活動データ
タイム
05:56
距離
16.1km
のぼり
1266m
くだり
1263m
活動詳細
すべて見る行こうと思っていた山が「てんくらC」判定… 暑寒別岳に変更しました。 亡き親父とおふくろ、ぼくと妻の4人で登った唯一の、思い出の山です。 さて、暑寒別岳の麓にある増毛(ましけ)町に増毛小学校というのがあります。 昭和11年に建てられた北海道内最古の木造校舎で北海道遺産に登録されています。児童数の減少で学校機能は9年前に移転したため、木造校舎は今は使われていません。 祖父が昔、留萌管内で教員をしていて増毛小でも教えていました。 話は変わって今から20年ほど前の初夏のころ、その木造校舎を見学する小さなイベントがあり、参加しました。 職員室で「昔、祖父がここで教員をしていました」と伝えると、教頭先生がどれどれと当時の職員名簿を探してくれました。 祖父の名前がそこに。昭和19年のころです。 おふくろは1歳。祖母のお腹には妹がいました。 ぼくが増毛小を訪れた当時、ぼく自身もそんな家族環境でした。 祖父は出征しませんでしたが、教え子たちは戦争に。 職員室の窓に目をやると、ずっと向こうに残雪を乗せた暑寒別岳があります。 祖父も同じ景色を見ていたはず。だいたいぼくと同じ歳に。 戦争が激しさを増し、自分のこと、家族のこと、そして日本のこと、 多くの不安を抱えながら暑寒別岳を眺め、何を思っていたのか。 でもその60年後、自分の娘とダンナ、その息子と嫁が仲良くその暑寒別岳登る姿なんて祖父は想像もできなかったでしょう。 中島みゆきじゃないけれど、会うべき人に出会って紡がれた糸が、ほかの糸と折り重なって絆となる。 些細なつながりが織りなす糸。例えばいまこれをお読みくださっているあなたとぼくと。 人は何かのためではなく誰かのために生きなければならないとぼくは思います。 20年ほど前、増毛小の職員室から暑寒別岳を眺めながらぼくは亡き祖父のことを思い出しつつ、そんなことを考えていました。 きれいにまとまったのでこれにて(登った話書いてないけど?)。 山行記はキャプションで。
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