活動データ
タイム
11:19
距離
18.3km
のぼり
1487m
くだり
1487m
活動詳細
すべて見る今回はせめて南アルプスの南部の奥深い光岳だけでも登頂しておこうと入山。光岳は駿河、遠江、信濃の三国にまたがる。それならば、駿遠信岳(すんえんしんだけ)と甲武信岳に倣ってアダ名を付けておこう。知人が先に入山し以下のコースを辿り、五日後11時に薬師小屋で待ち合わせることに。 畑薙⇒椹島⇒千枚岳⇒悪沢岳⇒赤石岳⇒聖岳⇒茶臼小屋 プランを立てたのはワタシであるが、今夏東京で開催された大運動会の仕事に配属された為に長期休みが急遽また取れなくなってしまった。 初日、1800メートルの上りに荷物が重くヘロヘロ。横窪沢小屋からは勾配が更に厳しくなり11時に茶臼岳小屋に待たす知人に遅れの連絡をしようとするも電波が弱くそれも叶わず。あと500メートル程というところで知人が手ぶらで様子を見に下ってきた(笑) 自分の酒も入っていると責任を感じたのか私のザックを背負って小屋まで(笑) 晴れていれば小屋に荷物をデポして上河内岳に行く予定だったが、生憎雲がかかり始め稜線まで出て諦めることに。 夜は小屋で夕食中に意気投合した方々と山談義をしながら酒を酌み交わした。お会いした二人組も翌日は光岳に向かう予定。雨予報で皆が次第に深酒になっていくが、私は雨でも一人でピストンする予定でいたので差し出された酒も丁重に断った。 翌朝、雨は上がりガスが湧いているがそこそこの天気。昨夜、炊いた米に暖かい味噌汁を食べ出発。茶臼岳を越えるまでは寒風が吹き荒れる。下ってからは針葉樹の樹林帯で風はおさまった。歩き続けると上河内岳の左手に見えなかった聖岳が姿を露す。南からの姿は単独蜂ということが明白で、実に立派に見え偉大さがわかる。三方どこからアクセスも厳しそうな勾配が容易にわかる。光岳への道中、足元には御前橘の赤い実があちらこちらにあった。 終始稜線の右手、北方の景色を見ながら進み光岳手前の小屋で食事休憩を取る。小屋を含めテント場に学生が四人大きなテントを張っていた以外は誰もいなかった。光岳山頂で現在の三角点の他、深田も見つけた御料局の古い三角点を離れた場所で見つける。 この辺りの這松が深田が登頂した昭和十年(1935年)頃は少なくとも世界最南端の生息域と認識されていたらしいが、現在では更に南の丸盆岳のものとされている。当サイトで日記を検索してみたが、やはり這松を確認できる。少し奥の光石まで下り、久しぶりに南側の電線一つない展望を楽しんだ。 引き返す途中、光岳の山頂でなんと昨夜酒を酌み交わした二人に遭遇。ぶっ飛ばして来た様子。一人は深田百名山99座目。もう一座は富士山で、来年を予定している由。昼食を取るとのことで我々は山頂を先に辞して、茶臼小屋へと先に向かった。彼らが小屋へと戻ってきたのは、余程疲れたのか二時間半も後だった。 最終日もご飯に暖かい味噌汁に昨夜のツマミの残り。後はヒタスラ急勾配を下山。横窪沢手前の樺段にて小雨が降り始めたのでザックカバーを装着。レインウェアは暑くなるので着なかった。ウソッコ沢小屋辺りからは土砂降り。しかし、意外やこういう登山も良しと雨を楽しみながら一言も喋らず黙々と下った。80年以上も前に光岳を目前に雨で三日停滞した深田の笑い声が聞こえた。 そうそう、節黒仙翁を初めて見た。田中澄江がその著「花の百名山」で一番好きな花として雲取山の頁で紹介している。花と言えば他にも土砂降りの下山中、銀竜草擬き?らしきを見かけた。また光岳の小屋付近の登山道に高嶺ビランジが一輪残っていた。南アルプスの固有種である。ところでビランジって何?調べても漢字の表記がないようで。この辺りのナマリから転じたものなのか。 【初日】 畑薙ダムの駐車場から茶臼岳小屋 9.8km 【二日目】 茶臼岳小屋から光岳往復 18.8km 【三日目】 茶臼岳小屋から畑薙ダム駐車場 8.7km (計37.3km)
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