耐えられるよう酸素缶は厚みがあって少し重い。それでも高山病を避けられるなら、3000m級の高山では必携品である。 見上げると槍ヶ岳山頂は雲の中。明日の天気はどうなんだろうか。16時半頃、槍ヶ岳山荘に到着。その足で山頂へ登る体力は無い。受付を済ませて今夜の寝床に案内された。1泊2食プラスお昼弁当で@14,500円也。 昨日の大天荘とは異なり、大部屋ごとに2段ベッドが向き合っておかれている。そうした部屋は20ほどもあろうか。林間学校で泊まる施設のような間取りである。我らは「南・いわつばめ・A1〜3」に案内された。片側の1段目の布団3組が空いていて、3名並んでザックを降ろした。3名×2段×対向2列=12名が今夜この部屋で眠るのだ。我らの並びは奥がS君、真ん中がM監督、手前が小生である。今夜何かあったら、耳元で熊鈴を鳴らしてやろう。嬉しいことに枕元に荷物置き場の棚があって、そこにスタッフバッグや小物など諸々を置くことができたこと。ザックに何もかも詰め込まずに済んだのがありがたかった。 もちろん耳栓は消灯前からしっかり耳にねじ込んでおこう。体力をセーブして登って来たこともあり、体調はよい。昨日とは大違いだ。2段ベッドの1段目が薄暗いのをいいことに、昨夜と同じく全裸になって全身の汗を拭う。気持ちいい! 夕食はしっかり美味しく完食することができた。お腹がいっぱいになり、お代わりするのは無理だった。見るとご飯とおにぎりはお代わり自由である。お代わりをよそってくれるスタッフがいて、希望者はそこへお茶碗や汁椀をもって並ぶ。男性もいれば女性もいる。こいつら元気やな―。こういう力が最後にはモノを言うんだろうな。 夕食後、スマホを充電する。槍ヶ岳山荘でも充電は可能だった。ホームページでは見当たらなかったが、嬉しい誤算である。M監督とS君にビールを誘われたが、小生は昨夜のこともあり、万が一の体調悪化を懸念して、アルコールは遠慮した。彼らは談話室で飲んでいたようだ。20時消灯。昨夜の大天荘で眠った時の服装とほぼ同じ服装の組合せだ。M監督は睡眠導入剤を飲む。いつも飲んでいるそうだ。S君もそのお裾分けを飲んだ。昨夜はあまり眠れなかった為である。小生はというと、しっかり疲れているので必要ないと辞退した。これが吉とでるのか凶とでるのか・・・。 またもや地鳴りのような音に目が覚めた。監督である。12名の部屋は監督の鼾以外の音はしない。我ら以外の9名は全て若い男性だ。ぐっすり眠っているのだろう。そーっと熊鈴を握って監督の耳元へ。ところが監督、なんと小生の布団との間に自分のザックをガッチリ立ててバリケードを作っていた!熊鈴を監督の耳に近づけることができない。少し離れた場所から鳴らしてみたが、効果なし。2日連続、泣き寝入りはゴメンである。何とかならぬかと思いあぐねて、監督のザックをその顔の上に倒すことにした。怪獣よ退散せよ。さすがに地鳴りはピタリと止まった。 【DAY 3】 早朝4時にひとりでに目が覚めた。5時の朝食には時間がある。アタックザックに必要なものを詰め、山頂から戻ったら直ぐ出発できるように、荷物を詰めなおしておく。朝食は「おでん」だった。透明なスープに、大根・卵・ちくわ・ごぼ天・ジャガイモなどがごろごろ入っている。美味しい!あったかい!白ご飯にふりかけもある。おなか一杯になった。 食後、歯磨きのために山荘の外へ出た。飛沫感染防止のために、どこの山小屋でも室内での洗顔は禁止している。見上げると夜空に大きなオリオン座。おおいぬ座が足元にひかえ、おうし座も見える。天の川までは分からなかったが、星々の明るさはアルプス山中ならではのものだ。東の空が白じんできた。地平線辺りの空は、深いブルーから淡いピンク色に変化していく。小屋から出てくる登山者はみな一様に「すげーーっ!」「天気やばい!」「なにこれ!」と興奮した声を挙げる。東京弁が多いが関西弁も聞こえる。中国語やタイ語のような言葉も耳に入る。小生も浮足立ちそうになるのを必死でこらえた。 フリースの上にウィンドブレーカーを着て、手袋をはめる。ヘッドライトを点けて我ら3名は小屋を出発した。槍ヶ岳山頂まで、点々とヘッドライトの灯りが続いている。憧れの山頂はもう目の前だ。はやる気持ちをおさえて最後のルートに取り付いた。先頭が小生、次がM監督、殿がS君だ。槍ヶ岳を登るチャンスは、ひょっとしたら2度とないかもしれない。そう思うと歩くのが惜しくなってくる。大事に大事に登る。登りながらスマホで写真をとる。自撮りもする。後続の2名を真上から撮る。 小生の直ぐ前を歩くのは中国人の若者3名。日本語で「あれは富士山かな?」と東の方角を指さす。てっぺんがまっすぐ平になっている大きな山が遠くに見えたのだ。かれらも日本語で「そうだ、あれは富士山だ」と返す。彼らも興奮を抑えきれない様子である。 3点支持を続けながら大事に大事に登っていく。M監督は小生以上に大事に登っているようだ。ガレ場の次にハシゴが現れた。かなり長いハシゴだ。鎖場もある。短いハシゴもある。岩に打ち込まれた鉄杭に足をかけて登る箇所もある。登り用と下り用とで、ハシゴを含め登山道はハッキリわけられている。このような助けがあって始めて我々は穂先に迫ることができる。播隆上人によって開山されたとき、その困難・危険は想像して余りある。先人の命懸けの仕事の上に我々の安楽さがもたらされている。 ハシゴの3つめにしがみつく。そして4つ目・・・。それを登りきると目の前に20人前後の登山者が狭いところに座っていた。そこが山頂であった。思わず出た言葉は、「来たよ~!」だった。ついにここに来た。来てしまった。「なんで私が東大に」という予備校の広告を見たことがあるが、それと同じ気持ちだ。「なんで私が槍の穂先に」である。何度も言葉がでる「来たよ~!」「ついに来たよ~」 山頂の誰かが答えてくれた「来たね~」 じんわりと優しい気持ちが広がった。 登頂したのは日の出直前であった。山頂に居たものは皆、日の登る方向を見ている。その時「あっ!出た!」太陽の上端が顔を出した。小生に続いて登頂したM監督は座り込んでいて、目には涙が。その気持ち分かるよ。見る間にぐんぐん登ってくる太陽。照らされて我々の顔も赤く染まる。東側には雲は無い。ただ山頂部は強風が吹いている。突っ立っているとよろめきそうだ。太陽と反対側には、槍ヶ岳の三角形の影が見える。「影槍」である。こいつにも絶好の天気でないと出会えない。その時ブーンと大きな音がした。見上げるとドローンが穂先の上を飛んでいる。強風の中でもしっかりと1点に留まっている。かと思うと穂先を離れて大きく周回する。空撮しているんだろう。気づいた登山者は一斉に手を振った。あの動画見せ欲しいなー。 蒼天を衝け!のポーズで記念撮影。このポーズをどの山よりも、ここ槍ヶ岳でやりたかったのだ。こんな絶好の天気に恵まれたこと、この登山のために世話になった人、快く送り出してくれた妻への感謝でいっぱいだ。ふと気づくと昨日の「自衛隊の若者」も山頂にいた。ガッチリ握手。影槍の方向を見ながら「あの雲がかかっている山は何?」と尋ねると、「あれは笠ヶ岳、そしてあれが三俣蓮華岳、野口五郎岳、向こうは薬師岳、鷲羽岳、あの黒っぽいのが水晶岳で、僕は先週あそこを登りました・・・」ニコニコとした笑顔で、次から次へと山の名前を挙げてくれる。あまり聞かせてくれるなよ。こんどはダイヤモンドコースを歩きたくなるよ。 槍ヶ岳山荘を出発したのは、日がすっかり高くなった時であった。登山計画より1時間以上遅れてしまった。上高地からのバスは15:15に出発する。小生はこのバスの予約を取っていなかった。予約の必要を知らなかったのだ。それをM監督が今回の旅の前日に気づいてくれて、既に予約いっぱいだったところを、苦労して取ってくれたのだ。絶対に間に合わねばならぬ。槍ヶ岳山荘から南へひたすら降りていく。天狗原分岐あたりまでは、大きな岩がゴロゴロする道、これを苦労して降りていく。時間は気になるがなかなかスピードは上がらない。このあたり紅葉が素晴らしいこともあり、何度も写真を撮ってしまう。大曲についた時点で予定より1時間半ほど遅れていた。これは結構やばいんでね―の。 今日歩いた道のりと、上高地までの道のりを3人、地図を見て確認する。M監督の顔が引き締まった。S君は淡々と表情を変えずに歩いている。ピッチを上げて槍沢ロッヂへ。いいぞ、だいぶペースが挽回できている。一ノ俣を経て横尾へ。ここからは涸沢へも道が伸びている。いつかそちらから穂高岳を歩いてみたい。ここで昼弁当休憩を取る。おこわご飯ががっちりと固めてあって、サイズの割にズッシリと重い。美味しいのだが食べても食べてもなくならない。さすがに少し飽きたと言ってはバチ当たりか。食後さらに南へ。登山道の幅は広く、平坦で歩きやすい散歩道という感じ。ひたすら歩いて徳澤園についた。ここは横尾までと明らかに雰囲気が異なる。山男・山女の世界から、ファミリーハイク、カップルハイクという感じ。ここでソフトクリームで一休み。道標をみるとここから蝶ヶ岳へも登山道が伸びているようだ。そういえば会社の先輩OBのテリーさんのグループは昨日蝶ヶ岳へ登ると言ってたっけ。 徳澤園から、南へ向かっていた登山道は西へカーブする。歩くペースを早めたおかげで、バスの時間はほぼ心配ない。右手には穂高の峰々。どれもどっしりと重厚な山である。いくつもの頂きが登山者を見下ろしている。登山者の力量が見透かされているようだ。明神館を経てなおも歩き続けると、目指す河童橋が現れた。やれやれホッとする。そこの土産物屋で、S君は奥様にお土産のワインを買った。辛口がお好みだそうである。 上高地バスターミナル前でコロッケ買って食べた。アツアツで美味しい。街へ戻って来た感じがする。予定のアルピコ交通バスに揺られること1時間。新島々に着いたときは熟睡であった。バスを降りるとき脚の筋肉痛に気が付いた。相当酷使したのだな。S君も足が筋肉痛だという。M監督は全くの平気。多分何日か経って、北アルプスを忘れたころに筋肉痛が出てきますよ、といってからかう。後日S君に聞いたところでは、足先が腫れ上がって革靴に足が入らなかったんだそう。フルマラソンでもこんなことなかったと、彼は驚いていた。 新島々から電車で松本まで。ところが松本駅手前の橋が不通だそうで、一駅前で降ろされて、再びバスで松本駅へ。到着したのは17:20頃になっていた。ホームの立ち食いスタンドで、信州そばを楽しむ。駅ホームのスピーカーからは女性の声で「まつもと~、まつもと~」という哀愁を帯びたアナウンス。これだこれだ。以前焼岳に登った時も、松本駅で聞いたアナウンスだ。このアナウンス、無くさないでほしいと思う。 18時前のJR各駅停車で松本駅を出発し、30分余りで穂高駅に到着。駅にザックを降ろし2人を待合室に残して小生1人、穂高タウンホテルに車を取りに戻る。すでにあたりは真っ暗だ。この後は風呂に入って3日分の垢を落とそう。さっぱりした身体で神戸へ帰ろう。最後の最後で事故を起こしては何にもならない。安全運転で家族の元へ帰ろう。そう思いながら車を走らせた。 槍ヶ岳へ登って、何か変わったか?と問われると答えに窮する。人間一夜にして成長することなど滅多にない。それでも少し気持ちにゆとりができた気がする。こんな自分でも優しく受け止めてくれた北アルプスの山々。その包容力、居心地の良さがずっと余韻として残っていた。こうした大きな気持ちで日々を過ごしたいものである。帰宅して落ち着いたら深田久弥の百名山・槍ヶ岳を読み返してみよう。山に感謝、天に感謝、仲間に感謝、そして家族に感謝である。

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