小屋泊 電車&バス、車(ご好意で鴨沢バス停から小袖登山口付近まで同乗させて頂いた) 👹1日目:小袖登山口→雲取山→雲取山荘 終日曇り、七ツ石小屋で一時雨になりレインジャケット着用したがすぐ止んだ 七ツ石山出発後は雲取山登頂まで、雲多めながらも富士山がずっと見えた 歩き始めの樹林帯は半袖シャツ1枚、尾根歩きでは風が寒く途中からレインジャケット再着用 👹2日目:雲取山荘→白岩山→妙法ヶ岳→三峯神社 終日晴れ、半袖シャツとアームカバー使用 三峯神社まで下りるだけと舐めていたら、妙法ヶ岳が岩場や鎖ありの急登で一番楽しめた 雲取山は東京都・山梨県・埼玉県の1都2県の境 三峰山という山はなく、妙法ヶ岳・白岩山・雲取山の総称 全体的に登山道が整備されて歩きやすい 芋ノ木ドッケ付近は踏跡不明瞭で一部破線ルートを歩いていた 【電車】 行き:JR中央本線の特別快速ホリデー快速おくたま1号は、拝島駅での切離し注意(後ろ6両の1〜6号車のみが奥多摩駅行き、前4両の7〜10号車は武蔵五日市駅行き、新宿で乗車車両に「奥多摩駅行き亅と表示出ていても7〜10号車は「武蔵五日市駅行き」に変更になる) 帰り:西武秩父駅に併設で土産屋・食事処・入浴施設あり、近くにセブンイレブンあり 【バス】 行き:奥多摩駅前の西東京バスで②乗り場、丹波行きor鴨沢行き、鴨沢バス停まで38分・IC639円 帰り:三峯神社駐車場のトイレ前にバス停あり(三峰ビジターセンターで左に下りた278号沿い)、西武バス、西武秩父駅行き、駅まで1時間15分・IC944円 【雲取山荘】 一泊二食8500円(夕食18:00、朝食5:30、ご飯のみおかわり可)、消灯20:30、チェクイン14:00、チェックアウト07:00 不織布の枕カバー無料、お湯無料、宿泊者も水・トイレは屋外のみ マスク着用・インナーシュラフ・消毒液は持参(入口に消毒スプレーあり) 参考になった本: 雲取山に生きる ヤマケイ・アルペンガイド 4 奥多摩・奥秩父
東京で一番標高の高い駅らしい 1997年に「関東の駅百選」に選定 選定理由は「自然豊かな奥多摩に似合っているロッジ風の山小屋駅」 開業当時の駅名は氷川駅
奥多摩駅前のバス停 既に30人程並んでいて、鴨沢で降りたのは20人弱 「奥10 奥多摩駅~丹波」系統の「小袖川~丹波」間、「奥09 奥多摩駅~鴨沢西」系統の「小袖川~鴨沢西」間でアニメ『鬼滅の刃』竈門禰豆子の声優・鬼頭明里による車内アナウンスを実施中(2022年6月30日まで)
バス停の地元の方(ΦωΦ) 人懐っこくて可愛い
七ツ石小屋 手拭、バッジなど販売
天然湧水は無料(左の自炊用流し台) 気温16℃
七ツ石神社 狼が絶滅する前、山の上に住む鹿や猪などの獣が里山へ降りる前に狼が獣を捕え、農作物を守ってくれていたことから、狼を山の神として崇めていたそう 丹波山村は関東で一番人口の少ない村
社殿の中には狛犬の狼(山犬) 埴輪みたいでかわいい 禰豆子のキーホルダーがぶら下がっていた
神社の後ろに巨岩 昔は11月7日は七ツ石神社の賭博のお祭りだったそう
七ツ石山山頂 眺望は雲の中 七ツ石山の由来は、平将門の影武者七人衆の藁人形の真ん中を、平将門に違いないと思い三頭山頂から藤原秀郷が射抜いた途端(直線で約12、3km)、七体の人形が七つの大きな岩石と化したからだそう
マルバタケブキ(丸葉岳蕗) 来た道を振り返った所 ほとんどが咲き終わりだった中、残っててくれて有難う
マルバタケブキ コバイケイソウ等と同じで毒がある為、鹿に食べられないそう
アザミ
来た道を振り返れば、ダンシングツリー、奥に七ツ石山
奥多摩小屋跡 水場は尾根の西側に下りた所で水量少ないらしい 昭和55年7月20日に雲取山登山の際に浩宮様も泊まられたそう
ヨモギノ頭から来た道を振り返る この辺からペースダウン 雲取山に楽勝で昼過ぎ到着と思っていたが、夕方着がギリギリ
富士山の見え方が目まぐるしく変わる
避難小屋
雲取山山頂 山梨県側の標識と富士山
避難小屋から来た道を振り返る 雲取山は山伏や猟師の跋渉(ばっしょう)によって道が拓かれたそう
雲取山山頂、奥に富士山 こちらの山頂標識は、新たに国民の祝日となった「山の日」を記念して、東京都と埼玉県の都県境にある雲取山の山頂標識を統一し新たに設置したものだそう
三角点の標石が二つ ひとつが「現役」の一等三角点、もうひとつが明治16年当時の内務省が設置した三角点『原三角測點』
雲取山は三峯神社の奥ノ院だった
武州雲取小屋(現在の雲取山荘)初代小屋番、富田冶三郎さん(鎌仙人)のレリーフ 場所がちょっと分かりにくい 富田新道(野陣尾根)を拓いた
雲取山荘 小屋の中を東京都と埼玉県の境界が通り、境界標柱1179号が小屋の床下にある
ネズミ? 背中に黒線&シッポに毛が無いのでヤマネでは無さそう とにかく眠くて仕方無いようだった
夕食(オムレツ半分、トマト、レタス、冷奴、ハンバーグ、キャベツ、ゼンマイの漬物?) ご飯とみそ汁以外の器は全て使い捨て
山荘からの日の入り 実際はもっと赤い夕焼けみたいで綺麗だった
山荘からの日の出 左に田部重治レリーフ、右に山荘 レリーフは、田部先生にちなむ奥秩父連峰の石(水晶峠・金峰山・国師岳・甲武信岳・十文字峠・雁坂峠・笠取山・飛龍山・三条の湯・七ツ石山・白岩山・霧藻ヶ峰・雲取山山頂の石)がはめ込まれている
朝食(生卵、海苔、焼き鮭、キャラブキ?、たくあん) 朝食は5:30の為、雲取山山頂で日の出(5:25)は断念
入口の売店 手拭、バッジなどあり 鬼滅の刃関連モノは有りそうで無し 景信山みたく鬼滅グッズや限定品売れば、宿泊より小屋の売上が上がりそうなのに 追記:2022年の正月に雲取山荘から年賀状きた 山小屋から年賀状きたの初めて😲
ちょっとしたお花畑
白岩山 芋ノ木ドッケ同様、眺望無し この白岩山付近にお狗(いぬ)様が棲んでいたそう ここには幾千というオオカミが群生していて酒や小豆飯を供えた山伏は普門品(ふもんぼん:妙法蓮華経観世音菩薩普門品、観世音経ともいう)を読誦したのちに山を降りたといわれているそう 「芋ノ木」はウコギ科の落葉高木のコシアブラのこと、「ドッケ」は突起がなまった言葉だそう
雪の結晶みたいな花 沢山咲いていた 前白岩ノ肩を過ぎたあたり 「肩」は山頂近くの平坦になった所をいうそう
お清平(お経平) 悲恋に泣いた炭焼の娘お清の物語、 修験者が小石に経文を書いて埋めた所、など二通りの言い伝えあり
秩父宮夫妻レリーフ 霧藻ヶ峰はチャート(角岩=石英質の堆積岩)でできていて黒岩山、燕岩という名前があるが、秩父宮雍仁親王が1933年(昭和8年)の夏、ここへ登山に訪れた際、サルオガセ(霧藻)が霧に揺れているのをご覧になって「霧藻ヶ峰」の名を付けたそう
地蔵峠 三峰神社と太陽寺への分岐 地蔵峠の東面にあたる大血川沿いの山村では昔からこの峠を蛭ヶ岳(ひるがたけ)と呼んでいたが、文政年間(1818〜30年)に石地蔵が置かれてから地蔵峠と呼ばれるようになったそう 太陽寺は、昔「袋養寺」と書き、三峯神社に劣らぬ繁栄ぶりを見せた禅宗の寺
炭焼平(後から便宜的に名称をつけて標識を立てたそう) 炭窯跡には、現在も竈の口の石積みが残る この炭焼竈は大正の頃、三峯神社で使う炭を焼くために作ったものだそう
奥の宮への最後の鳥居
急階段は途中までで最後は鎖場の急坂
妙法ヶ岳山頂
妙法ヶ岳からの眺め 中央奥は雲取山?
妙法ヶ岳
三峯神社山門 公園には野口雨情の歌碑「朝にゃ朝霧、夕べにゃ狭霧、秩父三峰霧の中」がある 大正12年(1922年)、野口雨情は三峯神社を訪れたそう 4月8日の春祭には岩戸神楽が奉納される 吉川英治の「宮本武蔵」によると、武蔵の二刀流は、ここの神楽のお多福の女神が二本の太刀を使う舞を見て開眼したことになっているそう
クルミ汁ざる蕎麦、800円@大島屋 座敷もテラスも眺め良く美味しく頂いた この店のすぐ横の階段下りるとバス停のある広い駐車場
西武秩父駅 お土産売り場や入浴施設が併設して便利